レーションとムム   作:ぱさぱさ蒟蒻

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04.雷鳴

 地上より遥か彼方の上空をくすんだ青緑の鱗を持つ竜が飛行していた。

 暗雲を従者として引き連れ、次なる標的の痕跡を見逃さないよう、地上に向けた竜の知覚に集中していた。

 

 全長三十メートルはあろうかという巨大な竜の鱗は帯電しているのだろうか。弾けるような音が絶えず聞こえ、時折連鎖的に火花が散り、下方へと剝がれた鱗のように落ちていく。そうして餌を与えられた従者はより巨大なものに成長していった。

 

(竜帝め……全くもって忌々しい)

 

 苛立たし気に羽ばたけば、煽られた従者から稲妻が零れ落ちて、深みのある青緑の鱗に混じった光沢のある赤銅色の鱗を青く発光させる。

 

(我らが竜王、世界を統べる者にあれど、世界を破壊する者であってはならぬのだ……彼奴は、自らの欲望のためだけに災禍を招き入れた……度し難き愚行と言えよう)

 

 竜帝と呼ばれるようになった一匹の幼き竜は何よりも力を求める気質を持っていた。竜に生まれたのであれば誰しもが持つ、「生物の頂点に立つのは当然のことである」という考え。その幼き竜は余りにもその思いが強すぎた。そして不幸なことに、その思いを後押しできるだけの才能があったのだ。

 やがて幼き竜は竜王を経て、唯一無二の竜帝と呼ばれるようになった。真にあらゆる生物の頂点に立ったのだ。しかし、かつての幼き竜はその地位に居ながらより一層、力に執着していた。

 

 そして竜帝の愚行によって、理を逸脱しかねない力がこの世界に呼び込まれてから数百年余り、世界の秩序は徐々に崩れてきている。理を完全に超越した災禍が呼び落とされるのも、もはや時間の問題だろうと彼は考えていた。

 

 年々力を増す数多の脅威に対処してきた彼の胸中で、焦燥と怒りが混ざり合っていく。そんな彼に呼応してか、暗雲もますます大きくなっていった。

 

「……されど、我らの力及ばぬがゆえの専行に過ぎぬも、また事実。不甲斐なきは、竜帝に並び得ぬ我らか……」

 

 零れ落ちた言葉は、己を慰めるだけに過ぎないことを彼はわかっていた。

「竜帝の力は逸脱している、ゆえに同じ速度で飛ぶことなど叶うはずがあろうか」と、堕落に誘う言葉に負けてしまう同胞のなんと多いことか。

 己が成すことを竜帝の尻拭い、汚物掃除などと言葉を並べ立てて蔑み、偽りの誇りに酔いしれる愚か者。竜王の資質とその力だけを持った浅薄な者ども。竜王の掟がなければ腹を裂き臓物を地に晒してやっただろう。

 

 そんな者たちに同調して自分本位になってしまった同志も少なくない。

 竜帝の影響力は絶大であり、抗う術など存在しない。そう考えてしまうのは仕方のないことだと、彼自身も表立って賛同はせずとも内心では理解を示していた。個々に折れぬ信念を強要することはできないのだから、どうしようもないことなのだと。

 しかしそうであっても、同志には己と同じ道を歩んでほしかったと彼は思う。

 

「ゆえにこそ──」

 

 己だけでも抗わねばならぬ、そう彼は自身を奮い立たせる。今や共に歩む同志は少ないが、共に歩んでくれる新たな芽も出てきていた。

 あの者は己など優に超えるだろう資質と、固くしなやかな強い信念を持っていることを彼は知っていた。いまだ幼き彼が成長するまでは、旗頭としてこの道を切り開いていかなければならないのだ。

 

 彼は決意を新たに翼を強く打ち、雷鳴を伴って孤独な空の先に視線を向けた。

 

 ──そのときだった。

 彼の鋭敏な感覚が()の気配を捉えたのは。

 さらに集中し、()の位置をも嗅ぎ取れば、次の刹那にはその死角へと転移していた。

 

 そして、稲妻を束ねた閃光──ドラゴンブレスが解き放たれる。

 瞬間、周囲の大気は幾重にも震え、帯電し、轟く雷鳴が木霊となって鳴りやまない。

 焦土と化した地には、焼け焦げた匂いが満ちていく。

 

 普段ならば、彼はこのまま次の標的を探しに飛び去っていただろう。しかし、青緑の鱗を持つドラゴンは、その場に留まることを選んだ。

 

(ついに……)

 

 翠玉の瞳が鋭い輝きを放つ。大地を焼き焦がした余波で視界は歪んでいたが、彼にはその姿がはっきりと見えていた──ブレスを直撃させた()が、まだそこに存在していることを。

 

(……遂に、制御できぬ世界の脅威が現れおったか)

 

 そこに立っていたのは、己が渾身のブレスを受けながらも形を保ち、悠然と佇む二体の怪物だった。

 

 一方は、超大型の灰色の狼。その毛並みは神秘的な静謐さを装いながらも、煮え滾る溶岩のごとき赫々たる炎を宿した揺らぎが、灰の中に見え隠れしている。灰色の狼は隣にいる怪物に意識を傾けつつ、己のいる上空へと視線を向けていた。

 

 もう一方は大型の異形。上半身は煌びやかな紅い衣をまとった人間の女。しかし下半身は、固着した血液を思わせる色の悍ましい幾本もの触手であった。その触手は辺りを探るようにして静かに蠢き、先端は世界を汚すかのように空気に溶け続けていた。

 

 狼は警戒を、異形は驚愕の表情を浮かべてはいるが、その身体の損傷具合からして致命的な傷を負っていないことは明らかで、危機感など微塵も感じられない。

 またドラゴンの目に映った異様はそれだけでなく、二体がまるで一個体であるかのような異質な繋がりを持っていることだった。その境は彼の優れた知覚をもってしても曖昧であり、この場で個体を判別するには到底及ばぬ域にあった。

 

 はっきりしていることは、あの怪物が()であり、竜王と同等かそれ以上の資質をもった存在だということだった。竜王の資質をもった存在、即ちそれが意味することは、始原の魔法でなければ決して殺しきれない存在だということ。

 

 それを理解した彼の行動は早かった。

 

「《滅光の審判》」

 

 彼の声が空気に混じった瞬間、無数の光が爆裂する。

 質量を持った光は凄まじい熱を放ちながら連鎖的に炸裂し、回避も防御も許さぬ最高の鉾となって、怪物を中心にその周囲一帯を覆い尽くしていく──。

 

 やがて彼の放った始原の魔法の効力が失われ、白一色に覆われていたところから熱で融解した大地が姿を現したとき、濃密な殺意が空間に満ちて彼を包み込んだ。

 

(……これでは、足らぬか……)

 

 二体の怪物は健在であった。

 

 襤褸切れを纏った狼は抉り取られたかのような傷跡が散見されるが、欠けた部分は一つもない。炎にも耐性があるのか、赤熱する大地に足先を埋めながら己を凝視していた。総合して、さしたるダメージは負っておらず、致命傷には程遠い。

 

 代わりに、狼を庇ったのか、ダメージのほとんどを引き受けた異形の姿は満身創痍を通り越した無残な姿を晒していた。

 皮も肉も臓腑も焼け落ち、頭蓋から骨盤まで、炭のような骨が外気に晒されている。背骨は衝撃で砕け散ったか正体を掴めず、両腕は肩の形を残して完全に失われていた。下半身の触手も大半が焼け落ち、数本がひび割れ煤けた骨盤から伸びる骨に纏わりつくばかり。

 

 元の形が辛うじて分かる程度の、焼け焦げた骸と言って差し支えない様相ではあったが、驚愕すべきことに、異形からは生命の気配が感じられたのだ。

 この尋常ならざる理の核となっているのは、間違いなく、未だ途切れぬあの異質な繋がりだろう。しかし齢千に迫る月日を重ね、数多の悪を屠ってきた彼の叡智をもってしても、それが脅威であることしか分からなかった。

 

(もはや、我一つの力では対処が出来ぬ……)

 

 殺気ともとれる昏い感情が空間に満ちたとき、彼はこの場をすぐに離れるべきだった。しかし純粋な二重の憎悪が鎖となって彼の判断を鈍らせ、混乱させていたことに、彼自身は気が付いていなかった。

 

 ──どちゃり、湿った音が響く。

 その方向へ首を回そうとするが、何故か自由が利かず、代わりに空を見上げていた。

 冬に差し掛かる頃の澄み切った青い空。彼はこの空が好きだった。

 地面に横たわる襤褸切れの一部が半月の形に裂けていた。

 鮮血が噴出して地にゆっくりと墜ちていく己が肉体を見た。

 口元が血に染まる狼──剝き出しの怒りに染まった、その瞳と目が合った。

 

(これ、ほどの……脅威を呼び込むとは……ああ、竜帝め……)

 

 頭部に衝撃が走り、思考が乱される。視界の半分が失われた。先に墜ち行く彼の肉体を通り過ぎてすぐ、二度目の衝撃と共に彼の意識は暗闇に包まれた。

 

 

 

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