百八十度ノ魔女裁判 作:ミズハ
私とマーゴは中庭を出て、医務室に向かう。
私は足を動かす最中も、どうアンアンとの会話を組み立てるべきか考え続けていた。
事前に得た情報から、こちらを明確に憎んでいると思われる相手であり、思考をまとめずに曖昧な心境で会話をした所で、仲がよりこじれるだけのように思えた。
とうとう医務室に到着したものの、扉の前で足を止めてしまった私に向けて、緊張をほぐすようにマーゴが語りかけてきた。
「警戒はするべきだけれど、あまり気負いすぎない方がいいわ……肩肘を張ると、かえって失敗が増えてしまうことってあるでしょう?」
「……そうだな」
(……いくら事前にシミュレートしたところで、どうにもならないこともある。アンアンの状況を確認してから、素直に胸の内を明かすこととしよう。なに、いきなり銃を突きつけられた経験よりは楽なはずだ)
心を落ち着かせるために小さく静かに頷く。マーゴのおかげで覚悟を決めることができた私は、医務室に足を踏み入れた。
アンアンは動かずにベッドで横になっていた。貧血の容態が少しは改善されたらしいが、やはり体の弱さは一朝一夕で治るものではないらしい。
ゴクチョーの許可を得ていることもあって、最早彼女にとっての医務室は自室よりも長く居る、自分の庭のようなものなのかもしれない。
幸いにも目は開けており、日中に眠っているようではないようだ。
「……邪魔をさせてもらうよ、アンアン」
私が静かにアンアンに声をかけると、アンアンはもぞもぞとシーツの中で体を動かしてこちらを向いた。私たちを発見すると、僅かに、驚いたように小さく目を見開く。
そして慌てるようにスケッチブックとペンを取り出すと、ペンを走らせ始めた。
私にはどこかアンアンの仕草が、妙に慌てているように思えた。
【マーゴとヒロか。わがはいに何の用だ】
「またなにかあってからでは遅いから、私の提案でマーゴと共に、改めて少女たち全員の見回りをしようと行動していてね。現在牢屋敷中を回っている所だ」
【そうなのか】
私は口を動かしながら、アンアンの私への行動の変化に微かな違和感を覚え続けていた。
(……妙だ。昨日までの立ち振る舞いと違い、私との筆談に抵抗がない。所在無さ気な、まるで小さい子供が親に叱られる時のような居心地の悪そうな表情をしている……アンアンの心境に、何か大きな変化があったのか?)
「メルルから聞いたよ。容態が良くなってきているようで、何よりだ」
アンアンはそっぽを向くも、筆談のために手は動かし続けており私と対話を続ける意思は続いているようだった。
【わがはいは大丈夫だ、お前に心配される謂れはない】
「そうはいかない。メルルに数多く洗脳の魔法を使って部屋から追い出している所も気にかかる。君やメルルに、魔法による悪影響のようなものはないのか?」
私が厳しくアンアンを追及すると、アンアンは私を睨んできた。
【結局、お前はわがはいが心配なのではなく、わがはいの魔女化が心配なのではないか】
「……魔女化の懸念については、否定はしない。そもそもこの見回りは、皆の精神状態を確かめるものだ」
【ならば、逆効果だ。お前と話していても、またお前を殺したくなるだけだ。命が惜しいのならば、今のうちにここを去ることだ】
「……そうか。ただ、私は君個人のことも心配している。私は君に後ろめたさを感じているし、再び歩み寄りたいと考えているからね」
後ろめたいからどうにか関係を修復したい。私が今のアンアンに抱く感情を言語化するならば、それが一番適切なように思えた。
ただ、態度を見る限りはアンアンの方に私へと歩み寄る気はないように思える。
ここでマーゴが間に入って、アンアンの感情に別角度から入り込んでくれた。
「アンアンちゃん、私ともお話したくないかしら?約束を守って、裁判ではできる限りギリギリまで、レイアちゃんとノアちゃんの擁護をしたつもりだったのだけど」
マーゴが少し悲しそうな表情をアンアンに向けて作ると、アンアンは少し焦った、慌てたような様子で字を書き始めた。
【マーゴのことは恨んでいない。感謝もしている。だが、それとこれとは別だ。ヒロと話す気はない】
「そうだったの、アンアンちゃんから嫌われていなかったのなら良かったわ♡」
当たり前だが、アンアンは全くマーゴを疑っていない。
私は内心でマーゴの平然と他人に噓をつく図太い精神と、欺瞞に満ちた自己利益のための八方美人に戦慄していた。
(マーゴは恐ろしいが、今はそれどころではないな……アンアンとの関係を改善できなければ、応援してくれたハンナとメルルに合わす顔がない)
私はもう一度だけ、アンアンに食い下がることにした。
「……どうしても、関係を改善するつもりはないだろうか」
アンアンは、鬱陶しそうに少し考えていたようだったが……。
やがて、何かを思いついたように素早くペンを動かすと、私に向けて大きな文字が躍るスケッチブックを見せた。
【ヒロは、レイアと仲良くしたいと思うのか】
レイアと仲良くする。
私はアンアンからその提案が出た瞬間に、全てを諦めた。
私はレイアを許すつもりは全くないし、レイアも私を憎んでいることだろう。
どうあがいても修復できない関係はあるのだと、改めて私は悟った。
(ならば……私も覚悟を決めよう。ただ、ここで釘をさし最悪の事態だけは防いでおく。それは私の義務だ)
「……そこまで私を嫌悪しているのか。本当に、君の邪魔をしてしまったようだね。これからは、私から顔を合わせることは避けるようにしよう。ただ……私を殺害する計画を立てるのは自由だが、君の洗脳の魔法で誰かを巻き込もうとすることは、勘弁してもらえないだろうか。君だって、誰かをノアのような目に合わせたくはない筈だ」
私の挑発染みた牽制に一瞬アンアンは眉を吊り上げたものの、怒りはすぐに霧散したようだった。
【もうわがはいには、お前を殺すつもりはない。誰かを操って差し向けるなどもっての他だ。だが、いくら約束をした所でヒロもわがはいも、もうお互いを信じられないだろう。これ以上の問答に意味はない】
「……早く出ていけ」
アンアンに対して後ろめたい気持ちが心にあるこの状況で、言葉に抗う術はなかった。
魔法が発動し、私とマーゴの足は勝手に後退して医務室の外に向かっていく。
私が最後に見たアンアンはベッドの上で所在なさげに座り込んでおり、私を見つめる表情に悲しみが混じり、複雑で、どこか途方に暮れているように思えた。言葉にしなくても、表情と仕草からやるせなさが伝わってくる。
しかしアンアンが一体今何を胸の内に抱えているのか、今の私には測りきることができなかった。
魔法によって医務室から追い出された後も、しばらく私はその場を動けなかった。
(私とアンアンの間の心の亀裂は、修繕が困難な程に広がってしまった。もう取り返しがつかないのかもしれない)
今までの人生の立場上何度もあったこととはいえ、かつて親しかった相手とこうなってしまったことが、私にとっては僅かに胸の痛みとなった。
動揺を隠しきれていなかった私に、マーゴが静かに口を開いた。
「ヒロちゃん。あなたがアンアンちゃんから嫌われるのは、どうしても避けられなかったことよ」
(マーゴ……)
マーゴは、真剣な表情で私を諭すように言葉を発していた。その内容が内容なだけに、憎まれ役になってでもなんとか私を立ち直らせようと、慰めてくれているように思える。
「懲罰房を出てすぐのあなたは、レイアちゃんとノアちゃんが持ち合わせていた人望に欠けていた。もしヒロちゃんが事件前日の夜に事件が発生した要因を止めていても、シェリーちゃんの死は必ず二人の手で、いつか引き起こされていたでしょう。だから、ヒロちゃんに落ち度はないんじゃないかしら」
マーゴの私に対する擁護は、少しマーゴの言動に戸惑っている私よりもよほど必死に見えた。
少し慌てているようにすら見えて、思わず私の口から笑みがこぼれる。
「案外、優しい所もあるんだな」
「……あら、私はいつだって優しいわよ?」
マーゴは口元を隠して優雅に微笑むも、手の隙間から覗いた頬は僅かに赤かった。
「……アンアンは、現在孤立気味であることには変わりない。君はこれまで上手く立ち回ってアンアンから嫌われていないようだから、彼女のメンタルを支えてあげてくれないか?」
私の要望にマーゴは一瞬呆れた表情を浮かべた後に、何かをひらめいたような嗜虐の笑みを見せた。
「医務室でアンアンちゃんとあんな絶縁交じりの会話をした後だっていうのに……あなたの方こそ、案外お人好しな所があるわね、ヒロちゃん♡」
「……そうでもないさ。アンアンの精神が悪化したままだと、私の命にかかわるからね」
「じゃあ、そういうことにしてあげましょう♡」
(マーゴはこうなると、私へのからかいが止まらなくなる。相手にしないでおこう)
「……勝手に解釈しているがいい。それよりも、他の少女たちを探しにいくとしよう」
私がマーゴに背を向けると、背後から柔らかい声色が響いてきた。
「アンアンちゃんとも仲良くするつもりだけれど……私は、医務室に入る前にした宣言を反故にするつもりはないの。それだけは、忘れないで頂戴」
(どちらを選ぶかならアンアンより、私の味方になる……か。私だけに言っているのか、他の少女たちにも言っているのか……)
「君はずるい女だな、マーゴ」
私の優しい声色は、背後のマーゴに届いただろうか。
「お褒めにあずかり光栄だわ、ヒロちゃん?」
顔が分からない、秘密を抱えた宝生マーゴは、今日も色気を身に纏っていた。