……主人を失い、ホロウに貼り付けられていた『認知』のテクスチャが徐々に剥がれ落ちていくのがわかる。
次第に、教会の外から聞こえていたはずの戦闘音は止み始め、代わりに聞こえてきたのは雨の音だった。
ざあ、ざあ、と。バケツをひっくり返したような、激しい激しい雨の音。
屋根を打ち付ける雨粒の音を聞きながら、あたしは改めて────ステンドグラスに埋め込まれた、人工ホロウの核に向き合った。
……荒げた呼吸を整えるように。大きく息を吸って、吐き出す。
悴んだ手の感覚を取り戻すように。大きく開閉を繰り返してから、双剣を握り直す。
「……これで、この場所はおしまい」
死者の街を────その認知を生み出していたイドリーはもう居ない。
あの温かな澄輝坪はきっと、もう存在しない。あの街で暮らしていた人たちも、また。
「……せめて安らかに逝けたかな」
『おう。これから安らかに逝く予定だぜ』
「ええ。ちゃんと最後を見届けてから」
……、………………。あの。本当にさ、コイツらは。
「情緒ってモノがないのか? 二人してさ。なんでまだ居るの」
「何故かしらね。わからないけど、まだここに居るわ」
『でもツイッギーのヤツが、ホロウの核を壊せば終わりっつってたな』
ああそう。そっか。別に良いけど……最後に顔くらいは見たかったし。あと、まあ……、その。
「……そっか。ありがとね、二人とも。あたしの手伝いしてくれて。正直めちゃくちゃ助かった。……って、言っときたかった」
『いーんだよ、別に。俺たちゃあトーゼンのことしたまでだぜ』
「そうね。礼には及ばないわ」
なんとなく、この二人ならそう言うと思ってたけど。だとしても、礼のひとつくらいは言っておかないと気が済まないから。
二人が柔らかな笑みを浮かべている。徐々に身体の端からエーテル粒子となって宙に溶けていく。二人も終わりの時間が近いのだろう、と。短い付き合いでも寂しく思うあたしがいて。
「……そういえば、あたしを助けてくれた白い道着の人……知らない? その人にもお礼言いたかったんだけど」
「ああ、彼女。……気にしなくて良い、やるべきことをやっただけ、って言ってたわ」
そっ、か。そうか。直接言えなかったのが心残りではあるけど。本人がそう言うなら、無理強いはできない……か。
あたしたちの間に微妙な沈黙がある。お互い、何を話していいのか迷っているような沈黙だった。
……なんだろう。コイツらが普段おしゃべりだったからこそ、この沈黙が気まずくて仕方ない。
思わず身じろぎをして。ここらで話を切り上げておくべきかと思い直したあたりで、アンビーがゆっくりと口を開く。
「……猫又。ひとつ頼んでいい?」
「うん? 別にいいぞ。あたしの手伝いしてくれたんだ、頼み事のひとつくらいなら」
「ありがとう。……これをね、私たちの妹に────ううん。ハリンに、渡して欲しいの。きっと、貴女ならすぐ出会えると思うから」
差し出されたソレを、あたしがしっかり受け取ったのを確認すると、アンビーは満足げに一度だけ頷いて。それきり、何も言うことはなかった。
きっと、これであたしたちの関係は終わり。たった数日だけの、死者と生者の奇妙な共同戦線。
お互いに別々の所を向きながら、未来へと進んでいくのだろう。
「それじゃ、またね」
『オウ、猫又。元気でな』
「ええ、また」
短い短い最後のひと言。二人の顔から視線を外し、人工ホロウの核へと剣を突き立てる。
核がひび割れ、砕け散る音が教会に響いて。甘い夢は、終わりを迎えた。
◇◆◇
教会の屋根の上。確かにホロウの核が砕け散る音を聞きながら、私は短くため息を吐き出す。
これでこの夢は終わり。夢に囚われていた魂たちは、また長い長い旅路へと戻っていくのだろう。
このホロウに入り込んだ生者────彼女もまた。長い旅路を行くのだろう。
「……
不意に名を呼ばれ、肩越しに視線を向ければ。何か言いたげなアンビーさんと目が合った。ついでにひょっこりとこちらを覗き込むビリーさんも。
「良かったって、何が?」
『いやいや。アンタも
ああ、そっか。二人にはそんな話をしたんだっけ。
「……ふふ。いーの。あの子は私より強いもの。私の言葉なんてなくとも頑張れるし、頑張ってると思うから」
……それに、
「それにね。私の言葉で、あの子を縛り付けたくはないから」
あの子にはあの子の旅路がある。あの子にはあの子の自由がある。
きっと上手くやっている。そう信じることこそが、姉としての最後の仕事だと思うのだ。
◇◆◇
死者から受け継いだものを抱えて、死者から受け取ったものを抱えて、走っていく。
あちこちで火の手が上がるラマニアンホロウ。雨でぬかるんだ地面を蹴って、前へ。
「────、っ、は」
戦争はまだ終わってない。多分
まずは朱鳶と連絡をとって、戦況を確認して────それで。
ちゃんとホロウを閉じた、と。少しでも安心させるために、伝えてやらないといけない。もうあっちは気づいてるかもしれないけど。
こっちの澄輝坪に足先を向けて、呼吸を整え直した、その時に。
「────!? なん、何!?」
空を分厚く覆った雨雲が、たったひと振りの斬撃で────割れて吹き飛んだのを目にした。