【完結】恋とノイズと残響と 作:ひーたむ
次の土日を使って、僕は名古屋に行くことになった。
母親は同行しなかった。
もう燃え尽きてしまっていたのだ。
僕も、母に任せるのは酷だと思い、承諾した。
前日の夜、リュックサックに旅の道具を詰める。
スマホ、地図、財布などと一緒に、念のために録音機も入れた。
そして僕は少し迷ってから、ポータブルCDプレイヤーと、虹夏ちゃんのくれたCDを入れた。
なんだか、お守りになるような気がしたのだ。
※
翌朝、僕は新幹線に乗った。
初めて降り立つ名古屋駅は、想像よりもずっと大きな駅で、東京の郊外よりも都会なぐらいだった。
駅前は工事中で、僕は少し道に迷いながら、指定されたホテルのラウンジにたどり着いた。
そこで父の愛人の女と、税理士の男と対面した。
女はさほど美人でもなく、所作も美しくなく、なぜこんな奴に騙されたんだろうと僕は思った。
「こんにちは」
僕は、頭を下げた。
「…………」
女が、無言で頭を下げる。
「やぁやぁわざわざご足労すまないねぇ」
税理士の男が場違いなほど明るく挨拶をした。
「さぁまぁ座って座って。いや、あまりお父さんと似ていないな。あんたはお母さん似なのかな」
しらじらしい言葉が、宙を舞う。
僕の父親をだまし、財産を奪おうとしているくせに、何を表向きの友好ぶった態度を見せてるんだ。
「それで。書類は持ってきてくれたかね。あんたの家にある財産を一式開示してほしいんだわ」
「……なぜそんなことをしなくちゃならないんですか」
「なぜってそりゃあんた、遺言があるからだよ、わかるだろ、公正証書、どえらい効力のもんだ」
「義務なんですか?」
「義務も何も、遺言は執行しなきゃならない。あんたが財産をつまびらかにしなけりゃ、何も進まないんだ。こちらが把握してある分はすべて開示済みなんだからなぁ」
そう言って、男は、テーブルを滑らせるように僕に書類を投げた。
僕はそれを手に取り、言った。
「あなたはいったい何なんですか」
「何って」
「さっきから、この問題の中心にいるはずの女性は何も話さない。代わりにお前がずっと話してる。弁護士でも何でもないのに、交渉の仲介をするのか。それって非弁行為っていうんじゃないのかよ」
「あぁ、ぬかしてんじゃねぇぞ」
男が声を荒げた。
「今なんつった。お前だと? 目上の人間に向かってなんだその言いざまは、おぉ!?」
「僕の家を潰そうとしているしているヤツに敬意を払うことなんて無理だ」
僕も言い返した。
その間、女はずっとうつむいていた。
何を考えているのかもわからない。
「とにかく、僕は今日はそちらの考え方を聞くだけだ。それ以上ここで決めるつもりはない。僕の方も納得しなければ、ハンコをつかなければ、遺言は執行できないはずだ」
「長引かせようってのか」
「いくら長引いても僕は困りはしない」
「財産の半分が入ってこないぞ」
「どうせ半分になるんだ、早くてうれしいことじゃない」
「…………お前、俺がだましてるとでも思ってんのか」
「違うとでも?」
「罪深いのはあんたの父親だ。あんたの父親は、名古屋で何年も暮らしていて、この女にどれだけ世話になっていたと思ってるんだ。その期間、あんたら親子は一度でも父親に会いに来たか? ん?」
「詭弁だよ、そんなの」
「詭弁でも何でもないわな。母親に言ってみな、泣いて謝るぞ」
「うるさい、殺すぞ」
僕は中指を立て、コップの水を床にぶちまけた。
怒鳴り声をあげる税理士の男を無視して、そのラウンジを出た。
心臓が止まりそうだった。
僕は、今、学校の外に出て、たった一人で大人の世界とやりあった。
正しいやり方だったかは、わからない。
しかし、とにかく、奴らとの対面を果たしたのだ。
男から受け取った書類一式をリュックに詰め、その場を離れた。
それから、事前に契約していた弁護士に連絡した。
弁護士を雇うかどうかはすごく悩んだのだが、低額で案件ごとに相談とアドヴァイスを貰うというプランで契約をした。
僕自身が直接交渉した方が良いような気がしたからだ。
「やぁ、どうだった?」
弁護士のおじさんが、通話に出た。
僕は、息を吐いて、答えた。
「とりあえず、接触して、どんな奴らか見てきました。向こうの出してきた書類を受け取って、こちらは何も渡してない。女はほとんどしゃべらなくて、税理士が代理人みたいなことをしていた」
「了解、わかったそれでいい」
「腹が立ってつい喧嘩腰の言葉を言っちゃったけど大丈夫かな」
「別にそんな程度で訴えられはしないさ。もともと最悪なんだ、それ以上悪くはならない」
「良かった」
「その税理士、調べてみたけど、最近再登録してるな」
「どういうことですか?」
「まぁつまりね、何か問題を起こして一度資格はく奪されてるやつってことさ」
「犯罪者ってこと?」
「そこまではわからないし、だからって今回の件に直接何か影響するかはまだ不明だけど、きな臭い奴であることは間違いがないな」
「わかりました。ありがとうございます」
「東京に戻ったら、受け取った書類を持ってきてくれ」
「はい」
通話が切れた。
ふと顔を上げると、僕は、どこだかわからない雑踏の中にいた。
見知らぬ街の雑踏で、僕は行方不明になってしまいそうな感覚に襲われた。
※
そのあと、どこをどう歩いたのか、よく覚えていない。
僕はイヤホンで虹夏ちゃんのくれたCDをずっと聞きながら、名古屋を当てもなく歩いた。
やがて夕方になった。
もし何かあった時のために、安いホテルを予約していた。
僕はコンビニで適当にパスタを購入し、ホテルにチェックインした。
(つづく)