この都市に住まう人間で、その名前を知らない者は居らず。透き通るような歌声は、新エリー都全土を夢中にさせた。
整った顔立ち。しかも女優として、演技にすらも秀でていて。彼女が出演した映画のチケットとビデオはそれこそ飛ぶように売れた。『天は二物を与えない』という言葉を作った者が彼女を見れば、泣く泣く辞書からその言葉を削除するだろう。
アストラ・ヤオを知らない新エリー都民は最早モグリと言っても良いくらい。
「そのアストラ・ヤオ────?」
「そう。そのアストラ・ヤオ」
サラリと告げられる事実に私とお兄ちゃんは驚愕する。その中で、平然としているのはハリンだけだった。
足元に『
「彼女、あの事件のことはもう良いのね。アレからメディア露出を避けていたように感じたけれど」
「・・・・・・あの事件?」
思わず反芻した。また私たちの知らないことだ。頭の上に疑問符を浮かべているのは、お兄ちゃんも同じ。
ということは
問いを受けたレインの表情は浮かない。渋い表情、と言っても良い。口を開いたとしても、言葉に迷っているように見て取れる。
『恐らく、ハリンの言う『あの事件』とは、一年前の『アストラ・ヤオ』の単独公演のことかと』
代わりに応えたのは、画面の中にぬるりと現れた大きな瞳。Fairyだった。
『一年前。黄金の日を目前に備えたその日、アストラ・ヤオが行った単独ライブで事故が発生。会場にされていた『スターループ』は公演中に墜落し、奇跡的に死傷者はゼロ。事件中、スターループからホロウ発生に似たエーテル反応が一瞬検知されていますが、人工ホロウの存在が認知されていなかったからか、機材の不具合とされており、その事件の犯人は無事逮捕されています』
無言で頷き、肯定の意思を示すレインとハリン。その内容に付け足すように、レインは再び口を開く。
「今回ライブが行われるのは、その『スターループ』の跡地でね。復興作業が済んで、ライブステージができて。丁度明日、一日スケジュールが空いていたみたいだから。ノクスがライブを捩じ込んだ、ってわけ」
「なるほどねぇ・・・・・・」
「正直、アストラさんがもう大丈夫なのかはわからないよ。けど、参加の意思は示してくれた」
彼女の────アストラさんの気持ちは正直わからない。けど、自分のライブが
それに、Fairyから聞いた一瞬のエーテル反応。ここまで立て続けに起こっているホロウの発生と無関係、と出来るほど私たちは楽観的ではなかった。
憶測に過ぎないけど、きっとアストラさん個人を狙ってのこと。一度起こってしまったことは、二度目が起こらないとは言い切れない。
楽観的になれないのは多分レインもだ。この表情から察するに、誰かから────いや。きっと巴さんから、『ケセド』やシオリちゃんのことは共有されているんだろう。
犯人は逮捕されてはいるけど、それでも讃頌会は野放しのままだ。
「なるほどね。事情はわかったよ」
ノクスの・・・・・・『
何より私なら。私が同じ立場なら、同じことを思うだろう。
「元からライブに行くつもりではあったけどね。じゃあレインも一緒に、みんなでライブに行こっか!」
レインとノクスの友人、としてだけではなく。『ホロウ探索特例実働部隊』としても行く理由ができた。それだけの話だ。
◇◆◇
そして次の日。ライブ当日。
社用車に念のためH.D.Dを積んで、イアスを連れて会場────スターループ跡地に来ていた。
念のため事情は朱鳶さんにノックノックで共有しておいて。十分に気をつけるように、と返事を貰っている。
どうやら巴さんと輝夜ちゃんは別件で忙しいらしく不在。何も起こらないのが一番ではあるけど、私たちには戦闘員のハリンがいるから。まあどうにでもなるだろう。というかどうにかなってくれないと困る。朱鳶さん曰く、数名はライブの警備に治安官を回してくれているらしいし。
「ノクスから許可は貰ってるから。楽屋にとりあえず、挨拶に行こうか」
会場に着くなり、私たちはレインに連れられてステージの裏手に入っていく。何気なく横目に視線を投げた、ハリンと目が合った。
「・・・・・・リン、どうかした?」
「いや、本当にメイクとかしなくてよかったの? ほら。アストラさんとかノクスのモチーフメイクとかしたら、楽しいよ?」
かく言う私はアストラさんのモチーフメイクをしている。彼女と同じ薄い桃色のアイシャドウを目元に入れて、リップもいつもより良いものを使って。売店で買ったノクスのツノとお揃いのカチューシャまでつけて、楽しむ準備は万端である。
何せ、初の野外ライブだ。雨の予報で少し不安だったけど、雲はかかってはいるものの雨は降らないで居てくれている。屋台もたくさん出てるし、私の心は空模様とは対照的に浮き足立っていた。
対してハリンはメイク無しのいつも通り。なんなら背中に背負った重たそうなリュックに、いつものタクティカルベストと装備を一式詰め込んでいるのを出る前に見かけた。
ああでも、私があげたリップはつけてくれてる。ほんのり唇が色づいているのが見えた。
「ええ。・・・・・・メイクは、また今度。今回は髪だけで十分よ。何があるかわからないし、また二人で出かける時にでも」
「そっか。へへ」
そんなやり取りを終えたところで『控室』の張り紙がされたプレハブ小屋の前に辿り着き、レインが小さくノックをした。
「・・・・・・あれ、居ないのかな」
返事はない。けれどレインが何気なく捻った扉に鍵はかけられておらず、ゆっくり開いた────その途端。
「も、もももももも申し訳ありませんでしたァ!!」
凄まじい叫び声。前髪が吹き上がるほどの暴風────を錯覚するほどの声量に、思わず私たちは両耳を押さえて強く目を瞑る。
「ま、まあイヴ? 私はもう気にしてないから許してあげて」
「いや、私もここまでされるほど怒ってはいないのだが・・・・・・」
恐る恐る開いた視界。そこにはツノを外して自らの横に置き、綺麗な土下座をしているノクスの背中と。何やらそれを見つめながら困った様子で頭を振る金髪の女性、その背後で宥めるようにワタワタとするアストラさんの姿があった。
・・・・・・ノクスのツノ、偽物だったんだ。というか、わぁ〜生アストラ・ヤオだ〜! なんて感想も吹き飛ぶくらいに、ノクスの土下座はそれはそれは綺麗であった。
「あ、アタシとしても今回のライブはかなり突貫だったと言いますァ〜・・・・・・急遽予定が空いて、そこに捩じ込んでもらったっていうか・・・・・・」
「いやだから、そこまで怒っていないと────」
「だからギリギリの連絡になってマぁぁぁジすみませんっス!! でも来てくれて嬉しっス!!」
「話を聞いてくれ・・・・・・」
困った様子の金髪の女性から、私に『いつもこうなのか?』と言いたげな視線が向けられた。というか助けを求められている気がする。
その微妙な空気に助け舟を出すべく小さく咳払いを挟むと、綺麗に土下座をしたままの状態で、ノクスの視線が背後の私たちに向いた。
「わあ! リンちゃん、アキラくん、レイン!! 来てくれt────あれ、セスさんは?」
「セスは今日仕事で来れないって。代わりに私の友達を連れてきたよ」
「ぐぅ〜・・・・・・それは残念っスね・・・・・・次のライブのチケットも配りに行こう。全人類虜にするまでアタシは止まらねっス」
「・・・・・・その心意気は良いと思うけど、いい加減立ち上がったらどうだい?」
お兄ちゃんの苦笑混じりのひと言。
・・・・・・それはまあ、確かにそう。ノクスの視線は再び前方の二人に向き、同時に『もういいよ』みたいな動作をした途端。勢いよく立ち上がるものだから忙しない。あ、忘れてたのかツノも拾い上げてしょもしょもと頭に付けた。
「まあともあれ、っスね。お三方と初見さん、来てくれて嬉しいっス。今日は絶対楽しませるって約束するんで。・・・・・・ちなみに初見さん、お名前は?」
「ハリンよ。ギターをへし折り、観客を沸かせるようなパフォーマンスを期待しているわ」
・・・・・・ハリン。それはごく一部のハードな人たちのパフォーマンスじゃないかな・・・・・・ノクスも少し困ってるよ。
「ま、まあギターは折らないっスけど、楽しませることは約束します。アタシはもうそろ打ち合せとかリハがあるんで・・・・・・というかリハの前に一服したいんでお先に。アストラさんも、もうちょいしたらお願いしますね」
「ええ、また後で」
なんてやり取りを最後にギターケースを背負うと、いそいそと控室を出ていくノクス。その場に取り残された私たちの間には、微妙な沈黙があった。
何と無くアストラさんに視線を向ける。例の事件のことを聞いたからかバイアスがかかっているのかもしれないけど、確かに最後にテレビで見かけた時に比べて元気というか・・・・・・覇気がない。
視線は俯きがちで・・・・・・指先はずっと隣の金髪の女性の、肩から下げた上着の裾を掴んで離さない。ずっと目に見えない何かに怯えているようにも見えた。
「久々に顔を見れて嬉しいよ、レイン」
そんな微妙な沈黙を破ったのは、件の金髪の女性だった。レインに微笑みかけながらそう告げる彼女の笑みは親しげで、言葉通り昔からの友人関係なのだろう。
・・・・・・というか、アストラさんのマネージャー────ボディガードかもしれないけど。そんな人とも知り合いとか、レインの友人関係はどうなっているんだろうか。辿っていけば三手くらいで新エリー郡市長にもたどり着けそうな。
「私もだよ、イヴリン・・・・・・紹介するね。この子達は私の友人のリンとアキラ、それからハリン。で、イヴリンはアストラさんのマネージャー兼ボディガード。彼女は────まあ、腐れ縁かな」
名を呼ばれると一礼する私たち。イヴリンと呼ばれた女性は私たちを順番に見やると、最後にハリンを見つめて視線が停止した。
「・・・・・・何かあった時はよろしく頼む。恐らくキミは、警備についているどの治安官よりも腕が立つだろう」
「ええ。・・・・・・貴女も」
「ああ。勿論尽力しよう」
とても短いやり取り。それでも、二人にしかわからない何かがあったのだろう。静かに頷き合うと、それだけで会話は終了した。
・・・・・・まあまあまあ。さてさて。
「じゃ、私たちもそろそろ退散しよっか! 本番前にあまり長居しても悪いしね!!」
「・・・・・・とか言って。リン、早く屋台のご飯が食べたいだけだろう?」
「ゔっ、」
違う。違うよ? 決して。屋台飯を楽しみにしてて朝ご飯抜いてきたから、お腹の虫が喧しく鳴り響いて仕方ないとか。来る前に嗅いだ牛タン串とか唐揚げの匂いが忘れられないとか、そんなことないからね?
「ち、違うよ・・・・・・?」
「・・・・・・ふふ。そうだね、私たちは退散しようか。じゃあ、またね。イヴリン」
違うよ? 決して。・・・・・・違うからね!?
私の焦る様子を見ながら肩を揺らして笑うお兄ちゃん。その脇腹を指先で突きながら退室しようとしたところで、
「待ってくれ。・・・・・・アキラくん、だったか」
ふと、イヴリンさんが呼び止めてくる。
「・・・・・・? そうだね。どうかしたかな?」
「キミ、過去に何処かで会ったか?」
言われて、記憶を遡る。私が一緒にいる時なら、私がこんな美人を忘れるとは思えないし。何と無く横目に見上げたお兄ちゃんも、首を傾げて疑問符を浮かべているのが見えた。
「────いや、気のせいだな。何でもない、忘れてくれ」