翌日――いよいよ九校戦本番。
藤丸は観客席に上がり、マシュと一緒に第一高校の応援席を探していた。
ざわめき、アナウンス、空気の張り。昨日とは別の緊張が、会場全体に漂っている。
そのとき、ふと気づく。
(……モルガンの気配がない)
普段なら、霊体化していても“そこにいる”感じだけは分かる。
なのに今朝は、それすら引っかからない。
(ハベにゃん。モルガン知らない?)
(うーん? そういえば朝から見てないね)
(まあ、モルガンなら心配ないけど……見つけたら教えて)
(いいよ〜)
短いやり取りを終えたところで、藤丸は達也たちを見つけた。
応援席の一角。見慣れた顔が揃っている。
藤丸は近づき、軽く手を上げた。
「おはよう」
「おはよう、藤丸」
達也が先に返し、みんなにも順に挨拶を交わしていく。
挨拶が一段落すると、雫が端末を見ながら今日の流れを簡潔に教えてくれた。
「初日は、午前が七草会長のスピード・シューティングの予選。午後に決勝」
「その後、バトルボードの予選。渡辺先輩が出る」
「楽しみだな」
藤丸がそう言うと、ほのかが小さく笑って頷く。
マシュも「はい」と短く答えた。気持ちは前を向いている――そう見えた。
――そのとき。
背後から、聞き覚えのある声が落ちてくる。
「我が夫」
藤丸の背筋が反射で伸びた。
振り返ると、そこに立っていたのはモルガンだった。
霊体化の“気配”じゃない。普通に、目で見える。
しかも服装が……やたらと“溶け込んでいる”。
上品な淡い色のワンピースに、薄手のショール。つばの広い帽子とサングラスまで完備。
一見すればどこかの観戦客――なのに、近づくほど隠しきれない圧がある。
「モルガン!? なんで、げん……ここにいるの!?」
“現界してるの!?”と言いかけて、藤丸は慌てて言い換えた。
モルガンは何でもない顔で頷く。
「もちろん。我が夫と観戦に来たに決まっているでしょう」
言外に「何を今さら」という温度がある。
そのまま自然な所作でモルガンは藤丸の腕に絡みついた。
「モルガン――!?」
「何を恥ずかしがっているのです。我が夫」
モルガンはそう言って微笑む。
微笑むだけで、周囲の空気が一段固まった。
ほのかが恐る恐る口を開いた。
「あの……藤丸くんと、どういう関係なんでしょうか……?」
「言ったでしょう。“我が夫”と」
モルガンはさらりと言い切り、絡めた腕に少しだけ力を入れる。
「し、雫……ど、ど、どうしよう……」
昨夜の会話でマシュの気持ちを知ってしまったほのかは、小声で雫に救援を求める。
雫は表情を変えないまま、困ったように視線を逸らした。
(分かるはずがない)――そう言いたげに。
そして。
空気を切るように、マシュが一歩前へ出た。
「モルガンさん。お久しぶりですね」
礼儀は崩さない。けれど声に、いつもの柔らかさが少しだけ足りない。
「ここにいらっしゃる理由は……私には分かりません。ですが」
マシュは藤丸の反対側に立ち、そっと――しかし確実に腕を取った。
「もう少し、先輩から離れていただけますか?」
棘、というほど露骨ではない。
モルガンはマシュを見て、微笑みを消さずに目だけ細める。
藤丸は左右から腕を押さえられたまま固まった。
(……あ、これ、まずい)
九校戦初日。試合が始まる前に、別の火種が立ち上がろうとしていた。
「ふふ。冗談です。ねえ、立香」
モルガンはそう言って、意外なほどあっさり藤丸の腕から手を離した。
拍子抜けするほど簡単に、だ。
ハラハラしていたほのかが、ほっと息を吐く。
「……で? 結局この人、誰なのよ」
エリカが藤丸に詰める。
「えっと……」
藤丸が答えを探して一瞬だけ目を泳がせた、その隙に。
「親戚の姉です。モルガンと言います」
モルガンが、さらりと“平気な嘘”を差し込んだ。
しかも自己紹介として妙に整っている。
「は!?」
藤丸が反射でツッコミかけたが、モルガンは涼しい顔のまま続ける。
「一人だけ仲間外れは良くありませんね」
そして、指先を軽く鳴らして言った。
「ハベトロット。出てきなさい」
「うぉっ!?」
空気がきゅ、と縮んだかと思うと――小さな影が、ぽん、と現れた。
「ちょっとモルガン! そういうのは先に言ってよね!?」
ハベトロットが思わず声を上げる。
「? 必要ないでしょう」
モルガンは本気で不思議そうに首を傾げる。悪気がないぶん、たちが悪い。
「はぁ……まあ、いいや」
小さな影――ハベトロットが肩をすくめて前へ出た。
「僕はハベトロット! 糸紡ぎの妖精だよ。みんなよろしく〜」
その瞬間、空気が一段ゆるむ。
「わぁ……かわいい、なんですかこの子?」
美月がいの一番に反応して、目を輝かせた。
「私と契約している妖精です」
モルガンは平然と嘘を重ねていく。
「ねえ、触ってもいい?」
エリカが遠慮なく聞く。
「いいよ〜。たくさん愛でてね!」
ハベトロットがにこっと笑うと、エリカがさっそく撫で始める。
ほのかも雫も深雪も――最初は恐る恐るだったが、少しずつ輪に加わっていく。
さっきまでの気まずさは、ハベトロットの明るさに溶けていった。
藤丸はモルガンに、小声で詰め寄る。
「ちょっとモルガン! 大丈夫なの?」
“二人とも現界して大丈夫?”とは言えない
モルガンは涼しい顔で返す。
「問題ありません。私を誰だと思っているのです。ハベトロットの姿は他の人には見えないよう隠しています。見られる心配はありません」
達也は皆の様子を見守るふりをしながら、小さな存在――ハベトロットを観察していた。
人型だが、人間ではない。
(……似ている)
十文字会頭との模擬戦やブランシュの襲撃時に見た存在と、どこか同じ匂いがある。
警戒と、少しの興味。達也は静かに“精霊の眼”を使おうとした。
その瞬間。
「おい、下郎。不躾な視線を送るな」
低い声が、達也の意識を真っ直ぐ刺した。
「――っ」
バレた。
しかも“視ていた”ことまで、言い方で分かる。
モルガンは表情を崩さない。
ただ言葉だけで、圧を落とす。
「立香に免じて一度は許す。二度目はない」
短い。短いのに、拒絶の刃が混ざっている。
達也は冷や汗を感じ、これ以上不興を買うのは危険だと判断した。
素直に頭を下げる。
「……申し訳ありません」
張り詰めた空気の中で、藤丸がコホンと咳払いし、空気を和らげるように言った。
「二人とも、あんまり喧嘩しないでね」
そのとき。
「――あ、試合が始まるみたいですよ!」
ハベトロットを撫でていたほのかが、試合場を指さした。
九校戦――初日の競技が、始まろうとしていた。