────時計の針の音がうるさい。
かち、かち、と断続的に聞こえてくるその音が、
『貴女がイェソドを生み出したから────後は言わずとも、わかるわね?』
電話越しに告げられた、サラの言葉とその声音が、
『────シルバー小隊の価値の証明、するんでしょう?』
私の思考を、蝕んでいる。
……私のやること。私の、やるべきこと。
シルバー小隊の、価値の証明。
讃頌会の祈願の成就がソレに繋がるのか。私の行為が……世界の破滅がソレに繋がるのか。もはやそんな思考は意味を成さなくて。私は今……目の前に転がる選択肢を拾う以外、何もない。
私が選んだ道。私が辿った道。
私が手を下せば世界は終わりに向かう。最後のトリガーを引くのは私ではない。それでも、その背中を押す行為になる。
「……目に見えない神なんてどうでも良い。世界だって、どうだって────」
私が今朝目覚めた部屋の隅。壁にかけられた鞄の中から、サラに持たされたホロウの核と、人間をサクリファイスに変える薬液が詰まった注射器を取り出す。
────時計の針の音が。窓を叩く雨の音がうるさい。
鼓膜を揺さぶる雑音と、
『言っとくけど。これからはアンタにも手伝ってもらうから』
ニコが何気なく放ったあのひと言が。
痛い、痛い。うるさい。
手に握ったホロウの核が脈動を繰り返す。ドク、ドク、と私の心臓の音に遅れてやってくる脈動が。うるさい。
私に『これまで』はあっても、『これから』は無いの。
だから、何があっても変わらない。私の居場所は戦場にしか無い。あっちゃいけないのよ。
「ましてや、明るい『これから』なんて────」
私の独り言がやけに響く。時計の針の音が、雨の音が、やけに────、
「────いや、」
おかしい。
あれだけ騒がしい子供が居て。あれだけ自分勝手な子供たちが居て。こんなに静かなわけが────、
「ッ、あの女!!」
◇◆◇
降り注ぐ雨が鬱陶しい。前髪が貼り付いて、呼吸のために開いた口の中に雨粒が入ってきて。呼吸が、ままならない。
「ハリン────!」
駆け出すわけではなく。ただ静かに、歩いて私から逃げる彼女の背中を追いかけながら名前を呼ぶ。手首を強く掴み、引き寄せると、彼女の背中が小さく震えるのがわかった。
「……なんでこんな所に居るの」
「ハリンを探してたから」
……いつもより弱々しい声。ホロウの中ではあんなに頼もしい背中が、今は酷く小さく見えた。
「私は、会いたくなかった」
「────、────」
明確な、拒否の言葉。ライトさんに告げられた言葉とはまた別の痛み。胸の奥が、締め付けられたように痛むのがわかる。
……呼吸が、苦しい。それでも手は離さない。視線を、逸らさない。
「……それは、何で? 私何かしたかな」
「貴女は何もしてないわ」
「じゃあ余計に何で────」
「これは、私の問題」
雨音にかき消されてしまう程、小さな声。ハリンは短く吐き捨てると腕を振って、私の手を振り解く。
「……私の問題なの。ちゃんと、全部終わらせるから」
「……じゃあ、その後は?」
「────、────ッ」
「ちゃんと、帰ってくる?」
私の問いに答えはない。変わらず表情は見えない。見せてくれない。
私に残された書き置き。その隅につけられた、何かを迷うような────握りしめた痕。
それから、雨音が響くだけの静寂。問いに返されない答え。
それだけで十分だった。何となく、察しはついた。
アンビーによく似た顔の、眼帯をした彼女。アンビーによく似た顔のハリン。
その二人にはきっと、浅くはない因縁があって────ライブステージで会った彼女は、讃頌会の側に居る。
やるべきことができた。その文言から最悪の想定をするのは、別に『考えすぎ』では無いだろう。
「……私は嫌だよ、ハリン」
「……、……」
「何で頼ってくれないのさ。アンタにとって、大事なことなんでしょ? だから────、」
「それが嫌なの!!」
思わず肩が跳ねる。叫ぶような、私の言葉を遮るハリンの声。
「……それじゃ、ダメなの。もう私に関わらないで」
「何でよ。私はほっとけない。ハリンの友────」
「関わらないで、って言ってるの。貴女たちと一緒に居ると、私は────私が、どんどん弱くなっていく感覚がある」
私の言葉は、届かない。彼女の耳に。心に。
「……貴女たちと一緒に居ると、今まで独りで出来ていたことが減っていく。無くなっていく感覚があるの。弱く────弱く、なってしまう」
視線も私に向けられず。顔を見ることすら叶わず。
「私は弱くちゃダメなの。価値を……価値を証明しなければいけない。私の価値を、証明しなければいけない。私は────私は、シルバー小隊の11番目。戦場に身を置き、戦うために作られた生物」
ハリンの独白を、ただ黙って。
「私の居場所は戦場にしかない。そこにしか、あってはいけない。あの日、あの子に────ツイッギーに言われたの。私は弱くなった、と。拠り所を見つけたから、居場所を戦場の他に見出したから弱くなった、と。……私は否定できなかった」
「────、────」
「確かにと思った。何も言葉が出てこなかった。きっと……アンビーだって、そう。アンビーだって、他に居場所を……人の暖かさを覚えたから、弱くなって死んだ。私たちの居場所は戦場にしかない。正しく居られる場所は、戦場でしかない────」
震える声音。震える背中。ハリンはゆっくりとした手つきでベストのポケットから何かを取り出した。
……私が初めて、彼女にあげたもの。私が唯一彼女にあげたもの。オレンジ色の、色付きリップだった。
「────それ以外には何もいらない。何もあってはいけない。最後の瞬間まで強く在らせて」
「ハリン……」
「だから、こんな物────!!」
降り注ぐ雨粒を割いて。ハリンが高く、高く腕を振り上げる。
強く握りしめたリップ。それが地面に向けて振り下ろされることはなく。代わりに、静寂があった。
震える掌が雨を受けている。荒い、浅い呼吸が聞こえてくる。
……私と同じだ。出口のない、思考の迷路に迷い込んでいる。
だから、
「……あのね、ハリン。アンビーは邪兎屋という居場所を見つけたから、弱くなって死んだわけじゃないんだよ」
「貴女に何が────!!」
「────わかるよ。だって、アンビーを殺したのは私だから。……私が未熟だったから。私ひとりじゃ正しく導けなくて、私の判断ミスで死んだの」
ハリンの視線が私に向く。肩越しに、バイザーを通して。小刻みに震える瞳が。
「なん、何で今それを────何を、」
「責めてもいいよ。軽蔑したっていい。でもその為に言ったわけじゃない」
「なら、何のために」
「私と一緒に、
私の言葉に嘘も偽りもない。私は今、その為にここに立っている。
……ハリンをひとりで行かせたくない。誤った道を進ませたくない。プロキシとして。そして────ハリンの、ひとりの友達として。
ハリンの瞳が地面に向けられる。奥歯が強く噛み締められるのがわかった。リップを握ったままの拳が下がって。言葉を選ぶような、迷っているような間がある。
「……貴女ひとりで何が出来るの。判断ミスでアンビーを殺した、貴女に」
「そうだね。私ひとりじゃ何もできない。プロキシとして復帰してから────ううん。アンビーを、ビリーを死なせてしまったその時に。痛いほど、そう思った」
二人を、ホロウの中で殺してしまって。
今ここに立っているのだって、こうして真っ直ぐにハリンに言葉をぶつけているのだって。私ひとりの功績ではない。
誰かに背中を押されて。誰かに引き上げられて。罪との向き合い方を教えられて……それでやっと、今私はここに居る。
だから、今度は私の番だ。
「……ねえ、ハリン。防衛軍にいる時はどうだったの? シルバー小隊に居た時は?」
「それは────」
「確かに軍の人たちに比べて、シルバー小隊の子たちに比べて……私やお兄ちゃんが与える物は違うかもしれない。でもさ、大きな差は無いんじゃないかなって思うんだ」
戦いの中で隣に立ち、彼女の背中を支えるか。日常の中で彼女の隣に立ち、手を引くのか。
どれもきっと、彼女の為になる。そうなってくれると、私は信じてる。
「シルバー小隊の価値の証明。……ハリンの、価値の証明。私はその生き方と目標を否定はしないよ。でもさ、ハリンひとりじゃなきゃダメなのかな」
「────、────」
「……頼って欲しいよ。私のことも。私たちのことも。全部ひとりで、全部背負おうとしないで欲しい。その重荷をわけて欲しい。話して欲しい」
私はエスパーでも超能力者でも無い。私はこの子のことを、何でもわかってあげられるわけじゃない。心の中を覗けるわけでは無い。
話してくれなければ、何もわからない。
だからこそ。あとは、ハリンの気持ち次第。
再び沈黙がある。バイザーに落ちた雨粒のせいで、ハリンの表情はイマイチ読めない。それでも露出した口元が、強く歪んだのがわかった。
「────それは、アンビーへの罪滅ぼし?」
「……え?」
「貴女が殺してしまったアンビー。その彼女に似た私だからこそ、ひとりにしたくない。殺したくない。違う?」
そう呟くハリンの顔に。ほんの一瞬だけ、アンビーが重なって見える。
「……そう、……そういう気持ちは、正直な話……一切無いって言ったら、嘘になる」
……私の心に根付いた後悔。決して消えない、私の罪の形。
今度こそって気持ちはある。同じ過ちを繰り返さないようにって、気持ちだって。
「────なら、私はアンビーの代わり?」
「────、────ッ」
「アンビーがいれば。貴女は私を選ばなかったでしょう」
考えなかった日はない。もしもあの時、私が判断を間違えなければ。もしもあの日、二人を目的地に届けられれば。
もっと違う『今日』があったんじゃないか。別の『明日』があったんじゃないか。後悔しない日はなかった。
だからこそ今でも胸が痛む。だからこそ、今でも足踏みして前に進めずにいる。
……だとしても、
「……後悔はある。罪滅ぼしの気持ちもある。でも、私はハリンのことを、アンビーの代わりのように思ったことはないよ。『もしもの今日』や、『もしもの明日』はあるかもしれない。けど、」
私の言葉はきっと、ハリンの傷口を抉った。ハリンの言葉だって、私の傷口を抉った。
私たちの言葉は、私たちを過去に引きずり戻した。でもそれは決して、互いに足を引っ張る為ではなく、
「私たちがいるのは『今』なんだよ、ハリン」
一緒に、
「もしかしたら、ハリンじゃなくてアンビーが隣にいた『明日』があったかもしれない。でもその『もしも』は、ifの私にでも任せておけばいい」
「────、────」
「私は、ハリンとの明日が欲しいよ。私は、ハリンとの未来が欲しい」
手を伸ばす。濡れたハリンの手を握りしめる。強く、強く。決して離さないように。
「その為なら。ハリンが明日へ進む燃料が、『アンビーを殺した私』への憎悪でも構わない」
◇◆◇
必死に建てた壁を、無理やりに壊されるような言葉の数々。リンの放ったその全ては、私の傷に痛いほどに触れてきた。
傷を抉った。傷口を開いた。痛みで視界が明滅するような錯覚すらある。
────私は、ハリンとの明日が欲しいよ。
私はシルバー小隊の11番目の個体。防衛軍────オボルス小隊の、11号。誰がこなしても構わないような、変わらないような依頼をこなして。僅かに燻る炎へ薪を焚べる、軋んだ音を立てて動く
換えの効く存在でしかなかった。剣を振るしか価値を証明できなかった。
────私は、ハリンとの未来が欲しい。
互いに傷を抉りあって。傷つけあって。それでも、私との明日を────未来を欲しがる者がいた。
私の手を強く握りながら、泣き腫らした目で欲しがる……友と名乗る者がいた。
……本当に頼っていいのか。自分がそこに立っていいのか。正直、それはわからない。
でも今は、その手を振り解く理由が見つからなくて。強く握った、彼女にもらったリップを捨てられなくて。
……それだけで、十分なのかもしれない。きっとこの子は、いくら私が拒んでも主張を続ける。
私も彼女のことをよく知らない。けれど、とても頑固なことは知っていた。
『そうだよ。こんな世界だからこそ、ちゃんと明日を迎える勇気や気力を持った人たちには、何かしらの目的があるはず。成したいことがあるはず。それに向かって歩いていく大変さを私は知ってるし、嫌というほど自覚してる。だからその手伝いをしたいなって、そう思う気持ちがあるからかな』
あの日。ヒカリに彼女が放った言葉を、今でも覚えている。
誰かを失う苦しみ。前に進めない痛み。それをリンは知っているからこそ、きっと私をひとりでは行かせない。
だから、私は────、
◇◆◇
私の言葉はハリンの心に届いただろうか。ハリンの胸に、届いただろうか。
何も返ってこない、ただ無言の時間がしばらく続いて。貼り付く前髪を掻き上げようとした、その瞬間。
「ハリン……」
僅かに、私の手が握り返されるのがわかる。
未だに言葉に迷っているのであろう。未だに答えに迷っているのであろう。ハリンの口が小さく開閉を繰り返し、バイザー越しの視線が泳ぐのがわかる。
ゆっくり、言葉を纏めるような間。私は何も言わず、ただその様子を見守って、
「私は────、」
紡ぎかけた、その言葉が。体が揺れるほどの爆発音に掻き消された。
「今のって────」
「ええ、爆発音よ。近いわ」
音の出所を探るように視線を巡らせる。
……すぐに見つかった。ここから少し歩いた先。雨を押し上げるようにあがる、黒い煙。柱になる前に形を崩し、白い蒸気と混ざりながら、空の低い位置に滲むソレが見える。
確か、この方向って────、
「Fairy!」
『はい、マスター。その方向には元邪兎屋の社長、ニコ・デマラが運営する孤児院が地図上に記録されています』
……嫌な予感ほど的中するもの。ハリンは私の手を振り解くと、腰元からブレードを引き抜き構えを取ったところで。私の目をまっすぐに見る。
「……貴女も、来るんでしょう?」
ほんの少しの迷いが滲む声音。それでも、ここにきて初めて。私の目をまっすぐに見つめてくれていた。
「────うん。行こう」