ドラゴンの襲撃から六年が経過していた。
その間劇的な変化は何一つ起こらず、ただ緩やかに緩やかに、情報を積み重ねながら時間が流れていった。
ムムの視界を通して見る、閉鎖的な環境である洞窟の景色はほとんど変化がなく、時が止まっているかのように錯覚する。洞窟に入り込む外の光の強弱で昼と夜が分かる程度だ。
そんな緩慢とした時間を認識しながらも、この肉体の状態だと時間の感覚が曖昧になるようで、私の感覚からしてみれば、六年という年月が一瞬で過ぎ去ったように感じられていた。
肉体の損傷は今も回復していない。あの襲撃の時から現状維持のままだった。
ムムに定期的に確認してもらっているが、何かが変わった様子はどこにも見られていない。
(腐って虫が湧きましたとか、覚悟してたんだけど……本当に良かった……)
もちろん、その間何もしていなかったわけではない。
私たちはあの襲撃を経て心を入れ替え、私たちが所持するアイテムのすべてと現状の戦力の分析をひたすらに行っていた。
今思えば、本当に何故、なにも確認していなかったのか不思議なくらい、だらけた生活を送っていたのだと気付かされていた。あの時は冗談で「ドラゴンに感謝するべきだ」なんて考えもした気がするけれど、今では本気で感謝していた。
(ムムが傷ついてたと知ったときは、あのドラゴンの身体が腐り果てるまで放置して、骨を砕きバラバラに捨ててやろうかと思ったけど……私たちに活を入れてくれたのだから、まぁ……我慢して私が食べてやろう)
ともかく、情報の足掛かりになるだろうと考え、私はアイテムのフレーバーを確認する手段を探すところから手を付け始めた。そして始めの一年でアイテムのフレーバーを確認する手段を発見し、身体の回復を待ちながら、所持するアイテムを一つ一つ確認する作業を行っていたのだ。
まずはユグドラシルでも多用していた、在庫が潤沢にあるアイテムを使用し、何が違う点がないかを確認した。
結果、概ねユグドラシルと同じ効果を発揮していることが判明した。
使えないと諦めていた位階魔法も、それと同等の効果を持つアイテムであれば使えるようだ。ただし、スクロールに込められた位階魔法の効果が発揮されることはなかった。消費もされなかったため、発動に失敗したわけでもないようだ。
思うに、これは発動工程が異なるためではないかと思われる。
指輪や短杖を代表とする、魔法が込められたアイテムとスクロールの大きな違いは
ユグドラシルにおいて、位階魔法を発動する前準備として、対象の指定・位置の設定・経路の構築・腕を突き出すなどの動作・触媒の使用など──位階魔法ごとに異なる複数の工程を踏む必要がある。
例えば<大治癒>は①対象の指定、②装備した武器または手の平を対象へ向ける、と二つの工程が必要だ。
自己強化スキルや詠唱者を中心に発動するタイプなどの、対象位置が固定のものは工程が少なる傾向がある。逆に長射程魔法や範囲魔法、強力な効果を持つものは工程数が多い傾向にある。
そしてその工程を終えた後、魔法名を
なお、<魔法最強化>などの魔法強化スキルは工程と発声の間に挟む形になる。
ユグドラシルではこれらをまとめて詠唱と呼ぶのだが、おそらくこの世界には詠唱という概念がないのだろう。あってもユグドラシルと同じシステムではないのだ。特に一番重要な
ゆえに、位階魔法やスクロールが使えないのだ。
アイテムに付与された位階魔法は、この詠唱が不要だから使うことができた。
(そういえば、言葉を話せそうな知的生命体に会ったことがないな……避けられてる? あのドラゴンくらいかな。ドラゴンが喋れないなんてあり得ないだろうし……。面倒がないから、別にそれはそれでいいんだけど……)
位階魔法で他に興味深いのは、ユグドラシルと同じでなくとも、そのフレーバー通りに機能していた点だ。
特に幻術系統が顕著で、効果範囲くらいしか違いを乱せなかったユグドラシルとは異なり、明らかな差があった。
上級の幻術は温度や匂いなど五感にすら作用するのだが、それはムムの感覚をもってしても、本物と見紛うほど精巧なものだったのだ。
フレーバー通りに機能する。その発見を基に、改めてアイテムの見直しを行ったところ、この世界のアイテムはフレーバーに沿って効果が発揮されている可能性が高いことが分かった。
この収穫は非常に大きい。一品物や有用だが在庫が少なく、使うには惜しいアイテムの効果が予想できるようになったからだ。
そんなアイテムの調査と並行して、私の状態についての確認を始めていたのだが、今日ようやく成果の芽がでた。
契機となったのは、私とムムが装備している連環の契りを確認した際に起こった。
連環の契りのフレーバーによれば、「異なる魂を連結し、一つにする」とある。この説明と現状を踏まえれば、私とムムのHPは共有され、 "レーションとムム" という一つの存在になっているのが妥当だろうと考えるに至った。
ただし、HPそのものは個別に存在し、 "レーション" と "ムム" の二つのHPゲージが連結しているような状態である可能性が高い。これは私の持つ、<高速治癒>や<再生>といったスキルが機能していないこと、回復ポーションが効果を発揮しなかったことから推測できる。
治癒系のスキルや位階魔法は死亡状態にあるとき機能しない。正確には死亡というステータスの異常があるときは機能せず、その異常を取り除かなければ、HPが回復することはないのだ。
つまり、 "レーション" のHPゲージはゼロであり、死亡している。
あの襲撃で私は死んでいたのだ。
(そのはずなんだけど……なんか違う気がする。いや、絶対に違う。死んだらこうしてムムと一緒に考えることなんてできなかったはずだし……)
ここからは想定になるが、おそらく通常の死亡ではない。
普通は死ねば肉体は腐っていくが、私の死にはそれがないのだ。
この世界では死んでも腐らないのかと最初は思ったが、数度実験したところ、当たり前のように腐っていくことが確認できている。
だから少しだけ視点を変えて考えてみる。
(ユグドラシルでは、連環の契りにこのようなHP共有は実装されていない……この世界ではフレーバーに沿って処理されている……)
ならば、 "レーションとムム" という存在から "レーション" という部位が欠損した状態にある、そんな考え方はどうだろうか。
部位ごとにHPゲージが存在するレイドボス。
あるいは両方同時に倒さなければ無限復活する双子ボス。
そのような存在になっているとは考えられないだろうか。
(なんかしっくりくる、気がする)
ユグドラシルでHP共有が実装されなかったのは、なぜだろうか。先に挙げた能力を持つボスは複数実装されているから、技術的にはおそらく可能なはずだ。
プレイヤーに適用すると強すぎる効果なのは確かだから、バランス調整で見送ったか。
その可能性は高いだろうと思う。通常、死亡した場合は一部の例外を除いてレベルダウンを考慮しなければならない。HP共有はレベルダウンが発生する前に「ちょっと待て」と言えてしまうのだから。
私が完全な死を迎えるにはムムのHPもゼロにする必要があるはずで、ムムが蘇生を行えば、おそらく私は復活するはずだ。つまり、どちらかが蘇生を行えば、何度でも戦力ダウンを気にせず戦線に復帰できるわけだ。
今は使えないが<沙羅双樹の慈悲>の自動復活タイミングを自由にできると思えば非常に強力だろう。この自動復活は強力なのだが、多段攻撃で比較的簡単に対処できてしまう。
(なんだかプチボスになった気分だよねぇ……プレイヤーのボス化、そんなのがユグドラシルにもあったけど、こんな形でも私がその恩恵を受けるとはね)
プレイヤーのボス化というのは浪漫があり、ステータス的にとても気持ちがいい。そこにステータス強化用のバフを載せ、さらにドドドンと上がったパートナーのステータスを見るのはもっと気持ちがいい。
ただ、まぁそれだけだ。自己満足にしかならず、あまり強いとは思えない。
連環の契りを装備したプレイヤーとそのパートナーは、各種ステータス向上によって上位プレイヤーを優に超すステータスを持っている。ボス化というシステムがどういうものか詳細は知らないが、似たようなものだろう。
実際ステータスだけなら十分ボスに匹敵するし、計算上は素で百レベルを超えたステータスになっていたはずだ。
ただし、その代わりにソロプレイを強要される。具体的には他プレイヤーとパーティが組めなくなる。パートナーと永久にパーティを組むことになり、メンバー追加もできない。
そうすると何が起こるか。
まず常にフレンドリーファイアを考慮する必要がある。
それにパーティ用の高難易度ダンジョンのクリアが難しくなるし、できても効率が大変悪くなる。またギルド専用のダンジョンはパーティ同士で連合を組むのだが、そこでも肩身の狭いを思いをすることになるのだ。
そして実質破壊不可能であり、呪いの装備アイテムでもあった。実質というのは破壊するとパートナーに選んだ相手が消失してしまう。
他にも手痛いデメリットがあったが、パートナーの消失なんて耐えられないので覚える必要がない。
なお破壊せず、連環の契りの装備を外しても同じ結果になる。
結局はパーティを組んだプレイヤーたちが何よりも怖いし、強いのは変わらない。
私たちがステータスだけいくら強くなろうと数と連携の暴力には勝てないのだ。
そんな孤立した私たちに目を付けた、「ボスの予行練習しようぜ」とか言ってくる鬱陶しいPKはそれなりにいた。サンドバックとして、良い的だったのだろう。
(まあ、逃げるだけならステータスの暴力による一点突破力があるから、そう難しくはない、けど……徹底的に対策されてるとどうにもならんし、でもそれは諦められるから別に……ああ。嫌な思い出が浮かんできた)
それからギルド<番の止まり木>に招待され、所属するようになってから悩みは格段に減った。パーティは組めないものの、フレンドリーファイア覚悟の連携で追い返せるようになるまでは悩まされ続けていたのだ。
(奇襲して、通常攻撃三回で死んだ人間種の魔法詠唱者がいたっけ。これはスキルではない、ただの通常攻撃だ──なんて煽り返してやったら、チートだとか騒ぎ始めて面白かったなぁ……徒党を組んで同じ土俵に立ったなら、フレンドリーファイアなんて無視してごり押しができるだけのステータス差なんだから、その時点であんたらの負けだってのに)
とにかく、とにかくだ。
この不便な現状からようやく復帰できる目途が立った。まずはそれを祝い喜ぼうではないか。
それにムムが私のアイテムボックスにあるものを使えると知れたのは、思いがけない幸運だったと言えよう。この状態にならなければ気が付けなかった成果の一つだ。
しかし、それ以上にムムには負担をかけてしまったし、不便さと不安のほうが勝っていたのも事実だ。
ムム曰く、私たちは外界から閉ざされた山奥にいるらしい。だから負担にはなっていないと言うのだが、ムムは私のこととなるとどうにも、無理をしているように感じることがある。
この状態になって長いが、まだまだムムの安定した感情を捉えることは難しく、真偽は不明なままだ。
(それじゃあムム。まずは<死者蘇生>のアイテムを使ってちょうだいな)
ムムが私のアイテムボックスから第五位階魔法の<死者蘇生>と同等の効果を持つ丸薬──イベントで定期配布されるおまけ──を口に咥えて取り出した。
それから私の頭らしき塊の裂けた部分まで持っていったが、裂け目が狭いのか上手いこと入らず、鼻や爪を器用に使って捻じ込んでいた。そうして奥へと捻じ込まれた丸薬は無事、裂け目の中に転がり込んだ。その際、裂け目が広がりひびが入ったが、もう死んでいる身体だ、気にする必要はない。
丸薬が暗闇の奥へと消えて数拍後、黒焦げの身体が一瞬光るが、その光はすぐに立ち消えた。
丸薬は使用されたが、効果は発揮されなかったようだ。その結果に落胆はなく想定通りだったことに喜びと満足感を得ていた。肉体の損傷が激しいと判定された場合、低位の蘇生魔法では効果が発揮されない。まさにフレーバー通りの結果であり、証明がまた一つ増え確実性が高まった。
続けてムムにはより上位、第七位階魔法の<蘇生>が込められた短杖──課金ガチャのおまけ──を取り出し使ってもらう。こちらは肉体の損傷にかかわらず、効果を発揮するはずだ。もしダメな場合は、私の切り札を使うしかないのだが、おそらく問題ないだろう。
先ほどと同様に身体が光り輝き、次の瞬間には数年ぶりの重力を感じていた。
成功だ。唯一の不安要素だったレベルダウンの感覚もない。
HPが回復していないのは気になるが、身体の再生が始まっているのが分かる。元々不自然な死亡状態だったのだから、この程度は許容範囲内と見るべきだ。
まずもって、上々の結果と言えるだろう。
(はぁー……これで、あとは再生を待つだけ。一時はどうなることかと思ったけど、なんとかなって良かった。でも、これくらいなら──ん……なんかチクチク、する……ような? あっ、あ、ぁこれ痛ッ! ムム!! ポーショ! ポーションを!! すごく痛い! イダ痛い痛イッなんでなんでなんでタすけイぃッイダッぁァァああああィアアアああアアアア!!!)
山奥の洞窟に音なき叫びが木霊した。