新書版・ウマ娘戦記   作:灯火011

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「フレームアウト」の戦術論 ——常識の外側を走るということ

1. 「棺桶」に入った五冠目

 

 1965年12月26日、中山レース場。引退レースとなるこの日、単勝支持率は実に70%を超えていた。しかし、パドックを取り巻く空気は、祝祭というよりは処刑場に近い張り詰めたものであった。

 

 他陣営の作戦は明確だった。「シンザン包囲網」である。徹底したマークにより、シンザンをウマ娘の集団の中に閉じ込める。中山の短い直線で前が壁になれば、いかに鉄の女とて抜け出すことは不可能だ。それは物理法則に基づいた、最も確実な「シンザン殺し」の戦術であった。

 

 第4コーナーを回り、直線に向いた瞬間。その策は完成したかに見えた。シンザンの前には先行集団の壁。左右はライバルたちに固められている。完全な「袋小路(ポケット)」に入ったのだ。観客席からは悲鳴が上がった。「シンザン、詰まった!」と。

 

2. リスクとリターンの超計算

 

 ここで当時のコース状況を整理する必要がある。開催最終週の冬の中山。芝は剥げ、特に内側の走路は泥田のように荒れ果てていた。通常、ウマ娘の脚への負担とスタミナロスを考えれば、それでも「最短距離」である内側を走るのがセオリーである。

 

 だが、シンザンというウマ娘の演算能力(プロセッサ)は、この極限状態で全く別の回答を導き出していた。

 

 内側の荒れた馬場:脚を取られ、加速力が殺される。包囲網を強引に突破するにはリスクが高い。

 

 大外のラチ沿い:距離ロスは甚大だが、芝はまだ残っている。

 

 彼女が選んだのは、コース幅をいっぱいに使った「直角に近い斜行」だった。包囲網をこじ開けるのではない。包囲網そのものを「無視」し、誰もいない場所へ移動する。 これは、自身の瞬発力とスタミナに対する絶対的な自信がなければ選択できない、狂気の沙汰である。

 

3. カメラマンを騙した「消失」

 

「シンザンが消えた!」

 

 当時の実況アナウンサーの絶叫は、決して比喩ではなかった。当時のテレビ中継技術では、カメラは先頭集団(つまり内側の激戦区)をズームで追うのが精一杯だった。カメラマンは、内側で激しく競り合うミハルカスたちを映し続けた。誰もが、その中にシンザンがいるはずだと信じていたからだ。

 

 しかし、シンザンはそこにいなかった。彼女はカメラの画角(フレーム)の外、大外のラチ沿いという「空白地帯」を独走していたのである。

 

 筆者はこの現象を、単なるハプニングではなく、シンザンの「空間支配能力」の極致であると捉えている。彼女はレースの主役でありながら、レースという盤面(フレーム)から自ら離脱し、俯瞰的な視点で勝利を盗み取ったのだ。

 

4. 鉈(なた)が振り下ろされた瞬間

 

 テレビ画面が慌ててズームアウトし、大外のシンザンを捉えた時、勝負は既に決していた。内側の荒れた馬場で泥にまみれながら競り合うライバルたちを尻目に、比較的良好な大外の芝を蹴るシンザンの走りは、あまりにも鮮やかだった。

 

 彼女の脚質である「鉈の切れ味」が、ここで真価を発揮する。カミソリのような鋭さではなく、重戦車が加速するような圧倒的質量感。大外から被せられるその重圧に、ライバルたちは為す術もなくひれ伏した。

 

 ゴール板を駆け抜けた瞬間、彼女は「五冠」という数字以上の何かを、そこに刻み込んだ。それは、「強いウマ娘とは、環境や展開に左右される存在ではない。自らの脚で道を切り拓く者だ」という、冷徹なまでの事実であった。

 

結び:ラストランが遺したもの

 

 このレース以降、ウマ娘のレース戦術において「バ場読み」の重要性が再認識されることとなる。しかし、シンザンの真似をして大外を回ったウマ娘の多くは、単に距離ロスに泣き、敗れ去っていった。

 

 あの日の「フレームアウト」は、シンザンという特異点だけが可能にした、最初で最後の奇跡だったのである。彼女はテレビ画面から消えることで、逆説的に、歴史という巨大なスクリーンにその姿を永遠に焼き付けたのだ。

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