レーションとムム   作:ぱさぱさ蒟蒻

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本話には捕食の生々しい描写が含まれます。
苦手な方は閲覧をお控えください。
























15.受容

 ムムと離れた私は当てもなく歩き続け、いつの間にか日が差し込む森の奥の小さな洞窟で蹲っていた。

 

 それから、少し時間が経ってから「あなたの世話役となりました」と声をかける者が現れた。

 漂わせる匂いからおそらく人間だろう。耳に届く声のトーンからしてあの時、私が人の味を知るきっかけとなってしまった人間と同一人物かもしれない。

 

 なぜこの人間がここにいるのか、追いかけてきたのだろうか、それを推察する意味はない。もうどうでもいいのだ。この人間のことを恨んではいなかった。スルシャーナの仲間のように、遅いか早いかだけ。私の場合、それがあの瞬間だったというだけのこと。

 

 一方的に世話役を名乗った人物は、定期的に私の身体を拭くようになった。私は身体を丸めて何も見ないようにしていたので、外から吹き込む土埃に塗れた部分だけ。人間が触れられる範囲はそう多くない。

 なぜ身体を拭くのか私には分からない。この人間からすれば意味があるのだろうが、それを理解しようとは思わない。声を上げてこの人間の行動を止めようというつもりもなかった。私はこのまま何もしたくなかった。

 

 それが続き、しばらくしてから、洞窟の中や外を整え始めているような音が聞こえてくるようになった。

 

 また、独り言のように世話役は近況を伝えてくるようになった。

 村ができたこと。生活に苦労していること。人が増えたこと。食料が少ないこと。子供が生まれたこと。美味しい木の実が生る木を見つけたこと。住民同士でちょっとしたいざこざがあったこと。苦しいけれど充実した毎日を送っていること。村の方針が決まったこと。大雨が降ったこと。怪我が原因で死んでしまったこと。人が増えたこと。雪が降ったこと。村に名前を付けることになったこと。はぐれた亜人種を見たこと。村に壁を作ったこと。狩りに出かけた者が戻ってこないこと。私を祭る日が決まったこと。

 

 音のない水底から空を眺め見るような心地良さ。鳥のさえずり、葉や地面を叩く雨音、枝葉を揺らす風が私の背を撫で様々な匂いを運ぶ。世界に残ったのが私だけになってしまったかのような開放感を感じる。静けさ──違和感。間を置いて、定期的に来ていたはずの人間が来ないからだと知った。

 

 ムムと星空を眺めることもここ最近はできていないと気付き、そのまま追憶にふける。夢見心地のまま、星の数を数えるような気持ちで、人間が現れない日数を数え始めてみることにした。お腹が収縮するような奇妙な感覚を覚え、これは身体が空腹を訴えている印であることを思い出した。

 

 数えた日数が十を超え、二十を超えた頃、いくつもの咆哮と人間の悲鳴が風に乗って聞こえた。

 

 こちらに駆けてくる音が聞こえる。息も絶え絶えで必死なようだ。

 いつもの世話役かと思えば、吐き出された声からして別の人間であることが分かった。

 

「たっ助け、助けてくれッ! あなたはこの村の神様なんだろう! この村を十年以上もずっと守ってきた神様なんだろう!!」

 

 男は私を神様だと思い込んでいるらしい。

 

「神か……」

 

 南方でもそうだったと、ムムとの記憶が蘇る。

 神と呼ばれるのは好きではない。どう呼ばれようと構わないが、なぜ彼らは私をコントロールできると思ってしまうのか。どうして自分勝手に付けた称号に見合う働きをすると思えるのだろうか。

 

 何度も繰り返した、私は神ではないという問答をこの人間にもしなくてはならないらしい。

 

 体の向きを変え、久方ぶりに洞窟の外に目を向けた私は少しの驚きを覚えた。

 おぼろげな記憶の中の光景とは随分と様子が違っていた。森は開拓され、村と思われる境界にもだいぶ近い。村にある家もスルシャーナの町で見たような地面をそのまま土台ではなく、基礎が石造りで文明のレベルが急に上がったように見える。

 村の広場には様々な食べ物や石を削り出した装飾品、蔦で編まれた飾りが、所々赤く染まった地面の上に散乱している。私を祭ると言っていたあの話は本気だったようだ。

 

 それから逃げ惑う人間とそれを追いかけ殺し回っている亜人種の姿が目に留まった。

 必死の形相で私に訴えかける人間のすぐ後ろには、走りつつも低く構える亜人種の姿があった。

 

 人間の胸から濡れた凶爪が飛び出し、遅れて溺れるような音とともに血を吐き出す。人間は引きつらせるようにして歪んだ顔を晒しながら、乱暴に放り出され地面を転がっていった。

 

 血に伏せた人間は動かない。隙を狙って──いや、動かないのは当たり前か。貫かれた位置は肺や心臓といった、生存に欠かせない臓器へ致命的な損傷を与えたはず。スキルも何もない人間であれば死んでしまうのは当然のことだった。

 

 やはり単純な力比べにおいて、人間種と亜人種の間には超えられない差があるようだ。この世界であってもそれは変わらないことが確認できた。

 そう思えば、スルシャーナの話していた人間の町が気になってしまう。良い感じに職業レベルを積み上げた人間の集団が外敵を抑えているのだろうか。もしくは地形的に有利な位置に陣取っているのかもしれない。

 

「何だ! キサマは!」

 

 思考がどこかに飛んでいこうとしたとき、警戒感を露わにした声が耳に届いた。

 人間を殺した亜人が私に問いかけたのだ。鋭い歯を剥き出しにし、野性的な怒りを前面に出したような亜人の顔付を見て、私は再び小さな驚きを得ていた。

 

 初めて見たのだ、私を恐れない亜人種というものを。

 興奮していて恐怖を忘れているのだろうか。

 

「この村の人間から神と呼ばれていた者だ」

 

 私は揶揄うように亜人へ告げた。

 

「神? そんなはずはない! キサマからそんな力は感じられない。嘘をつくな!!」

 

 思っていた反応と違うことに私は落胆した。

 私の見込み違いだろうか。期待が空回りしてしまったような気分だ。同時に<畏怖のオーラ>がオフになっていることに今更ながら気が付いた。つまり、そういうことなのだろうか。目の前の亜人種が私を恐れないのは。

 オンにすることを一瞬躊躇したが、ほんの少しの期待を込めて<畏怖のオーラ>を起動する。

 

 その瞬間に広がった見えない圧によって、目の前の亜人は見覚えのある姿へと変わってしまった。

 

「……ここ北方で、私はあなたのような亜人種に問いかけたことがあった。スルシャーナの言うような粗野で野蛮な亜人種のようには見えなかったし、南方の亜人種と似たようなものだと思っていた。あのときも、下手に刺激してはダメだろうと<畏怖のオーラ>をオフにしていたつもりだけど……」

 

 亜人は縮こまって返答すらしない。その姿を見て、スルシャーナの町の場所を聞き出すのは苦労していたことを思い出した。あのときは何と言って回答を引き出したのだったか。簡単にゴールに辿り着けても達成感がないと思って、そういった回り道を楽しんでいたからどうやら覚えが悪く思い出すことができなかった。

 

 スルシャーナは南方の亜人種のほうが強いと言っていた。この反応の違いはそれが反映されているのだろうか。<畏怖のオーラ>をその身に受けても、それを目印とするくらいに彼らは逞しかったのだ。

 北方の地でも南方と同じような気分になりたくはない。これで良かったのだろう。

 

「さて、どうしようかな……」

 

 村から聞こえる騒ぎの音はいつの間にか消え去り静かになっていた。

 代わりに村から漂うのは濃密な血の香り。

 

「スルシャーナが作ったこの地域に亜人種が入れば排斥されるのは当然のこと。私もスルシャーナに世話になったのだから、一度くらいはその方針に従う義理はあるはず。でも私はスルシャーナのように逃がすなんて器用な真似はできないから……やっぱり殺すしかないね」

 

 私の言葉を聞いて、蹲る亜人は大袈裟なほどに震え始めていた。

 何故今更、恐れる必要があるのだろうか。反応として正しいのは諦めだろうに。

 

 大方自分らは大丈夫だという根拠のない希望を抱き、初めにあるべき恐怖を忘れてしまったがゆえの悲劇なのだろう。それは誰にでも起こりうることで仕方のないこと。それを跳ね除ける力がなければ、それを受け入れるしかないのだから。

 

 振り上げた触腕が空気の弾ける音と共に振り下ろされ、亜人はその身をもって赤い染みを地面に作り上げた。

 

 触腕を持ちあげると粘度の高い血液が纏わりついて糸を引いている。私は人差し指で掬い上げ、口に入れた。舌の上で転がせば懐かしさすら覚える芳醇な香りが鼻腔を抜けていく。その味を楽しんでいると久しく聞いていない腹の虫の声が聞こえた。

 

 村の中へ入れば、あまりに濃い匂いで頭がくらくらとしてしまった。

 新たな侵入者に気が付いた数人の亜人たちが警戒するようにこちらに向かってくる。彼らが恐怖しないのは<畏怖のオーラ>は事前にオフにしてあるためだ。先ほどのように一つ一つ潰しては手間がかかるので、この村を襲う彼らを効率良く集めたかったのがその理由である。

 

 予定通りに進んだことに満足して、そのまま次の動きに移ろうと思ったとき、小屋の一つから男が飛び出してきた。まだ生きている人間がいたらしい。隠れていればいいものを何故出てきてしまったのか。あれでは亜人たちの興味を引くだけだろう。

 案の定、近くにいた亜人の爪に切り裂かれ殺されている。本当に何がしたかったのだろうか。

 

 一言述べるのであれば、無謀な人間の行動は私の予定に何の影響も与えなかった。強いて言うならば、彼らの意識が私から逸れたことは好都合と言えるだろう。

 

 虚空から無限の水差しを取り出し、自らの腕に滴るようにかけていく。これは本来水辺や雨天でなければ使えないスキルを使うための準備動作である。

 

 私は<流靭鞭(りゅうじんべん)>というスキルでこの場を効率的に終わらせるつもりだった。

 このスキルは腕などから滴らせた液体を操作し鞭のようにしならせ目標を切り裂く効果を持つ。

 射程は通常は十メートル程度。私であれば種族的な強化によって最大五十メートル。今日は快晴で環境が悪いので、十分に湿らせても半分程度といったところだろうか。

 そのくらいの射程があれば、この小さな村の広場程度であれば全域が射程圏内である。

 

 彼らは私が何をしているのか分かっていないようだ。虚空から水差しを取り出したことにも驚いていたように見えた。やはりユグドラシルで生まれた、ムムのような存在ではないということか。

 それならそれで問題ない。どちらにせよ私がこれから行うことに変わりはなく、彼らのレベルでは私の攻撃に対処することなどできないのだから。

 

 水を滴らせた腕を持ち上げ、彼らの腰辺りを通るように空を薙いだ。ほんの一瞬遅れて風を切るような音とほんのわずかな手応えを感じてからスキルを終了する。

 もし回避行動を取っていたならば、腕の振り抜きに捻りを加える必要があったがやはり杞憂だった。

 

 重力に負けて亜人たちの腕が落ちる。そのままバランスを崩し二つの塊に分かたれて彼らは斃れた。

 亜人だけでなく広場に面した小屋まで切れ込みが入ったようだが構わないだろう。

 

「これで義理は果たしたはず」

 

 私の姿に本能的な恐怖を感じて逃げた亜人もいるかもしれないが、追いかけて殺しに行く必要はない。スルシャーナの作った地域を囲う物理的な柵が無い以上、どうしたって、監視をすり抜けて人間を狙う亜人種は現れるのだ。何せここは外から見れば餌場なのだから。

 

 内にたまった熱い空気を捨てて、周囲の冷たい空気を取り込んだ。

 

 そう、これで私がこの場でするべきことは終わったのだ。

 しかし私はこの場を離れることができなかった。理由は分かっている。血の匂いに酔っている。ただそれだけのこと。

 

 ふらふらと殺した亜人に近づき、そのまま腕を拾い上げてわずかな逡巡の後、齧りつけば私の歯が皮膚に抵抗なく刺さりその肉を抉り取った。

 

 ──この抗いがたい欲求を止める者は、誰もいなかった。

 

 亜人種の膂力の証明だろうか、筋繊維が細かく密集していて噛み締めるほどに味が染み出る。その食べ応えのある触感に満足感を得ながら、意外にもあっさりした風味を堪能していた。

 

「ねぇ……ムム。私はずっとこうしたかったってことなの?」

 

 無謀な逃走を試みて亜人に襲われ絶命した男性の太ももの肉を千切りとって口に入れる。

 

「死んでるのに何でかな、すごく、すっごく美味しい……どうして初めからこうしなかったんだろう」

 

 小さな死体から零れ落ちた、まだ暖かい臓物を掬い上げて食んで行く。

 

「……捨ててたのはもったいなかったな……」

 

 余りの美味しさに感情がおかしくなっているのか、拭っても拭っても涙が止まらない。

 

「ムム……ねえムム……ムム……ねぇなんで答えてくれなかったの……教えてくれなかったの」

 

 指が二本欠けた女性の胸を裂き、小枝のような骨を折って冷えてしまった心臓を手に入れた。

 

「生きた人間ってどんな味だったっけ……ムムはそういうことも知ってたのかな」

 

 止まった羽虫を払いつつ、小さな体から抜き取った骨を齧ってみる。煎餅のように砕け弾ける新鮮な食感、冷たい肉にはない香ばしい雑味が口の中に広がった。

 

「あ……おいしい。なんだ食べられるじゃん……」

 

 歩いた道を戻って、放っておいた骨を手に取った。

 

「……硬い。これどこの部分だろう……食べられなくはないけど、好みに合わないなぁ」

 

 暖かい季節だからか、いつの間にか羽蟲や地蟲も集ってきていた。

 

「鬱陶しい……位階魔法が使えれば……いや、加減ができないし、なくなっちゃうか」

 

 石造りの小屋の中で首に綺麗な断面図を晒す、今なお状態の良い女性を見つけた。

 

「私の好みはこれかな。美味しい部分が少ないのはなんでだろう。痩せてて固いのかな」

 

 噎せ返るような香りと不思議な音に誘われて村の開けた空き地に向かうと、蟲に集られている歪に太った人間が目についた。

 

「目とか内臓がやっぱり好きなんだ……んー……これ以上は先着者に悪いかな」

 

 羽音と重なりあう囁き声で賑やかになった村を見て回るが、息のある人間は見当たらない。

 

「ムムみたいな感知能力があればよかったな」

 

 また腹の虫が鳴った。こうしてまともに食べ物を口に入れたのは、百年ぶりかもしれないと気が付いた。

 

「……もっと、食べたいな。人間がいっぱい、いるところ……」

 

 ムムの居る方角へ自然と足が進んでいく。

 

「ムム……まだ、いるかな……居てほしいな……やっぱり、ムムが居ないと……」

 

 血の香る無人の村に後ろ髪を引かれながら、その場を後にした。

 

 

 

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