歌うのが好きだった。
『アストラさん!』
歌うのが好きだった。
『貴女の歌に救われました────ありがとうございます!』
歌うのが、好きだった。
最初はただそれだけだった。自身の心を表現する全てだった。
大層な理由なんて必要なかった。自分の心を表現するだけで楽しかった。音色を奏でるだけで楽しかった。
けれど、いつからだろう。私の歌に、その行為に────意味が必要になったのは。
誰かを救うための歌。暗い世の中を照らすための光。
いつしか私の存在と歌は、私だけのものでは無くなって。いつしか、私を通して遠い場所の
万人に好かれる人間など存在しない。大きな好意には、それなりの悪意が付き纏うものだとも理解はしていた。
この世の中、液晶越しに向けられた悪意を閲覧するなんて容易かった。
けれど画面という名のフィルターを通さない悪意は、私の甘い予想や予測なんかよりも苦くて痛くて。私の膝を折るには十分すぎるほどに重かった。
希望。信念。平和。
綺麗な言葉だと思う。大事なものだとも思う。
私の歌で生み出されるならソレで良い────とも。
歌は本来、自由なものなのに。何かに縛られるものでは無いというのに。
「────歌ってくれ、アストラ!!」
綺麗な顔を涙と雨でぐちゃぐちゃに歪めながら、私のために叫んでくれる大切な友達。
その人の為を思って歌う。その人の為だけに歌う。
そんなことが、あっても良かったのにね。
「・・・・・・そっか」
『聞いて、お母さん! 私、新しい歌を覚えたのよ!!』
そんな時期が、私にもあったっけ。
「・・・・・・貴女みたいな時期が、私にも」
ギターを掻き鳴らし、私の背中を押した彼女のように。
歌うこと────その快感に囚われていた時期が。私にもあった。
杖を握る。息を吐く。
長く、永いため息と共に胸の奥の恐怖を吐き出す。・・・・・・きっと、これからも恐怖との折り合いは簡単につけられない。
「・・・・・・けどね」
もう良いの。だって私は世界のためになんて歌わない。形の見えない『誰か』のためになんて歌わない。
意味なんて生み出さなくていい。
何も生まなくたっていい。
歌うことが楽しい。それだけで良かったんだ。
楽しむことが私の意味。歌うことが、私が私で在ることの証明。
ずっと、ずっと昔にわかっていた事なのに────。
息を吸う。目一杯に。肺一杯に空気を溜め込んで、
「そもそも私ッ! アナタたちの為になんて歌ってませんから〜〜〜!!!!!」
「ゔぇあ!?」
叫ぶ。心のままに、大きく、大きく。マイクを通して放たれたソレに驚いたようで、私の隣でギターを掻き鳴らしていたあの子────ノクスが肩を跳ねさせて。初めて、そこで演奏が止まった。
「ふふ、驚かせちゃった? ごめんなさい。でも、すっごくスッキリした」
そうよ。そもそも、私に文句を言ってきたのは『
・・・・・・まあ。幻影とは言え、憧れの人にああ言われたのは傷ついたけれど。
「イヴ!」
「────なんだ、お嬢様」
「約束、したからね」
「・・・・・・ああ、約束だ」
なら大丈夫。この子が傍に居てくれる限りは、大丈夫。だから、
「じゃあ。貴女のために、歌うわね」
「ち、ちょっと。アタシはどーなんスか!?」
「ふふ。今回は、貴女も一緒にね!」
◇◆◇
前を向いて、立ち上がった途端にこれだ。アタシのことまで振り回して、巻き込んで。満面の笑みで────こんな状況なのに、楽しそうに。
────けれど。
「も〜・・・・・・仕方ないっスね」
けれど。これでこそ、と思う。アタシが求めていたこの人は。アタシが信じていたこの人は、こんな感じだ。
どうしようもないほどに眩しくて、キラキラしてて。けど、直視できないほど眩しいわけではない。
夜空で瞬く星のような人。真っ暗闇の、アタシとは違って。
何処からか取り出したディスクを、自身の杖にセットするアストラさん。握った杖が奏でるその曲は、
「は、はは────」
アタシでも・・・・・・いや。きっと、この場にいる誰もが聞いたことのない音色。
ここに来て新曲。アタシの記憶が確かなら、この人はずっと部屋に閉じこもっていて。ライブをすることなんてなかったはず。
ぶっつけ本番。こんな時、こんな状況に。
ホンット・・・・・・敵わないなあ。この人には。
「はい、ノクス。これ楽譜ね?」
「は? え。ちょ、はァ!? 弾けってことっスか。今初めて聞いた曲に、今、この場で合わせろと?!」
「ええ。私のファン、なんでしょ? なら私の楽曲はたくさん聞いているはずだし・・・・・・貴女の実力ならきっと合わせられる。それに、私を無理矢理立たせて前を向かせたんだもの。それくらいの責任は取ってくれないと、ね?」
「ゔ〜・・・・・・」
因果応報、とはよく言ったモンっスよ。ひどい。酷いっス・・・・・・後輩イビりっスよ・・・・・・。
でも。楽しそうな笑顔を浮かべて、アタシの顔を覗き込むモンだから断れなかった。自分勝手な想像や妄想を押し付けて奮い立たせたのもまた、事実ではあるし。
それに。ずっと夢だった。アタシのギターで、アストラさんが歌う────こんなの、ギター握りたてのアタシが聞いたら泡吹いて倒れるだろう。
「っしゃ〜ないっスね〜!! やりますよ〜!!」
◇◆◇
楽曲が流れ出す。世界一の歌姫の手によって流れ始めたソレは、スクラッチの音と共に振り出しに戻る。
彼女から与えられた、せめてもの慈悲だろうか。アストラに見つめられたノクスは静かに目を瞑ると。鼓膜を揺さぶる音の旋律に集中して。リズムを掴むために、両足先がトトトトトトトン、と小気味の良い音を立て始めた。
穏やかな楽曲が多かった彼女。にしてはアップテンポなリズムだと、ノクスは内心笑みを浮かべた。
彼女の新天地。再出発地点。十六ビートで刻まれた、新たな楽曲。
リズムは掴んだ。流れも何となくわかった。彼女が好むコード進行、フレーズは全て把握しているつもりだった。
だからこそノクスは笑みを浮かべて、ピックの先を弦に触れさせ、額から口元を伝う汗を舐めとって。笑みで頷く。
再度辺りに響くスクラッチ音。ソレを合図に、このライブの五曲目は始まった。
たった二人で立つ舞台。けれど、今の世界に於いてこの場は、この上なく楽しげで。
この世界に於いて、一番自由だった。
ディスクが音を奏でる。合わせるように、重なるようにギターが奏でる旋律が乗る。小刻みに身体を沈ませながら奏でるノクスの旋律は、音源を邪魔しないながらも主張を辞めず、足先が踏んだペダルが、サンプリングした様々な楽器の音を足していく────。
たった二人の演奏会。それでも、音の圧はオーケストラに匹敵するほどに。
奏でる無数の音色はホロウの膜を揺らし、膜を突き抜けた雨粒は空中で静止する。
────『シード』の手により、ツイッギーは外部へと退散し。このホロウ・・・・・・『イェソド』のホロウは、
故に。この場に於いて、一番強い意志を持つ彼女────アストラ・ヤオを新たな主として認めたのだ。
楽しみたいという純粋な思い。もう友人が泣いて欲しくないと思う純粋な願い。
そして、誰もが釣られて笑みを浮かべてしまうような。明るい音色がホロウに認められた。
七色の煌びやかな幕が観客を包み込む。包まれた観客が正気を取り戻し、その視線がステージに向く。
────誰かひとりに向けた、誰かひとりへの想いが込められた曲。
それに万人が共感や涙や笑みを浮かべて、救いの感情を覚えてしまう。
案外現実とはそんなもので。それこそが、『
『みんなー、盛り上がってるかしら!』
観客を煽る彼女の声に、あちこちから困惑の声があがり。視界の外に
『アクシデントはあっても曲は止まらない。ライブは何があるかわからないからゾクゾクするし、楽しくて仕方ないの!』
練習の成果が出るかわからない。歌詞をド忘れするかもしれないし、予想外のアクシデントが起こるかもしれない。機材だって、正確に動き続けるとは限らない。
故に、世界一の歌姫のライブであってもそこに絶対は無く。
だからこそ、音楽は自由なのだ。
引力、斥力。世界の掟も何もかも、無視してしまう程度には。
『私のひさしぶりの歌。私の初めて披露する歌────、』
歌姫が空を舞う。奏でる音符が空を舞う。宙に静止した雨粒はスポットライトを浴びて虹色に輝き、彼女の口から告げられるその曲名は────、
『────ちゃんと、聴いて帰ってね! 『
◇◆◇
凄まじい光景だった。雨粒すらも味方につけて、スポットライトが反射して七色の光を辺りに撒き散らす。
お嬢様が歌い出せばそこかしこから歓声があがり、地が揺れて。辺りを取り囲んでいた暗い雰囲気など吹き飛んで行く────。
「もう、大丈夫だな」
この音の中で聞こえるとは思えない。けれどひとり呟き、ステージに背を向ける。観客を守るための幕から歩み出て、私は怪物と向き合った。
二人が奏でる音楽に混じって。ハリンの刃が巨大なハサミを弾く甲高い音が響いて、
「────すまない。待たせた」
「いえ、大したことは無いわ。約束したもの」
約束・・・・・・、
『・・・・・・何かあった時はよろしく頼む。恐らくキミは、警備についているどの治安官よりも腕が立つだろう』
『ええ。・・・・・・貴女も』
『ああ。勿論尽力しよう』
・・・・・・ああ、そうか。約束。この子とも私は約束していたんだったか。
何と無く、律儀なヤツだと笑みが漏れる。そうだな、そうだ。今度は、
「今度は、私が約束を果たす番だ」
尽力する。そんな短い言葉に込められた約束と。
必ず傍に居る。彼女の隣に立ち、共に歩くと誓った────大切な約束を。
得物を抜く。二本のナイフで構えを取り、偽物の右足で抜かるんだ地面を踏み抜いて。
聞こえてくる歌が背中を押す。不思議と体が軽くて仕方なかった。それこそ、自分の身体では無いと思ってしまうほどに。
私の体よりも大きなハサミが振り上げられるのが見え、肉体を守るために両腕を交差した────その瞬間、
『────、────♪』
私の視界の外から、手を振りながら飛び込んでくるお嬢様。その杖の先がハサミを指せば、途端にグミのような質感に変化して。
私の腕に触れた瞬間に大きく跳ねる。辺りから無数の雨粒が星々に変化して飛びかかり、爆発と呼ぶにはあまりにもポップな爆風を巻き起こす。
「・・・・・・ふふ。流石に〝自由〟がすぎないか」
思わず笑みが漏れる。この
なら、
「私もその演目に従うとしよう」
ナイフを投擲。柄から伸ばした糸がサクリファイスの身体を拘束し、自由を奪い。指を鳴らせば炎が巻き起こる。
発火するなり炎は流れ星へと変化して、悲鳴をあげようと開かれたその口には、雨粒が集結し変化した月が差し込まれた。
悲鳴は上がらない。音楽を邪魔するものなど、観客の歓声以外は何もいらないのだ。
「ハリン」
「ええ────」
短く呼ぶだけで他には要らない。私を横目に見やりながら、自身の得物の刃先を地に向けて構え、ハリンがサクリファイスに向けて駆けていく。
その刀身は容赦なくサクリファイスを斬りつけ、切り刻み。噴き出す血飛沫は、アストラの意思によって演出の一部へと変えられていく。
最後に残ったコアを刃が突き刺せば、私たちの演目は終わる。
楽曲が終わり、次の曲のイントロが始まる。
ライブはまだ、これからだ。