心の奥底に封じ込めた罪の記憶。
『大丈夫よ、プロキシ先生。落ち着いて』
『そうだぜ! 焦っちゃ見えるもんも何も────』
忘れることなんてない。忘れられるわけがない。
……アンビーとビリーが死にゆく姿。エーテル結晶に侵されていく肉体。
眠りは私を許さない。夢は私を許してくれない。何度も、何度も同じ光景を見せつけられる。壊れたビデオテープのように、終われば巻き戻して、再生して。私の心を的確に蝕んでいく。
決して忘れるな、と。私の後悔と罪が、突きつけてくるように。
「────、────」
……目を、覚ます。私はどれくらい眠っていたんだろうか。身体の節々が痛んで、鉛でも詰め込まれたかのように酷く重たい。それでもどうにか上体を起こしながら、霞む視線を巡らせた。
「……私の部屋」
誰かが運んでくれたんだろう。見覚えのある、私の部屋。私の選んだ家具と、私の好きなものが詰め込まれた部屋。隅には綺麗に畳まれた、ハリンが使っていた布団があって────そう。全て、見覚えのあるものなのに。
「……、……?」
違和感が、あった。言葉にしづらい違和感。何というか、世界がズレている────というか。薄い膜が張っている感覚というか。まるで世界が二重に重なっているような。何だろう、この感じ。
「お兄ちゃーん? ハリン〜?」
私の声に応えるものは無くて。ベッドから降りて、部屋の扉から廊下を覗いても。返ってくるのは
「……二人揃って出掛けてるのかな」
まあ、大方ハリンはまた何かしらの依頼。お兄ちゃんはグレースさんの所にでも行ってるんだろう。ほんの少し寝ぼけたままの私の思考は、そんな答えを叩き出した。
部屋の中に戻り、置きっぱなしにしていた水のボトルを手に取って。その瞬間、私の視線は机の上に置かれた一枚の紙に釘付けになった。
見たことない筆跡。知らない子の文字。
「────、ハリン」
それでも、目を通していくうちに。誰が残したメモ書きなのか。すぐにわかった。
────アキラは朱鳶に会うために、衛非地区に向かうと言っていた。私にもやるべきことができたから。リンはしっかり休んで。
やるべきこと。その文言と……何かに迷うように、紙の端には強く握られた痕がある。
不器用で、端的に要件だけ伝えるような文言。その中に────何をするのか、何が起きたのか、なんて書き記されているわけではない。何か不穏なことが書いてあるわけではない。それでも、
「────ハリン」
寝ぼけた頭を叩き起こすには充分で、
『ツイッギー────!!』
アストラさんとノクスのライブの最中。私が意識を失う直前に見た、ハリンの鬼気迫る表情が呼び起こされた。
……またきっと、ひとりで何か抱えようとしてる。あの子は多くを語らない。あの子は多くを語りたがらない。
きっと、あのアンビーに似た子────ツイッギーと呼ばれていたあの子と、ハリンの間には何かがある。察するには充分すぎた。
彼女に飛びかかっていく背中。武器を握りしめる震えた手。ステージの上で激突する、二人の影。
「あの子、独りで────!!」
上着を手に取り、羽織りながら。覚束ない足取りで階段を降りていく。そのままの勢いで工房の扉を開いて、H.D.Dに駆け寄った。
「Fairy!! ハリンがどこに行ったかわかる!?」
『────否定。ハリンからは今後の行動予定といった情報共有は一切受けておらず、彼女の現在地は不明です』
「〜〜〜……いやそうか、そうだよね。あの子はそういうタイプじゃないし────じゃあ新エリー都の監視カメラから、あの子の動向を追える!?」
もどかしい。ヤキモキする。このままでは、また判断を間違える。そんな嫌な予感と、焦燥感だけが私の中にあった。
しばらく電子音が響いた後で。Fairyの薄く開いた瞳と、画面越しに目が合った。
『────マスター。現在、新エリー都全域の監視カメラが正確に機能していません。映像にはノイズが入り混じり、映像から対象を識別することが不可能な状態です』
◇◆◇
────目を覚ます。
ふわふわな布団。静かで、清潔な部屋。
……口の中に血液の味は残っているけれど、こんなに平和な寝覚はいつぶりだっただろうか。
不安定な意識。不安定な思考。ソレらを覚醒させるために冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んで、長く────長く息を吐いた。
「……あ。起きた?」
そんな私の視界に、ひとりの人影が入り込んでくる。
緑色の瞳と、桃色の髪が目を引くコイツは、確か────、
「……ニコ・デマラ」
「……なんでフルネームなのよ……まあ良いわ。アンタ、洋服血だらけだったのよ? 特に怪我なんて無かったのに。そのクセ気づいたら気絶してるし。運ぶの大変だったんだから」
……ああ、そうか。そうだった。『イェソド』のホロウを出た後で。逃げ込んだ路地裏で、私は────、
『────アンビー?』
────私は、コイツに拾われた。
私をアンビーと勘違いした、この女に。
「……何? アタシの顔になんかついてる?」
「……、……いえ、別に」
「そ? まだ寝ぼけてんのか知らないけど。ま、ちゃんと起きてくれて良かったわ」
言いながら、ニコはゆるりと立ち上がり。私に背を向けて、部屋の扉に手をかけて、
「朝ごはん、アンタの分も作ってあるから。ちゃんと目ぇ覚まして、食べに来なさいよ」
ひら、ひら、と片手を振るうと。そのまま部屋を出て行った。
……朝食。冷静に考えるのであれば、警戒して然るべきだろう。
「……、…………」
それでも身体というのは正直なもので。空腹を主張するように、腹の虫が大声で悲鳴をあげている。
まあ、それも当然って話ね。確か私、ライブ会場に行く直前に軽くお腹に入れた程度だし。そこから戦闘をこなして、傷を修復して。燃料切れを起こしてしまうのも仕方ない。
……幸い、アイツから敵意は感じられない。利用できるものは最大限利用した方が良い。
ベッドから身を起こし、四肢の感覚を確かめて。私の着替え用に用意されたであろうパーカーに袖を通し、ジーンズを履いていく。
……サイズはピッタリ。アンビーが使ってたものなのかしら。まあ、その辺はよくわからないけれど。
部屋を出ると視界に広がるのは長い廊下。
木製の床が軋む音に混じって、遠くからは無数の話し声と笑い声が波のように押し寄せてくる。
「……随分騒がしい場所ね」
賑やか、というには些か煩すぎる。廊下をしばらく歩いていけば、その騒動の元になっているであろう部屋へと辿り着いた。
扉を挟んで向こう側。ドタドタと騒がしい足音の数々。開く前から辟易するけど、とりあえず扉をゆっくり押し開く。
「ニコ姉ちゃん〜! デザートとられた〜!!」
「あっ!! こらユウト!! アンタの分もちゃんとあげたでしょ!?」
「アマネちゃんがぶったぁ〜!!」
「あーもう喧嘩しないの!! アンタたち、朝ごはんくらい大人しく食べなさいな!!」
……え。私これからここに入らなきゃいけないの? 嫌なんだけど。
ガチャガチャと騒がしい室内。パンや食器が宙を舞い、一部では子供と子供が揉み合って。髪を引っ張られながら焦った様子のニコがあちこちに怒鳴り声を飛ばす。子供って元気ね。だから嫌い。
「あ、ちょっとアンタ! そこで突っ立ってないでちょっと手伝いなさいよ!!」
「ええ……」
……嫌だ。心底嫌だ。それを主張するように目一杯に顔を顰めたモノだけど、生憎子供には伝わらない。
助けを求める声と同時に、一斉に向けられた子供たちの視線。汚れを知らない数々の瞳が私を捉えて、その顔に満面の笑みが咲くのがわかる。
「わぁ〜! お姉ちゃん、綺麗な髪〜!」
「真っ白、真っ白だよ!」
「お姉ちゃんだあれ〜?」
「うわうるさ……」
怒涛の勢いで押し寄せる問いかけ。思わず両耳に指を突っ込んで塞いで。大きなため息が漏れ出すのがわかる。
その中で、
「……名前くらいは名乗っといたら?」
ニコの視線が。静かに、貫くように、まっすぐに。私へと向けられていた。
私の返事を待つような静寂がある。子供たちの関心は私から消えることはなく。爛々と輝くような瞳と、笑みが私に向けられていて。
……居心地が、悪い。誰かにこうしてまっすぐな笑みを向けられるのは、なんの悪意もない表情を向けられるのは久しかった。
裏の世界で────私が存在していた、その場所で。誰かに向ける笑顔は相手の警戒心を解き、懐に潜り込むための物でしかなくて。こんなに眩しい物ではなかったから。
「私は────」
喉元に言葉が引っかかる。未知の何かに、堰き止められている。
「私、は」
視線が落ち着かない。私は腰の前で指を組みながら、
「……私は、アンビー」
私は、彼女の名を名乗った。
……だってそうでしょう。当然のこと。ニコは私を彼女だと勘違いしているし。この場所を利用するためにも、本当の名前は伏せておいた方が良い。自分から利用できる場所を潰すような真似は、自らの首を絞めることになる。
……だから、私は彼女の皮を被る。彼女の名を騙る。当然のこと。
「アンビーお姉ちゃん!」
「あんびー姉ちゃん! ねえねえ、後で僕と鬼ごっこしよー!」
「違うよ? お姉ちゃんはあとで私とおままごとするの!」
私の名前を聞いた途端。ただ名前を名乗っただけなのに。空気が破裂したような歓声が上がった。
自分勝手に。自分本位に。私の意見なんて関係なしに続くその会話は、喧しくて、身勝手で────、
「……とりあえず座ったら? はいはい、勝手なこと言いすぎるとお姉ちゃんが困っちゃうでしょ〜? アンタたち、まずはご飯!」
「はぁ〜い!」
促されるままに、私は子供たちに揉みくちゃにされながら席に着く。
最初の有様に比べたら、幾らか穏やかに食事は進んでいった。
喧嘩のようなやり取りは絶えないけれど。それでも互いが笑い合っていて。
子供たちの嫌いな食べ物が私の皿に運び込まれては、ニコの咎めるような怒声が飛ぶ。
ふわふわなパン。温かいスープ。傷んでいない野菜。味のついた食事。
絶えない会話と笑顔。私の知る『食事』とは、大きくかけ離れていた。
「はい、ごちそーさまでした……と。ほら、アンタもちゃんと片付け手伝いなさいよ」
「……?」
「なぁ〜に頭上に立派な疑問符浮かべてんのよ。トーゼンでしょ? 食べたらちゃんと片付ける。働かざるもの食うべからず。今時子供だってそれくらいのこと出来るわよ? ほら」
両手に食器を抱え、顎で何かを指すニコ。それに従うように視線を巡らせれば、慌ただしくはあるものの子供たちが自分の食器を運んでいるのが見えた。
……めんどくさい。けど、従わない方がめんどくさいか。
「ん、ふふ。はい、良い子ね」
「子供扱いしないで」
「私から見りゃアンタも子供よ。子供扱いされたくないなら、言われる前にちゃんと動く!」
……言いながら、尻を蹴り飛ばされた。なんなんだ、この女は。本当に。