遠目から見ても分かっていたように、区画の決められていない建物の群れは迷宮のように入り組んでいた。
道は未舗装で、踏み固められていない箇所は雑草が伸び伸びと生い茂っている。排水設備がないためか、道端には乾ききらない泥濘が点在していた。
人間サイズのことしか考えられていないだろう白い壁までの道のり──正解かどうかは分からない──は、私が通ればもはや通路としての機能を失っていた。私自身が動く壁となって人間たちを追いやっているようにも思えてしまう。
大通りなんて発想は微塵もないのか、建物は雑然と押し並び、正しくここは寄せ合いの住処でしかないことを実感した。
そして不思議なことに、むせ返るほどに濃い匂いが充満しているものの、ゴミや排泄物のすえた臭いは余り漂ってこない。地下水路を敷設する技術力はなさそうな中、人間がこれだけいるのだから相当量を処理しなくてはならないはずだが、果たして一体どう処理しているのか。
半ば彷徨うようにして道なりに歩を進めていると、当然ながら様々な人間に出くわしてしまう。だが、その反応は思っていたものではなかった。
例えば、時折困惑したかのように踵を返す大人、路地の隙間から不意に顔を出し引っ込める子供、屋根からこちらを興味深そうに眺める人影。何故だか私を恐れる人間には一人として出会わなかった。もちろんそんな人間は私の視界に現れるはずもない。ムムの知覚でも、そういった者はほとんどいないと返答があった。
アンデッドを受け入れているところからある程度察してはいたが、私たちが来訪しても人間たちの間で収拾不能な大騒ぎに発展する様子は見られなかった。それを望んでいたわけではないし、我先にと逃げ惑われても困るのだが、想像とあまりに違う様子に少しばかり面食らっていた。
私が天敵である亜人種に見えないからこその落ち着き具合なのか、それともここを治める神とやらに私に似た者がいたのか。見た目は巨大な捕食者そのものであるムムを一切恐れないのは、理知的な視線と落ち着きを払った様子に絆されてしまっているのか。
どういうわけか、ここの人間には危機感というものがまるで感じられなかったのだ。後ろを歩くムムも、おそらく同じことを考えているのではないだろうか。
この世界で初めて見る人間の住処について思いを馳せていると、前方から金属の摩擦音と土を重く踏みしめながら近づく気配を感じ、取り留めもない思考を緩やかに中断した。同時に乾ききった腐臭が風に乗って鼻腔に届く。その正体に考えを巡らせ、数瞬後には接触を試みてきたのだと理解し、胸中で静かに安堵した。
杞憂だと分かりつつも懸念していたのだ。この住処を管理している者──私に一つの答えを示してくれる人物はもういないかもしれないことを。永い時を生きた、私と同じプレイヤーが。
私は暗がりに立ち止まり、その来訪者の登場に備えた。
いくらここにいる人間が私たちに悪感情を持っていないのだとしても、私は異形種なのだ。かつてのユグドラシルでは邪悪な心を持っていると記されるモンスターの姿である。そして私自身のカルマも邪悪の判定を示す数値。カルマを感知する術を持っているのであれば、私が何かをする前に先制の一撃を加えることもなくはない。
もっとも、私に興味を向ける人間は未だ後を絶たない。結果として盾となるものが多い現状、相手方にそれができるかどうかは疑問が残るところではある。
そんな警戒感をもって待ち続け、建物の角から現れたのは私の身長に迫る大きさのスケルトンだった。憎しみで染まった黒い骨格に僅かにこびり付く乾いた肉片。漆黒の鎧をまとい、周囲を威圧する巨大なタワーシールドと波打つ刀身をもったフランベルジュ。
その姿はデスナイトと呼ばれるアンデッドの代表格であった。アンデッドは私の居る暗がりに足を踏み入れ静止した。
残念に思う一方で心の内が郷愁に似た思いで満ちていくのを感じた。一瞬遅れて、ユグドラシルのモンスターを目の前にしたせいだと自覚する。
ムムが防波堤となったのか、私の死角から隙を突く気配はない。目の前のデスナイトは何もせず、ただじっと空虚な洞を私に向けるばかり。使役されるアンデッドであれ単に命令待ち状態なのか、それとも指示はあるが私の反応待ちか。
いずれにせよ、デスナイトを私に寄越した相手は今後の展開を私に委ねたのだ。
「道案内でもしてくれるのかな?」
からかい交じりの発した言葉ではあるが、もしそうならありがたいことであった。この場所は私のような大型の異形に適しておらず、彷徨い始めて早数時間が経過している。あえて刺激を与える必要はないだろうとモノもなるべく壊さないようにここまで移動してきたが、もう半日歩かされていたら無理にでも目標に向かって進もうと考え始めていたのだから。
デスナイトはびくりと身体を震わせ、背を向け誘うようにして光がさす道に戻っていく。追加の指示があったか、私の言葉が条件に合致したかは定かではないが、道案内役を任されていたのは間違いないとみるべきか。
罠である可能性がないわけではない。しかし移動中に眺め見た限りでは、建物の作りは木組みの土壁でできた簡素なものであった。強度も見た目通りであり、大したことはないのも確認済み。壁に向けて指をそっと突き込めば、容易に差し込むことが可能で、指を曲げれば抵抗なく崩れてしまう。
私とムムの膂力であれば、この迷宮のような住処の壁など無視して一直線に、空気を破るがごとく押通ることは十分に可能だった。
退路が残されているというのは安心を与え、心に余裕を持たせる。余裕があれば、不快なことであろうと実行する可能性が高くなる。そこまで考えてこの何の障害にもならない人間の住処を作ったわけではないだろう。だが今の私には罠を許容しても進む理由があるのだ。
デスナイトの鎧の擦過音と足音が聞こえなくなる前に、私はそのあとを追った。
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案内役に連れられて、私とムムは白い壁の真下、その入り口と思われる門前に到着していた。
妙な威圧感を放つその壁は目算で二十メートルの高さはあるだろうか。細かな装飾が多く施されており、継ぎ目のない非常に高度な技術をもって聳え立っていた。素材だけでなく、明らかに周辺の文明水準では到底成し得ない造形物であった。
周りに遮蔽物となりそうなものはなく、見えない線でも引かれているように、無秩序に絡み合っていた建物は消え失せている。
後ろを振り返れば、点々と建物の影に隠れながら私たちを眺めている人間が目に留まった。大人よりも子供が多いだろうか。興味関心が行動力の原点となるのは人間もやはり変わらないらしい。
私たちを案内したデスナイトの姿はすでになかった。おそらく本来の役目だろう巡回に戻ったのだ。
門前まで来たものの、ではどうしようかと思案しようとした矢先、重厚な音を立ててゆっくりと白き門がせり上がっていった。
「やあ。初めまして、とでも言えばいいのかな」
好青年を彷彿とさせる爽やかな声が、ゆっくりと開かれる門の奥から聞こえてくる。続けて柔らかな光が溢れる新緑の宝石が嵌め込まれた、精微で特徴的な意匠の白いスタッフが骸の手とともに現れる。そして青を基調とした豪奢なローブを身に纏う、眼窩に青白い光を灯したスケルトンが、門の奥に広がる闇を押し分けるようにしてその姿を晒した。
「そうだね……まずは、白の都の外の人々を無暗に害さないでくれてありがとう」
「何もしてこないなら私も何もしない。ただ、それだけです」
鷹揚にスケルトンは頷いた。
「とてもいい心がけだ。この辺りの生き物はどうにも気性が荒くてね。追い払ってはいるが数が多くて大変なんだ。まあ僕らが始めに彼らの所有物を奪ってしまったのだから、彼らは決して悪くないんだけどね」
やれやれとでもいうように肩を竦めるが、眼窩に灯る光が揺らぐだけで、その骨しかない顔から表情を読むことは叶わなかった。
「さてと、長話は好きなんだけど世間話はこのくらいにして……」
眼窩の光が静止する。
「率直に聞こうか。あなたたちは何者なんだろうか? 僕が思うに、南方の神であり、引いてはユグドラシルのプレイヤーだと見ているんだけど……どうだろう? 合っているかな?」
「……神になったつもりはありません」
「それはすまない。早とちりだったようだ……南方から逃れてきた人たちの噂を耳にしていてね。なんでも、天地を揺らす爆発があったとか、天変地異があって魔神が降臨したとか、そんな話さ。娯楽が少ないと耳聡くなるというのは本当のことでね。悪く思わないでくれると嬉しい。ちなみに僕もプレイヤーでね、名はスルシャーナ──あ、もちろん本名じゃなくて、このアバターの名前だよ? それと一応、百レベルで、種族は見ての通り。それで……もう、何年になるかな……五十年くらいはこの町の長をやってるよ」
スケルトン──スルシャーナは上機嫌に話を続けている。長話が好きというのは本当のようで、放っておけばいつまでも続けていそうな雰囲気があった。
彼がプレイヤーだというのも一目見て分かった。あの白いスタッフはユグドラシルでの人気外装の一つだからだ。おそらくスルシャーナはそれを見越して、あえてあのスタッフを私に見せてきたのだろう。
プレイヤーと対峙すると無意識に警戒してしまう私がいることに気が付く。それでも長話をするスルシャーナの骸の顔から溢れんばかりの楽しそうな雰囲気、そして態度から少なくとも悪印象は抱かなかった。
「私はレーション。こっちはムム」
「あぁ、また長話してしまった……レーションさん、それにムムさん。改めて私の町へようこそ……とはいえ、まだ寄せ集めの状態で、なんとか町として形ができた程度だから、見どころなんて何もないんだけどね? ……まぁなんだ、立ち話もあれだし、一度神殿に来るのはどうかな? 同格の存在で話が通じる奴ってこの世界だと本当に珍しくてね。たまに連絡を寄越してくる友人と話すくらいであとはのんびり、町づくりの勉強さ……あなたたちは悪い人のようには見えないし、できればしばらく滞在してもらえると嬉しいな。それで──」
「──その前に、可能であれば……あなたの言う悪い奴がこの周辺にいるのなら教えてもらえないでしょうか」
私の質問を聞いたスルシャーナに少しだけ影が落ちたように見えた。彼の話を遮ってしまったからという理由からではなさそうだ。
「……今はいないよ。僕の目の届く範囲にはね……その話をするなら、なおさら神殿の中でしたいな。あそこは静かで、誰の邪魔も入らないから……どうだろう?」
スルシャーナの視線が私の後ろに向けられたように感じた。人間には聞かせられないということだろうか。その理由に見当はまるでつかないが、神殿へと誘うスルシャーナの意思は固そうに思える。
スルシャーナの問いにしばし沈黙してから、私は「分かった」と短く答えた。
私の答えを聞いたスルシャーナは嬉しそうに頷いてから、再び門の闇へと消えていく。
元より危険は覚悟の上でここに来ることを決めた。ムムの後押しがあるとはいえ、最終的に決めたのは私なのだから、今更躊躇する必要などないはずだ。加えてようやく本能を抑える答えの一つを聞くことができる見込みが立ったのだ。今更引けるはずもなかった。
改めて覚悟と期待を抱きながら、私たちはスルシャーナの後を追って、門の闇の中へと潜った。
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