折れた剣と時に置き去りにされた化生   作:ヒフミくろねこ

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4月23日 京都府伏見区

 

 

修学旅行二日目。  

麻帆良の生徒たちは各班に分かれ、それぞれ京都、奈良へと散っていった。

 

 エヴァ一行は、「雀の丸焼きを食いに行くぞ」という彼女の一言で、二日酔いの士郎を風呂に叩き込んでから旅館を出た。目的地は伏見稲荷大社だ。

 

 本殿に参拝した後、稲荷山に続く千本鳥居を目の当たりにし、エヴァと士郎は感嘆の声を漏らした。それから道なりに稲荷山一ノ峰までのお山詣りの道を行く。  

すぐ隣を歩くエヴァ。

士郎は「今日はなんだか距離が近いな」と感じながらも、お山詣りを済ませて麓まで降りてきた。

 

 

 そして、本来の目的である「雀の丸焼き」。  複雑そうな表情を浮かべる茶々丸の横で、士郎も遠慮気味だったが、エヴァは「そうそう食べられるものじゃないからな」と、鶉の丸焼きも含めてバリバリと平らげていた。

 

 その後、電車で桃山駅へと移動し、桃山御陵の森へと足を踏み入れる。  静謐な空気、玉砂利を踏みしめる音。観光客もまばらなその空間で、ふと空気が変わったことにエヴァと士郎が気づいた。

 

「エヴァ」

 

「ふむ、人払いの結界か」

 

警戒する士郎とは対照的に、エヴァは気にする様子もなく歩き続ける。

そこへ、木々の合間から影が飛び出し、玉砂利を鳴らして着地した。

 

「どうも~、神鳴流です~」

 

 どこか力の抜ける、間延びした口調。  

そこに立っていたのは、かつてナギの別荘で見かけた少女――両手に白木の刀を持つ、月詠だった。

 

「――士郎。もう少し行った所に城があるらしいぞ」

 

 エヴァは月詠の登場を完全に無視し、士郎の腕を取って歩き始める。  それに倣うチャチャゼロと茶々丸。チャチャゼロなどはケケケケと笑いながら横を通り過ぎていく。  結局、一行は揃って月詠を「いないもの」として扱った。

 

「あああ! そんな殺生な~!」

 

両手両膝をついて打ちひしがれる月詠。

終いには、わざとらしく泣き出してしまう始末だ。  

さすがに無視し続けるのもどうかと思い、士郎は溜息をつきつつ足を止めた。

 

「ちょっとエヴァ、とりあえず話ぐらいは聞いてみよう。な?」

 

「えー、別にそんなの聞く必要ないだろう。そんなものより観光だ」

 

 やる気のない声を出しつつも、エヴァも足を止める。その隙に士郎は月詠に向き直った。

 

「えっと、月詠だっけ。俺たちに何か用か?」

 

 反応してくれたことが心底嬉しかったのか、月詠は勢いよく頭を上げて目を輝かせた。

 

「そうなんです~! 今お仕事中なんですけど~、雇い主の千草はんが『様子見や』言わはるんで、暇なんです~」

 

 月詠の言う「仕事」とは、おそらく西の術者の護衛だろうとエヴァは当たりをつけた。

 

「それで?」

 

「試合に来ました~!」

 

 えへへ、と無邪気に笑う月詠。

 

「試合って、日中の、こんな場所でか?」

 

「はい~。人払いの結界も遮音結界も敷いてありますから、問題はないです~」

 

 士郎は一瞬悩んだ。  

殺し合いではなく純粋な力量比べなら、一般人に迷惑をかけないという条件付きで受けてもいいかもしれない。せっかく訪ねてきてくれたのだから、無下に扱うのも忍びない。  士郎は、観光を楽しみにしているエヴァに先へ行くよう促そうとしたが。

 

「――チャチャゼロ。貴様が相手をしてやれ」

 

 エヴァが遮るように言い放った。

 

「え?」

「ほえ?」

 

「士郎を相手にしたいなどとは百年早いぞ小娘。どうしてもというなら、まずはこのチャチャゼロを倒してみろ」

 

「ケケケケケ、ワカッテルジャネーカ御主人」

 

 エヴァの言葉に、チャチャゼロが面白そうに笑う。

月詠もまた、チャチャゼロに視線を定めた。

 

「あらあら、可愛いお人形はんですね~」

 

「ガキ、ナカナカ見ル目アルジャネーカ。ケケケケケ」

 

 殺気を漲らせる人形を「可愛い」と形容するあたり、月詠もまた常人ではない。

 

「サテ、ツマラネー会話ハ終ワリニシヨウジャネーカ」

 

「そうですね~」

 

 チャチャゼロが自身より大きな大剣と短刀を取り出す。月詠もまた、二刀を抜刀した。

 

 ――玉砂利が跳ねた。

 

 先に仕掛けたのはチャチャゼロ。  

地を蹴って宙を舞い、身の丈の倍はある大剣を全身のバネを使って叩きつける。  月詠はそれを、二振りの刀を交差させて真っ向から受け止めた。

 

「くぅ……!」

 

 鋼が軋む音が響く。  チャチャゼロは大剣に体重を乗せ、押し潰そうとする。  だが、月詠はそれを気で強化した腕で受けきった。

 

「ケッ」

 

 チャチャゼロの不満そうな声。月詠はえへ、と笑いながら大剣を振り払い、軽い人形の体を宙へ弾き飛ばした。

 

「可愛い可愛いお人形はん。もったいないですけど、バラバラに解体させてもらいますえ。――にと~れんげきざんてつせ~ん!」

 

 螺旋状の気がチャチャゼロを襲う。  

直撃すればただでは済まない一撃。だが――。

 

「残念ダッタナ、ガキ」

 

 チャチャゼロの背中の翼が羽ばたき、燕のように空を滑って攻撃を回避した。

 

「そんなん卑怯や~!」

 

「ケケケケケ!」

 

 嘲笑。チャチャゼロは宙で体勢を整えると、大剣を真下へ向けて砲弾のごとく突撃した。  月詠は間一髪で後方へ跳ぶ。

 

 衝撃波と共に、玉砂利が礫となって月詠に襲いかかる。  

月詠はそれを鮮やかに捌き、着地と同時に反撃に転じた。

 

「にと~れんげきざんく~せ~ん!」

 

 曲線状の気が疾風のごとくチャチャゼロへ翔ける。

 

「芸ガナイゼ、神鳴流」

 

 チャチャゼロは大剣の柄を足場に、曲芸のように宙を回転してそれを回避。空中で短刀五本を投擲した。  月詠がそれを弾き、互いに大きく距離を取る。

 

 攻防、わずか十秒。  二人は不敵に笑い合い、再び間合いを測る。  

次に展開されるのは、さらなる苛烈な一撃か――。

 

「……飽きた」

 

「って、エヴァ!?」

 

 全てを台無しにする一言。  エヴァは大きく欠伸をすると、士郎の袖を掴んで歩き出した。

 

「それでな士郎、もうすぐ見えてくるのが伏見桃山城といってな……」

 

「ちょっ、エヴァ! 放っておいていいのか!?」

 

「いいぞ。人払いの結界はあるし、一般人に危害は及ばん。……士郎。貴様、私よりもあっちの方がいいのか?」

 

 小首を傾げるエヴァ。士郎は頭を抱えた。

 

「違う、そういうことじゃない。もし何かあった時のために、仲裁役が必要だろ?」

 

 必死に説得する士郎。エヴァは不機嫌そうに聞いていたが、ふと思いついたように手を打った。

 

「ふむ、士郎の言うことももっともだな。茶々丸、貴様がこれらを見張っていろ。私は士郎と二人きりで城を見に行くから」

 

「…………」

 

 名案だ、と頷くエヴァ。だが、返答がない。

 

「茶々丸?」

 

「…………」

 

「おい?」

 

「ハイ、マスター。畏まりました」

 

 やけに機械的な返答。士郎はフォローしようとしたが、エヴァに腕を引かれ、有無を言わさず連行されてしまった。  

後に残されたのは、激しい剣戟の音と、無言で主人の背中を見送る茶々丸だけだった。

 

 

 

   ***

 

 

 

 伏見桃山城を見上げながら、エヴァと士郎はベンチに腰掛けていた。

 肩が触れ合うほどの距離だ。

 

「チャチャゼロたち、本当によかったのか?」

 

「まだ言っているのか。何かあればすぐに分かる。気にするな」

 

 エヴァはそう言って、お茶を啜った。

 

「それにしても、やはり日本の風景というのは落ち着くな」

 

 西洋人形のような容姿の少女が、茶室まで持っている日本通であることを思い出し、士郎は苦笑した。  

二人はぼうっと空を見上げる。平和な、昼下がりの情景。

 

「……平和だな」

 

「ああ、馬鹿みたいに平和だ」

 

 士郎は全身の力を抜くように息を吐いた。

 

「そ、それでな、士郎。わ、私はなぜか、こんなものを持っている」

 

 エヴァがポケットから取り出したのは、竹製の耳掻きだった。

 

「エヴァ?」

 

「…………」

 

 彼女は無言で、自分の腿をぽんぽんと二度叩いた。  

そっぽを向いているが、白い首筋が仄かに赤くなっている。

 

「いや、だから……」

 

「…………」

 

「えっと……」

 

「…………ッ!」

 

 押し問答の末、士郎は覚悟を決めた。

 

「あ、じゃあ……失礼するな」

 

「うむ。楽にしていろ」

 

 士郎は体勢を入れ替え、エヴァの太腿に頭を乗せて横になった。膝枕だ。

 

「土産屋でちょっと見つけてな。なんとなく、だ」

 

「……今まで、誰かにしてあげたことは?」

 

「ない!」

 

 胸を張る彼女に、「光栄に思え、貴様に私の『初めて』をやろうというのだ」と言われ、士郎は内心で溜息をついた。

 

「では、行くぞ」

 

「おう」

 

 最初は力んでいたエヴァだったが、次第にコツを掴んできた。  彼女の綺麗な髪が微風に揺れ、士郎の頬を撫でる。   「取れる取れる」と小さな歓声を上げるエヴァ。士郎は「初めてなのに上手いな」と漏らした。

 

「ふふん。こんなもの、人形を操るより簡単だ。三キロの範囲で同時に三百は操ってみせるぞ?」

 

「それは……凄いな」

 

「今度見せてやろう」

 

 耳にふっと息を吹きかけられ、士郎は身をすくめた。  そのまま逆を向かされ、エヴァの腕の中に包まれるような形になる。  感じられるのは、彼女の香りと体温。  警戒が日常だった士郎の心から、壁が溶けていくような安らぎ。

 

 うとうとしていた士郎の耳に、再び息が吹きかけられた。

 

「……すまん。寝ていたか?」

 

「そのまま寝ていてもよかったのだぞ」

 

 エヴァは微笑みながら視線を上げた。一陣の風が吹き、彼女は長い髪を押さえる。  ――綺麗だな。  士郎がそう思った瞬間、エヴァが覗き込んできた。

 

「ん? どうかしたか、士郎」

 

「い、いや、なんでもない」

 

 慌てて誤魔化す士郎。その時、近くを通りかかった老夫婦がこちらを見て微笑んでいた。

 

「……なんだか、笑われているぞ」

 

 警戒するエヴァをなだめつつ、士郎は聞き耳を立てた。

 

『本当に仲睦まじい――ですね』 『ええ、綺麗な奥様で……』

 

 士郎の頭がフリーズした。夫婦。  

二十代半ばの幻影を纏ったエヴァと士郎なら、そう見えても不思議ではないのだが。

 

「士郎。今、なんと言っていたか聞こえたか?」

 

「あ、ああ。……夫婦、って」

 

「ふ、ふむ。わ、私たちはそう見えているのか」

 

「……どうなんだろうな」

 

 ごにょごにょと言葉を濁すエヴァ。  二人は微妙な空気の中、それでも離れることなく、そのままの体勢で穏やかな時間を過ごした。

 

 

 

   ***

 

 

 

 茶々丸たちと合流するため、元の場所に戻った二人だったが、未だに剣戟の音が聞こえてくることに顔をしかめた。

 

「……放っておこう。次は名水で知られる――」

 

「エヴァ、待て待て。二人を置いていくのはまずいって」

 

 茶々丸が半眼で「置いていくんですね?」と無言の訴えを送っている。士郎は堪らなくなり、エヴァを止めた。

 

「ったく、貴様というやつは……まあ、それが貴様の良いところなのかもしれんが」

 

 エヴァは溜息をつくと、士郎の手を握ったまま転移術を発動。  

月詠の背後に音もなく出現し――。

 

「きゅう~」

 

 後頭部を一撃。  気絶した月詠の額に、『戦闘の跡を綺麗にし、結界も解いておけ』と書いた紙を貼り付けた。

 

「茶々丸。これを藪の中に捨ててこい」

 

「ハイ、マスター」

 

 襟首を掴まれ、引きずられていく月詠。茶々丸から漂う妙なオーラに、士郎は口を噤んだ。  戦いを邪魔されたチャチャゼロが恨めしそうにエヴァを見る。

 

「御主人……」

 

「貴様が悪い。いつまでも遊んでいるからだ。……これから酒蔵へ行く。機嫌を直せ」

 

「ケケケ、シカタネーナ。酒ニ免ジテ許シテヤロージャネーカ」

 

 一行はその後、御香宮神社へ参拝し、伏見の名水を堪能した。  

柳並木や川を行く十石舟。エヴァは「来年も共に来たいな」と静かに漏らした。

 

 旅館へ戻った夜。案の定、日本酒を中心とした宴が始まり、士郎はエヴァに絡まれて見事に潰された。

 

 

 

   ***

 

 

 

 深夜。エヴァは士郎の頭を膝に乗せ、一人グラスを傾けていた。

 

「御主人」

 

「ん? どうしたチャチャゼロ」

 

 掲げられた酒瓶。チャチャゼロもまた、酒を受け取り、一気に煽った。  

士郎を見下ろすエヴァの表情は、どこまでも慈しみに満ちている。

 

「今日一日、御主人ハ傑作ダッタナ」

 

「なんだ、藪から棒に」

 

「……アホミタイダゼ。御主人ノ惚気(のろけ)ニアテラレル日ガクルトハナ」

 

 真っ赤になるエヴァ。

 

「ちょっと待て! 何時、私が惚気てた!」

 

「アー、気ヅイテイヤガラナカッタノカ。天然ッテヤツカ、ヤレヤレ」

 

 チャチャゼロの挑発に、エヴァは畳をバンバンと叩いて反論するが、士郎の脇腹を軽く蹴る人形の動きを必死に止めた。

 

「貴様! 士郎を蹴るな!」

 

「他人ノ事ヲ気ニスラシテナカッタ御主人ガコレダゼ。腑抜ケチマッタナ」

 

 エヴァは士郎を隠すように背中を向け、酒を啜る。  

沈黙の中、チャチャゼロが再び口を開いた。

 

「ナァ、御主人。家政夫ハ……アノ男ノ代用品ジャネーダローナ」

 

空気が凍りついた。  

エヴァがチャチャゼロの首を掴み、片手で宙吊りにする。

 

「――チャチャゼロ。その言葉、訂正しろ。さすがの私も怒るぞ」

 

 それでも、人形はケケケと笑う。目は笑っていなかったが。

 

「デ、ドウナンダ、御主人」

 

 長い沈黙の後、エヴァはゆっくりと手を離した。

 

「……さあな。まったくない、とは言い切れん。だがな、この馬鹿者は私に言ったのだ。一緒にいてくれる、と」

 

 かつてどこにも居場所がなかった自分。  

いつかは排除され、たった一人でいた自分の隣に、こいつは立つと言った。

 

「寿命という絶対の別れは来る。こいつはきっと、一人で先に逝くことを謝りながら死んでいく。……私は結局、ナギを捕まえられなかった。ナギは最後まで私だけを見てはくれなかった」

 

 チャチャゼロは何も言わず、エヴァのグラスに酒を注いだ。

 

「貴様はどうなのだ。士郎のこと」

 

「ケケケ、俺様ハ結構気ニイッテイルンダゼ。家政夫ノヤツ、俺様タチガ気ニ入ル魔法デモ使イヤガッタノカ?」

 

「……そうかもしれんな」

 

 二人は士郎を見ながら笑い合った。  

 

「腑抜けついでに、高等部とやらにでも進学してみるか?」

 

「ヒデージョーダンダゾ、御主人!」

 

 悲鳴を上げる人形に、エヴァはふふふと笑う。  

一年。最後の一年をここで楽しむのも悪くない。

 

「永劫に手に入らないと思っていた幸せというものが、もしかしたら見えてくるのかもしれんな」

 

 その想いは誰にも告げられず、夜の闇に溶けていった。

 

 

 

   ***

 

 

 

 4月24日 旅館

 

 

 

「士郎。いつまで寝ている、起きろ」

 

 優しく揺さぶられ、士郎は目を覚ました。  

二日酔いの頭痛の中、手渡された水を飲み、なんとか起き上がる。

 

「……おはよう、エヴァ。茶々丸も」

 

「機嫌が良さそうですね、マスター」

 

 茶々丸の言葉通り、エヴァはどこか晴れやかだった。  昼食は京都名物のニシン蕎麦に決まり、士郎とエヴァの二人で近場の蕎麦屋へ向かうことになった。

 

 古くからの町屋を改装した店で、手打ちの十割蕎麦を堪能する。  食後、川沿いを歩きながらエヴァが言った。

 

「貴様と一緒に、こうゆったりするのも悪くない」

 

「なんだか、今日のエヴァは落ち着いているな」

 

「まあ……昨日は年甲斐もなくはしゃぎすぎてしまったからな。反省している」

 

 はしゃいでいたのではなく、ただ浮かれていただけ。そんなことは言えるはずもなく、エヴァはそっぽを向いた。

 

「明日はどうするんだ?」

 

「詠春の所に別荘の鍵を返しに行く。明日なら、向こうも取り込み中ではないだろうしな」

 

ナギの息子が、詠春に親書を渡しに行った頃だろう。  

明日には、自分の「その後」についても話を通せるはずだ。

 

「士郎。全てはこれからさ。――私も、貴様もな」

 

エヴァは楽しそうに笑い、士郎はそれを不思議そうに見つめていた。

 

その夜。  

士郎の必死の土下座により、三日連続の宴会はなんとか回避された。  

お茶を飲みながら穏やかな時間を過ごしていたエヴァの元に、一本の電話が入る。

近衛近右衛門からであった。

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