朝の空気は、まだ少しだけ冬の名残を抱いていた。
ジュー、と何かを焼く音で目が覚める。藤丸はパジャマを脱いで部屋着に着替え、リビングへ向かった。
「おはよう、マシュ」
「おはようございます、先輩」
エプロン姿のマシュが、朝食と弁当を同時進行で作っている。手際は完璧で、湯気の匂いだけがやけに“生活”を感じさせた。
「朝からありがとう。何か手伝うよ」
「ありがとうございます。では、お皿を並べてもらってもいいですか?」
藤丸が棚から皿を出していると、マシュが何もないはずの横へ、自然に声を投げる。
「お二人も食べますか?」
「せっかくだ。頂こう」
ランスロットが現界し、椅子を引いて腰を下ろした。
(わたしはいらない……もう少し寝る)
眠たげな声が、念話で落ちてくる。
「メリュジーヌはいらないってさ」
藤丸がそう伝えると、マシュは頷いた。
「分かりました。では三人でいただきましょうか」
席につき、揃って手を合わせる。
「「「いただきます」」」
朝食を食べ終えると、制服に着替え、鞄を持って玄関へ向かう。
「先輩、忘れ物はありませんか?」
「うん。大丈夫。……マシュは?」
「はい。完璧です」
その横で、ランスロットが低く言う。
「メリュジーヌはまだ休んでいるが、護衛は私がする。霊体化のままだが、マスターが危機に陥れば全力で戦うと誓う。安心するといい」
「私はクラスが違うので、先輩の護衛をお願いします。ランスロット卿」
マシュも真剣に頭を下げる。
「そんな危険、ないと思うけど……」
藤丸は苦笑しながら扉を開けた。
歩道には同じ制服がちらほらいて、駅へ向かう流れができている。藤丸とマシュもその中に混じる。
電車に揺られて数駅。降りたホームは制服の数が一気に増えた。駅名表示に「第一高校前」の文字が見える。藤丸はそれを見上げ、なんとなく背筋を伸ばす。
改札を抜けると、学校へ向かう道はゆるい坂になっていた。歩きながら、マシュが小さく息を吸う。
「……先輩。学校が見えてきました。これから毎日通うなんて、何だか不思議な気分です」
「はは、それが学校だよ、マシュ」
その時、少し前を歩く二人組が目に入った。同じ制服の男女。距離が近いのに、空気が静かでぶれない。昨日見た背中だ。
(達也たちだ)
藤丸は歩幅をほんの少し上げ、追いつける距離まで近づく。
「おはよう、達也。……深雪さん」
達也が振り向く。隣の深雪も同時にこちらを見る。
「おはよう、藤丸」
「おはようございます、達也さん。深雪さん」
マシュが続ける。
四人で並ぶ形になる。周囲には同じ方向へ向かう生徒が多く、話し声が途切れない。
雑談をしながら歩いていると校門が近づく。人の流れが太くなり、制服の波に押されるように四人の距離が自然に整列していく。
藤丸が一度だけ息を吸った――その背中に、明るい声が落ちてきた。
「達也くーん」
呼ばれて達也が足を止める。藤丸もつられて振り返った。
人混みをすり抜けて近づいてくるのは、三年生の女子生徒だった。制服の着こなしが自然で、周囲の視線がわずかにそちらへ流れる。
「おはよう。達也くん、みんなもおはよう」
「おはようございます、七草先輩」
達也が短く頭を下げる。
藤丸も慌てて続いた。
「おはようございます」
マシュも同じように一礼する。
「おはようございます、七草先輩」
七草真由美――昨日、校門前の騒ぎを収めた生徒会長だ。近くで見ると、声の柔らかさと視線の強さが同居しているのが分かる。
「うんうん。みんな早いわね」
真由美はにこやかに頷き、深雪に視線を移した。
「深雪さんも、おはよう」
「おはようございます、七草先輩」
深雪は丁寧に返しつつも、背筋が少しだけ硬い。
真由美はそのままマシュへも目を向けた。
「マシュさんも。昨日は……大変だったね」
「いえ。先輩方のおかげで助かりました」
マシュが真面目に言うと、真由美は困ったように笑った。
「ううん。私たちは仕事をしただけ。……それでね」
声の調子が、ほんの少しだけ“お願い”に変わる。
「お昼休み、生徒会室に来てもらえるかな?」
「……私が、ですか?」
深雪が瞬きをする。
「うん。深雪さんとマシュさんに。ちょっとお話したいことがあるの」
それから真由美は、達也と藤丸へ視線を移す。
「よければ達也くんと、藤丸くんもね」
「俺たちもですか? 別に構いませんが」
達也が淡々と答え、藤丸も頷いた。
「自分も構いません」
「ありがとう。じゃあ、決まりね」
真由美はぱっと表情を明るくして、手を軽く振った。
「それじゃ、授業に遅れないようにね」
「はい」
四人が返事を揃えると、真由美は人の流れに紛れるように去っていった。
残された空気が、少しだけ変わる。
「……生徒会室、ですか」
深雪が確認するように呟く。
藤丸は鞄の肩紐を直しながら、ぽつりと言った。
「……なんの用だろ?」