噂が広がり始めてから数日。
私は、ひよりと距離を置くようになっていた。
教室では必要最低限の会話しかしない。
だから、ひよりが話しかけてくれても、どこかぎこちない返事しかできなかった。
一緒に帰ることもなくなり、放課後の廊下で目が合いそうになると、反射的に視線をそらしてしまう。
あの温室にも、もう行けなくなっていた。
ひよりは何度も私に声をかけようとしてくれた。
けれど私はそのたびに、曖昧に笑って逃げた。
逃げている自覚はあった。
ひよりの表情が少しずつ曇っていくのも、私のせいだとわかっていた。
それでも、胸の奥に渦巻く不安は消えなかった。
自分の気持ちを認めてしまえば、もう後戻りできない。
ひよりを失う可能性が、現実味を帯びて迫ってくる。
その恐怖が、私の足をすくませていた。
ひよりの優しさに触れれば触れるほど、
その優しさを裏切ってしまう自分が怖くなる。
ひよりの気持ちに応えたいのに、応えられない自分が嫌になる。
そんな堂々巡りの中で、私はただただ、ひよりから距離を取ることしかできなかった。
そんなある日の夜。
窓の外では、激しい雨が降っていた。
街灯の光が雨粒に反射し、窓ガラスに細かな光の筋を描いている。
部屋の中は静かで、雨音だけが一定のリズムで響いていた。
その音が、胸のざわつきを余計に強くする。
そんなとき、スマホが震えた。
画面には「ひより」の名前。
胸が跳ねた。
指先が冷たくなる。
出るべきか、出ないべきか。
迷っているうちに、着信は切れてしまった。
すぐにメッセージが届く。
『真白、話したい。今、家の前にいる』
心臓が止まりそうになった。
慌てて玄関へ走り、扉を開ける。
そこには、傘もささずに立ち尽くすひよりの姿があった。
服は雨でびしょ濡れになり、髪も頬に張りついている。
肩が小刻みに震えていて、息は少し乱れていた。
走ってきたのがすぐにわかった。
「ひより……なんで……」
「真白が逃げるから、捕まえに来た」
ひよりは息を切らしながら、必死に笑った。
その笑顔は強がりで、見ているだけで胸が痛くなる。
「風邪ひくよ……!」
「真白が話してくれないほうが、もっと苦しいよ」
その言葉は、雨音よりも強く胸に響いた。
ひよりはずっと、私のことを気にかけてくれていた。
それなのに私は、ひよりを避け続けていた。
ひよりの瞳は、雨に濡れているのか、涙で濡れているのかわからないほど潤んでいた。
その瞳に映る自分の姿は、ひどく情けなく見えた。
「……入って」
私はひよりの手をそっと握り、家の中へと招き入れた。
ひよりの手は冷たくて、雨に濡れた体は震えていた。
その震えが、ひよりの不安や寂しさをそのまま伝えてくるようで、胸が痛くなる。
逃げ続けていた私の心に、ひよりの冷たい手が静かに触れた瞬間
何かがゆっくりと溶け始めた気がした。