レーションとムム   作:ぱさぱさ蒟蒻

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17.同道

 

 黄金の時計が砕け散るような音が聞こえ、光を失った平原には再び、泥と闇の匂いを混ぜ込んだ重い静寂が満ちていく。

 

 絶えず聞こえていた湧き出る泉のような心地よい音色は鳴りやんだ。

 彼女は緩み切ったあどけない表情を浮かべ続けていた。

 

 足先に重ねられた小さな手から感じていた震えは止まっている。

 私にしがみつくようにして絡みついていた触手が滑り落ちていき重みが消える。

 

 死という概念のみを与える位階魔法によって()以外のすべてがそこに残留していた。

 私は独りとなったが、その実感が湧かないのは変わらない姿のレーションがいるからなのだろうか。

 

 レーションの額に乗せられていた杖が視界の外へとそっと動いた。

 スルシャーナの気遣いに私は感謝した。

 

 しばらくレーションの顔を見つめてから、その亡骸を咥えて自身の背に乗せた。

 スルシャーナから衣擦れの音に視線を向けるが、彼から続く言葉は出てこない。

 

「──つくづく優しい男だな、貴様は」

「……えっ?」

 

 私の言葉を拾い上げた彼はその意味を測りかねているようだった。

 

 アンデッドという安全な殻に閉じ込められた彼の精神は摩耗することすら許されない。

 彼が真にアンデッドであれば何も問題はないが、これまでの彼を見ていればそれは即座に否定される。彼の精神は鉄球ではなく、鉄球に捕らわれた水なのだから。

 彼は人間であるにもかかわらず、神の真似事をさせられている。レーションや彼の仲間たちは変わりゆく先で選ぶことができるが、彼はそれができないのだ。

 

 制御できない偽りの平常心は選択の機会を奪い続ける。

 そうして残った選択を他者への寄り添いへあててしまうのだから、優しいと呼ぶことに不足はないだろう。

 

「ただの独り言だ。気にするな」

「まあ、そういうことなら……なるほど、レーションさんの気持ちが少しわかった気がするよ」

「そうか?」

「ほんの一欠けらに過ぎないけれどね」

「……そうか」

 

 私はスルシャーナという名を持つ骨の顔を改めて視る。

 僅かにこびり付いた皮だけが残る、表情の失われた姿。しかしそこには確かに血の通った表情というものが存在していた。仕草と声色、そして頑なに手放すまいとしたレーションが最後まで縋り抱いていた気持ち。それらが組み合わさることで、彼の喜怒哀楽を幻視させているのだろう。

 

 私は人間とその個である人というものを理解している。人とは何かと問われれば満点の答えを導くことができる。だがそれは大きさと形、どう変形するか、どのような機構を持つかを知っているに過ぎない。私には何故その構造で成立するのか理解が及ばなかった。人間であれば本能的に理解するその根源、本質までをついに理解できなかったのだ。

 

 当然それは初めから自覚していた。

 こうしてレーションと同じ根を持つ者と関わって分かったことは、私ではレーションを支えるには不足があったということだ。

 

 結局のところ私は、レーションに寄り添うことしかできなかった。彼女の失った足となり支えることはできなかったのだ。そんな私でも、彼女にとっては救いになっていたことは知っていたが、それでは真に彼女を救うことなどできない。

 

 人である彼女には彼のような同じ目線で立てる存在が必要だったのだろう。

 

「スルシャーナ。最後に一つ、伝えておく」

 

 そして人である彼には標が必要だろう。

 

「貴様の理想は必ず叶う。命を持たぬアンデッドの貴様だから叶うのだ。生者の欲望に惑わされず、冷徹に原点を忘れず行動できるその強みは、欲のある我らに真似できないものである。……貴様の抱くその理想を私は肯定しよう」

 

 スルシャーナが瞠目したように見えた。

 本当に不思議なものだ。どうしてそのように見えてしまうのだろうか。

 これを理解できればこの結末も少しは変わったのだろうか。

 

「……ありがとう……僕がその理想を成し遂げたとき、あなたを呼んでもいいだろうか?」

「構わないが、どう呼ぶのだ?」

「<伝言>を使うよ」

「……メッセージ? どのような物かはわからぬが、貴様が言うのならそれで伝わるのだろうな」

 

 私の言葉に彼はどこかばつが悪そうな態度を取った。

 

「実を言うと……僕も使ったことがないんだ。ユグドラシルではもっと便利なものがあったし、この世界では使う必要がなかった……でもまぁ問題なく機能するはずさ」

 

 私のささやかな不安を他所に、彼はカラカラと笑い声をあげた。

 ひとしきり笑ったあと、彼は満天の星空を見つめて静かに言葉を継いだ。

 

「ムムさん。また出会える日を楽しみにしているよ」

「ああ。その時は応じよう」

 

 彼は笑顔を見せたあと、町の方角へ歩いていく。

 私はその背を眺めてから、レーションを連れその場をあとにした。

 

 

 

 ▼▲▼▲▼▲

 

 

 

 冷たく雪の香りを孕んだ風が、冬の森を通り抜けていく。

 葉の落ちた凍てついた木々の中、私は薄く白く化粧した柔らかな土を踏みしめて歩いていた。

 

 私は背に負った大切なものの重みを感じながら、空を見上げ、雪が降りそうだと想った。

 

「なあ……レーション。私がお前の救済者にはなれないと言った理由、それを……今から打ち明けよう」

 

 背に力なく垂れ下がる異形の娘に語り掛けながら、ふと可笑しさが込み上げた。

 レーションなら「反論できないタイミングでなんて、ずるい!」なんて言うだろうと思ったのだ。

 

 確かに私はレーションの言うようにずるいのかもしれない。すべてを悟りながら、すべてをレーションに打ち明けなかったのだから。

 

 果たしてそれは、私がお前を信頼していなかったことになるのだろうか。いや、お前なら私を信頼してそれすらも肯定するのだろう。

 そうしたレーションの態度を見て、私が頼りすぎるなと言えば、お前はムムしかいないからと言うのだろう。

 

「……実際、数十年に一回程度は同じやり取りをしていたな」

 

 不意に視線を横切る影があった。

 ──雪が降ってきたようだ。

 

 覚えているだろうか。転移したあの日のことを。

 

 お前の心は酷く狼狽し、風に煽られすぐにでも消えてしまいそうに見えた。

 一方で身体は未知に逸って親を急かす子供のようでもあったのだ。

 

 寄る辺のない場所へ放り出されたとき、心も体も不安と恐怖に染まるのが私の理解する人間だった。お前の気質は確かに探究心が高く、未知の場所であろうと切り開く強さがある。

 だがそれは、ユグドラシルの世界におけるレーションの気質であって、本来の人であるお前の気質なのだろうか。

 

 それを確かめる術は、この世界に来た時には潰えていた。

 お前はレーションと混ざり合うことで見失い、私はその手段を初めから持っていなかったからだ。

 

 お前自身もそう感じていたように、ユグドラシルからこの世界に至るまで、この流れの中に途切れた箇所は一つもなかった。

 私はその影響を受けることなくこの地へ降り立った。だがお前は内側には大きな異物が溶け込んでいて、ゆっくりと侵食されていくこととなった。

 

 地続きの精神、舗装された継ぎ目のない心。

 溶け込んだ異物は岩肌から染み出るようにして少しずつ周囲を変質させていく。

 

 舗装が剥がれていたり、土壌の色がおかしかったりと、様々な形でその影響を感じ取っていたはずだ。しかし常にある環境だからこそ適応してしまう。その異常を明確に違和感であるとお前が感じ取れていたのはいつまでだろうか。

 

 思うに、蝕まれる人の意思が暴れ、私を傷つけたあの日──人間と同じように眠れなくなったときまでなのだろう。そして沈みゆく森の一角で、お前は人であろうとする心に区切りをつけたのだ。

 それでもすべてを諦めたわけではなかった。逆らうことをやめ、守りたいものを胸に抱え、流れに身を任せることに専念したのだ。

 

 それが功を奏したのはドラゴンの怒りに焼かれた瞬間であろう。完全に身体が破壊されてなお正常に心を保つには、人であることを捨て去る必要があった。ユグドラシルのレーションとして生きることをお前はあのとき強制されたのだ。

 私はそのことに安堵した。もうお前が苦しまずに済むと、そう思ったのだ。

 

 その後の亜人たちとのやり取りで、私の見立てがいかに浅はかであったかを痛感させられた。

 

 振る舞いは確かに私の知るレーションだったが、行動がそれに伴っていないのだ。

 戦力の乏しい私たちでは、亜人種の背後を警戒する必要性は理解できる。力を誇示することによって、悪いものを招き入れる可能性も当然ながら視野に入れなければならない。それでも相手に配慮する度合いがあまりに大きいと感じていた。

 捧げられる供物が不要であれば拒否すれば良い。不快な態度を取るのであれば薙ぎ払えば良い。そうした行動を選択してきたのが、私の知るレーションであった。

 

 胸に抱えた一握りの思いはスルシャーナと出会ったことで表出した。そのとき初めて、お前がどれだけ思い詰めていたのかを私は遅れて知ったのだ。

 

 そして私の傍から離れていったあのとき、波立つお前に必要だったのは受け止める気概だったのだろう。しかし私は受け止めることを躊躇してしまった。このまま心行くまで振り切ったほうがレーションにとって良い選択なのではないかと、疑念がよぎったのだ。お前が求めるものが何かを分かっていたはずなのにそれを与えなかった。

 

 だがあれは、あの選択は私の過ちだったのだ。臨界点を超えたお前はおそらくどう対処しても、行きつく先は同じだった。例えそうであろうと、最後まで私はお前に寄り添うべきだった。

 

「……ここで良いか」

 

 私には、レーションを守るためにも長く身体を落ち着ける場所が必要だった。

 私の目の前には、そんな場所の候補となる洞窟がひっそりと口を開けている。入り口で足を踏み鳴らせば、それほど深い洞窟ではないことが分かった。しかし問題はない。広げれば良いだけなのだから。

 

 ──<地裂溶籃>。そう念じれば、地鳴りが響き渡り、新雪が解けて泥濘を作った。やがて地が裂けて溶岩が洪水のように溢れ出す。洞窟の口からも溶岩が吐き出され、勢いのまま私の胸元にぶつかり後ろへと流れていく。

 ほんの一時で周辺は溶岩の煮え滾る炎獄へと様変わりした。ここが窪地であることは幸いだったと言える。今以上に目を引くことがないからだ。

 

 次の季節へ備えていた木々が焼け焦げていく音を背後に、さらに<溶岩操作>を行い広げた洞窟の状態を把握する。どうやら地下に広がっていた空洞とつながったようで思った以上に広がったようだ。この場所がダメであれば次の場所を探すつもりだったが、最良の地を得られたことに満足した。

 

 私は焦げ付くような熱気漂う洞窟の奥へと足を踏み入れる。溶岩によって道は途絶えていたが、これで蓋をすることが目的のため、構うことなく溶岩に身体を沈めながら目的の地へとかき分けていった。

 

 目的の地は未だ溶岩に満たされていたが、再び<溶岩操作>を行い出口へと押し出した。現れた空間は戦闘には適さないが体を休めるには十分な広さがあり、その最奥にレーションを下ろして私はそれを懐に抱えた。

 

「……身体の活動は完全に停止しているが、腐敗する様子がまるでない……。これはレーションがプレイヤーだからか? それとも私とレーションの間を繋ぐ連環のおかげか?」

 

 スルシャーナと別れたあの日からレーションの姿は変わっていない。あの日浮かべた表情を残したまま、眠り続けている。

 

「静かだな……」

 

 密室であり、地中であることも相まって、酷く静かだった。

 時折聞こえる溶岩の間を抜けたガスによってもたらされる破裂音以外に音はなかった。

 

 レーションなら、こんな場所であろうと何かしらを見出して探索に励むのだろうか。流石に不満が先に出るのだろうか。いや、でるだろうな。空を眺めるのが好きだったのだから。

 

「……空を好きになったのは、この世界に来てからか?」

 

 私はレーションのことを何も知らないと、改めて気づかされた。

 ああ、違う。ユグドラシルのレーションのことは良く知っている。知らないのは人だったレーションのことだ。仮初の名ではなく、彼女の本当の名を私は知らない。

 

 レーションは人間の頃の話を避けていた。酷く怯えながらも頑なに拒んでいたのだ。

 失った自分の記憶を他者だけが知っていることを嫌ったのだろうか。あるいは他者に預けた記憶を引き出すことは、失うよりも悲痛だと考えていたのかもしれない。

 

 いずれにせよ、レーションが死んだ今、それを知る手段は完全に失われていた。

 

「相変わらず、暢気な顔をしているな……」

 

 幸せそうに眠っている姿を見ていると、せせらぎの様な騒がしさがないことに不快感を抱いていることに気が付いた。

 

 私はレーションの居ない世界でこれから何をすればいいのだろうか。

 ムスペルヘイムの奥底に居たときのようにまた独りで永遠の時を過ごさねばならぬのだろうか。

 

 独りでいることには慣れていたはずだ。ならば、この湧き出る焦燥感はなんだ。

 私の懐で無遠慮に眠るレーションの顔を再びのぞき込めば、不快な疼きが強くなる。

 

「そういうことか……」

 

 レーションに連れ出されてから三百年すら満たない僅かな時間で、私はこれほどまでに変質してしまっていたのだ。レーションを失ったことで、ようやく自覚した。

 

「レーションはこれを好感度と言っていたか?」

 

 連環の契りをパートナーと結ぶ条件の一つに隠しパラメータである好感度が必要なのだと、レーションとその友人が話しているのを思い出した。

 精神を変容させる好感度は客観的にみれば恐ろしいものだが、それ自体に悪感情は抱くことはない。それは互いに公平なものであったからだ。レーションは常に私と共に歩みを進め、私の悪感情を煽るような行動は決してとらなかった。それがある程度計算されたものだとしても、行動に偽りはなかった。むしろ私に依存し過ぎではないかと心配になるほどだったのだ。

 

「なるほど……この気持ちは、寂しさか」

 

 依存するほどに近い距離に居たパートナー。隣を歩むものが居なくなったことで、私は苛立ちを感じてしまっている。なんてことはない、私もレーションと同様に相手に依存していたというだけのことだ。

 胸中に渦巻く焦燥感の正体を知ってなお不快感は拭えない。むしろ強まったようにすら感じてしまう。

 

「何故、先に逝ったのだ」

 

 お前はもしや、自らも依存されていることに気が付いていなかったのではないか。

 私が自覚できていなかったのだから、あり得ない話ではない。

 

「──ああ、そうか。お前にとってユグドラシルはゲームであり、私はただのゲームシステムの一部だったか……そうか。そうだったな……」

 

 ゲームのプレイヤーとシステムの一部に何の違いがあるのだろうか。

 私はおもむろに流れ星の指輪を取り出した。

 

「この選択は決して正解ではない。だがお前が託し、そして遺した言葉だ……好きに使えと」

 

 今の私は正常ではない。

 自覚した新鮮な気持ちに突き動かされているだけだ。

 

 今の私を見てお前は何を思うのだろうな。

 驚くのだろうか。恥ずかしがったりするのだろうか。失望は、なさそうだな。

 だが心配することはない。これは一時の姿であり、お前の前に立つときは普段の私に戻っている。

 

「指輪よ、私は願う! ()()()()()()()()()の復活を望む!!」

 

 内包する力を失った指輪は光の粒子となって砕け散った。

 

 しかし、難儀なものだ。

 時折おかしなことを仕出かすお前の気持ちが少しは分かった気がする。

 これが人というものなのだろうか。

 

 静まり返った空間に水が湧き出で満ちていく。

 規則正しく胸を上下させるレーションをしばらく見て、私は苦笑した。

 

「普段の私に戻すまでに、ゆっくり寝ていてくれ……これは思った以上に、しばらくかかりそうだ」

 

 レーションを抱き寄せる。

 そして瞼を落とし、これからのことに思いを馳せた。

 

 

 







ここまで本作を読んでいただき、ありがとうございます。
レーションとムムの物語はこれからといったところではありますが
一度、完結とさせていただきます。


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