大切な生徒が取られてしまう話   作:やま夫

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小鳥遊ホシノの場合

 

 

 

アビドスの夕日は、すべてを等しくオレンジ色に焼き尽くす。

 

その光は、かつての繁栄の残骸であるひび割れたアスファルトも、砂に埋もれかけた消火栓も、そして戦うことしか知らずに育った少女の心も、容赦なく照らし出していた。

 

小鳥遊(たかなし)ホシノは、校舎二階の廊下、その影に身を潜めていた。

 

普段の彼女なら、適当な昼寝場所を見つけて「おじさん、もう動けな〜い」と管を巻いている時間だ。

 

しかし今、彼女のオッドアイは鋭く、獲物を狙う鷹のように一点を注視していた。

 

視線の先、昇降口の前で、一組の男たちが談笑している。

 

一人は、このアビドス対策委員会の顧問であり、生徒たちの信頼を一身に集める「先生」。

 

そしてもう一人は、ホシノが物心つく前から共に砂嵐の中を駆け抜けてきた「幼馴染」の少年だった。

 

「……ははっ! なるほど、先生。それは盲点でした。それなら、あいつらもきっと驚きますね」

 

幼馴染の少年が、弾けるような声を上げて笑う。 ホシノは息を呑んだ。心臓が、嫌な音を立てて早鐘を打つ。

 

(……あ、あんな顔。おじさん、見たことない)

 

彼がホシノに見せるのは、いつだって「戦友」としての顔だ。

 

銃火器の整備をしながら交わすぶっきらぼうな言葉や、砂漠の夜の寒さに耐える時の、少し強張った信頼の表情。

 

あるいは、ホシノの「おじさんムーブ」に呆れ果てた時の、苦笑い。 だが、今彼が先生に向けているのは、そんな泥臭いものではなかった。

 

まるで、重苦しい学園の借金も、降り積もる砂の悩みも、すべてを忘れて一人の「男子生徒」として人生を謳歌しているような、眩いばかりの青春の笑顔。

 

それを見た瞬間、ホシノの脳内では「最悪のシナリオ」が、劇画調のタッチで再生され始めた。

 

(……間違いない。あの子、先生に『攻略』されてる……!)

 

ホシノの認知は、音を立てて歪んでいく。 彼女にとって、自分の知らない幼馴染の笑顔は、すなわち「裏切り」と同義だった。いや、裏切りという言葉すら生ぬるい。

 

それは、自分たちが積み上げてきた「鉄錆色の絆」が、大人の持ってきた「爽やかな青春」という名の暴力に蹂躙されたことを意味していた。

 

「……あぁ、そうか。そうだよね。先生はカッコいいもんね。都会の香りがするし、おじさんみたいに加齢臭の悩み(自称)もないし。……でも、まさか先生が、男同士の情愛という禁断の扉を叩いて、あの子を連れ去ろうとするなんて……!」

 

ホシノは現場にがっくりと膝をつき、廊下の床に拳を叩きつけた。

 

「ユメ先輩……。見てますか。おじさんたちの絆が、今、大人の毒牙にかかって粉々に砕け散ろうとしています……。あの子はもう、おじさんの知らない『光の世界』へ旅立とうとしてるんだ……! う、うわぁぁぁん!」

 

静まり返った校舎に、ホシノの悲痛な絶叫が響き渡る。 悲しさのあまり、大粒の涙が彼女の頬を伝い、床の砂を濡らしていく。彼女の頭の中では、すでに幼馴染くんが先生と手を取り合って、アビドスの校門を二度と戻らぬ覚悟で去っていく幻影が見えていた。

 

「な、何やってんのよ、また変なものでも食べたのこのバカ先輩……っ!?」

 

背後から、ひっくり返ったような声がした。

 

黒見(くろみ)セリカが、両手にいかにも怪しげな、黄金色に輝く液体が入った瓶を大量に抱えて号泣するホシノにドン引きし立ち尽くしていた。

 

「セ、セリカちゃん……! あぁ、ちょうどいいところに……っ! おじさん、もうダメ。今すぐ砂の中に潜って、千年くらい冬眠したい……!」

 

ホシノは涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らしたまま、セリカのスカートの裾にしがみついた。

 

「ちょっと、離しなさいよ! この瓶、一本五万円もするんだから! 割れたら先輩のクジラさん貯金箱から天引きするわよ!?」

 

セリカが抱えているのは、見るからに胡散臭い『カイザー・インフィニティ・ウォーター』なる怪しげな飲料水だった。「飲むだけで運気が上がり、アビドスの負債が実質ゼロになる」という、どこからどう見てもマルチ商法の謳い文句に、彼女の純粋という名の危うさは今回も全力で飛びついたらしい。

 

「いいから聞いてよぉ……。幼馴染くんが、あの先生の毒牙にかかっちゃったんだ。見てよ、あの二人。おじさんの知らない、男同士の『禁断の聖域』を築いてるんだよ……!」

 

「……はあ? また先輩の変な妄想? 先生とあいつが仲良くしてるなんて、今に始まったことじゃないでしょ。っていうか、あいつにだって交友関係くらいあるわよ」

 

セリカは呆れ顔で、ホシノの手を振り払おうとする。だが、ホシノは狂気すら感じさせる力でそれを拒んだ。

 

「違うんだよセリカちゃん! おじさんとあの子の間にはね、誰にも踏み込めない、血と錆にまみれた『鉄の絆』があったんだ! なのに、あんな爽やかな笑顔……。あんなの、おじさんたちの十何年かを否定する暴力だよ!」

 

「大げさね……。大体、あんたたちの絆って何よ。どうせろくなことしてこなかったんでしょ?」

 

セリカの鼻を鳴らすような言葉に、ホシノは「心外だなぁ」と憤慨しながらも、恍惚とした表情で「輝かしき思い出」を語り始めた。

 

「聞いて驚かないでよ? おじさんたちはね、放課後はいつも二人で『砂漠石蹴り』を極めてたんだ。どれだけ重い石を、どれだけ遠くのサボテンまで蹴り飛ばせるか……。最高記録を出した時は、二人で砂を噛みながら握手したもんさ」

 

「……ただの苦行じゃない。面白そうな要素が一つもないわよ」

 

「それだけじゃないよ! 夏休みにはね、不法投棄された重機の墓場に行って、二人で『廃材の錆落とし競走』をしてたんだ! どっちが早く、鋼鉄の地肌を露出させられるか……。ワイヤーブラシの摩擦熱で火傷しながら、夕陽を眺めるのが最高にクールだったんだよ……!」

 

「それ、ただの労働でしょ! しかも無賃の!」

 

「他にもあるよ! 二人で夜の校舎に忍び込んで、『鉄パイプの打撃音によるモールス信号会話』を朝まで続けたり、『古びた弾丸の火薬を抜き取る早業選手権』を開催したり……。あぁ、なんて濃厚で、鉄錆色の青春だったんだろう……。ねぇ、セリカちゃんもそう思うでしょ?」

 

ホシノは潤んだ瞳で同意を求めた。しかし、セリカの反応は氷のように冷ややかだった。

 

「……あのね、ホシノ先輩。あんたに一つだけ、残酷な現実を教えてあげるわ」

 

セリカは高額な飲料水の瓶を抱え直し、深いため息をついた。

 

「それ、あいつにとってはただの『罰ゲーム』だったんじゃないの?」

 

「えっ」

 

「いい? 誰が好んで放課後にサボテンに石ぶつけたり、錆びた鉄屑磨いたりするのよ! あんたに付き合わされてただけでしょ! あいつ、先生と話してる時は『流行りのスイーツ』の話とか、『今度の休みの過ごし方』とか、普通に楽しそうなこと話してたわよ! 先輩の古臭い遊びに付き合わされるより、先生に靡くのは当然の結果でしょ!」

 

「…………」

 

ホシノの動きが止まる。

 

彼女の脳内で、美しく脚色されていた『錆びた思い出』が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。

 

幼馴染くんが、鉄パイプを叩きながら薄笑いを浮かべていたのは、楽しかったからではなく、極限のトランス状態だったのか。

 

「……あ。あぁ……そうか……。そうなんだね。おじさんの青春は、あの子にとっては、ただの重荷だったんだ……。ユメ先輩……見てますか。おじさん、良かれと思ってあの子を地獄に連れ回してました……。もう、取り返しがつかないよ……!」

 

悲しみが限界突破し、一周回って「守護者としての暴走」がホシノの中で始まった。

 

「いいよ……もういい。あの子が『光』を求めるなら、おじさんは『影』として、あの子を闇の中に引きずり戻してあげる。……先生、覚悟してね。おじさんの錆びた青春を、そのキラキラした大人の余裕で上書きしようなんて、一万年早いんだよ……!」

 

ホシノは愛用のショットガンをガシャリと装填した。

 

その瞳には、もはや理性など欠片も残っていなかった。

 

「ちょっと! 何物騒なこと考えてんのよ! 待ちなさいってば!!」

 

マルチ商法の瓶を抱えたセリカの叫びを背に、ホシノは復讐の鬼と化して階段を駆け下りていった。

 

 

 

 

 

「……そこまでだよ、先生。……そして、かつての戦友」

 

夕暮れの校門前、劇的な逆光を背負ってホシノが立ちはだかった。

 

その手には『Eye of Horus』、そして銃口はあえて逸らされているものの、放たれる殺気は本物だ。

 

談笑していた先生と幼馴染の少年が、弾かれたように振り返る。

 

「ホ、ホシノ!? なにをしているの……?」

 

「ホシノ、お前……また何か変なものでも食べたのか?」

 

幼馴染の少年の困惑した声。だが、今のホシノにはそれが「自分を拒絶するための防衛反応」にしか聞こえない。

 

「……ふふ、あはは! 酷いなぁ、あんなに一緒に鉄錆を磨き合った仲なのに、そんな風に他人行儀に呼ぶんだね。……先生、貴方は罪深いよ。その子を、あんなキラキラした『現代的な笑顔』で惑わすなんて。……あの子の居場所はね、砂嵐の中と、不法投棄された重機の陰にしかないんだよ……!」

 

「いや、ホシノ、落ち着いて。私たちはただ——」

 

「黙ってて、先生! 先生に何がわかるの!? 二人でサボテンの針を抜き合った痛みが、錆びた鉄パイプを叩きすぎて掌の皮が剥けたあの夜の熱さが、先生にわかるっていうの!? 先生の持ってきた『洗練された都会の楽しみ』なんて、おじさんたちの泥臭い絆の前では、砂上の楼閣なんだよ!」

 

ホシノは一歩、また一歩と詰め寄る。その瞳は涙で潤み、しかし確固たる狂信に満ちている。

 

「その子を、その『清々しい友情』という名の檻から解き放ってあげる。……大丈夫だよ、幼馴染くん。もう一度、二人で弾丸の火薬を抜く作業に戻ろう? あの無心になれる静寂こそが、おじさんたちの真実なんだ……!」

 

「……っ、流石に不審者すぎるよホシノ!」

 

先生が思わず幼馴染の前に立ちはだかる。それがさらにホシノの火に油を注いだ。

 

「守るんだね、先生……。あの子を、おじさんという名の『過去』から……! なら、おじさんも容赦しないよ! アビドスの砂は、甘い誘惑も、キラキラした青春も、すべてを飲み込んで……錆びつかせてあげるんだからっ!」

 

「待ちなさーーーい!!」

 

絶叫と共に、背後から猛烈な勢いでセリカが突っ込んできた。

 

彼女の両手には、例の『カイザー・インフィニティ・ウォーター』が一本ずつ握られており、それを棍棒のように振り回してホシノの脳天に一撃を食らわせた。

 

「ふぎゃっ!?」

 

「あんた、いい加減にしなさいよ! 誰が錆落としに戻りたいって言うのよ! それに、あいつが先生と話してたのは、もっとマシな理由よ! このバカ先輩!!」

 

「……セリカちゃん、痛いよぉ。瓶で叩くのは、おじさんの石頭でも普通に効くよぉ……。でも、ダメなんだ。あの子が、あの子が『健全な男子高校生』になっちゃう……!」

 

「なっていいに決まってるでしょ!!」

 

セリカの鋭いツッコミが夕焼けの空に虚しく響き渡る。

 

現場は、愛用の銃を抱えて泣きじゃくる三年生と、マルチ商法の瓶を振り回す一年生、そして完全にドン引きして棒立ちになっている先生と幼馴染という、地獄のような光景と化していた。

 

 

 

 

「……ん? 何か、校門の前がとっても賑やかだね〜?」

 

 

 

 

その時、のんびりとした、場違いなほど明るい声が響いた。

 

全員の視線が、声の主へと向かう。そこには、大量の派手なポスターを抱え、さらに頭にはなぜか「お祭り」と書かれたハチマキを巻いた少女——梔子(くちなし)ユメが立っていた。

 

「あ、ユメ先輩!」

 

幼馴染の少年が、救いを求めるように声を上げる。

 

ホシノは、まるで幽霊でも見たかのように、涙で濡れた顔を上げた。

 

「……ユメ、先輩? なんで、ここに……? 先輩は、おじさんの記憶の中で、一番綺麗な思い出として、あるいは留年を繰り返す悲運の象徴として、社会的に死んだも同然だったんじゃ……」

 

「酷いよホシノちゃん!たった2回留年したぐらいで!それよりも……ほら見て、今年の『アビドス砂祭り』のポスター! これを貼るのを、先生と幼馴染くんに手伝ってもらおうと思って相談してたんだよ〜!」

 

ユメが広げたポスターには、手書き感満載の文字で『特製・砂漠のイカ焼き屋台』という文字が踊っていた。

 

「……え。……イカ焼き?」

 

ホシノの思考が停止する。

 

「そうだよ、ホシノ」

 

幼馴染の少年が、呆れたようにため息をついた。

 

「先生が昔、屋台のバイトで神がかった手捌きをしてたって言うからさ。ユメ先輩の悲願だった砂祭りを成功させるために、その技術を伝授してもらおうと笑い合ってたんだよ。……お前が言うような『禁断の扉』なんて一ミリも開いてないし、鉄パイプも叩きたくない」

 

「……あ。……あぁ」

 

ホシノの顔が、急速に赤くなっていく。

 

先生の笑顔は、決して自分を捨てて都会へ帰るためのものでも、男同士の情愛に目覚めたものでもなかった。

 

ただ、祭りを成功させようという純粋な、そして「美味しいイカ焼き」への情熱だったのだ。

 

「……おじさん、また……盛大にやらかした?」

 

「盛大どころじゃないわよ! 先生に銃口向けて、あいつを鉄錆の世界に引き戻そうとするなんて、テロリストの思考回路よ!」

 

セリカが、マルチ商法の水を一気飲みしながらツッコミを吐き捨てた。

 

「あはは、でもホシノちゃんが元気そうでよかった! さあ、みんなでポスター貼りに行こう! 先生も、幼馴染くんも、セリカちゃんも!」

 

ユメ先輩の屈託のない笑顔に、場の空気は一気に緩んでいく。

 

ホシノは真っ赤になった顔を隠すように、ポスターで自分の姿を覆い隠した。しかし、その隙間から、幼馴染の少年が「ほら、行くぞ」と手を差し伸べてくるのが見えた。

 

「……錆落としじゃなくても、いいの?」

 

「当たり前だろ。……まぁ、たまになら、石蹴りくらいは付き合ってやるよ」

 

その言葉に、ホシノは小さく「……うん」と頷いた。

 

結局、幼馴染の少年が一番大切に思っている「居場所」は、先生でも都会でもなく、この騒がしくて、ズレていて、けれど温かいアビドスなのだと、ようやくホシノの胸にすとんと落ちた。

 

「……ふふ。じゃあ、おじさんも手伝おうかな。イカ焼きの試食係としてね」

 

夕焼けの中、五人の影が長く伸びていく。遠くに他のアビドス生達の影も見える。

 

セリカは結局、先生にマルチ商法の瓶をすべて没収され、「後でクーリングオフに行くよ!」と叱られながら歩いていく。

 

 

 

アビドスの青春は、相変わらず泥臭く、そして少しだけ、イカ焼きの香りが混ざっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところでユメ先輩。ホシノ先輩が言ってたあいつとの昔話って全部作り話なんでしょ?」

 

「ん〜?あっ、聞いてよセリカちゃん!昔、私が砂漠で遭難した時にホシノちゃんと幼馴染くんがビリビリしてる巨人を倒したんだよ!」

 

「またそうやって……。そんな作り話、私は信じないわよっ!!」

 

 

 




・小鳥遊ホシノ
擦れた子供から健やかに育ったクソガキへ
周囲の反応からして初犯じゃないという説が有力です

・黒見セリカ
赤の他人の言葉を信じるけど身内の言葉は頑なに信じない

・幼馴染君
つよつよ幼馴染君

・先生
元苦学生。アビドスに来る度にドン引きしている

・梔子ユメ
社会的には死んでいる女
留年をなにかポジティブなものだと思っている女
来年20歳
カカポの擬人化
みんなの太陽
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