百八十度ノ魔女裁判 作:ミズハ
(明日は、ノアの件についてレイア、アンアンと話し合う日だ……この問題が解決すれば、皆の不満が一つ減ることになる。相変わらず私に相談はこないが、とりあえずは一つ一つ課題を片付けていこう)
朝食を取り終えた私は決意を新たにしながら、牢屋敷の見回りを開始した。
シェリーも、相変わらずにこにこと笑いながら見回りについてきた。
私とシェリーは一人一人の安全を確認するために、牢屋敷を見回っていく。
医務室のアンアンは少し容態が良くなり、相変わらずメルルが面倒をみていた。
図書室で、マーゴは変わらず、ずっと解読も兼ねて静かに本を読んでいた。
途中出会ったハンナは、また悲鳴をあげてミリアの陰に隠れて、ミリアは苦笑いを浮かべていた。
レイアは娯楽室で、ココに動画配信のやり方を教わっていた。
邪魔しないようにちらっと見たノアは、相変わらず自分の監房で絵を描いているようだった。
ナノカとアリサは刺激しないために接触しなかったが、どうやらストレズ発散を兼ねて自然豊かな中庭を散策しているようだった。
(全員を見回ったが、特に問題はないようだな……)
ナノカとアリサ以外の少女とは全員軽く会話をしたが、特に言動に違和感がある少女はいないように思える。
ただ、シェリーはずっと空気の読めない言動をして、また皆から白い目で見られていた。
そのたびに、私の心の中に消化できない、隣の友人への違和感が積もっていく。
(どうして……なぜなんだ。シェリー)
そう内心で葛藤を続けながらも、私は歩みを止めなかった。
私の重々しい心の中とは別に、時間はあっという間に過ぎる。夕食の席で、私とレイアとアンアンは明日の予定を確認し、擦り合わせを開始していた。
「ヒロくん、今日は見回りご苦労だったね!……明日の朝食にはノアくんもくるそうだから、朝食を終えたらすぐに私とアンアンくんとヒロくんで、そのまま食堂で話をしよう。アンアンくんの体調も、だいぶ良くなったようだからね。なんとか自分の部屋以外で、ノアくんが絵を描ける場所を探してみよう!」
「確かに、今日の昼の医務室ではアンアンはだいぶ体調が良くなったようだね。メルルのお墨付きもある。後はノアをどうにか納得させよう」
【わがはいがノアを説得してみせる!】
明日の話合いに意気込みを覚えていたのは私だけではなかったようで、レイアとアンアンも張り切っているようだった。
「ヒロくん、アンアンくん。こんな時だからこそ、私達一人一人ができることをしていこう」
にこやかに微笑みを浮かべるレイアに、私とアンアンは深く頷いた。
(今のところは何事もない、か……)
夕食を終えた私とシェリーは、その後も夜遅くまで見回りを続けていた。
「時間だね。付き合ってくれてありがとうシェリー。明日にそなえて、そろそろ自室に戻ろう」
「いえいえ!でも明日の話し合い、シェリーちゃんも参加したかったです!」
「……文句を言うな。参加するメンバーは事前に決まっているのだから、仕方ないだろう」
頬を膨らませるシェリーに、私は呆れる仕草をする。
シェリーと他愛ない話をしながらも、私の内心は荒れ狂い葛藤していた。
(私たちはまだ出会って数日だ……人の内面に踏み込みすぎないのは、処世術ではある。しかし……シェリーのわがままな言動を、このままにしているわけにはいかない。
……友人だからこそ、踏み込まなければならないこともあるはずだ)
「どうしたんですか、ヒロさん?おーい!聞こえてます?」
押し黙り、少しうつむいてしまった私の顔をのぞき込むように、シェリーが少し屈んで近づいてきた。
(……案外背が高いんだな、シェリーは)
呑気なことを考えてしまった自分をぼんやりと客観視しながらも、私は重々しい口を開いた。
「シェリー、きみはどうして空気を読まないんだ。きみは、普段のデリカシーのない言動を意図的に作っている節があるだろう?」
その時私は、私の頭を見下ろすシェリーの体が僅かに震えた感覚を、気配で感じた。
「……なんのことでしょう。あんまりシェリーちゃんは人が何を考えているかとか、分かんないので!空気が読めないだけですよー!もうーヒロさんってばー!」
「嘘だね。これだけ長く接していれば、その程度のことは分かる。君は空気を読めるし、人がどう考えるかをある程度推察できている。空気は読めるけれど、わざと読んでいないだけだ」
私の推測を笑い飛ばそうとするシェリーを、私は逃がさなかった。
気づけば目線が合っており、私はシェリーを見上げ、シェリーは私を見下ろしていた。
「最初に私が違和感を持ったのは、私が初めてアンアンと医務室で話した時のことだ。
あのとききみは、すぐに体調の悪いアンアンに話かけなかった。病人が医務室で休憩していたのだから、配慮するのは当然だろう。人の心が分かる人間ならば。……実際にきみがアンアンに話しかけたのは、話が一段落してからだった。アンアンが少し私に好印象を持った後の、タイミングが良い場の流れで君は口を開いた」
「その後のナノカの件で殺気に真っ先に反応したことを考えても、他の少女との会話を見ていても、きみが人の心が分からない訳ではないことは分かる……シェリー、きみはどうして私を目立たせて、自分を嫌わせるようなことをしているんだ」
それはここ数日間のシェリーの行動を見れば、私には明らかだった。シェリーがピエロのようにふるまうことで、少女たちは私に少しずつ心を許し始め、それに比例するかのようにシェリーは嫌われていく。私には、それが耐えられるものではなかった。
……少しの間があいて。シェリーから出た言葉は、鋭い刃のついた凶器のように私の心をえぐった。
「んー。ヒロさんが私のことを嫌いなのはなんとなく分かっていました。そして、それでいいんですよ。……ヒロさんは、正しい人ですから」
シェリーの声色は、いつもの能天気さは欠片もない。彼女に似つかわしくない、深い海を思わせる、知性を感じさせるものとなっていた。
「……昨日も言っただろう。私はきみの欠点を知っているが、それ以上に、きみの良い所を沢山知っているんだ。人間の関係というものは、そう単純ではない」
私の絞り出した言葉は、シェリーの耳には届かない。
途端にシェリーの声色は、いつもの能天気な、気楽なものに戻る。
まるで先ほどまでの姿が、幻であったかのように。
「以前水浴びの時に、どうして私がヒロさんをかばおうとしているのかお聞きしましたよね?特別にこのシェリーちゃんが教えてあげましょう!……なんと、私シェリーちゃんは人を殺したことがあるんです!それも気が向いたからという理由で、ですよ!やっぱり私は人の心が分からない、化け物ですよね!」
( やめろ……こんなことを言わせたくはなかった……!)
私に笑顔を送りながらも衝撃の告白をするシェリーは、いつものように笑顔にもかかわらず、どこかいつもより更に痛々しく見えた。
「そんな私に比べたら……結果的にエマさんが死んだとはいえ、皆のために悪い存在を退治して、みなさんを悪い場所から逃がそうとしてくれたヒロさんを、私が尊敬して、庇わない訳ないじゃないですか」
(……シェリーは、実はずっと心のどこかで私と、シェリー自身を比較していたのかもしれない。だから、私を妄信的に正しいと思いこんで、ずっと傍にいたのか……だが、歪んでいる。このようなものは、これは、決して健全な関係ではない)
「……私は、それでもきみのことを化け物ではなく、立派な人間だと思っているよ」
重々しく口にした私の言葉は、ぴしゃりと跳ねのけられた。
「知ったようなことを、言わないでください」
(……!)
一瞬。
初めてシェリーから叩きつけられた、殺意の感情。
それは、一度経験した私に覚えがあるもので、どこか魔女化の殺人衝動に似ているように感じられた。
「ごめんなさい。本当はヒロさん相手に、私がこんなことを言ってはいけないはずなのに……失礼しますね」
監房の扉がロックされるまで残り一時間だというのに、シェリーはよろよろと私から離れていく。
私は呼び止めようとして、その口は堅く閉ざされる。
私は手を伸ばそうとして、その手は止まる。
(追うべきなのか?追ってもいいのか?そもそも私に、その資格があるのか?
明日には大事な話し合いがある。備えなければならない。……今のシェリーは危ういし、追うべきだと分かっているのに!)
葛藤は、止まらない。しかし私の足は止まっている。
私が共に行動しなかった結果、ユキは死んだ。
私が無茶な行動をした結果、エマが死んだ。
そしてまた私は現在、大切な人を傷つけてしまったあげく、動くことができずにいる。
(これではエマを笑えない……どうしていつも、あいつの顔が浮かんでくる。気持ち悪い)
大きく息を吸って、吐いた。
皮肉なことに、死人のエマに怒りをぶつけることで、私は少し落ち着くことができた。
(……明日の話し合いに、問題が起こってはならない。自由奔放なシェリーの向かう先に、心当たりがあるわけでもない。それにまだ監房がロックされるまで一時間ある。さすがにシェリーも落ち着きを取り戻して、自分の部屋に戻るだろう。私も部屋に戻ろう)
私が暗い表情で地下に降りると、そこにはレイアが立っていた。
レイアはいつものように端正な顔で、砂糖菓子を連想させるような甘い微笑みを浮かべてくる。
「ヒロくん、今日も見回りごくろうだったね。ヒロくんが治安のために直接動いてくれて、皆とても助かっているだろう。私も見習って、監房が閉まるまで、今日はここで見回りをすることにしたんだ」
「……そう言ってもらえると、助かるよ。きみにもいい影響を与えられているみたいだ」
自然と私も笑みが浮かぶ。
穏やかな雰囲気が流れる中、レイアが異変に気付いたようだった。
「そういえば、今は今日ずっと一緒に行動していたシェリーくんと一緒ではないみたいだけれど。なんだかヒロくんも、元気がないみたいだし」
「……少し、喧嘩をしてしまっただけだ。明日には仲直りできる程度だけどね」
(仲直りに関しては、願望でしかないが……)
苦々しく内心思う私の内心を察して気を使ったのか、レイアは深く追求してこなかった。
「そうなんだね……あれほど仲良く見えたのに……やっぱり人間関係というものは難しいな。うまく仲直りできることを祈っておくよ。もちろん、明日の話し合いも。よろしく頼む」
「ありがとう。全員が納得できる落としどころを見つけられればいいな」
(レイアの力強い言葉は、いつも安心感を与えてくれるな)
私は心がじんわりと温かくなっていくのを感じながら、レイアと別れ自分の監房に向かった。
自分の監房で毛布を体にかけながら、改めて明日に希望を持ち直すことができた。
それでも、シェリーとの問答の後悔を繰り返すばかりだった。
(……どうして私は、シェリーの内面に踏み入ってしまったんだ。シェリーが私の言葉に耳を貸さないなんて、分かり切っていたことなのに……それでも、彼女の私に対する献身じみた自己犠牲のような行動に、耐えることができなかった)
(大丈夫。こんな喧嘩なんて些細なことにすぎない。明日になれば、お互いに頭も晴れて、またシェリーと元の関係に戻れるはずだ。明日になれば……)
私のように、私が知らない誰かのように。世界にいくら悩みを持つ人間がいたとしても、平等に夜は過ぎ、朝が来る。
翌日の朝、布団からむくりと起き上がった私は、決意を新たにしていた。
(まずは、食堂でシェリーに全力で謝ろう。彼女の笑顔の下の本当の顔は、今でも悲鳴をあげているかもしれない)
私は張り切って一番に食堂に入ると、料理を盛り付け始めた。
少し遅れて、他の少女たちも入ってきた。
同じく張り切っているのだろう、レイアとノアとアンアンが同時の二番手だった。
メルル、マーゴ、ナノカ、ハンナとミリア、ココ、アリサ。
牢屋敷内の、ほぼ全員の少女が入ってくる。
私が今、謝りたい友人を除いて。
心が少し、軋んだ。
違和感にレイアも気付いたらしい。不思議そうな声をあげた。
「シェリーくんは、まだ来ていないみたいだね……?昨日ヒロくんと喧嘩したらしいから、それが原因なんだろうか」
「……」
私はレイアの問いかけに、無言だった。
違和感があった。
私には、シェリーは一つの物事を、それほど引きずるような人間とはあまり思えなかった。
むしろ何もなかったように、今日もすぐ笑顔で、少し間の抜けた顔を見せてくれるものとばかり思っていた。
(まだ私を許すつもりがないのか……?気まずいのか……?いや、それも当然か)
シェリーには、私以外で特別に親しい人間はいない。
強いて言えばメルルだが、どちらかと言えばメルルは全員に優しく、平等に接する少女だ。私達と行動を共にしたのは、私達が孤立していたことも要因だろう。
(私がシェリーを孤独にしてしまったんだ……一刻も早く探したいところだが……)
しかし私が定めた正しさは、シェリーを探しに行くことを許さなかった。
「シェリーは後で探そう。今日はレイアとノアとアンアン。君たちとの話し合いを一番にする約束だからね。優先順位は明確にするのが正しさだ」
「いいのかい、ヒロくん?」
「ああ、シェリーとは仲直りして、軽くしつけておくさ。朝食を取らないのは正しくないからね」
「わーい!ヒロちゃんとの話し合いだー!」
【とことん議論するぞ】
「……とは言っても、アンアンくんもノアくんも体調が良いみたいだから、案外早く済むかもしれないけどね」
苦笑いを浮かべるレイアに、私も苦笑を返した。
―――それからの4人での話は、とても私にとって楽しい時間となった。
能力を尊敬しており、相性が良いと感じているレイア。
自由奔放さが、どこか大切な幼馴染のユキを連想させるノア。
少しレイアと私を重ねているのか、段々と心を許してくれるようになったアンアン。
それでも自分の部屋にノアは絵を描きたいようで頬を膨らませてわがままを言うが、親友のアンアンがなぐさめなだめ、私とレイアが苦笑しながら話を進める。
会議とは名ばかりの、放課後の友達同士がする雑談会のような、緩い雰囲気で話し合いは進んでいく。
(――楽しい。私も気を張っていたのかもしれないな。……こんな時間がいつまでも、続けばいいのに)
会議が始まってから、一時間が経過しようとしようとしていた。
「ウアアアアア……!!誰か来てくれ!早く!!」
そしてその幸せな時間は、尋常ではない、少女の空気を割く悲鳴によって、壊された。
心臓の鼓動が、激しく音をたてはじめる。体の震えも止まらない。
体と精神をコントロールしようとするも、私の制御下を離れて完全に暴走していた。
「ヒロちゃん、今の悲鳴……って」
「多分今の声はアリサくんだね!中庭の方角だ……!」
ノア、レイア、アンアンの顔も真っ青だった。
レイアが方角を口にした瞬間、アンアンがスケッチブックに何か書く前に、私は既に猛然と走り始めていた。
後ろから3人が追ってくる足音を感じたが、それどころではなかった。
食堂から玄関ホール、ラウンジと走る間も私の頭は思考を続けていた。
(今の叫び声は尋常なものではない!普段のアリサらしくもない!普段の気性を考えると襲われたとしてもあんな声は出ないはず……認めたくないが、最悪の想定はしておくべきだ。誰かが死んだ?ありえない。正しくない!正しくない!)
私の体はラウンジから中庭に向けて、弾丸のように発射されていく。
体を制御しようとする精神は相変わらず離れており、それでも体は動く。獣の本能のようだった。
だってそうしないと、考えたくもない、最悪の想像をしてしまうから。
あたまのなかでは、その可能性が高いと、分かっているから。
(そんなことはない。そんなことは……ありえない!)
ラウンジから飛び出した私は、中庭に足を踏み入れた。
そこには既に大勢の少女たちが集まっており、マーゴが私に気付いて声をかけてきた。
「こっちよ、ヒロちゃん!」
マーゴが誘導してくれて、草木をかき分けた中庭の隅。
真っ青になっているアリサが指さし続けている先に『それ』はあった。
(……嘘だ)
動かない少女は、遠目から見れば、ただ座っているだけに見えたかもしれない。しかし現場の状況がそれを否定していた。
私は、よろよろとその少女に近づく。
(……嘘だ!)
少女は、もう立ち上がることはない。
少女の背後の壁には、拳の血の跡がいくつも生々しくこびりついていた。
少女の上半身の衣服は、少女を、人権を侮辱するかのように全て剝ぎ取られていた。
少女の両腕は左右に広げられ、十字架にでもはりつけられたような恰好だった。
少女の両拳と両肘からは、綺麗な赤い蝶が舞っていた。
生々しいことに、蝶のせいもあって半裸の少女の死体は美しさすら感じられるものだった。
少女の青いスカートは赤く汚れてしまっており、いつも手に持っている虫眼鏡は、地面で割れていた。
いつも笑顔を浮かべていた瞳に映る物は、もうない。
デリカシーのない、空気の読めない能天気な、それでも、とても私に優しかった、友人の声を聞くことは二度とない。
(嘘だ、嘘だ……!)
「――――!!!」
気付けば声にならない獣のような絶叫が、私の喉から放たれていた。
私は奈落の、底に居た。