新書版・ウマ娘戦記   作:灯火011

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証言・管理者の孤独 ——「私は彼女を教えなかった」

1. 名伯楽の告白

 

 都内某所。引退し、今は好々爺となった元トレーナー・T氏は、私の差し出したICレコーダーを見つめながら、静かに首を横に振った。

 

「世間では、私がシンザンを育てたことになっている。鉄の女を鍛え上げた鬼トレーナーだとね。だが、それは間違いだ」

 

 湯呑みを置く手には、老いと共に確かな誇りが滲んでいたが、その口から出た言葉は衝撃的なものであった。

 

「私は彼女を『管理』しただけだ。いや、もっと正確に言えば、彼女という精密機械がオーバーヒートしないよう、計器を監視していたに過ぎない。彼女はトレセン学園に来た時点で、既に『シンザン』として完成されていたんだよ」

 

2. 「対話」ではなく「確認」

 

 T氏が語るエピソードは、従来の「二人三脚のスポ根物語」とは一線を画す。

 

「ある朝のトレーニングだ。私は彼女に坂路での長めのメニューを指示した。だが、彼女は途中で足を止めたんだ。反抗したんじゃない。ただ私の元へ歩いてきて、淡々と言った。『これ以上やると、右脚の腱が伸びる感覚があります。今日の最適解はここまでです』と」

 

 通常のトレーナーなら叱咤激励するところだ。限界を超えろ、と。しかし、T氏は即座にメニューの中止を命じた。

 

「彼女の目は、レントゲン写真のように自分の体を透視していた。彼女が『ダメだ』と言えば、それは科学的にダメなんだ。私の経験則や感情論が入り込む余地など、そこには1ミリもなかった」

 

 二人の間にあったのは、熱血指導ではなく、高度な技術者同士の「確認作業」だったという。今日の調子はどうか。路面の硬度は。風向きは。彼女から返ってくるデータに対し、トレーナーが承認印を押す。それが、シンザン陣営の日常だった。

 

3. 畏怖という名の信頼

 

「怖かったか、と聞かれれば、イエスだ」

 

 T氏は遠くを見る目をした。

 

「彼女は決して吠えないし、感情を爆発させることもない。だが、ゲート裏で彼女が蹄鉄を鳴らす音を聞くたびに、私は背筋が寒くなる思いがした。隣にいるのは、愛らしいウマ娘ではない。勝利を生産するためだけに存在する、巨大な機関(システム)そのものなんじゃないかとね」

 

 しかし、と彼は付け加えた。その「怖さ」こそが、絶対的な信頼の証でもあった。

 

「レース中、私は祈ったことがない。神頼みなんて不確定なものに頼る必要がないからだ。彼女が走れば、結果は出る。入力されたデータ通りにな。だから私は、ゴール前でガッツポーズをしたこともないんだよ。『よし』と頷くだけだ。計算が合った、とな」

 

4. 鉈(なた)の切れ味、その真実

 

 インタビューの終盤、私はあの「鉈の切れ味」について尋ねてみた。T氏はニヤリと笑った。

 

「鉈?ああ、うまい表現だ。だがね、彼女の本当の恐ろしさは『切れ味』じゃない。『重さ』だよ」

 

 彼は自身の胸を拳で叩いた。

 

「彼女の走りは、相手の心臓を潰すんだ。並びかけられた瞬間、相手のウマ娘は悟る。『ああ、これは無理だ』と。生物としての格が違う、と本能レベルで理解させられてしまう。だから、シンザンに負けた相手は、悔しがる前に青ざめるのさ」

 

結び:最初の目撃者として

 

 T氏は最後にこう締めくくった。

 

「私はトレーナーとして、彼女に何かを教えることはできなかった。だが、彼女の『最初の観客』になれたこと。特等席で、あの昭和の神話を目撃できたこと。それだけで、私のトレーナー人生はお釣りがくるほど幸福だったよ」

 

 最強のウマ娘を創った男は、自らを謙虚に「観客」と呼んだ。その言葉の裏には、人智を超えた存在に触れた者だけが知る、深い孤独と至上の喜びが混在していた。

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