太正十二年 長月
カンナとすみれによる舞台『西遊記』も無事終わりを迎え、公演が最終日ということもあり劇場は一層の賑わいを見せていた。
そんな中、舞台から離れた厨房で玄治は一人、大鍋やオーブンをフルに使って料理を作り続けていた。
「貴水さん、今ちょっといいですか・・・ って、これは?」
「ん? かすみさんがこの時間帯に来るなんて珍しいな。
どうかしたか?」
返事をしつつも料理の手は止めず、かすみの言葉を背中で聞く。
「いえ、私と椿は午後には留守にしてしまうのでお昼がいらないことと由里しかいないことをお知らせに」
「おう、わかった。俺も午後は出掛けるから留守にするわ。
赤チビがなんか作りながら『打ち上げには間に合わせるんや~』とか言ってたから、花組は全員残るだろ」
「じゃぁ、この料理って皆さんにですか」
「そっ。
打ち上げに参加できないからこれぐらいはしてやりたくてな。
デザートの味見、頼めるか?」
冷蔵庫から小さめの器を取り出して、スプーンを添えて出された白っぽいそれは口の中に入るとふわりと消えてなくなる。
「美味しい・・・ ババロアですね?」
「ならよかった。
試食分はそれしか作ってないから、椿と由里には内緒な?」
「ふふっ、二人だけの秘密ですね。
でも、そういって今度のお昼には全員分出してくださるんでしょう?」
玄治はまた料理に向かいながらしーっと指を口に当て、かすみも真似するように指をあてて共に笑い合う。
「そのうちな。
かすみさんも今日はお客の誘導もしてるんだろ? そろそろ戻った方がいいんじゃないか?」
「そうですね。
じゃぁ貴水さん、お疲れ様です」
「あぁ、お疲れ」
かすみを見送った玄治は調理器具を片づけ、完成した料理の数々を見て頷く。
「こんだけありゃ足りないことはないだろ」
飲み物やらは多少足りないだろうが、料理の負担は減らせることは間違いない。
「さて、俺も準備するか」
そういって、彼は外出着へと着替えるために地下へ戻っていく。
シャツと上着を着こなし、堅苦しいネクタイはせず、第一ボタンは外されたラフな格好。長い髪を低めにくくった姿は大神とは違った魅力を引き出していた。
「持ち物は・・・ 大丈夫だな」
衣服の中に仕込んだいくつかの工具を確認し、扉の前にかける留守の板も問題ない。データ・資料共に玄治にしかわからないようにもされている。事前の報告は済んでいるし、問題らしい問題はないだろう。
「よし、行くか」
そういって玄治は地上へと向かい、最後のクサビが撃ち込まれる可能性が高い日比谷公園へと向かった。
「思ったより広いな・・・」
無事公園にたどり着いた玄治は会堂や図書館、噴水や音楽堂などを見ながら歩く。
夕立でも来そうな薄暗い空の下で散歩する者は少なく、玄治は気にせず歩き回る。
(霊脈的にはこの辺り・・・ っと、当たりか)
霊脈を勘と霊力を頼ってたどれば、いくつか点在する林に脇侍の影が見え、玄治はさっと隠れる。
(あれがクサビと・・・ あれは隊長さんの初陣の時にいた・・・)
青い着物姿が見え、遠目から伺う。
仮面らしき何かと灰色のような髪、そして射抜くような目が玄治へと向けられた。
「ほぅ、まさか気づく者がいようとはな。陽動一つ完璧に出来ぬとは、あの女らしい。
そこの者、出てこい」
叉丹の言葉に脇侍達が玄治の方へ武器を向けるが、それは叉丹の手が制する。
玄治をすぐさま殺すつもりはなさそうだが、既に玄治の後ろに脇侍が現れ、武器を突き付けている。逃がす気はないようだ。
「あんたが死天王に残った片割れ、か」
両手をあげながら玄治が男の前に出されれば、叉丹は笑っていた。
脇侍に取り押さえられた玄治が視線を向ければ、そこに居た男の顔を見て驚愕に染まる。
「先生、なのか・・・?」
「そう見えるか? そう見えるならそうなのだろうな。
だが山崎真之介だったとしても、今の俺は葵叉丹。天海僧正が死天王の一人だ」
ククッと楽し気に喉を鳴らすように笑う叉丹に、玄治は笑えない。
再会の喜びと自分の予測が当たってしまった悲しみ、空白の五年に言いたかった言葉が咽喉までせりあがってくる。
「・・・あんたは何がしたいんですか?」
だが、玄治の口から出たのは再会の言葉でも、これまでの言葉でもなく、彼への問いかけだった。
たとえその顔が、いかなる感情で歪んでいても。
心が今にも崩壊しそうであっても、玄治はまだ冷静だった。
「ここまで来たお前が、我々が何をしたいかわからない筈があるまい。
天海様の望む世、西欧文化に染まり切った帝都を正しき姿へと戻すだけだ」
「天海の目的はその通りかもしれない。
けど、それなら黒之巣会が現れる前に書かれたあなたの資料から天海僧正や死天王の機体の情報が書かれていたのはおかしくなる」
叉丹の言葉を否定せず、玄治はただ真っ直ぐ彼を見据えた。
叉丹本人が明言せずとも、彼はもうそこにあるのが師だと確信しているように。
「天海が黒幕だというのなら、何故あなたは知っていた?
本当に天海はあなたの主人なのか?」
戦いの中に山崎の名が浮かんだ頃から、玄治の疑問は尽きなかった。
もしこれらの黒幕が師だというのなら、帝都を壊すだけが目的であるのならもっと簡単な方法があった筈。
ならば、どうしてわざわざ天海の下につく形でこんなことをしたのか。
「六破星降魔陣にしたっておかしい。
『降魔陣』と書かれていながらクサビの打たれた場所から降魔が溢れる様子もなく、脇侍達だけが増えていく。もし、この陣の仕上げとしてあの場所で降魔を解放させるにしても遠回し過ぎる。
なら、これは・・・」
これまでは単なる序章にすぎず、何かを狙っているのではないか。
「ククッ、気まぐれに拾ったガキがまさかここまで良い木偶になるとはな」
叉丹は玄治の言葉を否定せずに笑う。
「いいだろう、玄治。
ここまで辿り着いた褒美として、お前に昔のように教鞭をとってやろうじゃないか」
言外に山崎であることを認めながら、脇侍に抑えられた玄治の肩を踏むように足を置いた。
「これはな、帝都を使った大掛かりな茶番なのさ。
破邪の力によって封じられた降魔を再び呼び覚ますためのな」
「じゃぁ・・・ これはあなたにとってどっちが勝とうと」
「あぁ、その通りだ。
どちらが勝とうと負けようと、私がやることは変わらない」
雨が降り始める。
冷たい雨が体を濡らしても関係なく、叉丹は笑っていた。
「玄治、お前はこの茶番を盛り上げるために本当によく働いてくれた。
私の設計図から光武を始めとした多くを生み出し、天海達の対抗馬を生み出してくれた。内部から天海たちを眺め傷つき倒れるさまも、花組が見せる仲間ごっこもとても愉快だった」
強くなる雨と遠くに光る雷光。
だが、雷の音にも負けぬ叉丹の声は玄治の耳に響いていた。
「なぁ、どうだ? 玄治。
師の影を追い、追った末に作り上げた物は所詮茶番を飾る玩具に過ぎない気持ちは?
故郷を失い、両親を食い殺され、己の名すらも忘れるほど復讐に狂ったお前が降魔復活の一役を担った気分は?」
玄治の呼吸が荒くなる。
それが怒りなのか、悲しみなのかは傍目には誰にもわからない。
だが、玄治の手は叉丹の着物を掴み、握りしめる。
「それともまた私の元へ来たいのか?
傷だらけで、全てを拒む野生の獣となり果てたお前に名を与え、教え導いたあの日のように」
ドクンッと体を跳ねさせ、玄治の目は叉丹を見る。
そこに居るのはかつて自らを導き、今も慕い、居なくなってなお追いかけ続けた人。
「だが、お前はいらん」
叉丹は脇侍達に押さえつけられたままの玄治の髪を掴んで、その巨体を放り投げる。
「なら、どうして・・・」
林の中に乱立した樹木に叩きつけられた玄治は痛みに呻くこともせず、音もなく立ち上がり、叉丹の元に向かおうとする。
「はっ、体は見てくれだけではないようだな。丈夫な木偶だ」
叉丹と玄治の間に脇侍が並び、その距離は遠い。
だが、それでも玄治は止まらない。
裾から出した工具を手に持って、脇侍達を応戦せんと構える。
「お前をあの日拾ったのは所詮、気まぐれにすぎん」
「俺は・・・ それでもよかった」
襲い掛かってくる脇侍をあしらいながら、玄治は一歩ずつ叉丹に近づいていく。
「駒でも、木偶でも、盾でも、先生が望むのなら俺は・・・ なんにだってなってみせる。
それだけのものを、俺は貰ったから」
玄治の頭に本来の目的など最早なく、叉丹しか目に映っていない。
故に気づかない、叉丹の隣に確かにあった筈のクサビは既にないという事実に。
「くだらんな、それすら人間を装うための手段でしかない。
なんにだってなる? ならばお前は忌み嫌う降魔になれるというのか?」
不可能だと言外に告げ、脇侍達を打ち壊した玄治が叉丹の前に跪いた。
「それがあなたの望みなら」
表情をなくし、ただ盲目的に師を仰ぐ。
これが過去に囚われた玄治の、本当の姿だった。
「はっ、馬鹿馬鹿しい」
だが、叉丹はそんな玄治を一笑し、鞘のまま刀で殴りつけた。
「降魔の因子を人間に入れる実験は既に行っている。そして、お前にそれは出来なかった。
お前はな、実験体としても役に立たなかった出来損ないだ」
何度も何度も殴りつけられながら、玄治は抵抗一つせずに受け止める。
「何だ? 抵抗もしないのか?
そんなに師を失うのが怖いか? 傷つけることが恐ろしいか?」
返事もせずに起き上がり、自らの傷を痛む素振りすら見せない玄治の姿は異様で異質なものだった。
「木偶はもう足りている。
茶番もじきに終わり、玩具も面白いものがある。そして、舞台もまた綺麗に整うだろう。
だからな、玄治」
もう一度蹴りつけて樹にぶつかって転がる玄治を背中から踏みつけ、頭を持ち上げて耳元に囁く。
「お前はもう、いらんのだ」
その時、地面が揺れた。
「ふっ、六破星降魔陣は成った。
今頃、帝都は混乱に陥り、花組達も無事ではいまいよ」
叉丹は興味を失ったように玄治から離れ、空を見上げた。
「なぁ、玄治。
お前は今度、何を失うんだろうな?」
そういって、玄治を残して掻き消えていった。
「ふっ・・・ ハハハハハハハハハ」
残された玄治は狂ったように、吠えるように、涙なのか、雨なのかもわからない何かに濡れながら、笑い続ける。
しばらく笑い続けた玄治は一度うなだれ、痛む体を無理やり立ち上がらせた。
混乱極まる帝都に傷だらけの男が歩いていても目立つことはなく、玄治は無事帝劇へと帰還した。
「玄兄、どこ行っとったんや!?
心配したんやで!」
「玄治!? その怪我は・・・」
「こっちもいろいろあったけどよ、そんな怪我してどこで何してたんだよ」
玄治の不在を気づいた数名が玄関で待ち構え、紅蘭に投げられたタオルを頭からかぶってそのまま突き進む。
「米田さんに報告する。
支配人室か? それとも作戦室か?」
「全員揃い次第作戦室で話し合いよ。
けど玄治、その怪我じゃ・・・ それに体も濡れてるわ」
「帝都の状況も見てきた。
突き進む玄治にマリアが状況を説明しつつ体を案じても、とり合わない。
「玄さん、どうしたってんだ?」
カンナと紅蘭はそんな玄治を追いかけることも出来ず置いてかれ、ただ驚いていた。
「・・・なんや、会ったばっかの玄兄思い出すわ」
「ん? 玄さんってあんなだったのか?」
「あー、カンナはんは知らんかぁ」
首を傾げていたカンナに紅蘭は頬を掻いて視線を他所に向け、話していいものかと迷う。
「ウチ、マリアはんとかすみはんの次くらいに玄兄と付き合い長いんやけど、玄兄が今みたいに笑ったり、からかって来たりするようになったんて半年から一年ぐらいかかったんよ。それこそ帝劇が出来た頃かなぁ?」
結局話すことを決め、もう消えた背中を思い出して笑う。
「ウチが来た頃はだいぶ二人と仲ようなってたけど、まだ表情が硬くてなぁ。冗談も言わんで、必要なこと以外はあんまり話さんかった。
過去になんかあったんやろーなーってわかっとったけどそれはお互い様やし、聞かんでも別に死なへんし」
同じ場所で同じ作業に携わり、ほとんど二人っきりで様々なものを作り上げていく中でも最初の玄治は恐ろしく無口だった。
作業の要点を話し合い、意見の出し合ってる時は雄弁だが、それ以外は全く話そうとはしなかった。
「うへ、そんな玄さんとどうやって仲良くなったんだよ。お前」
「そら簡単や。
ウチがいつものようにポカやらかして、爆発に巻き込まれそうになったところを玄兄が咄嗟に助けてくれたんよ」
『無事か?! 紅蘭!』
初めて名前を呼ばれ、初めて見せた玄治の慌てる姿に紅蘭はおもわず笑った。
『なんやぁ、あんた。ウチの名前、ちゃんと知ってたんやないか。
それにその顔、ずーっと仏頂面だったくせに・・・ 焦りすぎやろ。あー、おもろいわぁ』
『はぁ?! おまっ、大怪我するとこだったってのに・・・ 馬鹿か!』
当然怒られたが紅蘭の笑いはなかなか収まらず、笑う紅蘭に玄治も呆れて紅蘭を撫でながら笑ったのだ。
『仕方ないチビ助だな、お前は』
呆れた玄治の一言が今も定着している『赤チビ』の由来であり、その日から紅蘭も玄治のことを『玄兄』と呼び慕うようになった。
自分を守ってくれた姿を、在りし日の両親と姉達に重ねて。
「ふーん? あたいが会った頃にはもう玄さんはあぁだったから、想像もつかねーや」
「そらええこっちゃ、玄兄かてあんな姿誰かれみせたいもんやないやろし。
・・・あと引かんとえぇけどなぁ」
「だな。
さっ、作戦室に急ごうぜ。じゃないとマリア辺りが怒っちまう」
「やな」
そういって二人は皆が待つ作戦室へと急いだ。
「玄治、どこ行ってやがった?
ってその姿はどうした!?」
そのまま作戦室に入った玄治に米田が驚き、待っていた大神、アイリス、すみれも驚きの視線を向けた。
「こんな姿で失礼します。
最後のクサビが打たれる日比谷公園に先行して偵察に行き、脇侍および死天王の一人と交戦。そして、クサビを打つことは防げませんでした」
「まさか、死天王相手に一人で戦ったんですの?!」
「偵察のつもりだったが、奴らを見つけた以上放置することは出来なかった」
すみれの責めるような言葉を玄治は端的に答え、見ようとすらしない。
「・・・まぁいい、帝都の戦いは俺達に任せて出撃があるまではお前はちっと休んどけ。
かすみくん、玄治の治療は任せた」
米田の指示に玄治は返事もせずに退出し、真っ直ぐ自室へ向かう。
鍵を閉めようとしたが米田の言葉を思い出し手が止まり、ベッドに横にもならず扉のすぐ横の壁に体を預けた。
(俺は・・・)
体の痛みなど感じていない。
ただ、叉丹の言葉だけが頭の中で繰り返され、取り繕うということすら出来ずにいた。
「貴水さん、治療を」
「・・・あぁ、開いてる」
気のない返事をしながら、かすみが入ってくるのを見ていると玄治を見るかすみの目が悲しみに染まるのがわかる。
何かを察したのか、かすみはそれ以上何も言わず、ただ静かに玄治の手を引いてベッドへ座るよう促した。
かすみは黙って箪笥から新しい服の上下を用意し、玄治の濡れた上着を脱がして見えるところ全てに治療を施していく。上半身のいたる所にある怪我を消毒し、包帯を巻いて、もはや使い物にならなくなった上着とシャツをまとめていく。
(何も、聞かないんだな・・・)
手際よく動くかすみを見ながら、うすぼんやりと思う。
玄治自身誰かのことを考える余裕などない筈だというのに、悲しそうな目をしながらも己の治療を行っていくかすみをつい目で追ってしまう。
「治療はこれで終わりです。
着替えはこちらに用意しておきましたから、着替えて休んでください。それと温かいお茶も用意してあります」
最後の仕上げとして、上着を着る様子のない玄治の肩に羽織をかけられた
「・・・あぁ」
感謝を告げなければ、いつも通りでいなければと心のどこかが叫んでいるが、その叫びは遠く、玄治の表情は動かない。
だが不意に、座っていた玄治の背中に温かなものが抱き着いてきた。
それは勿論かすみなのだが、首から手を回されるように抱きしめられた玄治は何も言わず、何もすることはない。
「貴水さん、ご無事でよかった・・・」
かすみ自身も何も期待していなかったのか、十分にも満たない時間を彼の背で過ごしたのちにあっさりと離れ、部屋から退室しようと扉の方へ向かった。
「・・・ありがとう」
蚊の鳴くような声で呟かれた言葉は確かにかすみに届き、扉は静かに閉じられた。
その後、自室で休む玄治を置き去りにするように時間は進み、天海の一件は大神によって解決へと進んでいった。
天海の政府への要求、葵叉丹との再びの邂逅。そして、昏睡に陥っていたさくらの目覚めと降魔戦争・対降魔部隊での出来事が語られていくのを玄治は画面ごしに聞いていた。
そして、花組が二つの部隊に分かれて出撃していった頃、ようやく玄治は米田達の元へ顔を出した。
「玄治くん、怪我は大丈夫なの?」
「問題ありません。
ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
あやめからかけられた言葉に頭を下げながら答える。
「玄治、何があった?」
「さっき報告した通り、日比谷公園にも死天王・葵叉丹及び脇侍と応戦し、敗北。
加えて、現状でもわかる通りクサビを打ち込まれることを防げなかった。
それだけです」
翔鯨丸から地上を見下ろして、そこで戦っているだろう花組を遠く見守る。
「隊長さんは、魔神器を使わずに戦うことを選べるんですね」
戦闘や話し合いに参加できずとも自室で話だけは聞き続けていたため、玄治に状況把握は出来ている。
だが、状況把握が出来ているからと言って、今の玄治が何かをするために動けるというわけでもないのだが。
「降魔が復活したわけじゃねーしな。天海を倒せば、まだ完全じゃない門なら防げるだろうよ。
それに・・・ あんなもんはもう二度と使わせねぇよ。一馬のようなことは、一度で充分だ」
「そう、ですね・・・」
当然、戦いの中で死んだ一馬のことをさくらが何と言ったかも、大神が花組に何と言って出撃していったのかも聞いていた。
(『必ずここに帰ってくる』、か)
そういった大神が玄治にはひどく眩しくて、真っ直ぐすぎる彼の姿を直視することが出来なかった。
かつての決戦で、そう言えた人間はいなかった。
隊長であった米田すら、命を捨てる覚悟であの場所へ向かったのだ。
「なぁ玄治、何があった?」
もう一度同じ質問を繰り返されても、玄治の表情はピクリと動かず、静かに首を振って米田の横を通り過ぎていく。
「なんでもありませんよ、ただ久しぶりの戦闘で油断しきってただけです。
今はただ、天海との戦いに集中してください。
俺のことよりも花組の帰還を信じ待つことが、居場所を与えたあなたの役目でしょう」
突き放すような言い方になったが、玄治は気にかけない。
「俺達にも言えないことか?」
人を射抜く陸軍中将の視線を感じたが、玄治は振り向こうとはしなかった。
(あなた達だからこそ言えないんです。米田さん)
脳裏にちらついた
そして、刻まれたように離れない言葉の数々。
『故郷を失い、両親を食い殺され、己の名すらも忘れるほど復讐に狂ったお前が降魔復活の一役を担った気分は?』
『それともまた私の元へ来たいのか?
傷だらけで、全てを拒む野生の獣となり果てたお前に名を与え、教え、導いたあの日のように』
『お前はな、実験体としても役に立たなかった出来損ないだ』
『お前はもう、いらんのだ』
「・・・なぁ、米田さん」
家も、親もなくし、親しかった筈の者は勿論自分の名すらも忘れて、かろうじて残った記憶に靄がかかって事実かどうかもわからない。
名も、居場所も、技術も、知識も・・・ 今持ちうるものは全て、米田達に拾われてから与えられたものだった。
『なぁ、玄治。
お前は今度、何を失うんだろうな?』
最後に思い出した一言が、自然と皆と向き合うことを拒ませる。
「俺は一体・・・ なんなんでしょうね?」
米田達を振り向くことなく、分厚い雲に覆われた帝都を見た玄治はゆっくりと歩き、その場を退室した。
玄治が退室したのち、重苦しい空気だけが残って米田は苦々し気に溜息を零す。
「何が『なんでもありません』だ。
死にそうな面しやがって・・・」
顔や体のあちこちから包帯を巻き覗かせている顔は異常なまでに青く、表情はほとんどない。
だが、米田とあやめは玄治のあの目に見覚えがあった。
一度目は出会ったばかりの頃。
二度目は五年前、一馬と山崎を失った時。
全てを失って、疑問すら抱けずに残酷な現実だけを映して無となった暗い目。
「米田司令」
「うん? 珍しいな、かすみくん」
「私は・・・ 今の貴水さんに何をしてあげられるんでしょうか?」
傷だらけで戻って、いつものように笑って取り繕う余裕すらなくなった玄治に、かすみはなんて声を掛ければいいかわからなかった。
下手に触れれば壊れてしまいそうな彼に、どう接することが正解だったのかわからない。
「今はそっとしておいてやれ。
何があったかはわかんねぇが、今のあいつには何を言っても通じねぇよ」
かすみの問いに米田は頭を掻きながら、再び溜息を零す。
「あいつがあんなに取り乱すなんざ・・・ それこそ五年前以来だからな」
玄治の心をかき乱すかつての戦友達に想いを馳せ、居る筈もない彼らに対して文句を言いたい衝動に駆られる。
(まったくよ、揃いも揃って老いぼれ残して逝っちまいやがって)
「なぁ、あやめくん」
「はい」
あの時を知るもう一人の存在に声を掛ければ、あやめの顔には少しだけ不安そうだった。
「俺達はあいつらを信じて待つとするか」
「えぇ。
そうですね」
花組と玄治、どちらも信じて待つこと。
彼らの帰る場所であり続けることが、待つ者が出来る唯一のことだった。
『治において乱を忘れず』 大神 オメーはそれを心に刻め
はい 長官 ですが貴水さんは・・・
平和 か・・・ それこそがあいつにとって認めたくねぇものなのかもな
まっ それでも久しぶりの休暇だ オメーはしっかり楽しめ 大神
次回 『正月休暇』
太正桜に浪漫の嵐!
玄治のこたぁ あの二人に任せるさ