それにしても、このエンコウたちはいつまでここに居座っているつもりなのだろうか。今までの集団なら、供物を渡して願いを聞いてあげれば、そそくさと退散しているはずだったのに。
私が何か間違ったことを言っただろうかと記憶を探るも、定型通りに対応しただけでおかしなところは何もない。彼らの言い分にもおかしなところはなかったのだから、私が無意識に定型を外れるようなこともしないはずだ。
次いでエンコウたちをよくよく観察すれば、皆、顔を青ざめさせて縮こまっていることに気が付いた。リーダー格は顔を青くしつつも、こちらを見ないようにしてしきりに様子を伺っている。
私の頭には疑問符が浮かび続けていたが、今は気分が良いから少しだけ問答してやるのもやぶさかではないか。
「……なんだ。言いたいことがあるなら遠慮せずに話してみろ」
「っ!? はいっ! あのっ、御方様は、北方の神々の住まう土地より、お越しになられた、神、なのでしょうか」
「……? いいや、違う」
何を見てそう思ったのだろうか。
しかし彼らは答えを聞くなり、明らかに安堵した表情を浮かべ始めていた。
「何故そこまで安堵する」
彼らの表情は神々が住む土地とやらに関係があるのだろうが、理由が分からない。
勘違いしたということは、その神々は私たちに似た力を持っているということなのだろうか。出会うことはおそらくないだろうが、注意しなければならない相手だろう。
北の方面に進んだこともあったが、荒地と砂漠があまりにも続いたものだから、途中で飽きて進むのをやめたことがある。諦めた先にそんな場所があるなんて初めて聞いた情報だった。
「あっ……いえ、あの……北方の神々は人間を家畜とすることを嫌うのです。そればかりか保護し、我ら亜人種を駆逐する、恐ろしき神なのです」
にわかに苛立ちが募り始める。それは相手と私自身に対してだ。こんな奴らなんて構わず放置しておけばよかったと後悔した。あるいは、さっさと帰れと威圧して無視すれば丸く収まったはずなのに、余計な情報を得てしまった。
「……私は以前から人間を供物として受け取っている。それをなんだ、今更か? そうした情報を知っていながら、私に渡し続けたのか?」
供物として受け取った人間の処理も、こいつらの相手をしたくない要因の一つだった。面倒しかないのは分かり切っていたため、受け取ったものを返すわけにもいかず、さりとて家畜とする趣味もなければ、食料とするなんてもってのほかだった。
だから適当に彼らの視界の外で見かけた魔獣に処理させたり、見当たらなければ殺して、川に捨てたり、そこらに埋めたりしていた。
その手間を彼らは無論知らないだろう。
私たちは組織ではない。如何に力があろうと継戦能力が違う。個人でできることなどたかが知れているのだ。驕った先に待つのは破滅のみ。ゆえに可能な限り外部の勢力と摩擦を生まないように立ち回ってきた。
供物を受け取るのだってそうだ。この土地の力あるものが受け取るべき報酬なのだと考えて、煩わしさがあろうと我慢して受け取ってきた。拒否することで、この土地の既勢力との関係が悪くなる可能性を考慮したからだ。
それが、供物を渡す文化もなければ、受け取りを拒否しても問題なかったのだと、このエンコウは言い放った。
「お前らを殺さなかったのは、その後に生じる余計な手間が、殺す手間よりも勝るだろうと考えたからだ」
自分でも驚くほど威圧感のある声がでている。
これまでに溜め込んだストレスも限界に近いのだろうか。
いっそのこと、ストレス解消にこいつらを消しても良いんじゃないかという思いが湧いてくる。私が触腕を数回振るうだけでいいのだ。雨が降れば流れ落ちる程度の汚れしか残らない。たったそれだけで、酷く狼狽して歪んだ醜悪な顔を見なくて済むようになる。
「いえっ! 決して、決してそのようなことは考えておりません! この地へ辿り着いて一か月足らず。我ら一族は北方の流れ者にございます!」
「……そうか。次の返答次第では殺す。お前だけではない。後ろの者も皆、殺す」
抑えつけていた<畏怖のオーラ>を最大レベルにする。脅しではなく本気であると示すために。
その圧をまともに浴びたエンコウたちは怯えと恐怖で皆がひれ伏している。
その様子を見て私は少しだけ感心した。ここまでのレベル差があれば、抵抗に失敗しただけでなく、一挙に恐慌状態に陥って我先にと逃げ惑うはずだからだ。
恐怖状態で留まっているのは余程、リーダーに信を置いているからか、はたまた逃げた先に未来がないと知っているからか。
リーダー格のエンコウはそうした感情を押し殺しながら、必死に考えているようだった。
圧を全開にしてからの周囲の環境は恐ろしく静かだった。
これだけの人数が居ながら、僅かに聞こえてくるのは、荒く乱れた吐息、小刻みに震える身体が地面と擦れる音のみ。
私と引き連れた一族の間に立ったエンコウは、口を開き、また閉じてを何度も繰り返している。多少体つきが良いだけのエンコウにかかる重圧はいかほどか、私には想像もできなかった。
彼はきっと何も悪くないのだろう。おそらく価値観の合わぬ北方の神とやらに住処を追い出され、荒涼とした大地を越える決断を迫られたのだ。
彼らは荒涼とした大地に適した身体ではないように見える。
砂漠越えでは仲間も大勢失ったはずだ。そんな生き地獄を越えてようやく辿り着いた新天地。しかし、その新天地にも神と呼ばれる存在が居ることを知ったとき、彼らは何を思ったのか。
そして、噂か他部族と交流し聞いたのだ。その神は供物を捧げれば願いを叶えてくれると。供物は価値の高いものが良いと。
益体もないことを考えて時間を潰していると、空気の色がほんの少し変わったことに気が付いた。どうやら覚悟を決めたらしい。
そして目の前のエンコウから何か違和感を感じた。
遅れて表情から恐怖が消え去っていることに気づく。出会ったときに見せていた縋るような固い目つきが失せていた。代わりにすべてを諦めて悟ったかのように柔らかい眼差しが、私の目をまっすぐに見据えて離さない。顔つきも変わったのように見えるのは気のせいだろうか。
「──恐れながら申し上げます。我らはこの地で語られる優しき神の噂を数多く耳にしました。そして思ったのです。この地に住まう神は、力なき者を無闇に裁かぬ御方だと。ゆえに、我らが捧げた供物もまた、親交の証として受け流していただけるものと、浅はかにも考えていたのです」
エンコウの語ったその声色には、わずかな興奮があった。
十数分前の邂逅で見せていた、言葉を慎重に選ぶ怯えた態度とは打って変わり、今は明らかに堂々としていた。それだけでなく、語り口にどこか熱を帯びたものすら感じられるのも不自然に感じる。
覚悟一つでここまで変わるものなのか。
まるでレベルが上がって、新たなクラスを獲得したような変わりようだった。
苦難をいくつも乗り越えたのだろうことは確かなのだろう。そして私が放った精神的な負荷がそれほどまでに経験を積ませたというのか。
「しかし、こうして御怒りに触れて、ようやく悟りました。我らは神意を確かめることもなく、ただ『周囲がそうしてきたから』という理由だけで愚行を新たに重ね、結果として御方様に不要な手間を背負わせてしまったのだと。これはすべて、長である私の判断の誤り。我ら一族の命で足りるのであれば、喜んで捧げましょう」
もはや目の前の男の言葉などほとんど耳に入っていなかった。
これは予感だ。それもおそらく、悪い方向の。
この男の一点しか視界に入っていないような熱い眼差し。
柔らかで清廉さすら感じさせる、精妙巧緻な表情。
あるいは男を中心としたすべてが、私に首を垂れるような姿を幻視したからか。
一体何が私にそう思わせるのかは分からないが、おそらく雰囲気が変わったのはクラスを取得したからだ。それ何かまでは分からない。
ただ、このひたひたと静かに這い寄る怖気は酷く気味が悪い。数分前のかつてない怒りの炎を鎮火させるような、冷や水を浴びせられた気分だった。
「……もういい。殺す気が失せた」
そもそも殺すことに躊躇がなくなっているのは良くない傾向だ。目的があるならまだ良いが、ストレス解消で殺すなんて、いったい私は何を考えていたのだろうか。
「我らの命をお救い下さり、ありがたき幸せにございます」
「……供物は、持っていく」
「御方様のご随意に」
彼らに背を向けて歩き出しても、未だ悪寒は収まらない。
「……何故、供物を持っていく。あの様子であれば……おそらく、捨て置いても問題はないだろう」
しばらく歩いてから、戸惑いがちにムムが声をかけてくる。
ムムもこの手の存在は初めて遭遇するようで、普段通りとはいかないようだ。
「分からない……強いて言えば、直感……かな。置いても持って行っても悪い予感がするから、マシなほうを選んだつもり」
「直感か……特別なことが起ころうと、供物を渡されたからいつもと変わらず持っていく……なるほど、道理は通っているか」
「そう。特別だからといって特別なことをして、相乗効果でもっと変なことが起こるよりましかなって……だって、あんな──」
瞬間、背筋にぞわりとしたものを感じた。
「我ら一同、御方様のご巡幸を切に願っております」
男の声に続いて、後方から唱和が響き渡る。
五百メートル以上離れているのに、あの男の声だけは耳元で囁かれたようにはっきりと聞こえていた。明らかに何らかのスキルが使われていた。さらに、肌に纏わりつくような、ねっとりとした嫌な視線がいくつも浴びせられ、腕が人知れず粟立った。
「──あんな……ねぇ、なにあれ。なんなの。私何しちゃったの。意味わかんない」
腕をさすりながらムムに問いかけるが、返答はない。
足早に離れる傍ら、ムムを盗み見ると何を察したような、思いつめた顔をしていた。
「ムム?」
私の声に反応したのかピンと立った耳がこちらを向いた。
声が届いていないわけではないようだ。
「……あぁすまない……しばらく考えさせてほしい」
しかしその反応はどこか薄く、心ここにあらずといった様相だった。
ムムの様子を見て、胸の奥にあった嫌な予感は言いようもなく広がっていった。
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それから、私たちはひっそりと迫り来る影から逃れるようにして、人目につかぬよう各地を転々としていた。移動する際は、優れたムムの知覚を最大限に使い、細心の注意を払って行動するようにしていた。
その成果か、亜人の一団と数週間単位で接触していた以前と比べて、半年から一年に一回程度まで抑えることができていた。しかし、どうしても接触してしまうことは避けられず、渋々対応する他なかった。
ただ、私たちにの行動に変化があったように、亜人達にも変化があった。
端的に言えば、質が上がっていた。
以前の彼らは供物片手に淡々と口上を述べ、愚直に願うだけだったのだ。
だが今は違う。供物を持ってくることがなくなり、只々私の姿を見て拝むだけ。不審に思った私が思わず「供物は?」と聞いてしまったときだけ、供物を礼儀正しく差し出してくるようになったのだ。亜人の礼儀作法なんてものは知らないが、そう見えてしまった。
また、感謝の言葉を述べる者まで現れ始めていた。その数は彼らと出会うたびに増えていく。さらに種族によって立ち振る舞いは異なるものの、所作全般に恭しさが感じられるようになっていた。まるで願い事が良く当たる神社にお参りするかのように見えた。
それだけを見れば、良い変化と呼べなくもなかった。
だが、あの男と同じ、どこか気味の悪い目で私を見つめていなければの話だ。
特に感謝を述べてくるような者はほぼ例外なく、同じ目をしていた。
そんな生活を数年続けていたある日、ムムがぽつりと「やはり信仰だろう」と口にした。
「いや、そんな……」
「しかしこの異様な状況、それしか説明が付かないだろう」
「それは……確かに、そうだけど。前に言ったかもしれないけど、信仰ってあんな、気味悪い感じのするイメージがなくて……」
この問題に対処するため、ムムとはもう何度も話し合ってきた。
そしてこの状況を説明しうる最有力候補が信仰だった。強大で常識外な存在に対しての自然発生的に生まれる崇拝──通常は自然災害などに当て嵌められるこれが、私たちに降りかかっているのだと。今の私たちでは制御しきれない外的要因が発生していたことを意味する。
他の可能性を考えると、いずれも敵対的な存在が前提となる。
私たちは極力敵を作らないよう行動してきた。少なくともあのドラゴンと同格の脅威に対処できると思えるまでは、波風を立てず静かに過ごす方針だった。
だからこそ、多少窮屈でも、集まってくる亜人種たちに対しては常に理性的かつ誠実に対応してきたのだ。
「亜人達に対しても、その他の存在に対しても、私たちは理性的に無害であろうと行動してきた……あの一度を除けばだが」
「あれは、本当にごめんなさい……」
あの光景は今でも時折思い出す。忘れ去りたいところだが、無制御で暴れ回ると私は災害そのものとなるのだと、その戒めとして思い出さねばならない。
「責めているわけではない。過去は変えられないからな。だがあれは、今回の件の遠因の一つだろうことは想像がつく」
「……まあ。それはもう酷いことになってたし……大災害が通りすぎたみたいになってたから。でもあれが、信仰につながるようなものだとは……やっぱり思えないよ」
巨大な傷跡の残る、変わり果てた山々を見た者は何を思うのだろう。私のような力を持つ者であれば、自らの脅威として警戒するはずだ。
圧倒的に格下の者であれば、脅威よりも恐怖を感じるはず。恐怖を感じれば、大抵はその場を去ろうとするはずだ。洪水が多発する場所では生活が極めて難しく、命を危険に晒す行為でもあるのだから。
ただ彼らは違った。恐ろしい洪水と共に生き、その洪水がもたらす恩恵に目を向けたのだ。彼らが抱いたのは単なる恐怖ではなく、自分たちでは抗いようのない存在に向けた畏怖なのだとムムは言いたいのだろう。
「これは私たちの持つ情報を元にして、消去法で導いたものだ。お前の言う通り、信仰ではないのかもしれない。だが、どちらとも断定もできない」
亜人種の集団に確認を取りたいが、それはできなかった。
そもそも彼らの中に
ただし、このまま傍観に徹することも望ましいことではないだろう。だからと言って私たちに介入できる余地もない。仮に私たちが介入すれば状況は悪化するだけだ。
そして、このままいけば信仰という意味を持つ言葉は必ず生まれる。
この地域の亜人種には独自のネットワークがあることは確実で、自らが行ってきた行為を共有する必要性もでてくることだろう。その時、一番分かりやすいのは共通の言葉を作ること。決して低くない知性を持つ彼らであれば、その言葉にいずれ必ず辿り着く。
「ムム。ここを離れよう」
「それしかないだろうな」
触れることも手を加えることもできず、しかし状況は悪くなる一方で、おそらく限界も近い。さらに彼らと出会うことすら危うく、何が切っ掛けで均衡が一挙に崩れるかも分からない。
取れる手段はもはや一つしかなかった。
「どこへ行く?」
「北へ……砂漠を越えて、神々の住む土地へ行こう。彼らはその神々と価値観が合わないからここへ来た。彼らから離れるにはそこしかない……」
彼らから離れる先に神々の土地を選んだのはもう一つ理由がある。脆弱な人間を贔屓にする神々とは、おそらくプレイヤーなのではないかと期待していたのだ。
当然、不安もある。異形種に寛容なプレイヤーかどうかが不明なのだ。人間至上主義であれば最悪だ。
もし、異形種を敵視するような場合は一戦交えることになるかもしれない。幸いその土地までは時間がかかるだろうから、考える時間はいくらでもある。
慎重に事を運ぶことを念頭に置きつつ、ユグドラシルのPVPを思い出しながら私たちは北へ歩を進めた。
ストックが尽きたため、次話はしばらくお待ちください。