イントロ
視線の向こうには小さな窓。少し巡らせれば鉄格子。
壁で仕切られたトイレと清潔なシングルベッドは、この数日であたしの中の日常と化していた。
眠気の中で微睡むようにぼんやりと回る思考と視線。ソレを断ち切るように、
「猫宮。朱鳶治安官がお呼びだ」
「あぇ?」
名も知らない治安官の女があたしの名を呼び、鉄格子の電子ロックを解除する。イマイチ状況が読み込めないながらも牢の中に入ってきたその女は、あたしの両手を無骨な手錠で拘束した。
「確か一昨日も朱鳶とは話したぞ……? 今更あたしと話すことなんて」
「…………」
女は何も答えない。無言であたしを先導するようにその歩みをやめず、廊下をつかつかと歩いていく。
「……、……はあ」
ため息が漏れた。なんか、ここ最近の治安局はちょっとピリついてる。こうして改めて辺りを見回してみると、すれ違う治安官も心なしか少ないように思えた。
「入れ」
何かが起こっている。その『何か』とは何なのか。そんな世間話や問いかけをする暇もなく、背中を突き飛ばされる形で部屋に押し込まれる。
机を挟むように、二脚の椅子があるだけの簡素な部屋。逃げるつもりはそもそもないし、大した抵抗は見せることなく。あたしは手近な椅子に腰を下ろした。
「なんなんだ……?」
疑問は静かな部屋の空気に溶けていく。しばらく、ぼうっと天井の照明を眺めるだけの時間が続いて────ガチャリ、と無機質な音を立てて向かいの扉が開いた。あたしの見慣れた姿。いつもの制服を身に纏った治安官、朱鳶だった。
朱鳶はあたしの目の前にゆっくりと腰を下ろして、
「……お待たせしてすみません」
「んや、別に。そもそもあたし、何で急にここに呼び出されてるんだ? なーんも知らされてないぞ。教えてもくれなかった」
「それは────申し訳ありません。一応、要件は彼女に伝えたのですが……まあ、そうですね。余裕が、無いでしょうし」
含みのある言葉を呟く朱鳶の表情にも曇りが見える。いつもの『おカタい雰囲気』はどこかに消え去り、対話する相手をまっすぐ見つめるような視線も、今は目の前の机に向けられていた。
「────、……猫宮さん。ここでの生活には慣れましたか?」
けど、その曇りもすぐに晴れる。アイスブレイクってやつかもしれない。いつもの笑みに戻った朱鳶は、そんな問いをあたしに投げかけた。
「……囚われてる身のヤツにかける問いかけじゃないんじゃないか〜? それ。そもそも、あたしに対しての処罰が甘すぎる気がするぞ。もっとこう……番号で呼ばれたり、鞭打ちで拷問とか受けると思ってたのに。慣れるも何もない」
「随分と古典的な印象ですね、それは……」
ご飯も大して不味くない。味は薄いけど慣れれば美味しいし、布団だって硬くないし。独房の中には清潔感がある。
それに、あたしを見る治安官の目も特に厳しくなくて。むしろ今まで受けた中じゃ優しい方だった。
そんな甘さを指摘する冗談混じりのあたしの言葉を受けて、足を組み替えた朱鳶は小さなため息を吐き出し、
「……そもそも、貴女はここにいる必要はありませんからね」
「────、────」
「保護観察対象に対し、そんな悪辣な態度を取るほど私たちは手厳しくありませんから。……まあ、」
言い掛けた言葉を飲み込む。何となく、聞かないでもその先は察せた。というか、言わないでも目が語ってる。
『まあ、それじゃあ貴女は納得しないんでしょうけど』
そう、言いたかったんだろう。
────あたしがここに居るのは、あたしの意思だ。
十二分街のあのホロウ────『ケセド』のホロウの中で。あたしは、街の人たちに迷惑をかけた。酷いことをした。自覚がなかったにしろ、その事実は変わらない。
罰せられなければいけないと思った。罪に対する罰を求めた。けれど、あたしに罰は下されない。だから行き場をなくして宙吊りになった罪の意識が、胸の中に蟠っている。
『……だってそうでしょ。猫宮も騙された。誰かを傷つけた、誰かに迷惑をかけた加害者かもしれない。けど────同時に、アンタは被害者でしょ』
あの日、ポンプの中に入った『誰か』に────プロキシに言われたあの言葉。あたしは加害者であり、被害者。
それでも上手く割り切れるはずもなくて。ただ、あたしは無気力に『毎日』を浪費している。なかなか来ない、裁きの日が来ることを願って。
沈黙がある。扉の向こうから数度足音が行き交って、朱鳶の瞳があたしをまっすぐに見た。
「……今日、猫宮さんを呼び出したのは……貴女に頼みたいことがあるからなんです」
「頼みたいこと?」
「ええ。その────、」
言い淀み、朱鳶の視線がしばらく泳ぐ。言葉を選ぶような、ほんの少しの沈黙があって。
「……つい昨日、衛非地区の『ラマニアンホロウ』内部で戦闘中の────防衛軍、対ホロウ特別行動部、雲嶽山の面々から救援要請がありました」
「うん? ラマニアンホロウってそんなに危険な場所だったっけ。ナンタラって鉱石の名産地だって聞いたことはあるけど……」
「本来であれば、そうですね。ミアズマという特有のエーテル現象が起こる危険な地帯ではありますが……他のホロウに比べれば、比較的安全な場所ではあります。鉱石採掘の作業員の方々も頻繁に出入りしているくらいですから」
あたしの記憶に間違いはなかったらしい。これも記憶が確かなら、ホロウの出入り口まで運んでくれるロープウェイもあったはずだ。行ったことないけど。
「……ですが。二週間ほど前から、ラマニアン内部で────讃頌会との戦闘が行われているんです」
「……、……」
「少し前に、ラマニアンホロウに入る機会があったんです。ラマニアンホロウ内部に現れた、『とある特殊なエーテリアス個体』────その調査のために。……その際、奥地に進めば進むほどに、凄まじい濃度のミアズマを検出し、防衛軍に調査を依頼しました」
言いながら、朱鳶があたしに向けた端末の画面。
表示されていた写真────そこに写り込んでいた女に、あたしは覚えがあった。
「サラ────」
「……はい。猫宮さんの証言を受けて、
……あたしが犯した罪の形。罪の象徴。全てをあたしに押し付けたあの女が、衛非地区に居る。
内側から湧き上がる熱を、大きなため息で外側に吐き出す。……別にあたしは、復讐がしたいわけではない。
「ラマニアンは膨大な敷地を持つホロウ。監視の目が届いていない場所で、彼女たちは着々と計画を前に進めていました。それで────、」
「止めるために戦闘に発展。でもって、何かがあって戦況は悪化。戦力が足りてないからあたしの手も借りたい……ってことで良いのかな」
「────、……はい、そういうことになります」
話が遠回りではあったけど。これで少しはわかりやすくなっただろう。どうにも、朱鳶はこういう話をする時大きく回り道をするような舵取りをする。まあ気持ちはわからないでもないけど。
……完全無欠の治安官サマとしては、あたしのことを巻き込みたくないんだ。大変不本意だ、と。その表情にも書かれてる。
「……いーよ、その話受ける。協力するよ」
「助かります。猫宮さんの武装は私たちの方で用意するので────」
◇◆◇
話は滞りなく進み、翌日。結果から言えば、あたしの初めての衛非地区旅行はよろしいモノではなかった。
向かうフェリーの中では気まずい雰囲気が流れている。あたしと、朱鳶と……他、何人かの治安官。その中には、昨日の朝にあたしを取調室に連れ出した女も混ざってて。船内の雰囲気もピリピリしてるのがわかる。
そーんな空気の中で、何かあったのか聞く度胸もありはしなくて。与えられた武装と治安官の制服を点検するのは、船に入って何度目だろうか。……誰かしらがトランプでも始めてくれれば良かったんだけどなぁ。そんな雰囲気でもない。
波が奏でる音と、備え付けのテレビから流れるニュースの音だけが響いている。……なんか今日、大きいライブをやるらしい。アストラ・ヤオがゲストで出るんだって。
この空気の中、流れるニュースだけは場違いなほどに明るいモノだった。それだけがまぁ、救いなのかもしれない。
スピーカーから軽快な音楽が流れ出す。その後で、目的地────衛非地区まで残り数分、ということも告げられて。あたしは居心地の悪さに負けて、誰よりも早く立ち上がった。
フェリーの扉が開く。初めて訪れた、衛非地区の光景が広がる。
急な斜面の階段を上がって、商店街が立ち並ぶその地帯を見て。
あたしは、言葉を失った。
固く閉ざされたシャッターの数々。路端には見たこともない植物が生え散らかり、それを封じ込めるように何やら札が貼り付けられていて。目の前を行き交うのは街の人々ではなく、防衛軍や対ホロウ特別行動部の制服を着た連中だけ。
この街の騒々しさは本来のものではない。初めて来たあたしですらわかってしまうほどに────街の雰囲気は『異様』だった。
「……行きましょうか」
そんな光景を目にして、朱鳶があたしたちを先導するように歩き始める。向かった先は、街の奥まった場所────『適当観』と古びた看板が立てかけられた、固く閉ざされた門だった。
何も言わずに朱鳶はゆっくりと門を押し開き、その瞬間、
「────、────」
無数に重なった生臭い香りが鼻腔を撫でて。あたしの眉間に、思わず皺が寄る。
地面に並べられた数々の袋。地面を伝う赤黒い液体。その光景だけで、今の衛非地区を『地獄』と形容できてしまうような。そんな光景だった。
治安官のひとりが────無愛想な女が、ふらついた足取りで門をくぐる。並んだ袋を見渡して、その中で。
チャックの部分にぶら下げられた札を手に取るなり、そのまま地面に崩れ落ちた。
「ぁ────、」
膝が地面にぶつかる、鈍い音が聞こえる。掠れた声が辺りに響く。
「なん、なんで、」
誰も応えない問い。
「ねえ、式だって来月で────指輪、指輪も選ん……ぅ、ゔ、……これから、これから『先』だって、色々……」
誰もが答えを持ち得ない問い。
彼女は呼吸を荒げて、何かを押し殺すように。そのまま、袋の上から『ソレ』を強く抱きしめた。
「ねぇ、ねぇ────なんで? なんでよ。なんで先に────なんで!? ねえ、起きて……起きてよ……頼むから……」
……かける言葉が見つからなかった。喉元まで迫り上がった数々の言葉は、何かに押し流されるように胃の中へと戻されていく。
────余裕がないでしょうし。
何気なく朱鳶から放たれたその言葉の意味を、目の前の光景に突きつけられる。
噛み締めた奥歯が痛い。握り締め、手のひらに食い込んだ爪の感覚が、この光景は現実だと突きつけてくる。
だからあたしは、ゆっくりと長い溜め息を吐き出すしかなかった。こういう時に煙草って吸いたくなるんだろうな。
「……オマエも来たんやな、猫宮。治安官の制服似合わんなあ」
ふと、背後から聞き覚えのある声がする。肩越しに視線をやれば、ソイツと目があった。
「巴……と、輝夜ちゃん」
淡い笑みを浮かべながら、巴の足元で手を振ってくる輝夜ちゃん。それでも目の前の光景に思うところがあるようで、笑顔の内側には、ほんの少しの無理が見える気がする。
「……にしても、アンタらこんな所に居て良いのか? 治安官にしょっ引かれても知らないぞ〜」
「ボクらも色々あってん。一応ここに
何か言いたげに、目の前を顎で指す巴。それに従うように目を向ければ、テントの中からこちらを覗き込む朱鳶が見えた。
あたしたちは歩みを進めていく。泣き崩れる治安官を────数々の袋を横目に。あたしも、巴も、輝夜も。何か言葉を発することはなく。ただ、視線は目の前に。
仮設テントの仕切りを潜る。中では色んな機械が電子音を奏でていて、外の音や声を誤魔化してくれていた。内心胸を撫で下ろしているあたしがいる。
「────紹介の必要は無い、ですよね」
「ああ。ボクらは一緒に仕事したことあるし。なんなら猫宮の痴態も見とるで」
「……ちょっと」
いやまあ、痴態ってのは事実だけど。『ケセド』のホロウで起きた諸々の事態は、言い訳すらできない。
「……であれば、はい。これから、猫宮さん、巴さん、輝夜さんのお三方には、私と一緒にラマニアンに入ってもらいます」
『ちょっと。僕のこと忘れられちゃ困るよ〜』
「そうですね。Ghostさんも含め……五人で。現状、ラマニアン内部で何が起こっているのかは知り得ていません。なので、内部に入り次第────Ghostさんと輝夜さん、巴さんには何が起こっているのかの調査をお願いしたいです」
ああ、確か……Ghostはホロウ内部のスキャンができるんだっけ。確かに、この場に於いて適任かもしれないな。
小さく頷きを返す『アルテミス』一行。けど、すぐに巴が首を傾げながら、
「リンチャンとアキラクンは?
「リンちゃんとアキラさん、ハリンさんは別件の対応に当たっています。……正直、これ以上誰かを巻き込みたくはない────それが私の本心です」
つまりは最終手段、ってことか。
朱鳶がひと通り、自分の装備を確認して、あたしたちに真っ直ぐと視線を向けた────その後で。
「では、行きましょう────出撃です」
あたしもソレに倣うように、支給された二本の短剣の柄を強く、強く握った。