……あたしの気分とは裏腹に、寝覚めは最高だった。ふかふかの暖かい布団の中で、朝日に意識を引っ張り上げられる形で目を覚ます。
眠気が尻尾を引くこともなくて。身体をゆっくり起こすと、そのまま大きく伸びをした。
「……さて」
街の中には異変は無し。このホロウの核があるとすれば────こっち側のラマニアンホロウの中くらいしか考えられない。
んまぁこのホロウがヤヌス区まで再現してるっていうんならそっちにある可能性もあるけど、その時のことはその時に考えよう。とりあえず今日も調査、調査。
ホテル備え付けの寝巻きから治安局の制服に着替えて、双剣を腰の鞘に収める。
鏡の前で身なりを少し整えて、気合いを入れ直すために大きく息を吐き出したのと────ほぼ同時。キンコーン、と甲高いインターホンの音が鳴り響く。
「誰だぁ? こんな朝早くに……」
朝食を持ってくるように頼んだ覚えはないし。眉間に皺を寄せながら、扉を押し開いた。
『よっ、猫又! おはよーさん!』
「おはよう、猫又」
「やー、そんな気はしてたけどさ……」
んまあ。あたしのところに来るのなんてこの二人くらいだよなぁ、実際。
「……で、何?」
『ンだよツレね〜なぁ。一緒に朝飯食いに行こ〜ぜ? 朝飯大事。超大事』
「機械人は飯食わないじゃん」
『それハラスメントだからなッ!? アンドロイドハラスメント!! アンハラ!!』
と、軽く揶揄いはしたけれど。あたしもお腹が減ってるのは事実。確かにちゃんと何かお腹に入れてから出たほうがいいか。
それから〜……まあ、ホロウに入るにあたって必要なもの。情報とかキャロットデータとか。二人が持ってるかもしんないし、とりあえずは素直に頷いておくことにしよう。
────と、いうわけで飲茶仙。二人に連れられて、昨日と同じ席、同じ席順で丸い机を囲んでいた。
各々朝食セットの注文を済ませて────ビリーは持参したオイルを何処からともなく取り出していたけど────お茶を啜りながらひと息つく。寝起きの体にお茶の暖かさが染み渡って気持ちがいい。
「……猫又。今日はどうするの?」
「んぇ?」
不意に問いを投げられたモノだから、思わず間抜けな声が口からまろびでた。
「どーするって……まー、仕事。ラマニアンに入りたいんだけどさ、キャロットデータとか持ってたりしない?」
『ラマニアンに? プロキシのアテはあんのかよ』
「やー、特には無いけど……んまぁ、どうにかなるんじゃない? とは、思ってる」
……痛いところを突いてくるなぁ、コイツ。すんなり『ああそうなんだ』とか流してくれればいいのに。
二方面から向けられる訝しげな視線。居心地悪くてホントに困る。
もぞもぞと身体を捩らせること数秒。そんな様子を見かねてか、アンビーが大きなため息を吐き出して、
「……危険よ。ホロウを甘く見てはいけないわ。プロキシにはアテがあるから呼んであげる。朝食をとったら行きましょ」
「まるでアンタまで付いてくるみたいな言い草するな〜……」
『いやトーゼンだろ。俺たちも行くぜ?』
「────、────ぁ」
言葉が、詰まる。喉元で何かに押し潰されたように、か細い呻きだけが漏れ出た。
……わかる。わかるよ。この二人は別に悪意があって言ってるわけじゃない。むしろ、この二人にとっては善意でしかないんだろう。
困ってる人が居る。危険な場所にひとりで突っ込もうとしてる。あたしだって立場が逆なら同じことを言う気がする。
だとしても。……いや、だからこそ、
「い、良いって。モノだけ貸してくれれば十分だからさ。あたしひとりでどうにでもなるってば」
「……? なんでそんなに嫌がるの? 貴女だって戦力は欲しいはずでしょ」
「いや、だから────!」
立ち上がりかけた腰を止めて、奥歯を強く噛み締める。料理を持って来たお婆ちゃんが気まずそうにあたしたちを見てて、居た堪れなくて。
「……これは、あたしひとりでやらなきゃいけないことなんだよ。アンタたちは尚のこと頼れない」
『俺たち、そんなに頼りねーか? これでも結構やれるぜ』
「そうじゃ、なくて……」
違う。違うんだよ。そうじゃない。二人は、知らないから────。
目の前に料理が並んでいく。アンビーとお婆ちゃんが何か会話してる。けどその声はまるで別世界でのやり取りのように、あたしの耳には入ってこなかった。
『……じゃあなんで、そんなに俺たちを頼るのを嫌がるんだ?』
真っ直ぐな問い。これまで聞いて来たビリーのものとは全く違う、真剣な声音。
二人の視線が、痛い。
「……、……この衛非地区は、讃頌会がラマニアンホロウの中に作った人工ホロウの中。あたしはその、人工ホロウを潰すためにここに来たんだ」
二人の顔が見れなくて。言葉を選ぶ余裕もなくて。
「わかるか? あたしは、この街を終わらせるためにここに来てる。その手伝いを頼めるわけなんてないだろ?」
それじゃあまるで、
「アンタたちに自殺を強要するようなモンじゃんか。もう一度死んでくれ、その手伝いをしてくれって頼めるわけないだろ?!」
────言った。言ってしまった。
……この街では誰もが笑っていた。この街はどうしようもなく平和だった。
暖かい光に包まれて、美味しいご飯を食べて……誰もが一度、『死』というどうしようもないほどの苦しみを乗り越えてここに居る。
あたしはまだ生きている。まだその苦しみを味わったことがないから、どれだけ痛くて苦しくて────怖いのかはわからない。
でも、だからこそ。知らないうちに終わるのが一番だったっていうのに、
「……そう。だとしても、私たちは貴女について行くわ」
『オウ。むしろ尚のこと、ってヤツだな』
二人の意見は変わらなかった。二人の声音は、変わらなかった。
「……なんでそんなに前向きになれるんだよ。意味わかんないじゃん。普通嫌がらない? むしろあたしのこと止めるとかするでしょ」
『いや俺からすりゃあこっちがなんで? って感じではあるけどもよ……』
机の上から視線をあげる。ビリーの困ったような表情が見えて。何やら少しの間、言葉を迷うみたいに『あー』だの『うー』だの呻いた後で、硬そうな頬を指先で掻いた。
『まァ死ぬ寸前とかはショージキ、苦しくて仕方なかったけどさ。もう死んじまったモンはしょうがなくね? って思うわけよ』
「……はぁ?」
『いや、いやな? 俺たちがメチャクチャに凹んでて、メチャクチャに落ち込めば生き返れるっつーんならそうするけどさ。別にそうじゃないだろ?』
「そうだけどもさ。別にそんな簡単な話じゃ無いだろって……」
『え、アレ。俺が言いたいことイマイチ伝わってない感じ……?』
……いやまあ、言いたいことはわかる。だとしても────辛くて、苦しかったんなら。今を楽しめているのなら、尚のこと。
けれど、何か言おうと口を開いた途端に。アンビーがため息をまた吐き出せば、あたしたちの会話に割り込んだ。
「……まあ、そうね。別に私たちも、簡単な話だって思ってるわけじゃない。正直今でも死んでしまったことは悲しいし、悔いのない人生だったと言えば嘘になる」
「だったら────、」
「でも。誰かに迷惑をかけているなら、ここで終わるべきだとも思うの」
……人工ホロウと、讃頌会。その単語からこの場所が、外の世界でどういった影響を及ぼしているのか察したのかもしれない。アンビーはそのまま運ばれてきた肉まんを手に取り、半分に割りながら、
「私たちがこうして普通に過ごしているのは、死を何とも思ってないからじゃないわ。悲しいと思っているし、辛かったと思ってる。……それと同じくらい、残してきてしまった人達には『良い思い出』であって欲しいと思ってるの。私たちを思い返した時、真っ先に浮かぶのは笑顔であって欲しい」
『そうそう、それそれ! だからせめてよ、今この場ではとびっきり笑顔でいたいよなって思ってんのさ。俺たちまで辛気臭くなっちまったらよ、向こう側の連中も前を向けねえって思っててさ』
「……
────言いたいことは、正直わかる。あたしだってそうだ。
死んでしまったその先で……もう一度生きられるチャンスがあったとして。両親と一緒に平和な日々を過ごしたく無いと言えば嘘になる。
でもそのチャンスが誰かの犠牲の上に成り立つのは嫌だ。気持ちはわかるんだ。とても。
でも、あたしは────、
「……だとしても、でしょ。自分から潰す理由にはならない」
暖かい夢。甘い夢。それが目の前で崩れ去る苦しみを、痛みを。あたしは知っている。
ほんの少しの沈黙がある。アンビーの視線はあたしには向かない。肉まんを頬張り、咀嚼して……吞み下すだけの間があってから。吐き出された声音はひどく冷たかった。
「……それが貴女の優しさなんでしょうね。でもその優しさは、時に誰かを傷つけることになる」
「ひ、人の気も知らないで────」
「ええ、貴女の気持ちは知らない。でも貴女も私の気持ちは知らない。でしょう?」
拒否を感じるほどの冷たさ。けれど、あたしのことを完全に否定してるわけではなくて、
「貴女の優しさはありがたく思うわ。でも、この街は私たちが見ている夢だから……私たちは今こうして、貴女と意思を持って対話しているんだから。手伝うかどうかくらいは、私たちの意思で決めさせてほしい」
『そーそー。ひとりで突っ走りすぎだぜ、猫又。俺たちはまだ嫌とも良いとも言ってないんだからよ。全部ひとりで決めないでくれよ』
二人の言葉が、あたしの決意を揺らがせる。
……正直な話、気は進まない。でもこの二人はきっと────あたしがいくら言ったところで、意思は曲げないんだろう。あたしが未だにこの二人を頼ることを迷っているのと同じように。
「……、…………わかったよ。勝手にして」
◇◆◇
────死者が暮らす人工ホロウ。その話を聞いて『成程』と納得する█が居た。
ここに来てからずっと抱いていた違和感。言うなれば、薄い靄にずっと包まれているような、そんな感覚。
ミアズマのソレとはまた違う。それでも、甘い夢をずっと見せられているような。都合のいい夢の中に浸っているような。
この街に停滞はあれど、この街に前進は無く。
この街に平穏はあれど、この街に現実は無い。
ソレを他ならぬ生者が終わらせるというのなら、美しい幕引きなのだと思う。邪兎屋の彼女が言うように、█たちが生者の歩みを止めるのはよろしくない。
まぁ、一旦はあの子達に任せてもいいかな。███を振るえるかすらわからない█は、とりあえず見守ることにしましょう。あの子────猫宮ちゃんの意思も、別に弱いわけじゃ無い。
確かにこの街は歯車が回り始めている。終わりという名の────正しい最後に向かって。
はい。ちょっと失礼します。
第五章、アウトロまで書き終わりました。……なの、で。五章完結までは週2投稿で行きます。水曜日と土曜日に更新があるので、よろしくお願いしま〜す!