ホロウに続くロープウェイではなく。小型のモーターがついた船で、ラマニアン内部へと侵入する。
ホロウの薄い膜を潜る感覚。荒れ果てた海の先────砂浜が見えた、その瞬間。
「おうおう。思ったよりドンパチやっとるな」
……巴のその言葉の通り。至る所から戦闘音が鳴り響き、火の手が上がる。話に聞いていた『ミアズマ』とやらも、見慣れたエーテル粒子に混ざってあちこちに舞っているのがわかった。
「これ、人体に害はないんだろうな〜……」
「触れた人間の過去を模る幻影を見せる、とは聞いていますが────」
どのみち良くないか。極力触れないように、吸い込まないように……だな。
船から飛び降り、砂浜に着地する。その瞬間に、
「ゆーチャン、頼むわ」
『もうやってる────解析結果、出たよ』
視線を合わせる巴と輝夜ちゃん……や、今身体を動かしてるのは『Ghost』だったっけ。物静かな見た目の輝夜ちゃんから、この快活な声が出てるのはどーにも聞き慣れない。ほんの少し違和感がある。
巴の端末に送られた、ラマニアン内部の解析データ。あたしと朱鳶がその画面を覗き込み、思わず息を呑んだ。
「……何かの間違い、じゃないですか?」
『失礼だな。僕も正直、間違いだと思いたいよ』
……ラマニアンホロウ内部に、新たに生み出された人工ホロウ────それが、三つも。
現在進行形で動いている地図の中では、そのホロウのどれからも、あたしたちの『敵性個体』と思われるものがゾロゾロと出てきていて……防衛軍やその他の連中が何に手を焼いているのか、嫌でも理解させられた。
このままだと、
『ねぇ、ねぇ────なんで? なんでよ。なんで先に────なんで!? ねえ、起きて……起きてよ……頼むから……』
このままだと、また。
「────、ッ」
思わず居ても立っても居られず駆け出す。砂浜に足を取られながら、一番近い人工ホロウへ向かって、
「待ってください、猫宮さん!」
腕を強く掴まれ、身体が前につんのめる。奥歯を噛み締め振り返れば、焦ったような朱鳶の視線とかち合った。
「……何処へ行く気ですか」
「一番近い人工ホロウに」
朱鳶の瞳が僅かに揺れた。何かを言いたげに開かれた口はすぐに噤まれて、色々な感情で歪むのがわかる。
「……危険、ですよ。正気ですか? 貴女ひとりで……プロキシも付けずに」
「正気だよ。あたしは別に血迷ったわけじゃない。……『Ghost』と輝夜ちゃん、巴は別のホロウの攻略でも必要になると思う。朱鳶だってそうでしょ? だから、あたしがひとりで行くのが一番良い」
「────ッ、────」
あたしの腕を掴む力が増す。痛みを訴えかける程に。それでもあたしは、朱鳶から目を逸らさない。
「……このまま人工ホロウを放置してたら犠牲者が増える。それに……それに。これは、あたしの……罪の精算の機会なんだ」
誰かが泣いていた。誰かの日常が、奪われていた。
あたしがかつて、十二分街で『そう』したように。誰かが被害を受けている。
「……あたしは多くの人を傷つけた。だから、より多くの人を救わないと……そうしないと、あたしの罪は晴れない」
……嘘だった。たとえ、より多くの人を救ったとしても。あたしの罪はきっと、無かったことにはならない。
このまま生きるしか道が無いのなら。あたしだって誰かを救った実感が欲しい。
出かかった言葉を飲み込む音が聞こえる。普段の朱鳶からは考えられないほどに、弱々しい吐息。
「行かせてやったら
迷いが振り切れない朱鳶の背後から、場違いなほどに軽い声が聞こえた。
『……一番近いホロウまでのルートなら出せるよ。猫宮の端末にも送れる』
「ですが────、」
「それに、こんなところで身内同士で喧嘩してるヒマもあらへんやろ」
数度の軽いやり取り。その間も、朱鳶はあたしを見つめたまま────あたしの腕を掴む手のひらは、痛いくらいに力が込められたままだった。
……しばらくの沈黙。薄く開いた唇が揺れて、観念したように、長い溜息を吐き出すのが見える。
「……わかりました。ですが、猫宮さんひとりにホロウの攻略を任せることは出来ません。第一目標は内部調査です。自身の命を一番大事に、ちゃんと戻ってきてください」
「……ん、わかった」
掌が離れる。駆け出す。砂を踏み締め、ポケットから端末を取り出して────『Ghost』から送られたキャロットデータに従い、前へ、前へ。
「は、は、ッ────」
ジッとしている時間はない。迷っている時間はない。こうしている今もきっと、戦場では誰かが苦しんでいる。
裂け目を潜って、潜って、
「っ、っ……」
罪悪感に背を押されて。胸の中から押し上がる吐き気を抱えながら、走る。
檻の中に居たとしても。きっとあたしに、裁きの時は訪れない。
『復讐は何も生まない、なんて言わない。死んで行ったキミの身内が本当にそれを望むのか、なんて綺麗事も言わない。ただ、本当にそれが────キミのしたいことなのかな?』
あたしのしたいこと。あたしが、本当にしたいこと。それはまだ見えない。
『私は、猫宮に選択を間違えてほしく無いよ。……だってそうでしょ。猫宮も騙された。誰かを傷つけた、誰かに迷惑をかけた加害者かもしれない。けど────同時に、アンタは被害者でしょ』
あたしを被害者だとは思えない。それと同じくらい、今もあたしを騙した讃頌会の連中への怒りは、胸の中に燻って消えてくれない。
────それから。大切な人を失った喪失感も。
前を向けてない。行先は決まっていない。それでも、
『ねえ、起きて……起きてよ……頼むから……』
あの悲鳴は。あたしの背中を押すには十分すぎた。
過去の傷を見せられている。罪の形を押し付けられている。忘れたことはない。決して────決して忘れられない、罪の形。
あたしのせいで、誰かが同じように泣いていたかもしれない。
その事実があまりにも耐えられなかった。だから、
「だから────あたしが終わらせてやる」
憎たらしい白装束の群れを抜け、ホロウの膜に片手が触れる。
「まずは、一個────!!」
あたしの身体は抵抗すらもなく、ホロウの膜を潜って、そして。
意識が、暗転した。
────同時に強い浮遊感が身体を襲って、あたしの意識が掻き回される。
強く噛み締めた奥歯は意味を成さず、何かを掴もうとした掌は空を割く。脱力感に身を任せて……何処かへ、ひたすら落ちていくような。
落ちているのか、引き上げられているのか。それすらもわからないまま暗闇に視界と身体を覆われて、
「ん、ぅ────」
不意に、瞼が陽の光に焼かれる。唐突にやって来た眩しさに呻き声をあげながら身を捩らせると、何やら歩み寄ってくる足音が聞こえてきた。
『オイオイ、大丈夫か?』
「……ビリー、あまり近づかないほうがいいかも。治安局の制服を着てる」
『つってもよ。こんな所まで捕まえに来るような物好き居ると思うか?』
「ようやく私たちの名が世界に轟いたのかも。感慨深いわ」
『ンな今まで邪兎屋は小悪党だったみたいな────』
その会話に引きずられるように意識が浮上していって、ゆっくりと目を開く。青空と、陽の光に目を焼かれながら。
『お。起きたぜ』
あたしの視界に映り込んだのは二人の人影。片方は赤い、革のジャンパーを羽織った機械人で。もう片方は、肉まんを片手にあたしを覗き込む女。
「ここは────、」
あたしの問いに答える声はなく。それでも、答えなんて必要はなかった。
目の前に広がっているのは知ってる光景で。なんなら、数十分前に見たものと同じ場所。
様々な人が行き交う賑やかな街並み。あたしの記憶なんかより賑やかで、あたしの記憶なんかより栄えている、暖かい街────。
「え、衛非地区────?」
恐らく、本来の賑やかさを取り戻しているであろう、衛非地区の街並みだった。
◇◆◇
……なんてあたしが状況に戸惑えたのもほんの数分のことで。気づけばあたしは件の二人に、街の中華料理店────『
なかなかにお年を召したおばあさんが、次々にテーブルへと料理を運び込む姿を、あたしはただ呆然と眺めていることしかできなかった。
『悪ィな婆ちゃん! たくさん頼んじまってよ!』
「あらあら、良いのよ〜! だってそこの子、治安官さんでしょ? ならたくさん食べてもらわないとね!」
「いやいや、あたしは別に治安局に所属してるってわけじゃ────」
否定の言葉を並べる暇すらない。気づけば目の前の机の上には、あたしじゃ到底食べきれない量の料理が並んでいた。
「こ、こんなに入らないぞ……?」
「大丈夫よ。いざという時は私も食べるから」
『おいアンビー、さっきも肉まん食べてなかったか……?』
「……ここに来てから、いくら食べても満腹にならないの。でも美味しいものはいくら食べても良い。幸福指数は一切変わらないわ」
……あたしの記憶が確かであれば、人工ホロウの中に入っていったはずだ。
馬鹿みたいな数蠢くエーテリアス、無数に待ち受ける讃頌会の信者────みたいな光景を想定して飛び込んだ反面、目の前に広がってる平和すぎる光景に、思わずため息を吐き出した。
『こんな美味そうな料理を目の前にため息吐くなんて、そんなに辛いことでもあったのか?』
「いーや、むしろその逆。……んまぁいっか。とりあえず……いただきます」
腹が減っては戦はできぬ、とは旧文明の人間もよく言ったものだ。事実腹の虫もやかましくて仕方ないし。
とりあえず目の前のシュウマイを口の中に放り込み、溢れ出る旨味に頬を緩ませながら。それでもとりあえずは、情報収集だ。
「あー……えっと。ビリーとアンビー、だったっけ?」
「ええ、そうよ。貴女は?」
「あたしは猫宮又奈。単刀直入に聞くんだけど、この街で讃頌会を見かけたことない?」
『さんしょォかい?』
……あ。あんまピンときてないみたいだ。ビリーの方は悩ましげに顎に指を添えて、明後日の方向に目を向けて。アンビーはスプーンを手に取り、炒飯を自分の皿に分けながら、
「……始まりの主を讃えてる、宗教団体のようなもの────であってる? 猫又はその連中を追ってるの?」
「ん、む────」
猫又。久々にその呼ばれ方をした気がするな。親しい連中にそう呼ばせてた期間はあるけど、なんとも無しにその呼び方がアンビーの口から飛び出したモンだから、あたしは飲み込みかけたシュウマイを喉に詰まらせた。
『そんな焦って食わなくても俺はオマエの分取らねェって! ま、アンビーは遠慮なく食うかもしれないけどな!』
がはは、と豪快に笑うビリーを他所に。とりあえずお茶で詰まったソレを胃袋の中に押し込みながら、あたしは小さく頷きを返す。
「そ。……白い礼服と気味悪い仮面を身につけた連中なんだけど。見てない?」
「……申し訳ないけど、ここに来てからは見てないわ」
んー……まあ、そうか。このホロウに入る前に、ここから大量に讃頌会の連中が雪崩出て来るのが見えたから……もしかしたら、とは思ったんだけど。
「……人工ホロウだってのは多分そう。んでもここの異常性だとか、その辺の収穫は無しか────」
「人工ホロウ? ……讃頌会のことはわからないけど……ここの異常性なら協力できるかもしれないわ」
何気なく漏れ出たあたしの独り言。それを受けて目を丸くしながら、アンビーは炒飯が乗ったスプーンを口元に運び、なんでも無いことのように────、
「私もビリーも含めて。この街で生活してる人はみんな、一度死んだ人なの」
「────は?」
とんでもないことを口にした。