めざせ踏み台マスター   作:d_chan

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第4話 聖祥小学校入学式(黄金夜会)

 入学式である。

 聖祥小学校は伝統と格式ある私立小学校だ。そして、原作の舞台でもある。

 

 子どもの人生一度の晴れ舞台であり、厳粛な式はピりピりとしている。

 ここは戦場かな?

 その疑問が頭をよぎったのは、保護者席の異様な空気を肌で感じた瞬間だった。

 前の方には原作キャラの姿がある。

 

 高町なのは、アリサ・バニングス、月村すずか。

 

 あれからこの三人との接触は特にない。

 踏み台転生者の登場は、なのはブランコ事案(インシデント)が初出で次に登場するのは小学校に入学後の教室であることが多いからだ。

 そこで大抵、すごい自己紹介をするのである。

 

 僕も張り切ってとっておきの自己紹介をするのだ。

 

 

 

 

 

 人生初の入学式ということで、僕も緊張している。ぴかぴかのランドセルを背負った子どもたちが、未来に胸を膨らませて並ぶ。その周囲を保護者が温かく囲む。カメラのシャッター音が断続的に鳴り、涙ぐんでいるお母さんもいる。

 

 体育館の両端は、確かにそうだった。

 

 前方の新入生席も年齢を考えれば静かなものである。少なくとも鼻水を垂らして鼻くそを食べているクソガキはいない。さすが私立の伝統校である。

 ぴかぴかの一年生たちはどの子も利口そうで品がよく、まだ六歳に過ぎないのに厳かな雰囲気の中でちゃんと座っていた。隣の子と小声で笑顔を交わしている子もいる。

 僕はもちろん、大人の余裕を周囲に見せつけて「孤高の人」を演じていた。きっと周囲の子どもたちは僕のにじみ出る男臭さにやられてうっとりしていることだろう。

 

《同志、なぜ変顔をしているのですか。隣の女の子に引かれています》

 

 あれ。憧れの視線を独占するはずだったのに。

 

《普通にしていれば十分です。容姿は人外レベル(APP20)ですから》

 

 だ、だよね。ただしイケメンに限る!

 隣から、つんつんと脇腹を突かれた。

 アナスタシア・ペトロヴナ・ロマノヴァ。通称アーシャ。今日も無表情だ。銀色がかった紫の髪と、深みのある紫の目がまっすぐ前を向いている。

 

 その髪の色も、目の色も、プレシア・テスタロッサとよく似ていた。

 顔はフェイト・テスタロッサに似ていると思う。

 

 当然だ。あの子は、プレシアが作ったアリシアのクローン。それも、最初に生み出されたクローン第一号だ。時の庭園に侵入したとき──転移魔法の練習中に偶然迷い込んだ僕が、廃棄区画の片隅に蹲っているのを見つけた。身元不明。衰弱。ほとんど意識がなかった。

 ドラグノフが「命の火が消えかけているであります」と、珍しく緊張した声で言った。

 廃棄、というのはプレシアの評価だ。あまりにも失敗作だったから、型番だけつけて捨てた。「ゼロ」。そういう名前だったらしい。

 

 だから、アナスタシアという名を与えた。

 愛称はアーシャ。アリシアのことも忘れないように、という思いも実は込めている。

 

 だが拾った当初から、アーシャはおかしかった。

 

 いや、おかしいというより、ちぐはぐだった。

 アリシア・クローンというからには、アリシアそっくりに複製されるはずだ。そのために作られるのだから。しかしアーシャには、容姿にアリシアらしさがあまりなかった。

 プレシアが「失敗作」と断じた理由が、そこにあるのかもしれない。

 

 ただむしろどこかで一度死んで、戻ってきたような雰囲気があった。まるで死ぬ前から蘇った後が地続きであったかのような。

 当初は性格や言動にアリシアらしさがあり、それが余計にプレシアの怒りを買ったのだろう。

 だから歪められた。

 本来はもっと無邪気な片鱗があったように思うのだ。

 

 実際、プレシアの仕打ちによって記憶が封印され、今の性格になったとのちに判明する。

 アーシャ自身も自分の記憶を取り戻そうとはしなかった。一種の防衛本能だったのだろう。大好きなママから虐待されればそらそうよ。そしてそれは、プレシアにとって最大の不幸なのだった。あいつはいつも気づくのが遅すぎるからな。

 

 

 当初は記憶がよみがえっていない転生オリ主だと喜んだものだ。だから、僕も対転生オリ主人格を作って触れ合っていたのだが、今となっては黒歴史である。

 

 なのはは渡さないからな!とか。お前も俺の嫁にしてやろうか?とか。フェイトと一緒に可愛がってやるよ、ぐへへ。とか。

 

 アーシャ本人を見ていない、いじわるなやつだったと思う。だから、今はできる限り一緒にいてやることにした。

 

 

 僕は転生者である。心は同じだが身体は別物だ。そして、転生前の記憶がある。

 記憶は脳に宿るものだと前世では言われていた。

 しかし、僕やドラグノフという例を考えると『魂』に付随するものだと考えられた。

 

 エイナによれば、アルハザードでは証明済みの知識だったらしい。人造魂で使い魔が作れるのだから、魂の研究は進んでいて当然か。

 そのエイナの検査の結果、アーシャは異世界転生ではなく「現地からの転生」らしい。

 これは極めて珍しいことで、アルハザード時代にでも稀有な症例らしかった、

 

 

 『リンカーコア(魔力)を持たないものが魔力暴走を起こして死ぬ』

 

 

 これを起因とする低確率で起こる現象なのだそうだ。矛盾した条件のため発生確率は極めて低い。難しいことは僕にはわからないが、奇跡が起きて蘇った程度に思っている。

 僕みたいに転生神の配剤なのかもしれないしね。

 

 今はただ、アーシャが隣にいる。同い年の、無口な、脇腹を突いてくる子が隣にいる。それだけだ。

 

《ミーシャ》

 

 念話。アーシャからだ。相変わらず、声は抑揚がない。

 

《あの人、見てる》

 

《どの人》

 

《右後ろ。大きい人》

 

 さりげなく視線を動かした。ボリスがこちらを見ていた。

 ボリスというのはジャンガリアンハムスターのオスである。使い魔(人間)モードだと大男になる。今日はドラグノフ(バラライカ)の副官として参席している。

 

《大丈夫。味方》

 

《……そう》

 

 アーシャは一言だけ返して、また前を向いた。

 この子の頭脳はプレシア譲りだ。三年間一緒にいてわかった。何かを処理する速度が、普通じゃない。数式を与えれば秒で返ってくる。魔法の理論を話せば、一度聞いただけで反復できる。

 魔力も持っている。それも膨大な魔力が。

 このあたりも製作者に似ていて、将来は条件付きSランクも夢ではないらしい。本人には何の慰めにもならないだろうが。

 

 

 感情の処理だけが、妙に遅い。喜怒哀楽が、どこか後から届く感じがする。

 

 それでいい、と思っている。

 急がなくていい。

 

 さて。

 後方の問題に戻ろう。

 体育館後方の保護者席に、奇妙な空白地帯 (エアポケット)が生まれていた。

 魔法的なものではない。純粋に人の意志が作り出した結界だ。誰も近づかない。近づけない。正確には、近づきたくない、だろう。その三席の周囲だけ、ぽっかりと人が避けていた。

 

 中央には、月村忍が座っていた。

 十代後半に見える少女。落ち着いた物腰と端整な顔立ち。保護者席に座るには少々若すぎるように見えるが、月村家の人間であれば誰も何も言えない。妹のすずかの入学式への参席だ。

 背後に控えるメイド服の二人が問題だった。微動だにしない。表情がない。瞬きの回数が、明らかに少ない。人間とは違う人形めいた気配がある。夜の一族の使用人とはかくも雄弁に人外を主張するものか。

 人間にしか見えない容姿。人間には見えない空気。気づいた人間には十分な脅威だ。

 周囲の保護者が無意識のうちに距離を取るのは、本能的に正しい判断だと思う。

 

 左隣に、ジョージ・バニングスが座っていた。

 穏やかそうな顔だ。笑みを浮かべている。背広は仕立てが違う。腕時計は光を吸い込む色をしていた。

 背後に立つ黒服サングラスの男たちが、インカムに指を当てながら視線を動かし続けていた。二秒ごとに出入口を確認している。一人は体育館の構造を頭に叩き込んでいるだろう。もう一人は人の動線を読んでいるだろう。

 娘のアリサのために来た父親だ。それ以外の何者でもない、はずだ。しかし彼が機嫌を損ねれば日経平均が動く、などという話が出回っている時点で、もはや一個人ではない。

 

 右隣に、バラライカが座っていた。

 つまり、ドラグノフがマフィアモードで来ていた。

 火傷の残る美貌。金髪。鋭い目。背後にボリスが控えている。表向きは、ロマノフ家(笑)のボス・ピョートルの代わりに娘アナスタシアの付き添いとして来ている。

 本当はただ心配なのだ。アーシャのことが。そして僕のことも。

 でも、そんな内情は当然、周囲の誰も知らない。

 

 その三席から、じわじわと緊張感が滲み出していた。

 漏れ出す、という表現が正確かもしれない。

 

 当事者たちは表情一つ変えていない。でも場の空気というのは正直だ。隣接する保護者たちが、意識せずに席を引いていた。さらにその隣の保護者が、なんだか居心地が悪そうに背筋をただしていた。

 やがてその空気は連鎖して、後方三列ほどがごそごそし始めた。

 そのうち一人のお父さんが、妻に耳打ちした。言葉は聞こえないが、口の動きでなんとなくわかる。「なんか変じゃない?」「ね、なんかピリピリしてる」「え、なんで? なんかあった?」「知らない、でもなんか怖い」。

 

 そのお母さんが自分の隣のお母さんに囁く。「なんかあっちがすごいことになってる」「えっどこ」「ほら後ろの方……ね、あの人たちなんか怖くない?」「確かに……なんかSPみたいな人もいるし」「入学式にSP……?」「すごいね海鳴って」「田舎じゃないんだ」。

 困惑と警戒と「関わりたくない」が混ざり合った空気が後方に広がっていった。

 

《同志、周囲の一般保護者が自発的に距離を取っています。危機的状況ではありません》

 

 そうだね。

 実際のところ、三者はまだ何もしていない。月村の使用人たちが静かにバニングスのSPを視野に入れている。バニングスのSPがインカムの頻度を上げている。ドラグノフがつまらなそうな顔で空間を把握している。ボリスは遊撃隊(ヴィソトニキ)の指揮を執る。

 

 

 それだけだ。何も起きていない。

 

 お互いに、ここで何かを起こすつもりなどない。子どもばかりの講堂でドンパチするほど馬鹿ではない。黄金夜会の協定は守られている。これまでも。これからも。

 

 静止しながら、じわじわと圧を高め合っている。

 

 どちらかと言えばお互いを「なめるな」と牽制し合っているのに近い。

 犬の縄張り争いだ。

 その結果として、周囲の一般保護者が「なんかよくわからないけど怖い」という顔で席を引いているわけである。

 

 困惑しているお母さんたちの顔が見えた。写真を撮ろうとしていたお父さんが、ファインダーから目を外し、そっとカメラを下ろした。

 実害はない。ただただ迷惑なのだ、周囲の方々には。

 申し訳ないとは思う。でも今の海鳴の裏事情を説明できる立場に僕はないので、胸の中で謝っておいた。本当にすみません。

 そして、それだけで終わった。

 

 校長先生の挨拶が始まった。

 

 長い。

 

 新一年生の入場が終わり、式が進んだ。

 来賓の挨拶があった。校長先生の話があった。在校生の代表が読み上げる歓迎の言葉があった。どれも長かった。

 前方では子どもたちが神妙な顔で聞いていた。時折、どこかの子が隣の子を肘で小突いて睨まれていた。すずかが静かに前を向いていた。アリサが完璧な姿勢でいた。なのはが少し眠そうな目をしていたが、ぱちぱちとまばたきして堪えていた。

 アーシャは最初から最後まで、真っ直ぐ前を向いていた。

 一度だけ、こちらに視線を向けた。

 

《長い》

 

 念話で一言だけ送ってきた。

 

《長い》

 

 同意した。

 アーシャがまた前を向いた。

 

 教室発表の瞬間だけ、子どもたちの空気が動いた。

 クラスと担任の先生が読み上げられる。名前を呼ばれた子たちが返事をして立つ。小さな歓声が上がったり、「えっ」という声が上がったり、友達と同じクラスだとわかって手を握り合う子がいたりした。

 

 てっきり教室前にクラス割が張り出されるのかと思ったのだが違うのか。

 それと座席がなぜ自由席ではないのか疑問だったが、クラスごとに分けられていたようだ。

 だから近くに原作三人娘がいたのである。

 

 この儀式は保護者に聞かせる狙いがあるのかもしれない。あと撮れ高の提供か。

 

 

 高町なのは。一年一組。

 月村すずか。一年一組。

 アリサ・バニングス。一年一組。

 アナスタシア・ロマノヴァ。一年一組。

 僕の名前(ミハエル・カラシニコフ)も、一年一組だった。

 

 

 全員おなクラ。ビバ催眠術。

 

 前方でなのはが緊張した面持ちで周囲を見渡していた。

 すずかは少し顔が青白い。人見知りするようだ。

 アリサだけが「当然ね」というような顔で前を向いた。その口元が、かすかに緩んでいた。

 

 アーシャは立ち上がって返事をして、また座った。

 ただそれだけの動作だったが、すずかがアーシャをちらっと見て、小さく会釈した。

 ひょっとしたら髪色が似ていて親近感を覚えたのかもしれないし、大人しそうな雰囲気が似ていてシンパシーを感じたのかもしれない。でもね。この娘変身するとバトルジャンキーになるんだよね、と声もなくつぶやく。

 

 アーシャは少し間を置いてから、ぎこちなく会釈を返した。

 ぎこちない、というのは正確ではないかもしれない。

 処理が一拍遅れる、という方が近い。

 

 式が終わった。

 

 保護者席がざわめき始める。子どもたちが教室に案内されていく。担任の先生が笑顔で誘導している。なのはが振り返りながら保護者席を探した。高町家の人たちが大きく手を振った。なのはが嬉しそうに笑った。

 後方では、三者の護衛たちが互いを視野に収めながら立ち上がり始めた。

 エアポケットはまだ続いていた。

 それを横目で観察していたお父さんたちが、ほっとした顔をしながら出口に向かって歩いていった。当たり前だ。変な緊張から解放されたのだから。入学式に来たら謎の圧があって席を引いて、でも何も起きなくて、終わった。

 

 その「何も起きなかった」ことにこんなに安堵しなければならない入学式というのも珍しいと思う。

 お母さん同士が出口付近で囁き合っていた。

 

「ねえ、後ろのあの人たち、なんなの?」

 

「知らない、なんかSPみたいな人がいたよね」

 

「あのバイザーの人、怖かった……」

 

「海鳴ってああいう人いるの?」

 

「初めて見た。月村家のお嬢様がいるからかしら」

 

「うちの子、同じクラスにならなくてよかった……あなたの子一年一組よね。月村家のお嬢様だけではなくロシア系の子も一年一組らしいよ」

 

「えっ、あの子ども? 顔が驚くくらい整ってるわね。二人ともロシアのお嬢様か何かかな」

 

「知らない、なんか偉い人の子供らしくて……それだけじゃないわ。バニングス家の子もいるって」

 

「う、うちの子大丈夫かしら。失礼な真似しないようにきつく言っておかないと」

 

 

 ごもっともである。

 

 ジョージ・バニングスが立ち上がった。

 穏やかな笑みのまま、一瞬だけこちらを見た。

 視線が止まった。

 僕の方を見ている。正確には、アーシャと僕を見ていた。それから、ドラグノフ(バラライカ)を見た。

 その瞬間だけは何の感情も読めない顔だった。でも、その視線の意味はわかった。

 確認だ。「ロマノフ家の人間をここで見た」という確認。「次に会うのは外交の場だろう」という確認。そして「今日は何もない」という確認。

 

 ドラグノフがわずかに顎を上げた。

 ジョージが目を細めた。

 それだけのやりとりで、二者の間の「今日は休戦」が成立した。

 言葉はない。握手もない。でも、お互いに百も承知だ。

 

 ジョージがSPを連れて出口に向かった。

 

 

 

 

 

 

 教室につき注意事項の説明が終わる。あとは、一緒に教室に入ってきている保護者と合流して帰るだけだ。

 

 アリサがこちらに向いていた。

 すずかを見つけて何か話しかけに行こうとしていたアリサが、視線の動きでこちらの存在に気づいた。銀髪オッドアイの子どもと、光沢のあるヴァイオレットの無表情な子ども。目が合った。

 アリサが少し眉を上げた。

 

「あなたが一年一組の……ロシアの子?」

 

 みんなが委縮して声をかけられない中、直接聞いてきた。さすがだ。

 

「俺はミハエル・カラシニコフだ。隣はアナスタシア・ロマノヴァ。ちなみに二人とも日本国籍だ」

 

「へえ。私と同じなのね。アリサ・バニングスよ。アリサでいいわ。アメリカ系ね」

 

 アリサがアーシャを見た。アーシャがアリサを見た。無言だった。

 

「しゃべれる?」

 

「……話せます。でもアリサはちょっと」

 

 アーシャが日本語で答えた。少し発音が平坦だったが、聞き取れる日本語だった。

 

「ふうん。名前では呼びたくないってこと? じゃあ私もまだ名前で呼ばないことにするわ。カラシニコフとロマノヴァね」

 

 

 アリサがまた二人を見比べた。勝気な瞳は値踏みしているのかもしれないし、ただ観察しているのかもしれない。アリサ・バニングスはこういう子だ。警戒心が高いが、その中に真っ直ぐさがある。

 まだ仲良くしたくない僕たちの感情を読み取ったようだ。

 アリサ呼びにもなんだか違和感がある。同じ名前の人がいるとき、どうすればいいのだろう。

 

「ま、いいわ。同じクラスね。よろしく」

 

 それだけ言って、すずかのところへ行った。きっとちょっかいをかけに行くのだろう。そして、そのラブコールがうまくいかないことを知っている。じきに高町なのはと美少女トリオを組むことになるのだろう。

 さすがにそこの邪魔をしてはガバが過ぎるだろう。SSでも踏み台の接触は避ける傾向にあった。百合に挟まると男はギルティだ。

 

「よろしく」

 

 アーシャが少し遅れて言った。

 もうアリサは背中を向けていたが、聞こえていたかもしれない。

 

 月村忍がすずかに近づいていた。

 「頑張ったね」と言っているのが見えた。声は聞こえないが、忍の顔がやわらかくなっていた。すずかが忍の手を握った。

 

 その隣では、なのはが高町家の家族と合流していた。お母さんに飛びついていた。背の高いお兄さんがランドセルを触って何か言っていた。なのはが笑った。

 本物の景色だな、と思った。

 前世のブラウン管から見えていた世界じゃない。

 今、目の前にある景色だ。

 

 ドラグノフ扮するバラライカが近づいてきた。

 

「アーシャ」

 

 低く落ち着いた声で呼んだ。

 アーシャがドラグノフを見上げた。何も言わない。でも、その目の色が僅かに変わった気がした。普段よりも、少しだけ、焦点が合っている感じがした。

 

「ちゃんとやれたか」

 

「……」

 

 一拍あった。

 アーシャはゆっくりうなずいた。言葉は出なかったが、うなずき方に迷いはなかった。

 ドラグノフが、目を細めた。それだけだった。それだけで十分だったのだろう。アーシャの肩から、何かが静かに降りた気がした。

 

《よくやったであります、アーシャ》

 

 ドラグノフが念話でアーシャに送った。

 アーシャは少し考えてから、念話で短く返した。

 

《……ありがと》

 

 ぎこちない。でも確かに返ってきた。

 ドラグノフがこちらに視線を向けて、微かに目尻を下げた。僕も頷いた。

 

 帰り際、なのはとすれ違った。

 なのはがこちらを見た。

 小首を傾げた。記憶の中を探っているのだろう。以前、公園で会っている。でもあれからずいぶん経つし、外見が変わった印象を受けるかもしれない。

 

「あ」

 

 なのはが声を上げた。

 

「なんか、覚えてる、気がする……?」

「シュークリーム」

「え?」

「なんでもない」

 

 そう言って、その場を離れた。

 なのはが「えっ、あっ、ちょっと」と言いながら後ろを向いた気配があったが、歩き続けた。

 

《同志》

《わかってる》

《今の子が高町なのはです》

《知ってる》

《接触していいのですか》

 

 少し考えた。

 

 なのはは、この物語の主人公だ。そのそばにはいつかフェイトが来る。ジュエルシードが散らばり、物語が動き出す。踏み台として機能するのは、その物語が動き始めてからだ。今はまだ、余計に関わりすぎない方がいい。

 

《今日は関係ない。いつか、物語が動いたときに、ちゃんとやる》

 

《承知しました》

 

 帰り道。

 アーシャが隣を歩いていた。

 ドラグノフとボリスが少し後ろにいる。ドラグノフが時折こちらの様子を窺っているのが気配でわかった。心配性なのだ、あれは。

 

 春の空が高い。桜が半分ほど散っていた。花びらが風に乗って斜めに流れていく。

 アーシャが歩きながら、一枚の花びらを目で追った。

 立ち止まった。

 手を伸ばして、受け取った。

 手のひらの上に乗せて、じっと見ていた。

 処理しているのだろう、と思った。きれいだ、とか、はかない、とか、そういう感情を。

 僕には急かす理由がない。

 しばらく待った。

 

 花びらは風に持っていかれた。

 アーシャはまた歩き出した。

 

「……きれい」

 

 ぽつりと言った。

 

「そうだね」

 

 アーシャはそれ以上は言わなかった。でも、さっきより少しだけ、歩く足取りが軽くなった気がした。

 

 家に帰って、ぐったりする。

 ドラグノフが美少女モードのままお茶を淹れてくれた。

 

「……お疲れさまでした、飼い主(モイ・ホジヤイン)

 

 ほっとした声だった。

 

「そうだね」

 

「アーシャは?」

「大人モードで今はストレス発散中であります。気疲れしたようでありましたよ。今日は色々と初めてのことが多かったはずでありますから」

「そうだね」

「……アーシャが『ありがと』と言ったのは、久しぶりに聞いたであります」

 

 ドラグノフが少し静かな声で言った。

 

「最初のころは、言葉自体が出なかったでありますから。それが今日、ちゃんと出た。……よかったであります」

「今頃、高笑いしながらシミュレーターで切り捲ってるだろうけどね」

 

 うん、と頷いた。

 

 よかった、と思う。本当に。大人モードでバーサーカーになるのはなんでなんだろうね。個人的に刀剣少女は僕の好みではあるのだけれども。

 大人モードに由美江のコードネームはやはりまずかったのだろうか。名は体を成すともいうし。名前が先か、性格が先か。それが問題だ。

 

 あの子が時の庭園に廃棄されていたとき、名前もなかった。型番だけあった。「ゼロ」という名前。

 今はアナスタシア・ロマノヴァという名前がある。みんなはアーシャと呼ぶ。

 「ありがと」と言える。花びらを「きれい」と言える。

 

 それが踏み台転生者として正しいかどうかを問われれば、答えに詰まる。

 アーシャを拾ったのは、物語の計算からではなかった。ただ、そこに命の火が消えかけている誰かがいたから、拾った。それだけだ。

 転生神様の御意志に沿った行動だったかどうかは、今でもわからない。でも後悔はない。

 

飼い主(モイ・ホジヤイン)

 

「なに」

 

「一つだけ聞いてもいいでありますか」

「どうぞ」

 

 ドラグノフがお茶を置いて、少しだけ真剣な顔になった。

 

「今日の帰り際、なのはに話しかけたでありますよね」

「……うん」

「シュークリームと言ったのは、踏み台の計算でありますか」

 

 沈黙が落ちた。

 

《同志》

 

 エイナも同じ問いを重ねてきた。

 

《計算でしたか》

 

 二つの声が、同じことを聞いていた。

 正直に答えなければいけない、と思った。誤魔化せる相手じゃない。三年間一緒にいたのだから。

 計算だったか。

 

 

 当初の予定ではまだ接触を避けるはずだった。

 記憶を刺激して公園で仲良くなったことを思い出させてはまずい。踏み台とは好感度を稼いではいけないのだ。

 第一印象は大事だから、初授業での自己紹介で鮮烈なデビューを飾る。

 これが僕のパーペキなる踏み台プランだった。

 なにせ人の印象は第一印象で7割決まるらしいし。そこから挽回するのは面倒だ。

 

 

 あの瞬間を思い出す。なのはが首を傾げて、記憶を探っている顔をしていた。以前公園で会ったとき、シュークリームを報酬にすると言ったのに、財布を持っていなくて逃げた。その話だ。

 

 あの子はその後、ちゃんとお母さんに「寂しい」と話せたのだろうか。

 高町家の人たちが体育館でなのはを囲んでいたとき、みんな笑っていた。なのはも笑っていた。だから、たぶん大丈夫だったのだろう。

 

 でも確認したくて、声をかけた。

 踏み台としての計算ではなかった。

 

「……計算じゃない」

 

 小さく答えた。

 

「でも、踏み台はやる。その気持ちは変わらない」

「意思と信仰は両立できる、と思っているのでありますか」

「当然。転生神様のために全力をささげる所存だよ。僕の信仰は揺るがない。ガバがないようにもっと気を付けるね」

 

 ケツイを込めて僕が宣言すると、ドラグノフが少し黙った。

 

「吾輩は飼い主を守るであります。踏み台でも、計算でなくても、全部含めて飼い主でありますから」

 

 返事をしようとして少し詰まる。何がいいたいのだろう。

 

「……知ってる」

「知ってるじゃないのであります。ちゃんと受け取るのでありますよ」

 

 やっぱり何がいいたいのかわからない。

 言葉を切ると、ドラグノフがお茶を追加で注いだ。

 

 窓の外で、最後の一枚みたいな花びらが風に流れた。

 

 正統派オリ主は、まだ来ていない。

 物語は、まだ動いていない。

 

 今日の入学式で、なのはとアリサとすずかが同じクラスになったと知って笑い合っていたのを横目で見ていた。アーシャが花びらを「きれい」と言った。後方では御三家が牽制し合い、一般の保護者たちが「なんか怖かった」とほっとしながら帰っていった。

 

 全部、本物の景色だった。

 踏み台としての記録には残らないかもしれない。正統派オリ主が輝くための布石としては意味がないかもしれない。

 でも。

 今日の僕が見た景色を、誰かに消させる気にはなれなかった。

 

 

 

 少し昔の話をしよう、と思う。

 

 今の海鳴市がロアナプラになってしまったといったら、馬鹿を言うなと鼻で嗤われるだろう。

 うん。確かに僕もそう思う。

 東洋のモントリオールとまで言われたあの海鳴市がタイの無法都市になるって?

 馬鹿がよと、現地の人間は言うだろう。

 リリカルなのはファンだったら、せいぜい夜の一族か魔族あたりが何かやったのかな? と思う程度のはずだ。

 

 現状は別に望んだわけじゃない。

 

 もともとこの街には御三家があった。

 

 夜の一族の月村家。剣術の名門、御神家。神降ろしの家系、神咲家。

 政治と軍と祈りが、三本の柱としてこの街を支えていた。

 

 しかし、戦後の財閥解体や税制改革により土地に依存する旧家はどんどんと衰えていった。

 高い技術力をもつ月村家は順応できたが、他のニ家は徐々に格を落としていく。

 

 

 そこに台頭したのがバニングス家である。

 GHQの力を使って進出した米国資本はまたたくまに日本中を席捲……することなく強力なライバルたる日本企業との果てしなき競争を強いられた。

 当然、主導者には相応の力量を求められ、それに応じたのがバニングス家だったのである。

 

 

 アメリカのとある財閥の一族の分家であるが、世界の経済界に強い発言力を持っていた。その当主が日本人女性と結婚し、海鳴市に拠点を構えたのである。

 よって、海鳴は日本における米国資本の中心地となったのだ。

 

 

 この時点では――。

 

 月村家。

 バニングス家。

 御神家。

 神咲家。

 

 以上の四頭体制だった。

 が、日本人の信仰心の低下によりまずは神咲家が没落した。妖怪退治や病魔退散などでいまだに裏の影響力を持っているもののかつての勢いはない。

 

 

 そして決定的な破局は三年前だ。

 

 御神家のテロ事件で、御神流の使い手たる血族の殆どが死んだ。分家の高町士郎も死をさまよった。ここに海鳴の暴力装置が停止した。

 好機と見た悪党どもが動いたのは必然だった。

 治安はかつてないほど悪化した。そして海鳴の片隅で、まだ幼かったアリサ・ローウェルが悪漢に絡まれた。

 

 何もしなければ原作(とらは)通り最悪の結末になっていただろう。

 だが。サーチャーの練習をしていた僕が、偶然それを発見した。

 霊魂が高町なのはと出会う展開もあったのかもしれない。

 たらればの話だ。

 

 

 IQ200の彼女は現在ミッドチルダで暗躍中である。ミッドのスラムで子どもを救うためにと、僕を説得して武装神父隊(ハムスター部隊)を投入し。いつの間にか、聖王教会とのコネクションを作り、若き日のレジアス・ゲイズとホテル・モスクワの仲介屋となっていた。

 齢14にしてこの活躍だ。つくづく仲間にしてよかったと思う。

 

 リリカルなのは本編との関係がないのもでかい。安心して仲間にできた。

 僕の踏み台プランにも賛同してくれていて、頼れる参謀である。

 

 ちなみに、大人モードではハインケル・ウーフーの姿となって元気に二丁拳銃を振り回している。

 暴走しがちな由美江(アーシャ)の良いストッパーとなっていて、イスカリオテの影の支配者なのであった。

 

 

 この奇跡は転生神様のおかげだと思っている。本当に。

 

 

 でも悪漢を懲らしめただけでは根本が解決しない。治安を回復させ、街を本来の姿に戻さなければならなかった。そこで一芝居打った。新しい暴力装置の登場だ。

 

 ドラグノフを頭に据えたホテル・モスクワ。ロシアン・マフィアという触れ込みで、海鳴の裏を瞬く間に制圧した。

 兵隊はみんな僕の使い魔である。

 使い魔を生む機械としてたくさんのハムスターと触れることのできた楽しい記憶である。ハムパラはあったんや。

 

 しかし新参の謎すぎる組織と交渉するものは現れない。だからロマノフ家(笑)を作った。

 

 ピョートル・アレクセーエヴィチ・ロマノフという架空のボスを用意した。ブラクラの設定でもホテル・モスクワのボスはピョートルというコードネームであるはずだ。

 書類の上にだけ存在する人物として急遽作った。だがなにせ、この名はあのピョートル大帝である。

 

 たとえば、「我が名は織田信長である」と名乗る手紙を送ったら日本人なら失笑するだろう。

 

 ピョートル大帝も同じだった。月村忍が無言で暖炉で燃やしていたので、以来、ピョートルの名前は内部書類以外では使っていない。

 

 そこに偶然役立ったのが、時の庭園で拾ったアーシャだった。

 ロシア系で通じる外見。プレシア譲りの頭脳。ロマノフ家(偽)の一人娘として舞台に立てる風格。

 何度も交渉を重ねた。丁々発止のやりとりを繰り返した。ついに月村家とバニングス家と協定を結んだ。

 神咲家が没落し、御神家が壊滅した後に生まれた新しい御三家だ。

 

 

 政治の月村。

 経済のバニングス。

 軍事のロマノフ。

 

 

 それを誰かが「黄金夜会」と呼んだ。

 原作(?)の修正力か、語感がよかったのか、気づけばその言葉が定着していた。

 

 少しでも事情を知る者がいればわかるのだが、国家的な視点でみるとこれはいかにもまずい。

 

 

 人外の存在。

 米国資本。

 国際犯罪組織。

 

 

 日本国の海鳴市はこれらに牛耳られているのだから。

 極東の火薬庫(イーストパウダーケグ)と裏社会では揶揄されるほどで国家権力ではうかつに管理しきれない。それが今の海鳴だった。

 実はこの入学式の内外にも私服警察や公安の人間が紛れている。

 警察組織の腐敗がないことが、ロアナプラとの最大の違いかもしれない。幸いなことに。

 

 

 

 そして今日、その三者の子どもたちが同じ小学校の同じクラスに入学した。

 「東洋のモントリオール」と呼ばれた海鳴市。気候は穏やか、山と海でレジャーを楽しめ、伝統文化も残っている。

 それがいつのまにかロアナプラ——治安はよい——になった。

 

 でも子どもたちは、そんなことを知らない。

 なのはとアリサとすずかが笑いあっていた。アーシャが花びらを「きれい」と言った。

 知らないとはそれだけで、ある種の幸福だと思う。

 知っている方が、罪悪感を感じてしまうことがある。

 まるでお釈迦様になった気分だよ、なんて言ったら笑われそうだ。言い過ぎだし。

 

 でも今日の入学式で一番安堵したのは、たぶん僕ではなくて、「なんか怖かったけど何も起きなくてよかった」と言いながら帰っていったあのお父さんたちだろう。

 申し訳なかったと思う。

 

 来年はもう少し護衛の人数を調整してもらおう。

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