戻らない。元に戻ってくれない。
あたしの頰を撫でる風はいつも以上に冷たく感じて。いつも以上に冷えていて。それでも、あたしの熱った思考を冷ましてはくれなかった。
例え夢だと言うのなら、例え都合のいい夢だと言うのなら。覚めて欲しくはなかったのに。
あたしの思考は夢から覚めて、私の思考の熱は冷めないで。思い通りにいかない現実が、そこには在って。
「ゔ、ゔぅぅ・・・・・・ゔう、」
思わず蹲る。思わず唸る。思考と反比例するみたいに寒くて冷たくて震える身体を抱いて、無常に叩きつけられる〝現実〟から身を守る。
────奪われた。奪って行った。
一度覚めてしまった夢の続きをなかなか見れないのと同じように。あたしの甘い夢は、掌からこぼれ落ちて行った。
そもそも、なんであの暖かい空間に固執していたのか。
そもそも、何故あの居場所に狂う程固執していたのか。
それすらも最早思い出せないけれど、あたしの掌にはただただ悲しさと虚しさだけがあって。
悲しさと虚しさは抱いた身体に溶け込み、怒りへと変わっていく気配が在る。
奪われた。なら、あたしもそれだけ奪わないと。
着慣れた衣服のポケットから、あの女に渡された物を取り出す。
『もし、何かがあった時。貴女の全てを邪魔する誰かが現れた時、これを使いなさい』
記憶の奥底に根付くあの女の言葉。
これを使うなら、今しかない。
取り出したソレの細い細い針が、真上に登った太陽に反射して。怪しく煌めいていた。
◇◆◇
十二分街を取り戻す。讃頌会を追い払う。
そう決めたからには早くに行動を起こしたくて、会話も程々にお兄ちゃんたちは社用車で十二分街に蜻蛉返りして行った。
手元に置かれたスマートフォンのスピーカーからは、頻りにエンジン音と車体が揺れる音が聞こえてくる。
電話越しの作戦会議。少しでも時間を有効活用する形だ。
『スマンなアキラクン。体力とか平気か? しんどかったら運転変わるで』
『いや、特に問題はないよ。僕はホロウの中じゃ、大して役に立てないからね』
『謙遜しよる』
『ただの事実だよ』
そんな会話を聞きながら、私は改めて画面に浮かぶFairyへと視線を合わせた。
「ねえ、Fairy? 讃頌会と赤牙組が、あのホロウで何をしようとしてたか、とか。知ってたりしない?」
この子は十二分街のホロウに囚われていた。だとすれば、私たちよりあの内部のことや讃頌会のことに詳しいだろう。そんな一抹の希望を抱いて問いを投げてみたものだけれど、
『・・・・・・申し訳ございません、マスター。その点は、この超有能天才助手である私でも、お力にはなれません』
「自我強いなこの子」
それでいて何処か人間らしい。AI特有の合成音声じゃなければ、人間と対面して話している感覚に近かった。
でもそうか、何も知らないか。
応えを聞いて項垂れる私に、Fairyは『ですが、』と言葉を続ける。
『いくつか提供できる情報はあります』
「本当?」
『はい。讃頌会の────サラ、と呼ばれていた女性は、私に『自我』が存在することを知っていたようでした。全機能の権限を彼女に渡すことはありませんでしたが、それでも外の様子を伺うことはできる。そして、彼女はソレを知っているようで・・・・・・徹底して、私の認識できる範囲では決定的な話題を避けるようにしていました』
「なるほど。便利そうなモノが手元にあるからよくわかんないけど使ってる、と言う感じじゃなかったんだ」
『肯定。私を介し、外部に情報が流れる可能性を考慮し、それでいて的確かつ合理的に私を使用していました』
それがあのケーブルだらけの部屋、ということか。どういう経路でFairyが讃頌会の手に渡ったかはわからないけれど。
Fairyは不服そうに目を伏せている。まあ確かに、気分のいいモノでは無いよね。Fairyからしてみれば。
『あの十二分街のホロウは『ケセド』と呼ばれていました。あのホロウは通常のホロウと違い、特殊な能力を持ち得ています』
「あー・・・・・・あの無限に続く部屋、というか。再現された家のこと、だよね」
『はい。あのホロウは
「つまりはあのホロウの中では想像が具現化するとかそういうこと? じゃあ想像できる限りはなんでも出来るってことになっちゃわない・・・・・・? 例えば、石ころをディニーに変えるとか」
『否定。ある程度の権限、制約が存在するようでした。誰もが〝そう〟というわけではありません。あのホロウにオーナーとして定められた人物────猫宮又奈の意思を強く反映しているかと』
「その結果があの無限に続く家ってことか・・・・・・」
まあ、それはそうだよね。誰も彼もが好き勝手出来るような無法地帯になってるなら、十二分街は今頃もっと酷いことになってたはず。
でもそこまで聞いて余計にわからなくなってきちゃったな。讃頌会や赤牙組────猫宮はあのホロウを維持して、何がしたいのか。
私たちを発見した時の讃頌会には敵対心があった。それこそ、ホロウに侵入した私たちを排除・・・・・・Fairyの他にも見られてはまずいモノがある、とか。あのホロウを深くまで探索されたら困る、だとか。Fairyを取り返そうとする動きにも見えたけど。これはあくまでも想像の域を出ない。
讃頌会の目的は、始まりの主と呼ばれる何かの召喚────だったはず。だとすれば、猫宮みたいな人間をあのホロウの主には選ばない気もしてきた。それこそ、認知の力を使って始まりの主を呼び出すとか・・・・・・。猫宮と讃頌会が協力関係にあるのなら、という前提にはなっちゃうけども。ゔーん、わかんない。
『・・・・・・また認知、か。最近その手の話をよく聞くな』
なんて思考を巡らせていると、スピーカーの向こうからボソリと呟くお兄ちゃんの声が聞こえてきた。
「うん? どうかした、お兄ちゃん?」
『いや、何でもないよ。Fairy、話を続けてほしい』
・・・・・・うまく聞き取れなかったけど。お兄ちゃんを問い詰めるのは今じゃない。Fairyから貰える情報を優先すべきだ。
『サラは私を利用し、『ケセド』内部のデータを収集、配布を行っていました。『ケセド』の裂け目────扉の向こう側の座標の変更、並びに〝隠し扉〟の位置の変更は通常のホロウより早く、そして多いので。この超有能天才助手の存在がなければ、まともに歩くことも難しいのでしょう』
それは身をもって知ってる。部屋の中の扉を閉めて、開け直しただけで別の場所に繋がって。座標まで移動する奇妙な感覚は経験済みだ。
けど。まるで、
「その言い分だと、Fairyはホロウ内部をリアルタイムで全部把握できるってことにならない?」
『肯定』
「・・・・・・出来るの?」
『出来ます』
「ああそう・・・・・・」
なんか麻痺してきてるのかも。あまり驚かなくなってきたな。まあ、それくらい出来る子でも不思議じゃないか。讃頌会が利用していたくらいだし。
『そして、ケセドホロウ────その隅に位置する『
『明確に空裂閣の何処、という特定はできないのかい?』
『はい。言うなれば塔全体から強いエーテル反応が放たれているようなモノです。ソレ自体が怪しいことはわかりますが、何処が明確に怪しい────というモノでは無く』
空裂閣といえば、十二分街のトレードマーク。空に向かって高く伸びる塔。
中には結構部屋があったと思うけど、ソレ自体が怪しいとわかっただけ収穫はあった。
ホロウの中に現れた讃頌会。そして、強いエーテル反応。アイツらが何かをしてるなら、多分そこだ。
◇◆◇
「結局、戦闘できるようなヤツの増援は無しか・・・・・・薄情なヤツらやでホンマに」
『だから僕は周りともっと仲良くしておくべきって話をしてたのに。巴、友達少ないもんね』
「余計なお世話や。アンインストールすんで」
少しの時間が過ぎ去って、十二分街────『ケセド』の中。アルテミスの二人が装備を整え直すのを待って、私たちはホロウの中を駆けていた。
『一時の方向に裂け目。次はそこを潜ってください』
「了解!」
あの時、作戦会議で放ったFairyの言葉に嘘は無いようだった。確かにこの子はホロウ全体の裂け目やエーテルの流れを把握していて、最短距離の計算が馬鹿みたいに早い。
裂け目を潜るたびに座標を確認してるけど、私たちが行う計算なんかよりよっぽど効率的で。目安にしていた時間の半分以上の短さで、目的地に着ける見通しだ。
『すっごいね、Fairy・・・・・・私たち要らなくなっちゃうなこれ』
『超有能天才助手へ、これに以上ない賞賛を求めます。それにより、私の演算効率も二倍になる期待が────』
「ああリンチャン、あんまこの子ら調子に乗せん方が
『胡散臭い糸目眼鏡の言葉と、この超有能天才助手の言葉、マスターはどちらを信用なさいますか?』
「何やこいつ。なあゆーチャン、オマエの〝きょうだい〟歪みすぎてへん? 親の顔が見てみたいわ〜。修正パッチ配布しろや」
横を走る巴さんの睨みつけるような視線が私に突き刺さる。私じゃなくてFairyを睨んでるのはわかってるんだけど、自分より大きな相手に睨まれるのはあまり気分が良くない。思わず口元を歪めて、小さくため息を吐き出した。
『け、喧嘩しないで二人とも! Fairyもあまり煽らないの。ほら、そろそろ着くよ!』
何とか会話の流れを断ち切る。裂け目を潜る独特な感覚があり、一瞬の視界の暗転の後。私たちは、目的地に辿り着く。
色鮮やかな看板が立ち並ぶ飲み屋通り。ソレを見下ろすように、空に向かって佇む立派な塔。頂上に位置する展望台はホロウの膜の外側に飛び出していて、私たちには視認することが出来ない。
『初めて見たけど、迫力すごいね・・・・・・立派だあ』
「せやろ? ま、今は観光地としては機能してへんけど・・・・・・感傷に浸る暇はあらへん。さっさと中に入ろうや」
巴さんの言葉に、私たちはそれぞれ頷いて歩みを進める。一歩、一歩。なんとも無しに塔を見上げていた私の首が痛みを覚え始めた所で、
『待って! 生体反応!!』
『急速で接近。距離、二十、十、五メートル────』
そんな観光気分が抜けない私の思考を覚ますようなAI二人の声が、私の思考を現実へと引き戻す。
────轟音。地面が揺れるような衝撃が背後から足元へと伝い、私は咄嗟に振り向いた。
ソレは、エーテリアスであった。白と黒を基調とした肉体に、頭部には黄色の奇妙なひとつ眼。
膨張した両腕の筋肉はまるで別の生き物のように脈動し、頭部のひとつ眼が獲物を定めるように────ギョロリ、と。私たちを見た。