レーションとムム   作:ぱさぱさ蒟蒻

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14.交錯

 神殿の静謐な空間に慌ただし気で硬質な音が木霊する。

 

 自らが使役するアンデッドの思念により、スルシャーナはわが家に招待したレーションに異常事態が起こっていることを察したが事の始まりであった。レーションは会った当初から不安定な状態だったことを経験から彼は理解していた。それゆえに細かく気にかけていたのだ。

 

 たった数日。

 久しぶりに連絡を寄越した友人に会うために、拠点を離れた小さな隙間。

 

 そんな小さな隙間を埋めるためにスルシャーナは可能な限り速く、人だった頃に比べれば在り得ないような速度で走っていた。位階魔法を使えないことが、この時ばかりは本当に恨めしく思った。

 

 アンデッドの思念は正直に言って分かりにくい。自らの解釈次第で内容が変わってしまうことも多々あった。だからこそ、「友人が外に出た」という思念の意味を良い方向へと解釈してしまいたかった。

 

 だが現実はそう優しくはない。その意味も理解していたつもりだった。

 それでも廊下に張り付いた乾いた血痕を発見した瞬間の、悔悟と自責による衝撃を隠すことはできなかった。スルシャーナの心うちに大切なものがまた一つ欠けたような無力感が広がっていく。

 

 血痕は自らがレーションとムムを案内した最も静かで、かつての仲間たちを見送った部屋に続いていた。

 扉を開ければ、強い力で叩きつけたような破砕痕の残る床と黒く染まった染みが、この理不尽な現実を改めてスルシャーナに突き付けていた。

 

 部屋の奥には天井から差し込む淡い光に照らされた、灰色の毛並みの奥に煮え滾る溶岩のような赤い毛が混じる巨大な狼が横になっていた。レーションを百年以上もの間、傍で支え続けたムムという名の魔獣あるいは神獣である。

 

 思えば、ムムという名の人物の声を聞いたことがなかったことに、スルシャーナはこうして二人だけで対面して初めて気が付いた。会話はすべてレーションが行っていて、ムムは言葉が話せないのか、それとも別の理由があるのか、二人の間にある関係があまりに自然で違和感がなかった。

 

 スルシャーナの到来に気が付いたのか、レーションを支え続けた者の瞼がゆっくりと上がる。

 

「……随分と遅かったな」

 

 初めて聞くムムの言葉は、非難とも諦念とも取れる声色だった。

 

「……引き金はあの人たちかな……干渉するなと何度も会うたびに言っているんだけど。やっぱり暴走してしまうようだ……申し訳ない」

 

 壁内に隔離した人はスルシャーナの目から見て、異質で歪んだ存在だった。あのような状態となる経緯は外の世界を少しでも知っていれば分からなくはないし、同情の余地すらあった。

 しかし彼らはその歪みを周りにも伝えようとしてしまう。人が人のまま文明を築き上げるには彼らは毒にしかならなかった。今でさえ己の力のバランスが分からず、壁外の人間を依存に近い状態にさせてしまっているのだ。それはスルシャーナの考える人間の未来の姿ではなかった。

 

「内にある念を発散させねば、いずれ弾けることは道理であろう?」

「ええ……その通り。これは問題を先送りにし続けた僕の過ちに他ならない」

「そうか……だが、謝る必要はない。何もかもが手遅れだったからな。レーションが限界に近いことは、仲間を見送り続けた貴様なら分かっていたはずだろう? そのきっかけとなったのが貴様が囲っている人間の一人だった、それだけのことだ」

 

 ムムの静かな語り口の含意に触れたスルシャーナは、自身と似た感情を抱いているのではないかと考えてしまった。かけがえのない存在であるはずのレーションが離れてなお、落ち着いている様子を見せている彼に対して、決して変われなかった自分と同じなのではないかと。

 

「……ムムさん、あなたは──」

「私か? 私はレーションや貴様のようなプレイヤーではないからな。精神の揺らぎなど始めから存在しない」

「……そう、ですか」

 

 目の前に居る狼は揺らがぬ大樹のような存在だとスルシャーナは思ってしまった。

 アンデッドの特性によるものか、人だった頃と比べてしまえば精神の揺らぎはないと言って過言ではないほど小さなものと自覚している。だがこうしてムムと対比してみると自身の揺らぎは大きく見えてしまう。比べること自体が無粋であることは分かってはいるが、その精神の在り様に羨ましさを感じ、己はこのままで良いのかとスルシャーナは自問する。

 

「貴様から借りているここをいつまでも占有するつもりはない……しばらくしたらここを出よう」

「……いつまでも居て構わないよ。ムムさんには色々と教えてもらいたいことができたしね」

「私から教えるようなことは一つもないはずだがな……」

 

 呆れを含んだ短い吐息を最後に、再び灰色の狼は瞼を閉じて静止した。

 スルシャーナとムムの間に沈黙が降ろされる。拒絶するかのような間が生まれた。だが、スルシャーナにはまだ言っておかねばならないことがあった。

 

「ムムさん……できれば会ってもらいたい人が居るんだけど」

 

 伏せられた灰色の耳が僅かに反応を示した。

 

「……ちょうど今、その人がこの近くに来ているんだ。実は久しぶりの会話を中断させてここまで来ていてね。彼は気が長いから一週間くらいなら待たせても平気だと思うけど、彼も忙しいみたいだからできれば早めに、彼と会って話をしておきたいと思ってる。ムムさんには私と同行してほしいんだ」

「………」

「それに彼は僕と同じくらい強いよ? ムムさんも強者の存在はなるべく知っておいたほうが良いんじゃないかな」

 

 再び沈黙が訪れた。

 

 少しばかり話を急き過ぎただろうかとスルシャーナは思う。

 強者であること即ち悪ではない、しかし強者は己に被害を与えうる者である。友好的とはいかないまでも敵対的な状態でないならば、会って話をするべきだ。スルシャーナはそういう考えの持ち主だった。

 

 静かに横たわる理性的な狼はこの話に乗ってくるだろうという打算もあったのだ。ムムと呼ばれる存在に自身と近しい心の在り様を感じたからこそ、この話を持ち掛けた。

 スルシャーナにとっては彼もムムも友人だが、彼とムムは犬猿の仲かもしれない。その可能性が一瞬思考の中に過ったが、その際は仲介した責任を取って全力で仲裁に当たろうと心に決めた。スルシャーナの友人はどちらも理知的で争いを進んで行うようには思えない。だから己の顔に免じて、その場は矛を収めてくれるに違いないと楽観的に見ていた。

 

「……分かった。貴様の友人とやらに会おう」

「──ありがとう。急ではあるんだけど今から、でも大丈夫かな」

「問題ない」

 

 ムムの短い返事と立ち上がる動作を見て、スルシャーナは内心で安堵した。

 

「彼はここから歩いて三日ほどの深い森の中で待っている……では、行こうか」

 

 

 

▼▲▼▲▼▲

 

 

 

 スルシャーナとムムは双方無言のまま、陽光の乏しい薄暗い森の中を歩いていた。

 共通の話題などないのだから会話など発生するはずもなく、何よりどこか張り詰めた空気が漂う中でありきたりな話題など出せるはずもなかった。この空気は周囲にも伝播しており、時が止まったかのように生命の気配が感じられない森となっている。

 

 この状況を招いたのがスルシャーナ自身にあることは理解していた。

 連れ出したムムも、これから顔を合わせることになる友人─―ツァインドルクス=ヴァイシオン、親しみを込めて自身はツアーと呼んでいる──も気配感知が得意なのだろう。彼らから自然と漏れ出す強者の圧。相まみえずとも鋭敏に感じ取り、腹の探り合いを行っているのだろうとスルシャーナは考えていた。

 

 スルシャーナ自身もアンデッドの能力として生命力の探知が行えるが、生者の方向が分かるだけで、漏れ出た気配を認識できるわけではない。

 一抹の不安が過るものの、あくまで探り合いといった様相であるため、ツアーの待つ場所へ淡々と歩を進める他なかった。

 

 しばらくして、植物に覆われ朽ちた倒木が立ち並ぶ、開けた場所が現れる。かつて巨大なものが落ちて樹木がなぎ倒され放置されたような何もない空間だった。

 スルシャーナは立ち止まり、ムムへと振り返って口を開いた。

 

「着いたよ。僕を信じて構わず着いて来てほしい」

 

 スルシャーナは再び歩き、数歩歩いたところで視界が切り替わる。目の前には日の光を浴びて光り輝く白金のドラゴンがこちらに視線を向けて鎮座していた。このドラゴンこそがスルシャーナの友人であるツアーであった。

 

 この現象を初めて目にしたときは非常に驚いたことをスルシャーナは思い出していた。

 かつてツアーから聞いた話によれば、この視覚を遮断する結界のようなものは始原の魔法と呼ばれるこの世界特有の魔法によるもので、この世界を統べる竜王であれば誰でも使えるそうだ。

 

 ムムはおそらく初めて目にするだろう始原の魔法に警戒を強める可能性もある。だがツアーの能力をスルシャーナの独断で伝えることは憚られた。これはスルシャーナにとっては信頼関係の問題であり、ツアー自身が伝えるべきことなのだ。

 

 ムムを殺しうるかもしれない情報を伏せたまま、ツアーに会わせることはスルシャーナも心苦しく思う。

 しかしながらこれは譲ってはいけない一線であると、ムムも理解してくれるはずだろうとも考えていた。これで争いに発展するようなら責任をもって仲裁し、ムムを安全な場所へと送り届けなければならないと改めてスルシャーナは覚悟した。

 

「……ドラゴン、か……」

 

 その声色を聞いたスルシャーナは緊張が高まっていくのを感じていた。

 ムムがドラゴンを見たのは初めてではないこと、言葉にどこか陰と険を含んでいたことを察したからだ。

 

「そうだね。私は竜王と呼ばれるドラゴンの一匹さ……。ところでスルシャーナ……サプライズを用意してくれるのは構わないけど、せめて事前に言ってほしかったな」

 

 いつものように優しげだが、どこか責めるような色合いを持っていた。

 

「そう……だね。でもそれでは、サプライズにならないだろう?」

「ああ。確かにそうだね……まあいいさ、君のことだ、何か考えがあってのことだろうし、強者である仲間は多いほうがいい……でも今回限りにしてくれると嬉しいな。私は自身をそこまで強い存在だと思っていないんだ……余計な警戒をしないで済むならそのほうがいいからね」

「分かった。今回限りにするよ。今後は事前に伝えることを約束する」

 

 ツアーとムムの対峙による緊張感が薄れていくのを感じた。

 ムムも先の言葉に漏れ出た感情を収めていた。ツアーもムムのそれを敵意だと受け取らなかったようだった。どうにかこのまま穏便に済みそうだと、一先ずは安心するべきだろう。

 

「こちらの狼はムムという名だ。そして目の前のドラゴンはツァインドルクス=ヴァイシオンという。私は親しみを込めてツアーと呼ばせてもらっているけれど……ツアー、ムムにもそう呼ばせても良いかな?」

「好きに呼んでくれて構わないよ」

「ありがとうツアー……本当はもう一人紹介したかったんだけれど。トラブルがあってね、それも叶わなくなってしまった」

「もう一人……一週間ほど前に君の町から離れていった者のことかな? ムムと似た気配を感じたね」

 

 スルシャーナは頷き、ツアーは「そうか」と一言呟き、目を閉じた。

 静かな時間が流れていく。

 

「スルシャーナ……君が中断した会話に戻る前に、聞いておきたいことがあるんだけど」

 

 沈黙を破ったのはツアーだった。

 

「君の町でまた騒ぎが起きているようだよ?」

「えっ……? 今回アンデッドたちからの思念は何もないけど……」

「ならこっそり動いているのかもしれないね。正確には分からないけれど、それなりの人間が動いているみたいだ。気配が小さくて分かりにくいけど……君の町から方々に散っているような、そんな感じだね」

「散っている? ……あの人たちか」

 

 スルシャーナは壁内で隔離している人間たちが外に出て行ったレーションを探しに行ったのだろうと推測した。隔離という表現をしているが、実際の所は物理的に閉じ込めているわけではない。出ようと思えば自由に出られるのだ。

 

 彼らが求めているのは神の崇拝。そして彼らはスルシャーナ自身やかつての仲間たちを崇拝していたため、外に出るなど考え難かった。それゆえに使役するアンデッドなどを利用した過度な拘束をせず自由にさせていた。

 ここ三十年は小さな騒ぎを起こしつつも安定していたが、根本的な解決とは決して言えず、スルシャーナの大きな悩みの種の一つだった。

 レーションの一件はそんな自身の怠慢と油断の結果であった。

 

「事がある度、毎回疑問に思うんだけど……何故そんな人間たちを囲って保護しておくんだい? 集団の輪を乱すのであれば普通は排除するものではないのかな」

「……場所を借りている身ゆえに強く言うつもりはないが、それには私も同意しておこう」

「ツアーもムムさんも……何でって、それは……」

 

 スルシャーナはそれ以上言葉を紡げなかった。

 明確な理由はないのだ。人間だから、強いて言うならただそれだけだった。

 人間だから保護をする。人間だから例え輪を乱そうと隔離して保護をする。それが仲間たちの願いだから。それ以外に没頭できるなにかもなかった、という理由もあるかもしれない。

 

「……勘違いしないでもらいたいんだけど、私は君を責めているわけじゃない。君のそんな優柔不断なところが、新たな強き者を生み出すきっかけになるかもしれない……いらないからとすぐに捨ててしまったものの中に価値ある何かがあるかもしれない。君の行っていることは間違っているかもしれないが、正しい行為でもあるんだ」

「ツアーよ。私も再び賛同しよう……我らは意外と気が合うかもしれぬな」

「そうかい? ならば私たちは近しい考えを持っているということかもしれないね──」

 

 悩むスルシャーナを後目にツアーとムムは仲が良さそうに談話している。スルシャーナは疎外感を感じてしまったものの、大変望ましい結果になったと祝砲を上げたい気分になってしまった。

 例えそれが表面的で一時的なことであろうと、同格に近い存在と牽制ではなく友好的な関係になれるのは稀だ。実質的な命のやり取りが行われる現実ではなおさらである。

 

 命の価値が小さいこの世界では、同格でなければ建設的な話をすることすらままならない。

 支配する側か支配される側か。文明を築く種族が人間だけだった元の世界の現実と比べて、文明を築く種族間の力の差が大きいこの世界の理は酷く生々しく感じてしまっていた。

 今のように亜人たちを排斥するつもりも初めはなかったのだ。そうする他ないと理解するまでは。

 

 ゆえにこそ、自身の作る町は、国は──そういった生々しいものを忘れられる形にしたい。実際にどうしたらよいか、まるで見当もつかないが、寿命のない異形種の強みを生かすのであればこれしかないだろう。

 

「──スルシャーナ? 珍しいね。君がそんなに黙り込んでいるなんて……それで、どうする? また中断するかい? 今から行けば間に合うと思うし、私はそれでも構わないよ」

「……いいや、ツアー、このまま続けよう。散ってしまった彼らはおそらく、僕に不満を持っていた人たちだ。僕は彼らの自主性を重んじたい。安全な町から離れるという行動を取るほどだし、いずれは同じことが起こっていただろうから」

 

 ツアーはスルシャーナの言葉に納得の様子を見せているが、ムムはこちらを見定めるような瞳を向けていた。

 

「良い結果を生まないだろうことが想定されてもか?」

「ええ、ムムさん、その通りだよ。僕はずっとあの町をどうしていきたいか考えてきた。今日のあなた方の様子を見て、ようやくその方向性が見えてきたところなんだ。来るものを拒まず、去るものを引き留めず──けれど滞在するならば僕の定めたルールに従ってもらう。僕は壁内外の彼らに与えるだけで、何も示さず、関わることを避けていた。だから暴発してしまうし、依存を深めてしまった。愚かな大衆を僕は望まない」

「……理想論だな」

「そう、これは僕の理想だ」

 

 スルシャーナはいつになく高揚していることを自覚していた。暗闇の中に並んでいる扉のうち一つが開け放たれ、光が差し込んだかのような感覚。客観視すれば、らしくないことを言っている気がするが、今はこの解放された思考に身を委ねたかった。

 

「アンデッドである貴様ならば、生者と交わることなく理想を貫けるのだろう……だが、そうだな……この先その覚悟を使わせてもらう場面が訪れたとき、私の力になってもらえないだろうか」

 

 ムムは頭を下げるような伏せ目がちに言葉を綴った。

 どこか小さく見せるその言葉にスルシャーナは不安を感じ取ったが、気付かないふりをした。

 

「喜んで力を貸そう。僕とムムさんは友人なのだから」

「感謝する……」

 

 会話の終わり。空白の時間。

 この場にいる者はそれぞれの思いを整理していた。

 

「──それでは、対談を再開しよう。僕たちに寿命はないが、時間は有限なのだから」

 

 スルシャーナ、ツアー、ムム、この場に集う三者は未来について語り合った。

 

 

 

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