レインたちが控室を出て行き、私とお嬢様が取り残される。何気なく視線をやれば、その瞳は変わらず床を見つめていて。彼女たちでもダメだったか、と。内心ため息が漏れた。
「ほら、お嬢様。もう私だけだ」
「え、えぇ────」
震えた声音。罪悪感によく似た感情が、胸を塗りつぶしていく。けれどそれこそ、ここでライブを無しにして帰ってしまうほうがお嬢様の為にならない。
・・・・・・あの四人が言葉を発する度、お嬢様の肩ら小さく跳ねていた。彼女たちに気づかれていなければ良いが。
「・・・・・・歌えそうか、お嬢様?」
「────、────」
小さく息を呑む音がする。ほんの少しの沈黙がある。控室の外から、遠くから聞こえてくる来場客の会話だけが響いて。お嬢様はゆっくりと頷きを返した。
「大丈夫よ。ここで帰ってしまえば、きっと一生後悔するから」
私に向けられる笑顔は貼り付けたようで。その内側から『無理』が滲んで見えて。
胸が強く、強く痛んだ。
◇◆◇
「ん〜! おいひい〜!!」
片手に持った牛タン串。膝の上に乗せた、たこ焼きとスタミナ丼。食後には目をつけていたクレープの予定。勿論、ライブを何事もなく終えられたら、の話だけど。
屋台飯。青空────ではなく曇っているが────の下で食べるご飯! 車窓から見える景色でご飯の味は変わると良く言うけど、外で食べるご飯って何でこんなにも美味しいんだろうか。感覚的にはお祭りで食べる諸々によく似てた。美味しい。ホンッッットに美味しい。
「こらこら、そんなに急いで食べなくても誰も取らないよ」
「ええ。絶品だわ。特にこの『ニンニクネギ辛灼熱スタミナ丼』────錦鯉のラーメンに勝るとも劣らない」
「こらこら、そんなに急いで食べなくとも・・・・・・」
再放送かな? 側から見れば食いしん坊な二人とその保護者であろう。いや誰が食いしん坊か。
「というか、リン。そんなに頼んで食べきれるのかい?」
「食べれなかった分はお兄ちゃんが食べてくれるでしょ? その分少なめに買ってくれてたの知ってるよ〜」
「・・・・・・、・・・・・・」
何だい、その目は。『この子は・・・・・・』なんて言いたそうな目は。
まあでも? お兄ちゃんは私に諸々の隠し事をしてたせいで強く出れないのは知ってるもんね。あ、メンテ行った時のこと問い詰めるの忘れてたな。帰ったら問い詰めなきゃ。
なんて思いつつ辺りを見回す。口に放り込んだ牛タンを咀嚼して。咀嚼して・・・・・・咀嚼、して。飲み込んで。
「やっぱり周り、アストラさん目当ての人が多いね」
数分前に、短いリハーサルと思われる音出しは終わった。ノクスのギターの音と声にはほぼほぼ無反応だったのに、その後のアストラさんの声には鼓膜が破れんばかりの歓声が上がって。彼女の人気を嫌でもわからされた。
けど、その観客の中にもチラホラとノクスや『
「土壇場の発表でもこの集まり方だからね。座れなくても、と来場してる人も多いみたい」
とは、インターノットを眺めながらのレインの弁。振り返ればその言葉の通り、遥か後方で人の群れが見える。それから、後ろで腕を組んだ治安官や警備員の人たちも。
「ま、いざ始まればみんなノクスの魅力に気づくんじゃないかな。身内贔屓を抜きにしても、あの子はすごいから」
「へえ〜、レインあれだね。後方・・・・・・後方、何面・・・・・・?」
古参面、は事実だし。彼氏面、も少し違うし。上手く言語化できない言葉はたこ焼きで誤魔化すことにした。
私が買い込んだ食事に粗方手をつけ、残りをお兄ちゃんが平らげた頃。ステージの液晶に流れていた映像が消え、あたりの照明が消灯する。
何も写さない画面。曇天のせいで仄暗いステージ。そこには、ただ『黒』だけが広がって。
「ノクス、頑張れー!」
始まりの予感に胸を躍らせながら。私は声を大にして叫びを上げた。
◇◆◇
観客席から聞こえてくる声は、アストラ、アストラ、アストラアストラアストラ────アタシのことなんて眼中になく。アタシの演奏は『ついで』の感覚で聞きにきたヤツらばかりだった。
アウェー。添え物。いくらでも言い方はある。今この場にいる連中の殆どは、アタシの認識は弁当の仕切りだとか────ハンバーグの下に敷かれたパスタとか。そんなカンジなんだろう。
アストラ・ヤオの人気に肖って集めた観客。自覚はある。
むしろ、自分から望んで
なかなか表舞台に上がらなくなってしまった彼女を引きずり上げる気持ちはあった。けれど、それ以上に。挑戦したくなってしまった。彼女の人気に真っ向からぶつかりたくなってしまった。
まさかアタシの話に乗っかってくれるとは思っても見なかった。彼女にも、そして彼女のマネージャーにも────どうにかしなければいけない、このままではいけないという意識があるのだろう。
「・・・・・・だとすれば、尚のこと────っスよね」
ステージの上に絶対は無い。そんな言葉を残した先人は誰だったか。
練習の成果が出る時もあれば出ない時もある。
予期せぬトラブル。予期せぬミス。天候、人気差、格差なんて何のその。
────アタシが出来るのは弾くことだけ。歌うことだけ。
アストラ・ヤオも、この場に居る七割近くの彼女目当ての観客も、全員全部引っくるめて。アタシの歌でぶん殴る。
「ノクス、頑張れー!」
期待の歓声に混ざって聞こえた友人の声に笑みをこぼしながら。
アタシはピックを握った右手を振りかぶった。
◇◆◇
明かりの灯っていない、暗いステージの中。ギュイーンと間延びしたギターの音が響く。私でも知ってる。チョーキング、ってやつだ。
それでも観客の話し声の波は鳴り止まない。
この演奏に興味はない。見にきたのは、聞きにきたのはこの子ではない。無情にも叩きつけるような静かな声の群れ群れ。
それでも、演奏は止まらなかった。
低い唸るような短音から始まり、音が徐々に重なっていく。
上がっていくギターの音量。ステージの両脇に備え付けられたアンプは掻き鳴らすギターの音をひたすら発し、徐々に高く変化していく音階。そして、
「────、────」
誰かが息を呑む音がした。隣の声すら掻き消えるような音量の中でも、確かに、誰かが。
鼓膜を揺らすギターの速弾き。短いフレーズを繰り返し数度。照明がステージの中心を呷るように照らし、ノクスは現れた。
口元に浮かべた楽しげな余裕の笑み。体を揺らしながら変わらずギターを弾くその手元は素早くて目では追えず。耳に届けられる音だけが、彼女の全て。
ノクスの顔が上がる。視線が向く。特に誰を見た、というわけではない。それでも、その中で誰しもが『今自分を見た』と思わせる不思議な視線が向いた後で。
ギターに負けないほど大きな音で、床に設置されたペダルを踏む。その瞬間に音の圧が────ドラムやキーボード、ベース、もうひとつのギターの音が更に重なり合って。伸び上がるようなノクスのギターの高音の後ろで、シンバルの大きな音が三度鳴り渡る。
ギターのソロから、シームレスに楽曲へ。
「あはは、すごいな」
ノクスが放つ音の全てが、その全てが。
音楽のことは何もわからなくても。技術のことはわからなかったとしても。ただただ、アタシを見ろ、アタシの歌を聞け、と。力強く殴ってくるから。
ノクスが歌う曲は時に背中を押し、代わりに怒り、叫びをあげて。その次には寄り添うようなバラードを奏で・・・・・・寄り添って泣いてくれているようで。かと思えば、再びイントロからハイテンポで引っ張ってくれる。
気づけば周りには雄叫びに似た歓声があり、曲に合わせて手を叩く者までが現れて。最初のMCにたどり着いた時には、その場の全員とは言わずとも彼女の歌に聞き入っていたし虜になっていた。
ノクスは演奏を終えると肩で息をしながらギターを下げて。ピックを人差し指と中指に挟むと、右手で目の前のマイクを握り込む。
『あ、どーも。アストラ・ヤオのオマケです〜』
「そんなことないよー!!」
「そんなことないぞー!!」
『あは〜言わせた感が強い声があちこちから。ありがとうございます〜。まぁそんなこと一ミリも思ってないんスけどね。あと、立ち見席の右からひぃふぅみぃ・・・・・・九番目の人! アタシの冒頭のギターソロの時、欠伸漏らしてたの見ましたからね〜でも二曲目からちょっとノッてたのも! アタシ目が良いんで案外しっかり見えてまーす! 傷つきまーす!!』
歌っている時の真剣な彼女からは一変して。喋るといつも通りで、変わらずおちゃらけた様子なものだから思わず頬が緩んでしまう。
このギャップがノクスの武器なのかもしれない。観客を弄るようなMCも。
それでいて、いじる相手をちゃんと選んでるように見えるから侮れない。・・・・・・いや、ノクスのことだから特に選んでないような気もする。どっちもあり得るな。
『はい。え〜と。一曲目から、『キョウゲンマワシ』『輝く星に』『虚』・・・・・・『イメナス』の順でお送りしました。動画サイトに全部MVあがってるんで、良ければ帰ったら調べてください。んでま〜・・・・・・次から数曲が、皆さんお待ちかねのアストラさんの出番っス』
「やったー!!!」
「待ってましたー!!」
『うっわ〜アタシの登場の時との温度差。酷いなあ、これが音楽業界の闇っスか・・・・・・このまま居座ってやろっかな・・・・・・嘘ですよ〜ウソウソ。アタシもね、実はアストラさんの大ファンでして』
よっこいしょ、と間抜けな声をマイクが拾う。ギターを背中に背負い直して、額に垂れた汗を拭って。視線が一瞬舞台袖を向いて、小さく頷いたのが見えた。
『・・・・・・ショージキ、来てくれるとは思ってませんでした。アタシも彼女の歌は楽しみにしてるんスよ。なんで、アタシはちゃっちゃと退くことにします。また帰ってきますからね!』
最後まで騒がしい子だなあ・・・・・・舞台袖まで小走りで走っていって、
「浮気しちゃダメっスからね!!!!!!!」
マイクを通さずとも後方の立ち見席まで届くような声で。舞台袖から顔を出して、叫んでようやく引っ込んでいった。
絶えず期待の声が聞こえてくる。誰もが口々にアストラさんの名前を呼ぶ。会場の空気をノクスが掴んでいたとしても、久々にアストラさんの曲を聴ける楽しみは強かった。
彼女が姿を現せば、鼓膜が破れんばかりの歓声が上がって。背後からの音圧に思わず肩を跳ねさせる。
ゆっくりとステージの中央へと歩み寄っていくアストラさん。手に握っていたマイク型の杖の先を床に向けて。ソレを合図に、伴奏が流れ出す。
確か────曲名は、
イントロを終えて、誰もが息を呑み。ステージ中央にたどり着いた彼女が口を開いた────その瞬間、
『観客の前に立って歌う人の顔じゃないわね?』
ソレは、現れた。
曇天をホロウの膜が覆う。視界をエーテル粒子が覆い隠す。
揺らぐ視界。広がっていく痛いほどの静寂。突然誰かが、瞬きの間に現れた驚きよりも。
『みんなの前で歌うんだから、もっと楽しそうにしないと』
左目の眼帯。白い髪。
────『大丈夫よ、プロキシ先生。落ち着いて』
その、その姿が。
『ファンのみんなが泣いちゃうんじゃない?』
とても、似通っ、
「アンビ────」
「ツイッギー────!!」
静まり返った周囲に轟音が鳴り響く。隣から誰かが誰かの名前を呼び跳んでいくのが見える。
霞む視界。浅くなる呼吸。胸が痛くて。ハリンを見た時なんかよりよっぽど、あの子と話した時なんかよりずっと。苦しくて、クラクラして、視界が霞む。
シオリちゃんのホロウに入った時に見せられたあの映像よりもずっと、ずっと。
私の中の罪が形を成して目の前に現れている。
色を、質量を持って私の罪をほじくり返す。
うまく聞き取れない会話。床に転がったマイクが拾う〝その子〟の声は、私の知っている彼女とはかけ離れているけれど。
それでも、それでも。自覚と理解とは別に、呼吸を、思考を奪う。
「レイン、リンを連れてホロウの外へ!」
「わかった。リン、立てる?」
肩、肩を貸してもらって。立ち上がって。見渡せば人混みの後ろに何人かの彼女と同じ顔が、顔が。違う。彼女じゃない。あの子じゃない。アンビーはだって、もうこの世には居な、
「ゔ、づ、っ────」
後回しにしてきた罪の告白。
忘れたことはない。そう呟いても、そう思っても。確かなその自覚は、罪は、明確に私の心を蝕んでいて。
ガン、ガン、と内側から頭が殴られている。
警笛を鳴らしている。
心臓がうるさい。
頭が、痛い。