衛非地区に向かう船の中で。波に揺られながら、僕の視線は自然と備え付けのテレビに向けられていた。
『黄金の日を目前に控えた今、新エリー都全体は雨雲に覆われており、数日に渡って────』
……どうやら、長いこと天候が崩れるらしい。窓の外の空には黒々とした雨雲が広がっていて。義手の接続部が痛む感覚が、ほんの少しだけある。
その痛みが僕の中に僅かに燻る焦燥感を煽っているのがわかる。
……僕がいくら急いだところで、船の速度は変わらないのに。
「……、……はあ」
歯痒い気持ちを抑えながら、購入したコーヒーをひと息で飲み干した。
同時にスピーカーからは何やら軽快な楽曲が流れ、続いて目的地────衛非地区まで残り数分、といったアナウンスが流れ出す。
手荷物は多くない。一応義手の状態だけチェックを済ませて。はやる気持ちを抑えながら、船の出入り口へと足を向ける。
人工ホロウの中で戦った、サクリファイスと呼ばれる元人間のエーテリアス。それを僕らが倒してきた意味。
『……『生贄』『犠牲』『捧げ物』などの意味合いを含む名前をつけられた、特殊なエーテリアス。そこに意味を求めてしまうのは、
グレースさんに告げられたその言葉が、僕の脳裏で反響し続けて離れてくれなかった。
今までしてきたことは正しいことなのか。なし崩しの形ではあったけれど。周囲の人々を救うために────いや。世界を救うために、僕たちは頑張ってきたはずだ。
今ならまだ取り返せるかもしれない。引き返せるかもしれない、という気持ちがある。手遅れになる前に、早く。
……船を降りる。ロープウェイを待っている時間ももどかしくて。急な坂道を登り、その先の階段を幾つか登って。視界が開けた、その途端────、
「なん────」
目の前に広がった光景に、思わず息を呑んだ。
これまで、僕が衛非地区を訪れたのは一度きり。
僕自身の意識を持った状態でこの街を見られたのはほんの数時間だった。けれど、それでも気づく程に────、
「……なんだ、これ」
酷く、閑散としていた。
賑やかだった街並み。道の隅には札が貼り付けられた見たこともない植物が生え散らかり、あれ程に賑やかだった店々には軒並みシャッターが下ろされていた。
道ゆく人はと言えば、防衛軍の制服を着た者か、治安局の制服を着た者だけ。あれほど楽しそうに、平和に暮らしていた人々は見る影もない。
「────キミ、こんなところで何をしている」
向かいから歩いてきた、防衛軍の制服を着た男に声をかけられる。思わず小さく肩を跳ねさせた後で、ポケットから取り出した端末を操作すると、朱鳶さんから送られてきたPDFデータ────ヤヌス区分局都市秩序部・捜査課特務捜査班『ホロウ探索特例実働部隊』としての身分証を差し出した。
「僕はこういう者で。朱鳶さんを探しているんだけど……」
「ああ? そんな部隊、聞いてないけど……」
ああ、本当に僕たちの存在は隠されているんだな、と。彼の反応から改めて思う。
僕に背を向けて、誰かと通信を始めたその様子を眺めること二分ほど。改めて向き合ったその防衛軍の男は、何処かを指すように顎をしゃくりつつ、
「確認が取れた。ついてこい」
僕の返事も待たず。何処かを目指して、早足で歩いていく。
……街の中心部へと向かっていく歩み。その道すがら、何とも無しに視線を上げると。窓の向こうで不安そうに街を見下ろす市民の姿が見える。
街に充満した空気は重たく、暗く。肌に纏わり付くような感覚があって。あの時僕らが見た街と、本当に同じ街なのか────と。喉元まで迫り上がった言葉を飲み込んだ。
……どうやら僕が思っている以上に。衛非地区の現状はよろしくないらしい。
「ほら、ここだ。朱鳶治安官はここにいる」
男の歩みが止まる。ふと視線を前に戻すと、目の前には固く閉ざされた門があった。
その横には寂れた『適当観』と書かれた看板。促されるままに門を押し開くと、
「アンタが────アンタが!! もっと早くに動いてれば、こんなに犠牲は出なかったんと
肌が粟立つほどの怒鳴り声。その声の主は巴くんだった。今にも食ってかかりそうな勢いの巴くんを押さえつけるように、片足にしがみつく輝夜ちゃんの姿もある。
それから、
「アンタのその剣、星見 雅の刀と同じようなモンやろ……アイツが引退してから、アンタは何処で何をしとった? ああ!?」
地面に並べられた、無数の袋。その隙間からは赤黒い液体────血液と思われる何かが、地面に水溜りを作っている。
「埋葬する暇も有らへん。コイツらは最後まで戦士やった。せやけど要らん犠牲だった。アンタがもっと早く動いてれば、アンタがもっと早く力を振るってれば助かった命やねんぞ……あの世でコイツらにどう言い訳するつもりなん? 聞かせてもらおうか!?」
そして、凄まじい剣幕でがなり立てる巴くんの正面。
怯えるように自らの肩を抱いて。地面に蹲り震える、ひとりの女性がいた。
「何とか言えやクソ女!!」
────眺めている場合じゃない。早く、早く止めないと。
地面に横たわる数々の
「ごめん……ごめん、なさい」
酷くか細い、消え入るような謝罪の声が。耳が痛くなるような静寂を生み出した。
「ごめんなさい、ごめんなさい。全部、全部ワタシが悪いの……大丈夫。大丈夫よ、ワタシのせいで死んでいった人たちのことは覚えてる。顔も、名前も、全員覚えているから。全部が終わったその後で、ワタシも……ワタシも罰を受けるから」
早口で紡がれる後悔の念。自責の言葉。呼吸は荒く、浅く。涙ぐんだその瞳が、巴くんを見上げて。
「大丈夫。大丈夫だから。
「…………、…………ボクは巴や。昨日名乗ったはずやろ」
「ぇ、あ────ごめんなさい、巴くん。大丈夫、大丈夫よ。大丈夫……だから」
……何も知らない僕から見ても。その子の言動は異様で、異常で。
見たところ彼女の歳は僕とそう変わらない。けれど、巴くんと僕を見上げて怯えるその様子は、宛ら年端もいかない少女のようで。それでいて、右手の剣を震えるほどに強く握りしめるその様は、酷く、痛々しかった。
「……もう止そう、巴くん」
「────、チッ。白けたわ」
言いながら、巴くんは僕の手を振り解いて。不機嫌を露わにづかづかと歩いていくと、そのまま閉ざされた門を蹴り開けて外に出ていく。
……取り残される僕と怯えた女性。何か言葉をかけようと口を開いたところで、
「────アキラさん。すみません、お待たせしてしまって」
背後から聞こえてくる朱鳶さんの声。バツが悪そうな表情で僕と彼女を交互に見ると、朱鳶さんは場の空気を和らげるように穏やかな表情を浮かべながら。
「……
「あ、ぅ…………、……ええ。そうさせてもらう、わね」
から、から、から、と。剣先を地面に引き摺るように、覚束ない足取りで歩いていく彼女────瞬光さんの背中。弱々しいその背中を見やりながら、隣に立った朱鳶さんは大きなため息を吐き出した。
「……すみません。私が止めるべきだったんですが」
「いや、大丈夫だよ。朱鳶さんも他にやることがあったんだろう?」
「それは理由にはなりませんよ。……これでは、治安官失格ですね」
……朱鳶さんの声音の端々からは、あまり良くはない感情が滲み出ていた。
疲労か、不安か、自分への失望か。はたまたその全てか。目の前に横たわる袋の数々を見やるその瞳は小刻みに震えていて。一瞬瞳に涙の膜が張ったかと思うと、誤魔化すように視線を逸らした。
「……さて、何か話があってきたんでしょう? 場所を変えましょうか」
「え? あ、ああ────」
意図的に会話の流れが切られたような感覚がある。背中を向けられたせいで、朱鳶さんの表情はイマイチ読めないけれど。それでもその背中は、これ以上僕から放たれるであろう慰めの言葉を拒否しているように見えた。
……朱鳶さんの後をついて行き、歩くこと数分。たどり着いたのは、適当観の敷地内の隅……防衛軍の印が掲げられた仮設テントだった。
出入り口と思われる仕切りを潜ると、無数の機材が並んでいるのが見える。向かいの壁のホワイトボードには、ラマニアンホロウ内部のモノと思われる地図が貼り付けられていて。そこに書き込まれているメモ書きに目を通そうとしたところで、朱鳶さんが口を開く。
「……それで、話とは? 前回の人工ホロウで何かありましたか?」
「ああいや────そうではない、んだけれど」
……ほんの少しの迷いがあった。
僕の想像以上に酷い、衛非地区の現状。これがいつからのモノかは、僕にはわからないけれど。
すれ違う治安官や防衛軍の人々。それから、外出すら叶わない街の人々。
その表情からは、疲れや絶望といった、よくない感情が滲み出ていた。
だからこそ、僕の口から……新しい問題を投げ込むのは如何なものか、と。別に僕は、これ以上この状況を酷いものにするためにここまで来たわけではない。
「……こうして直接、私に対面して話すことを選んだんです。よっぽどの理由があるんでしょう? 無下にすることも無いし、迷惑だとは思いません」
「……そう言ってくれると有難いよ。なら────朱鳶さんは、白祇重工……いや。〝元〟白祇重工の、グレースさんを知ってるかな」
「……? ええ。直接面識があるわけではありませんが、書類上で名前は拝見しています。何でも、最初にサクリファイスと遭遇した方のひとりだと」
なら話は早いか。細かな説明は特にいらないだろう。
「僕のこの義手を作ったのは彼女でね。少しばかり話を聞いていたんだけど────どうにも引っかかる考察をしていて」
「……ふむ。続けてください」
「人工ホロウで、僕らが討伐してきたエーテリアス。『サクリファイス』と呼ばれる個体の、名前の由来。アレをそう名付けたのは、H.A.N.D.や治安局……こちら側の人間では無いから、と。その名前の意味合いは、『生贄』『犠牲』『捧げ物』……になる」
グレースさんにそう告げられてから、僕の胸の中に蟠っている違和感。
「……讃頌会の連中が何の意味もなくこんな名前をつけるとは僕も思えないんだ。人工ホロウの仕組みが、内部の人間の認知を受け、形を変えるモノだから。尚のこと」
「……名は体を表す、ということですか」
「そうだね。僕らは、そういうモノを何度も目にした」
死者を蘇らせ、歪な日常を繰り広げる『ケセド』のホロウ。シオリちゃんが生み出した、彼女の『創作の世界』が貼り付けられたホロウ。
宿主や周囲の人間の認知によって、その有様が変化する。その中で、そんな意味深な名前を持ったエーテリアスが居ることを、無関係だと楽観的な見方はとても出来なかった。
「だからこそ、今まで通り討伐するのが正解なのか────という話なんだけれど。そうも言ってられなそうだね」
「ええ。アキラさんが察している通り、衛非地区の現状は良くありません。……いいえ、かなり悪いです」
言いながら、朱鳶さんはゆっくり背後へと振り返る。その歩みは、目前のホワイトボードへ。そこに貼り付けられたラマニアンホロウの地図をひと撫でした後で、
「貴方たちを治安官として、正式に招き入れたあの日。貴方たちと通信を行う直前に、防衛軍から救援要請が入っていたんです。……正直、現状の
地図の三点を順番に指差して。言葉を続ける。
「……、……その報告は、ラマニアンホロウ内部に三つのホロウが発生した、というものでした」
「それは────讃頌会の仕業なのかな」
「おそらく……いえ、確実に────と言っても良いでしょうね。そのいずれも、拮抗していた戦況を大きく讃頌会側に傾けるようなモノでしたから」
肩越しに僕に向けられた、朱鳶さんの視線が一瞬曇る。あの光景────人間大の袋が並ぶ光景を思い返したんだろう。
「防衛軍の記録に残されていた、恐らく────『シルバー小隊』と思われる兵士を無数に生み出すホロウ。機械兵を戦場に投入し続けるホロウ。死したはずの敵勢力を無限に蘇らせるホロウ。そのどれもが私たちにとって脅威であり、これを消失させない限り私たちに勝利はありません」
「────、────」
「そして今。その死者を蘇らせるホロウを────猫宮 又奈さんが攻略中です」