【完結】恋とノイズと残響と 作:ひーたむ
伊地知さんのお姉さんが出してくれたリンゴジュースはすごく美味しかった。
ってかなにこれ。
うちでたまに親が買ってくるパックのと全然違うぞ。
「すっごく美味しいね」
僕がそう言うと伊地知さんがボトルを見せてくれた。
高級そうな瓶に入っている。
「うちのライブハウスにいつも出てくれるガールズバンドのお姉さんに教えてもらったんだよっ。これ美味しいって」
「その人の地元の名産品とか?」
「ううん、全国ツアーで長野に行ったときに飲んだんだって。前にお土産で持ってきてくれたの。それ以来お姉ちゃん気に入っちゃってさ。時々通販で買ってるみたい」
「全国ツアー? それって結構すごいバンドじゃないの?」
「ふふん。お姉ちゃんの昔からの友達なんだ。だから有名になってもうちに出演してくれるの!」
おぉ、ちょっとドヤ顔だ。
そんな伊地知さんも可愛いぞ。
っていうかお姉さん、人望があるんだな。
「お姉ちゃんってさ、ちょっと怖く見えるでしょ?」
「え、あ、いやそれは」
どう答えたらいいか難しい。
僕は思わずあやふやな返事をする。
「でもさ、本当はすごく面倒見がよくってね、甘々だったりするときもあるんだよ~」
伊地知さん、お姉さんのことを話す時すごくうれしそうだ。
本当に仲がいいんだな。
僕がそんなことを考えていると、伊地知さんが問いかけてきた。
「そうだ、さっき通りがかりって言ってたけど。服部君って下北に住んでるの?」
「あ、いや住んでる場所は少し離れてて。電車に乗ってきた」
「京王線?」
「うん」
「え~、どこだろ」
伊地知さんが駅当てクイズみたいにいくつか駅名を挙げる。
僕も楽しくなって、わざとはぐらかしたりしてみる。
そのうち、彼女は僕の最寄り駅を当てた。
「その辺って行ったことないかも」
「地味な住宅地だよ、駅も小さいし」
「それはそれで落ち着きそう。今度降りてみようかな」
「え、することないよ」
「服部君が案内してよ~、地元スポット」
冗談なのか本気なのかよくわからない会話。
とりようによったら、デートっぽいお誘いだ。
本気なわけないよな、うん。
たぶん陽キャは、こういう軽いやり取りをするものなのだろう。
「バイトは地元じゃなくて下北沢でする予定なの?」
「そうだね、そのつもり。学校から近いし。繁華街だからお店も多いからね」
「そうだよね。もうバイト先って決まった?」
「うーん、それがさ、さっき喫茶店でバイト雑誌読もうと思ってたんだけど。入ってみたらすごく不思議な店でね」
「え、どんなお店?」
さっき見つけた音楽喫茶のことを、伊地知さんはすごく興味深げに聞いてくれた。
「え、面白そう。私も今度リョウと行こっかな」
「山田好きそうだよね」
「うん、絶対気に入ると思う」
「何て名前のお店?」
「Kerouacって書いてあったと思う。読み方はわかんないんだ」
アルファベットを紙ナプキンに書きながらそう言うと、伊地知さんが首をかしげた。
「何て読むんだろ?」
やっぱり伊地知さんもわからないか。
「ちょっと待っててね……あ。Kerouacって、ケルアックって読むみたい」
スマホで単語の意味を調べて、教えてくれた。
「ネット辞書に昔の詩人の名前って書いてある」
「詩人?」
ミュージシャンじゃないのか。
「なんか、音楽にすごく影響を及ぼした人みたいだよ? ビート・ジェネレーションの詩人って呼ばれてるんだって」
「ビート・ジェネレーション?」
ビートにノってるんだろうか?
でも、どこか不思議な響だ。
「えっとね、ビートニクって呼ばれた人たちがいて、スプートニク……人工衛星だよね……そこから来ている名前なんだって。あはは、よくわかんないや」
伊地知さんのそんな言葉を聞いて、僕はふと、夜空に漂う一基の人工衛星を想像した。
92日間で消滅した人工衛星。
子供のころにテレビでドキュメンタリーを見たことがあった。
冷戦とか、そんな時代の出来事だっけ。
はるか遠い過去だ。
でも、なぜだか、すごく孤独な感じがした。
「へぇ~、ヒッピーとかサイケデリックロックとか、そういうのともつながっている文化みたい。ケルアックさんの代表作のタイトルは、『路上』なんだって」
「路上で生活する話なのかな?」
「もしそうだとしたら結構ハードだね?」
なんとなく、山田の姿が思い浮かんだ。
お金が尽きたら路上生活やりそうだよな。
同じことを考えたのか、伊地知さんも「リョウとか、いつか将来そうなっちゃわないか心配だよねー」と言って笑った。
「でもリョウってさ、あんな風に見えて繊細なの。絶対すぐに、〝生活デキナイ。虹夏タスケテ〟とか言ってくるよ」
「意外にそうかも」
僕も笑う。
伊地知さんにすがる山田か。
リアルだな。
でも結局伊地知さんは山田を助けてあげるんだろうなぁ。
そのあと、しばらく僕たちは取り留めもない雑談をした。
会話が途切れたタイミングで、伊地知さんがポツリと言った。
「さっきのさ、バイトの話」
「あ、うん」
「まだどこにも決めてないんだよね?」
「うん」
「そっかぁー」
手に握ったジュースのコップを見つめて、少しもじもじとしてから、僕の方を向いた。
「じゃあさ、うちで働いちゃう?」
「へ?」
予想外のお誘いだ。
うちってことは、このライブハウスってことだよな?
え、いいの?
それってつまり、伊地知さんと一緒に働けるってこと?
「あ、ご、ごめん、出しゃばりすぎたね、あはは、忘れて」
僕の沈黙を、困ってると受け取ったのか、伊地知さんが手を振る。
僕は慌てて答えた。
「いや、ぜんぜん出しゃばってないよ! 誘ってもらえてうれしい! 伊地知さんと一緒に働けるんだよね!?」
「え、う、うん」
僕の言葉に、伊地知さんがうなづく。
妙に顔が赤いぞ、照れたような……ってしまった。
つい本音が出すぎてしまったぁ!
いきなり「君と一緒に働けるんだよね!」とか言われたらキモいよな!?
何なら怖いよな!?
「い、伊地知さん、今のは、その」
しどろもどろ取り繕うとする僕。
こういう時、どう言えばいい?
でも伊地知さんは、真っ赤になりながらも、少しうれしそうな表情。
「し、シフト、合わせたら一緒にいられるねっ」
そんなことを言ってくれる。
そ、そうか、そうだよな。
天使みたいに優しい伊地知さんが「キモっ」とか言うわけないか。
僕は安堵する。
まぁ、あくまで優しさであって他意はないと思うけど。
一応、ちょっとフォローは入れておこう。
「よかった。バイト初めてだから友達と一緒の方が安心できるよ」
「へ!? あ、そそそっか、そ、そうだよね。そういう意味だよね。 やばっ、ちょっと勘違いしかけちゃったよぉ」
ん?
なぜか伊地知さんの方が変な反応だぞ。
「お、お姉ちゃんに早速言ってくるよ。服部君バイトしたいって!」
その場を飛び出していった。
「ま、まさかの展開になっちゃったな」
一人取り残された僕は、天井を仰ぎ見る。
これから、ここで働くのか。
ライブハウス。
全く未知の世界だ。
でもまぁ、伊地知さんのお姉さんのお店だし、伊地知さんだって一緒にいてくれる。
楽しいことが待っていそうな予感がする。
ちらっと店の奥を見ると、伊地知さんがお姉さんに説明をしているのが見えた。
お姉さんがちらっとこちらを見る。
と、つかつかと歩いてきたぞ?
「え、あ、あのっ」
「お前、うちで働きたいって?」
「あ、は、はいっ!」
思わず背筋を正して立ち上がる僕。
「うーん……」
お姉さんがじろじろと僕を眺めまわす。
「まぁ、真面目そうだし、虹夏に下心ってわけでもないか……わかった、いいよ。働きな。よろしくな、あたしは星歌だ」
「あ、は、はい」
頭を下げる僕。
「もー、お姉ちゃん! 服部君いじめてない?」
伊地知さんが駆け寄ってきた。
「なんもしてないよ」
星歌さんがその場を去っていった。
「き、緊張した……」
僕は椅子に座り込む。
「だ、大丈夫?」
「うん、なんとか。働いていいって言ってくれたよ」
「ほんと!? やった!」
僕もほっと一息ついて、テーブルの上に残っていたリンゴジュースを一口飲む。
「あっ」
ん?
伊地知さんがなぜか赤い顔でこっちを見ているぞ。
「あ、あの、服部君、そっち私のコップ……た、たぶん」
「え!?」
し、しまった。
っていうかこれって間接キスか!?
い、伊地知さんと!?
いや、それよりもまず謝らなきゃっ。
「ご、ごめん!」
「あ、う、ううん/// 全然大丈夫っ」
僕たちは互いに赤くなるのだった。
(つづく)