十文字会頭と真由美が生徒会室に戻ると、扉の閉まる音で外の気配が切れた。
真由美が小さく息を吐く。
「あの魔法……どう思う?」
「藤丸だな」
十文字会頭が言葉を継いだ。
真由美の表情が、会長の顔に戻りきらないまま揺れる。
「ええ。発動の瞬間、何かが“飛んだ”のは分かった。でも、何かまでは見えなかった」
言葉の端に、さっきの動揺が残っている。
「発動も早すぎたし……あの威力で飛んでくるものがあるって思うと、正直ぞっとするわ」
十文字会頭は少しだけ視線を落とし、言い切った。
「俺の目には——小柄な“人影”が見えた」
「……人影?」
真由美が目を丸くする。
「ああ。剣のようなものを持っていた」
十文字会頭は淡々と続ける。
「その一撃で障壁を裂かれた。あの感触なら……ファランクスでも抜かれる可能性はある」
「ファランクスでも……!?」
真由美の声が思わず跳ねた。
十文字家のファランクス——“障壁”の代名詞みたいに語られるそれが、破られるかもしれない。
十文字会頭は表情を変えないまま、言葉を落ち着かせる。
「ただし、藤丸は“待機状態”だと言っていた。準備が必要な類だろう。即応や連発ができるタイプには見えない」
真由美がゆっくり頷く。
「……なるほど。古式は現代魔法の体系に乗らない分、変な“条件”が付くことも多いものね」
「結論としては——」
十文字会頭が言葉を区切る。
「あれは脅威ではある。だが“最初の一撃”さえ防げれば、後はどうにでもなる」
一拍置いて、続ける。
「魔法に関してはこちらから詮索して揉める必要はない。条件が分からない以上、触れば余計にこじれる」
真由美は少し考えてから、会長の口調に戻した。
「じゃあ、しばらくは様子見。必要なら……摩利にだけ共有しておく」
「それでいい」
十文字会頭が頷く。
真由美は椅子を引き、扉へ向かった。
けれど手をかける直前に立ち止まり——振り返る。
「十文字くん」
十文字会頭が目だけで応じる。
真由美は少しだけ笑って言った。
「……ありがとう。さっき止めてくれて。私、ちょっと取り乱してた」
「いい。気にするな」
十文字会頭は短く返した。
真由美は小さく頷いて、今度こそ扉を開けた。
玄関の鍵が静かに回り、司波兄妹は家に戻った。
リビングのソファに腰を下ろすと、二人きりの空間になる。
「……お兄様。あの魔法、どう思われますか」
深雪が少し不安そうに尋ねる。言葉を選びながら続けた。
「十文字会頭の障壁が……切られました。会長も、渡辺先輩も驚いていました。お兄様は……何か見えたのでしょう?」
「……俺の目には、“そこに何かがいた”」
達也は淡々と言った。
「輪郭は曖昧だ。視認できたのは……現象の中心に“剣を持った人影”が見えた、それだけだ」
深雪が小さく眉を寄せる。
「人影……」
「だが、発動した魔法式と、結果が噛み合わない」
「それは……古式魔法だからでしょうか?」
深雪が慎重に問う。
「可能性は高い」
達也は即答せず、言葉を整えてから頷いた。
「古式は現代魔法の理論に当てはまらない現象を引き起こせる。……何かを“呼び出す”類だと推測できるが、断言はできない」
深雪は悩みながらも、希望を口にする。
「……でも、藤丸さんは危険な人ではないと思います。今日も、最初は乗り気ではありませんでしたし」
「同感だ」
達也は短く肯定した。
だが、そこで言葉を止めずに続ける。
「ただ——入学初日を覚えているか」
「入学初日……」
深雪が一瞬考えて、はっと顔を上げる。
「……あっ。藤丸さんがCADを向けられた時、今日と同じように空気が重くなりました」
「それだ。だがあの時、藤丸はCADを操作していなかった」
達也は静かに頷く。
「本人が制御できていないのか。あるいは——」
達也はそこで言葉を切り、深雪を見る。
「深雪。先に言っておく。俺は藤丸を敵だとは見ていない」
「……はい」
深雪は頷くが、続きが気になって仕方ない。
「ただ、情報が少ない」
達也は淡々と、結論だけを置いた。
「対策はしておきたい。深雪も藤丸について気になったことがあれば話してくれ」
深雪の頬が、少しだけ緩む。
「……お兄様らしいです」
達也は返事の代わりに、グラスを机に置いた。
「明日も普通に接する。変な探りは入れない。日常の範囲で観察する」
深雪は小さく笑って言う。
「はい。私もマシュさんと、もっとお話ししたいです。ですから藤丸さんとも、できれば良い関係でいられたらと思います」
達也は一拍置いてから、小さく微笑んで静かに頷いた。
「それでいい」
夜の静けさが戻る。
けれど達也の中には、さっきの“裂けた境界”の感触が、まだ残っていた。