巴さんと輝夜ちゃんに続く形で、モニターと配線だらけの部屋に入る。お兄ちゃんが後ろ手に扉を閉めた途端、歪な団欒は私の耳に届くことは無くなった。
ここの扉は随分と分厚いらしい。正直、これ以上あの声を聞いていたら気がどうにかなってしまいそうだったから助かる。内心、ホッと胸を撫で下ろして、
『巴さん。本来の目的は猫宮じゃない、って言ってたけど。これ?』
「うん? ああ。こんなメチャクチャなホロウの中、猫宮も赤牙組も迷うことなく活動しとったからな。キャロットデータとか持ってるんじゃねーかと思うてたけど・・・・・・ビンゴやね」
迷うことなく、巴さんは部屋の中央の箱に歩み寄れば。その中からメモリーカードを引き抜き、私に投げ渡してくる。
「これでヤツらも思うように動けなくなるやろ。あとはそこを叩くだけや」
「あとは消化試合、というヤツかな」
「せやな。ま、こっからが一番大変でもあるけども」
この家の何処かに潜む、猫宮以外の赤牙組。ソイツらを見つけて、とっちめるなり治安局に差し出すなり。確かにここからの作業が一番大変ではあるかもしれない。
気合いを入れ直さないと。なんて、大きくため息を吐き出した────その途端。
『え、な。何!?』
揺らぐ視界。部屋の壁と床が渦巻き、ほんの一瞬の浮遊感。
辺りからエーテル粒子が天井を目掛けて立ち上り、私たちの視界が紫と疎な黒に染まっていく。
浮遊感すら覚えるその光景。吐き気すら覚えるその光景。
思わず尻餅をついた、その後で────、
◇◆◇
見られた。見られた、見られた!
最悪だ。本当に────、
『何や、襲いかかって
「違う!! 夢なんかじゃ、夢なんかじゃない!! 偽物じゃない、だって、だって!!」
触れたお父さんとお母さんには暖かさがあった。柔らかさがあった。笑いかける顔も、声も、あたしの当時の記憶のままだった。
だから夢じゃない。あたしの現実だ。だっていうのに、
『生暖かい夢に浸って────』
「ッ、ッ、────」
頭の中で繰り返し響くその言葉が、その声が。
『ははは、又奈はお転婆さんだなあ。また怪我しても知らないぞ?』
『もう又奈ったら・・・・・・いっつも洋服を洗濯するお母さんの気持ちにもなってよ』
「やめて・・・・・・」
あたしが不在のまま進む、あたしの家の団欒が。
『それは又奈も悪いぞ。全く、誰に似たんだか・・・・・・』
『お転婆加減はお父さん似でしょう? 顔は私。お父さんに似なくて良かったね、又奈』
「やめてよ────」
あたしの否定する言葉を、思いを、ねじ伏せる。
アイツらから逃げるみたいに足を回す。出鱈目に扉を開いて、くぐって。見慣れた家の部屋を過ぎ去って。あたしが今、どこに居るのかすらわからない。
ポケットから端末を取り出せば、定期的に更新されるはずのキャロットデータが届いていなかった。
今どこに居るのか。どうすればここから出られるのか。それすらも今のあたしにはわからない。
────自分の家なのに?
自分の家で迷うヤツがあるか。
そう、ぼんやりとでも思ってしまったからだろう。
「あ、あ────」
崩れていく。歪んでいく。
あたしが現実だと信じたかった光景が。縋っていた温かい日々が。
身体が浮遊するような錯覚すら覚える、エーテル粒子の波の後で。
知ってる光景が崩壊した、その後で。
あたしは。知らない光景の中に、取り残された。
◇◆◇
『なん、な・・・・・・何?』
エーテル粒子の波が収まる。尻餅をついたまま辺りを見回すけど、この部屋自体には特に変化はなくて。だから私は困惑の声をあげるしかなかった。
お兄ちゃんも私と同じように戸惑いながら辺りを見回しているけれど。その中で、巴さんはとても冷静だった。
小さく息を吐き出した後で私たちの横をすり抜けて。そのまま扉を引いて、
「ああ、無事戻ったか。キッカケはメモリーカードか? まあよくわからんけど。これで幾分かやり易いな。同じ光景ばっかでうんざりしとってん」
部屋の外に出て、目一杯に空気を吸い込むように。空を仰いで深呼吸した。
確かに部屋の外には正常な光景が広がってる。十二分街の、私が知らない街並みだ。
どうやら、私たちが居た配線だらけの部屋────その元の姿は一件の小屋だったらしい。外に出て辺りを見回せば、見慣れないお店ばかりで・・・・・・街の人たちはそこには居ないから雰囲気自体を感じ取れるわけではないけれど、こうして眺めているだけで結構楽しかった。
・・・・・・けど私は今回観光しに来たわけじゃない。呑気にあちこちを見回す余裕もあまり無いのだ。やることはまだ残ってる。
「あ、リンチャン、アキラクン。キミらはあんま、その小屋から出ぇへん方が
「うん? どうかしたのかい?」
「元に戻って早々────ボクらにお客さんや」
辺りの建物の影、屋根の上。そこら中から、私たちを狙う影が顔を出す。
エーテリアスでは無い。完全な人型のそれらは、白い衣服を身に纏い────誰ひとりの例外はなく、不気味な仮面でその顔を覆い隠していた。
「赤牙組じゃなく讃頌会か。こりゃあキナ臭くなってきたなァ〜・・・・・・おねーちゃん」
無数の影が────讃頌会の信者たちが、巴さんに迫る。屋根から飛び降りる者、懐から得物を取り出し、構えながら駆け寄る者。その姿は様々だ。
「じゃあ、頼むわ」
「────、────」
それらを、眩いほどの光と共に。吹き荒ぶ風が薙ぎ払う。
雷のようだった。遅れてやってきた轟音と共に、輝夜ちゃんが巴さんの目の前に躍り出る。
体中から数秒前に私の視界を焼いた光と同色の、空色の稲妻を迸らせて────肩越しに背後の私に視線をやれば、
「リンチャンも小屋の中に戻っとって、やって。おねーちゃんの戦い方はちと荒っぽいからな」
巴さんの言葉に頷くのが見えた。正直とても頼もしい。けど、何だろう。今の輝夜ちゃんには、少しばかりの違和感がある。
正体のわからない違和感を胸の内に抱えて、私は急足で小屋に戻って。輝夜ちゃんが讃頌会の撃退を再開したのと同時に、モヤモヤの正体に気がついた。
「目の色が、変わってる────?」
私の胸の内を代弁するようなお兄ちゃんの言葉に頷いて、構え直した輝夜ちゃんを注視する。
吸い込まれるような黒い瞳。それが稲妻と同じ空色に変色していて、淡い光まで放っているのがわかる。
稲妻を纏いながら跳躍する輝夜ちゃん。そのまま人影のひとりに打ちつけた掌底は、まるでショットガンの発砲音のような凄まじい音を響かせ、地面を揺らすほどの衝撃を生んだ。吹き飛んでいく信仰者を見やりながら、肘から飛び出すカードリッジ────その姿は、正しく。
『か、輝夜ちゃん知能機械人だったの・・・・・・!?』
「なんや、今更気がついたんか」
のんびりとした足取りで、小屋の中に戻ってくるなり私の隣にしゃがみ込んだ巴さんが、心底意外と言いたげな顔で私を見つめた。
いや、まあ・・・・・・機械人、というには見た目が人間にあまりにも近いし。身体をまじまじと見たわけではないけど・・・・・・身体の部位同士を繋ぐ、繋ぎ目の部類も無いように見える。
「ま、疑いもしなかったんならグレース姉さんもおねーちゃんも喜ぶやろ。おねーちゃんが着けとる人工皮膚は、グレース姉さん製やし。おねーちゃんは『禁断の果実テスト』を合格した、れっきとした機械人」
次々輝夜ちゃんを撃退しようと迫ってくる信徒。それの喉元に拳を撃ち。回し蹴りで足を払い、倒れ込んだ信徒の仮面に肘鉄────その打撃の数々の中で、毎度聞こえてくる炸裂音。
多分、手のひらだけじゃなく身体の至る所に銃口のような物があるんだ。そこから『何か』を打ち出すことで、打撃の勢いを増している。今も掌から放ったソレの勢いで空中で軌道を変えたりと、信徒達は輝夜ちゃんの動きを目で追うことすらできていない。
機械人由来の運動能力から放たれる打撃。それだけじゃなく、身に纏った稲妻のせいで感電までしてしまうから、やりづらいだろうなと他人事ながらに思った。
確かに戦い方は荒っぽいと言うか、豪快で。近くにいれば私────イアスまで怪我してしまうだろう。
「おねーちゃん、鬼強やろ?」
『うん、すごいと思う。このままなら全員────』
問題なく倒せる。そう思ったけれど、戦場の雲行きが変わった。
それに真っ先に気づいたのは私とお兄ちゃん。讃頌会の信徒たちは各々私たちが意味を理解できない言語の詠唱を呟き、それに呼応するように各々の足元にエーテル粒子の渦が巻き起こる。
「────リンチャン、今のは『フラグ』っちゅーやつだったかもな」
巴さんが変化に気づいたのはその数秒後。
信徒の影から這い出るエーテリアス。輝夜ちゃんを取り囲む信徒は少なく見積もっても二十と少し・・・・・・ソイツら全員が、同じようにエーテリアスを呼び出すことが出来るとすれば。
「マズいな。話が変わってくる。おねーちゃん、今日対人用の空気弾しか積んできて無いねん」
「それは────」
「ああ。素の能力で少しの間はどーにでも出来るかもしれへんけど、ジリ貧になってまう」
その言葉の通り、今は輝夜ちゃんの有利で進んでいる現状。けれどその表情には少し苦いモノが現れており、被弾する前に潰す、と立ち回っていた輝夜ちゃんの動きが後手に回り始めた。
エーテリアスから放たれる攻撃。それを寸での所で身を翻して交わし、コアを的確に破壊する。視線を巡らせ、次の標的を定める前に新たなエーテリアスが生み出され────と、戦闘能力がない私から見ても、状況があまりよろしくないことはすぐにわかった。
このままでは私たちが数の暴力に押し負ける。焦りを覚えて思わず掌を握る私に、返ってくる硬い感覚がある。
『そうだ! それなら────』
私の掌にはキャロットデータが記録された、メモリーカードがある。これをイアスに読み込ませて、輝夜ちゃんがジリ貧になる前に脱出ルートを算出すれば良い。なるべく早い道、なるべく近い道で。
「待て、待てリンチャン。それは落ち着いてからの方が」
『大丈夫! これでも優秀なプロキシなんだから。依頼を受けたからには、二人を無事に街に帰すよ! 赤牙組の掃討は一度帰ってからでも大丈夫でしょ?』
「ちゃうねん、違くて」
何やら焦る巴さんを他所に、私はイアスの額へとメモリーカードを差し込む。
その一瞬。私の視界データにノイズが走った。
『ぁ、ぇ?』
「ああ、言わんこっちゃ無い────!」
目の奥。目の奥が、熱い。知能水晶体がオーバーヒートを起こしているような。
近い感覚で言えば、向こうの私がした強制アップデート────あの時の感覚によく似ていた。
目の前に無数のウィンドウが表示される。過ぎ去る文章は速すぎて、読むことは叶わなかったけれど。
Fairy.exe_起動
赤い文字で視界に映り込んだその文字を最後に。
私の意識は、バツン、と電源の切れたテレビのように。暗闇の中へと落ちていった。