訓練場と呼ばれていた場所は、屋外のグラウンドじゃなかった。
校舎の奥、風紀委員会の区画を抜けた先——防音の効いた、白い床と白い壁の「部屋」だ。扉が閉まると、廊下の気配がすっと遠くなる。
ここにいるのは、立会いを務める十文字会頭と七草会長、風紀委員長の渡辺先輩、生徒会の面々、それから当事者の達也と服部。
そして、なぜか成り行きでついてきた藤丸とマシュだけだった。
「じゃあ、始める前にルール確認ね」
七草会長はいつもの柔らかい声のまま言うが、目は真剣だ。
「勝負は一般的な模擬戦形式。危険な魔法は禁止。相手の行動不能で終了。……いい?」
「了解しました」
達也が短く返す。
「了解です」
服部も硬く答える。姿勢は良い。けれど、さっきから視線だけが忙しく動いている。
七草会長が、藤丸の方へふっと視線を寄越した。
「藤丸くんは、どっちが勝つと思う?」
藤丸は迷わなかった。
「達也が勝ちます」
「え?」
七草会長が素直に目を丸くする。
「根拠、聞いてもいい?」
「達也、さっきからずっと落ち着いてます。決闘が決まった瞬間から、服部先輩の動きを“読んでる”」
藤丸は言葉を選びつつ続けた。
「たぶん……戦い慣れてる人の目だと思います。で、その達也が“大丈夫”って言いましたから」
七草会長は一瞬、驚いた顔のまま固まって——小さく笑った。
「……なるほどね。楽しみにしてるわ」
十文字会頭が淡々と告げる。
「準備はいいか」
「はい」
達也が答える。
「問題ありません」
服部も言う。肩に力が入っているのが、逆に分かりやすい。
十文字会頭が一歩だけ前に出た。
「開始の合図で始めろ。——始め」
その瞬間だった。
服部が魔法を発動するより早く、達也の姿が消えたように見えた。
いや、消えたんじゃない。動きが“無駄なく速い”。
次の瞬間、服部の背後に達也がいた。
「――っ!?」
服部が振り向こうとした、その動きが途中で止まる。
何かが、彼の意識の糸をぷつんと切ったみたいに。
「……ぐ」
服部は意識を保てず、前のめりに倒れる。
「終了だ。勝者、司波達也」
十文字会頭の声は低く、はっきりしていた。
七草会長がぽかんとした顔で、十文字会頭を見る。
十文字会頭は表情を変えないまま、短く頷く。
「……ただの気絶だ。」
深雪が息を呑んで、それから胸をなで下ろす。
服部の実力を知っている生徒会メンバーや渡辺先輩も、目を瞬かせていた。
藤丸は——ただ、達也の背中を見ていた。
(やっぱり、強い)
達也は何事もなかったみたいに、服部から視線を外す。
そこへ深雪が労うように近づく。
「さすがです、お兄様」
「ああ」
達也の表情が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
「……すごい」
七草会長が、やっと息を吐いたみたいに言った。
渡辺先輩が服部の脈を確かめ、短く頷く。
「問題ない。すぐ戻る」
十文字会頭は服部を静かに床へ寝かせ、襟元を整えると、達也へ視線を戻した。
「……これで、風紀委員の件に異論はないな」
「はい」
七草会長が即答する。どこか楽しげに、けれど責任を持って。
「達也くん、正式にお願いね。渡辺先輩、手続きよろしく」
「了解」
渡辺先輩は淡々と返した。
深雪は胸の前で手を組んだまま、少しだけ肩の力を抜く。
マシュもほっとした顔で頷いていた。
——そこで、七草会長の視線がふっと横へ流れた。
達也ではなく、藤丸の方へ。
「……ねえ、藤丸くん」
声が一段、軽くなる。
「さっき、達也くんが勝つって言い切ってたでしょう? 当たっちゃったね」
「まあ……」
藤丸は曖昧に笑うしかない。
七草会長は口元に手を当てて、くすっと笑った。
「じゃあさ。藤丸くんも、強いのかしら?」
「え?」
藤丸が目を丸くする。
七草会長は悪気なく言う。探るというより、純粋な好奇心だ。
「気のせいならいいんだけど——気になっちゃうよね?」
「いや俺は——」
弱いですよと言い切る前に、マシュが一歩前に出た。
「先輩は、とても強いです」
まっすぐな声だった。
藤丸が「マシュ?」と止めるより早い。
言い切ってから、マシュははっとして、少しだけ頬を赤くする。
「す、すみません……」
空気が止まる。
七草会長が瞬きをする。
市原先輩と中条先輩は目を丸くし、渡辺先輩ですら一瞬だけ視線が動いた。
藤丸は頭を抱えたくなった。
「……面白い」
低い声が落ちた。
十文字会頭だった。
表情は変わらない。けれど、目だけが藤丸を捉えている。
“興味”というより、確認の目だった。
「藤丸」
名を呼ばれ、藤丸は反射で背筋を伸ばす。
「七草が気にするのも分かる。渡辺先輩も、今の反応を見ている」
十文字会頭は淡々と言い、少しだけ間を置いた。
「……提案がある」
七草会長が慌てて言う。
「え、十文字くん? まさか——」
「模擬戦だ」
十文字会頭が言い切る。
「短時間でいい。危険のない範囲で。——俺がやろう」
「一科生でも優秀なキリエライトが断言するんだ。力を見ておきたい。もちろん断ってくれても構わない」
藤丸は息を呑む。
十文字会頭が用意してくれた逃げ道に乗っかって断ろうとすると、
「先輩……」
声が聞こえてマシュを見る。
視線を向けると、マシュがこちらを見ていた。
不安じゃない。むしろ——信じ切っている目だ。
“先輩なら大丈夫です”
そう言われた気がした。
その目の前で「無理だ」と言うのは、先輩として格好がつかない。
「分かりました。引き受けます」