────怒りと苦しみばかりの人生だった。
幸せだった時もきっとあったと思う。でもその時間は手を伸ばしても届かなくて、ましてや今の
私の中に燃え盛っていた、燃料となっていた怒りの炎は消え去って────動く気力も、残っちゃいなかった。
────硬くて顎が疲れるパン。加熱剤付きの食材と血の匂い。それが私の普通で、私の日常。
命を奪い、奪われるような世界に身を置いて。戦闘の中で生き甲斐と生きる意味を見出して。
────ふわふわのパン。温かい食事。ふかふかの布団。それが私の非日常。
興味本位で見た映画や漫画、ドラマの中で繰り広げられていた、空想の中の当たり前。要らないと意地を張って遠ざけた、その全て。
誰かの代わりとして、私に与えられた────あり得たかもしれない日々。
私が壊した、平和の象徴。
やることはやった。言いたいことは言った。とても清々しい気分……とは言えないけど、このまま迎える『終わり』が、一番私に似合ってる。
まるで、
「……起きてる?」
……なんて感傷に浸ってるのに。腹立つ女のその顔が、私のことを覗き込む。
「……最期の瞬間くらい、浸らせてくれても良いんじゃない?」
「あら、思ったより元気そうじゃない。丈夫なのね〜、アンタって。案外図太いし、当たり前か」
「……何言ってんのよ。見えない? 胸貫かれてるの。苦しくて仕方ないっての」
この数時間で交わしたような軽口の応酬。ニコは小さく微笑むと、音を立てて私の隣に腰を下ろした。
「うぇ、ぐしょぐしょ……サイアク」
「当たり前でしょ……雨降ってんだから。馬鹿じゃないの?」
「ふふ。それもそーね」
視界を向ける余力もない。まあ良いわ、最期の瞬間がこの女の顔ってのに比べれば、雨が降り注ぐ曇天の方が────よっぽど。
「……ゴメンね。アタシじゃ、アンタを救えなかった」
「何謝ってんのよ、らしくない」
……そんな沈んだ声を出さないでほしい。正直言って、気色悪いから。それに、
「どーせ私はアンビーの代わりでしょ。覚えてるわよ? 私のこと見た時、アンビーって間違えて呼んだの。だから、別に気に病むこと無いっての」
なんて揶揄うように投げかけて。肩でも引っ叩かれるかと身構えていたけど、
「……はぁ。ホンット、バカね」
返ってきたのは意外な反応だった。
思わず目を丸くする。再び私を覗き込んだニコは、何やら困ったような笑みを浮かべていた。
「あの一回以来、アタシがアンタを『アンビー』って呼んだ?」
「────、────」
……ああ。あー……はは。ああ、そう。なんだ。じゃあ、本当に馬鹿なのは私だった、ってわけ。
「は、はは────ふ。何だ、もう。本当にくだらない」
「ホントよ、ホントーにくだらない」
肩を揺らして笑う。傷に響いて仕方ない。痛くて、痛くて堪らないけれど、案外悪い気はしなかった。
「ねえ、名前。アンタの名前、聞かせなさいよ」
「何、今更。戦闘中にハリンが私の名前呼んでたでしょ」
確か、私の記憶が正しければ────だけど。ああ、意識も記憶も朦朧とし始めてダメね。
「わかってないわね〜、アンタの口から聞きたいのよ」
「はぁ……わかった、わかったわよ……私の名前は、ツイッギー。……これでいい?」
まるで、私たちの『初めまして』のやり直し。
「────ん。ツイッギー、ね」
何処か、歩む道が違えば少しでもあり得たかもしれないひと幕。
「いい名前じゃない。覚えとくわ」
ああ────けど。もしもはifの私にでも任せておけばいい、だったかしら。
そうね。今の私には、これで充分。
◇◆◇
ホロウを出て、社用車を走らせ帰路に着く。
今回頑張ってくれた
────ドアミラーに僅かに映り込んでいたホロウが消える。
約束通り、ニコがあのホロウを閉じてくれたんだろう。これで、私たちの仕事は終わり。これで晴々とした気持ちでビデオ屋に帰ってシャワーを浴びれる。まあ、空模様は土砂降りの雨だけど。
……それから、私が起き抜けから覚えていた────世界が二重に見えるような違和感。
それも、今では落ち着いている。……いや、落ち着いてるって表現するのは間違ってるか。
ブレて見えていた二つの世界。それが、完全に重なり合って見えるものだから、こうして車を運転するのにも悪影響はない。
「良いのか悪いのか、って感じだなあ……」
エンジン音と、後部座席の二人がたてる寝息だけが響く車内に、私の独り言が虚しく響く。
ちらりと視線を助手席にやれば、ハリンは私が最後に見た時と変わらず、窓の外をぼうっと眺めていた。
窓に反射したハリンの顔からはイマイチ表情が読めない。とはいえ、私からかける言葉も見つからないモノだからこの気まずい沈黙を受け入れる他なかった。
「……ねえ、リン」
そんな私の気まずさを察したのか、察してないのかわからないけど。ハリンが静かに、私の名前を呼ぶ。
……再び沈黙。雨粒が窓に叩きつけられる音が、しばらく続いて。
「……楽に死ねないわね」
その言葉に込められた真意は正直わからない。踏み込むことは、今は正直したくない。
「それは……うん。そうだね。私も、そう思う」
何も考えず同意したわけでは無く。私も心の底から、そう思った。
……、……会話が終わってしまった。どうしよう。ラジオでもかけようかな。
気まずさに耐えかねて身じろぎをしながら、端末に手を伸ばしたその途端。あまりにも良すぎるタイミングで着信が入る。
「……お兄ちゃんだ」
確かお兄ちゃんは衛非地区に、朱鳶さんに会いに行ったんだっけ。何かあったのかな。
事故らないように、視線は前に向けつつ。手探りで端末を操作して通話を開始し、ハリンにも聞こえるようにスピーカーモードをオンにする。
「もしもし、お兄ちゃん? どうかした?」
『お疲れ様、リン。……今大丈夫かい?』
「うん、運転中だけどスピーカーで聞いてるから平気〜」
『運転中? そうか……ハリンもそこに居たりするかな』
「いるよ〜」
……む。私だけじゃなく、ハリンにまで。何と無く、良い話では無いのだろう、と。今日何度目かの嫌な予感が、私の胸を満たしていくのがわかった。
でもって、
『……車にH.D.Dを積んで、ハリンも連れて衛非地区に来てほしい』
これもまた、今日何度か身をもって知ったように────、
『正直、あまり状況がよろしく無いんだ。詳しくはこっちに着いたら話そう』
────悪い予感ほど、よく当たるモノだ。