ヒロインからは にげられない ▼ 作:涼暮皐
鬱蒼と緑の生い茂る薄暗い森。
ほぼ手つかずの自然が残る木々の世界は、豊富な魔力に満ちていた。
「いい森だ。――ちょっと入らせてもらうんで、よろしくな」
この手の場所は、それだけである種ひとつの異界だ。完全に区切られた結界空間と同一視まではできないが、内部の空気には似通ったものがある。
別に森に限らず、川にしろ山道にしろ平野にしろ、あるいは人工的な街、家、部屋という区切りに至るまで、場所の境界というモノは常に魔法的な意味を持つ。
ある一定の領域を己が陣地と定義すれば、魔法の冴えに多少のプラスはできるものだったりする。魔法戦的な意味合いにおける《地の利》というヤツだ。
「今のも魔法の詠唱ですか?」
背中のベルにそんなことを問われる。
リズノを前に《語り詠唱》を披露してしまった結果、どうやらベルは、俺が普通に喋っているだけでも何か仕込んでいるんじゃないかと疑うようになったみたいだ。
まあ、当たらずとも遠からずではあるけれど。
「んにゃ、別にこれで何か魔法を使うわけじゃないから、そういう意味では詠唱じゃないんだけど。ただ確かに、ちょっとした
「おまじない……?」
「別に大した意味ないからな。ただのジンクス程度だ。でもやっとくに越したことはないと俺は思ってる」
魔法戦におけるフィールドの奪い合いで最も単純なのは、その場にそのもの結界を張ってしまうコト。ただし、これは実戦において、基本的には机上の空論だ。
戦闘中に即座に張る――それも意味のあるレベルのモノを――なんて行動は相手がよほど格下でなければ不可能だし、そんな実力差がある時点で張る意味がない。
なら張った上で待ち構えるしかないが、そうなると今度は、よほどの馬鹿か自信家でもない限り無闇に入ってこない。入るのを避けるか、入る前に壊すかの二択だ。
あるいは俺が森で野宿しているときに追いついてきたクーのように、結界の感知を避けるなども手ではあるが、アレは待っているのが俺だと確信しての行動だったし、そもそも感知用の結界は戦闘時のプラス効果などないに等しい。
相手側有利の戦闘用結界にそれでも突っ込むなんて蛮勇は――それこそ、かつての魔王戦のときがそうだったように、ほかの方法がない場合の不可避の愚策だ。
もしくは突っ込む側が、それでも負けない程度に圧倒的な格上である場合くらい。
というわけで――そもそも《戦闘用の結界》なんて魔法は実用的じゃない。
実用的なのは、即時展開可能な一部の極めた魔法使いが使う結界や、境界を区切るどころか異界を創るレベルの反則級のような、ごく少数の例だけと言っていい。
現に今、待ち構える敵魔法使いたちも結界など張っていない。
感知結界すらゼロだ。余計な結界を張って魔力の気配を遺すほうを避けている。
「自然の場所なら立ち入りの許可を取っておくのは有効だ。失敗がない。いて当然の場だと定義できれば、次に魔法を使うとき――まあ、気休め程度には効率が上がる」
「だから、おまじない、ですか」
「そういうこと。普通の魔法使いはあんまやらないけどな」
「そうなんですか?」
「まあ、魔法使いって基本は学者だからさ。こういう意味があるのか怪しいものには自分を賭けない。その時間でもっと効率的で意味の確かなことをしたがりがちだ」
俺なんかはプライドがないから、やれることはやっとけの精神なのだが。
これを真似ているのは、それこそ俺から習った弟子くらいだ。
「だから嫌われてるんだよな、俺。真面目な魔法使いには」
「そう、なんですか?」
「そうそう。だからこの森の連中も、たぶん俺のことは嫌いだよ。真面目そうだし」
「いや犯罪者なんですけど」
「真面目だろ犯罪者は。俺は適当に生きてるからそんなことしねえもん。不法侵入はするけど」
「してるじゃないですか」
「一方おそらくコイツらは真面目に正面から街に入ってるな。偉いぜ」
「仮にも英雄がそれ言うの皮肉すぎでは……」
呆れたような口調になる背中のベル。
すでに『仮には』とか言われちゃうレベルで威厳を失ったようだ。
では少し威厳を取り戻すかと、森の外から俺は言う。
「さて。魔力の気配からして、最低ふたりはいるな。おそらく、この奥にある結界がお前の師匠の隠し工房なんだろうが、ちょうどその入り口にふたり立ってる」
「みたいですね。……というか、魔力の感知が早すぎなんですけど。言われて初めてなんとかわかりましたよ、わたし」
「さすがに持ち上げすぎだな。この程度は俺の仲間なら、っつーか旅慣れた魔法使いなら誰でもできるよ。……いや、リズノはちょっと苦手か?」
「そうなんですか?」
「あいつの場合は魔力感知の感覚なんかよりよっぽど便利な魔眼があるからな。まあ感知だけならクーってヤツがいちばん上手いんだが――」
いずれにせよ素の魔力感覚だけで感知できる情報などたかが知れている。
それ以上を掴むには魔法を使う必要があるが、魔法を使うとこちらの存在も相手に知られるという二律背反があった。
デスクワーク系の魔法使いは感知魔法のほうを鍛えてしまって実戦的じゃなくなることもあるが、在野の魔法使いはそれより純粋な感覚を鍛えるほうを重視するもの。
「ん。罠や伏兵の類いはなさそうか」
「え? そんなことまでわかるんですか?」
「いや、さすがに勘」
「勘て……」
「正確には勘っていうか、経験則と状況だな。もし確実な襲撃が予期できる場合は、たとえば俺だったら完全に魔力を消した伏兵のひとりくらい配置しておくけど、幸いベルの暗躍が向こうに割れてないからな。そんな余計なリソースは吐かないだろ」
「まあ、それは確かに」
「加えて、感じられる連中ふたりの魔力の波長だな。完全なリラックス状態じゃないことは感知が楽なことからも知れる。見張りとしてある程度しっかり気を張っているから、魔力が強くなって感知しやすくなってるわけだ。こいつは自分たち以外の罠や伏兵があるときの緊張じゃないと見たね。もちろん微差だから絶対じゃねえけど」
「……それも、旅慣れた魔法使いなら当然とか言う気ですか?」
そんなわけないだろといったベルの口調に、俺も薄く笑いを返す。
「これはさすがにコツがいる。リズノに習ったんだ。あいつの魔眼の効果、知らないわけじゃないんだろ?」
「《他人の感情が色で見える》……ですよね」
「厳密には《魔力の視覚化とその色での感情識別》って感じだろうが、まあだいたい合ってる。要は相対した人間の感情を読み取れるワケだからな。視覚化された魔力の色やその大小、揺らぎの波長なんかで、相手が何を考えていて、どういう感情なのか読み取るわけだ。その技能の、いわば劣化コピーみたいなもんかな、これは」
「魔眼の効果をコピーしている……ということですか?」
「んな大層なもんじゃない。ただの技術だ。答えを知ってるリズノに答え合わせしてもらいながら、自分で感じ取ったモノの微細な差異を頭に叩き込んでるだけ。魔眼の正確性には到底敵わないが、根幹が魔力視なら理論上は感知でも代用できるだろ」
こういう魔力のときの感情はこう――という答えをリズノが知っていたから、その真似がギリギリ最低限のレベルでできるようになったという話。
人が持つ魔力は、どう訓練しても感情によって微細な差異が出る。感情が高ぶれば魔力は強まり、落ち着いたり悲しんだりしていれば静かになる。
その差を完全なカタチで眼で見抜くリズノの真似はできないが、視えるリズノから答えを教えてもらえるなら、経験を体系化して技術に落とし込むことは決して不可能じゃなかった。無論、リズノとは天地ほど精度に差のある、半ば趣味の技術だが。
風の流れを眼で視るリズノには及ばずとも、肌で感じること自体ができないというわけじゃない。――言ってみれば、そういうレベルの話だ。
「――にしても……」
この状況。今日までの流れ。俺にかけられている呪い。
ベルとの出逢い――あるいはそれ以前、たとえばシャーリーのいた村での事件。
それらを合わせて考えた結果、あまり嬉しくない想像が浮かぶ。
――こういうとき。
そういう勘が外れないことを俺の経験は知っていた。
いずれにせよ、今ここでどうこうできる問題ではないのだが。
「リズノがいりゃ、もっと遥かに簡単だったんだがな……」
「……そういえばリヒトさんは、なぜリズノちゃんと、あんな……?」
首を傾げて問うベルに、かぶりを振って俺は答える。
「そういうお前こそ、なんでリズノじゃなくて俺のほうに頼んできたんだ? あいつとは友達なんだろ。友達にはむしろ頼みにくかったか?」
「いや、あなたがわたしを連れ去ったから流れでそうなっただけですけど……」
「あー……そりゃすまん」
「でもたぶん、選べるならリヒトさんのほうにした気がします。相手は魔法使いですし――私の知る限り、リヒトさんより強そうな魔法使いは見たことないですから」
「はっ。……そりゃ慧眼だな」
薄く、俺は笑った。英雄が、無駄な卑下で不安を招くことはない。
「その通り。神器が使えて全力が出せる俺は、たぶんこの国の魔法使いではいちばん強いよ」
「……頼もしいです」
「ま、今は神器が使えない上にぜんぜん全力も出せないんだけどね事情があって」
「あれやっぱり間違えましたか、わたし!?」
「間違いにはさせねえよ」
ひと息。ふっと笑みを零し、俺は告げる。
「――そのハンデがあってなお、それでも俺のが強いよ、結構」
※
――なんだコイツら?
という感情が視線だけで伝わるような目を、こちらに向けるふたりの魔法使い。
隠れもせずわざわざ正面から歩いてきた俺たちを、実に不審だという視線で見つめながらも――それでも、安易に手を出すことはできなかったらしい。
「ま、待て。なんだ、お前たちは?」
「あら、どうも? 誰かいると思ったら魔法使いさんですか。こんなとこで何を?」
「訊いているのはこちらだ!」
実に適当なことを抜かした俺に、鋭い制止がかかる。
まあ当然だろう。少女をおんぶしたワケのわからん男が、こんな森にふらふら迷い込んでくる意味など彼らにはわからない。立場が逆なら俺だってわからない。
「アタシらですか? あたしらはね、王都から派遣されてきたもんですよ。こちらにカタハ=トゥカール氏の工房があると窺ったもんでね」
「王都から、だと? なぜここに工房があると知っている……?」
「待て、まずは立場を明かせ!! ――というかなぜ背中に人を背負っている!?」
口々に言うふたり組の見張り。声からして、まあどちらも男か。
つけられた仮面のせいで容貌を把握できないが、仮に仮面がなくとも別に知人ってことはなさそうだった。
「いやァ働き方改革ってヤツですねコレ」
「何を言ってる!?」
「ウチの妹がね、これがまあアタシにしか懐かん人見知りでして。家に残してくるのも心配なもんですから、職場にも連れていくことにしてるんですよ。いや、アタシんトコの上司も意外と結構話せる男でね、許可をくれたもんですから――」
「そこまでは訊いていない!!」
「あ、そうです? でもお兄さんたちもライフスタイルってのは今後しっかり考えて仕事に励んだほうがいい。これは本当そうなんだから。休みはしっかり取ってる?」
「――――――――」
無言の『何言ってんだコイツ』感が正面どころか背中からすら感じられた。
もちろん言っていることに意味などない。わざわざ正面から姿を晒した理由など、結局のところ――それが最も確実だと踏んだからに過ぎない。
「で、ああ、そうそう。アタシらはね、宮廷魔導局直下の秘密設計部、その総務課のモンです」
「ふざけているのか? そんな組織は実在しない」
「そりゃ表向きそうなってるだけですよ。実際にはこうして存在してる」
「……だとして、その総務課の人間がここになんの用だ」
「言ったでしょう。用があるのはトゥカール氏だ。いやね、なんでも氏にはちょいと重たい容疑がかけられていまして。創ってはならないものに手を出しているとか」
「――――」
「とはいえ高名な天才技師だ。彼の親父さんの仕事は誰もが知ってます。アタシも、そんな彼女は疑いたくないんですが、これも仕事だ――」
――魔力の気配に不可解なし。
どこかに連絡を取っている素振りはない。仮にノーモーションで可能だとしても、魔力の揺らぎまでは絶対に隠せない。よって俺たちの存在は伝わっていない。
代わりに準備されている術式は、ひとりが攻撃でひとりが防御。
いつでも対応できるよう、目の前に現れた俺に対しての備えで術式が埋まった。
オーケイ。
そうしてくれるのが理想的だ。
「というわけで、入らせてもらいますね、――中に」
直後。俺は両手を前に、右と左をそれぞれ別の見張りに向ける。もっとも左は二の腕から先しかないけれど――魔力を扱うのに、手の有無は今はそう関係ない。
彼らも同じタイミングで反応し、即座に俺を攻撃するよう魔力を巡らせるが――。
「――はっ!」
下手《おそ》いし無駄だ。だから
土地に馴染まない魔力は弾かれる。一瞬を争う魔法の発動において、その差は致命的になる。
突き出した手のひらの前に、即座に魔法陣が現れる。
発光して可視化された魔力は術式の証。そこに刻まれた魔力は最も単純な攻撃。
――魔弾。
それは最も基礎的な魔法にして、同時に魔法戦における奥義と呼ぶべき技法。
早撃ちによって撃ち出された魔弾が、質量を持つ光の球となって、即座にふたりの魔法使いを撃ち抜いた。
用意していた魔法ごと弾き飛ばされるふたりの見張り。
戦闘などそれで終了で、背後にある洞窟の壁に叩きつけられた彼らには、とっくに意識がなくなっていた。
その様子を見ていた背中のベルが、やがて静かに俺に言う。
「……本当に魔法陣がないと魔法が使えないんですね」
「そうなんだよな。こんな初歩の魔弾ですら省略は無理なんだから才能ないわ」
「まあ、魔法陣を描く速度が速すぎて関係ない気もしますが」
「さすがに魔弾程度ならな、フリーハンドで即座に描画できないと話にならなくて」
「フリーハンドで描くってのは、手で描くって意味ですよ。ほとんど即時展開も同然だったじゃないですか」
「訓練したの。もう少し厄介な術式なら、袖に仕込んである《魔法陣を描く魔法》を経由して術式を描くんだけど。それやるとちょっと遅くなるからな。魔力だけで魔法陣を即座に描く技術はもう必死で覚えたわけさ」
「なんで『ちょっと』なんだろう……」
感心している、というよりはちょっと引いている気配を覚えるのはなぜなのか。
魔法陣の《早描き》は高レベルの魔法戦では割と必須技能なんだが。まあ一般的な魔法使いは基本使わないから珍しいのだろう。
俺の弱点は、逆を言えば《それしかできない》点にあるし。
「というか、なんでわざわざ声かけたんですか?」
と、そこでベルに問われる。
「なんでって?」
「せっかくバレてなかったんですから、そんなことしなくても、今の魔弾で遠くから撃てばいいだけだった気がするんですけど……」
「それでも行けてそうではあったけどな。確実性を取ったんだよ」
「確実性?」
「まず魔弾を撃つ前に察知される危険性がある。あって当然の目の前の魔力よりも、それまでなかった遠くの魔力のほうが警戒を招きやすいからな。魔法使いが目の前にいると、意外と魔法を使おうとしている前兆には気づけないもんだ」
「……なるほど」
「加えて、仲間に連絡されたくなかった。正直、倒すだけなら遠くから連発しとけば気づかれたって倒せたけど、その間に連絡を優先されたら面倒だ。その点、わざわざ目の前に姿を晒せば、対処が《目の前の俺をどうにかする》方向に固まるだろ。現に奴らはそれぞれ攻撃と防御を準備してた。うるさいから黙らせよう、ってな」
「目の前の魔法使いが使おうとしている魔法は気づきにくいという話だった気が」
「無理とは言ってない」
「……しかも魔法陣を使っておきながら、無詠唱魔法より速いし……おかしい……」
なぜか文句を言うベル。
いいでしょ別に。俺はかぶりを振って説明を続ける。
「魔法は、ふたつ以上を並行して使おうとすると難易度が跳ね上がる。これは慣れでどうとでもなるんだが、精度が落ちるから無意識で避ける行為だ。俺をターゲットに攻撃と防御の魔法を準備した――その瞬間が、ほかの余計な魔法を使わせない最良の隙ってコト。だからわざわざ、向こうが魔法を準備するまで待ってから撃ったんだ」
「……もし、姿を晒したいちばん最初に、誰かに連絡しようとしてたら?」
「そのときは素直に一回帰るが、ま……その可能性は低かったよ」
「? どうしてです?」
「遠距離に連絡を伝える魔法は難易度が高い。つまりそもそも習得している可能性が低い。できる限り予想外の偶然を潰そうと保険取ってるだけだ」
「でも、魔法じゃなくても、そういう魔道具を持ってる可能性は高いんじゃ……」
「そうだな。遠隔での連絡手段は大抵が魔道具だ。連中が仲間に遠隔で連絡するなら高い確率で魔道具を使う。――その場合は、使おうとしたところを阻止すればいい。魔法を止めるより圧倒的に楽だ。見ればわかるからな、魔道具なら」
言いながら俺は、吹き飛んで気絶した魔法使いのひとりに近づく。
そのローブの中を探ってみると、案の定、魔力を帯びた小さな鈴が入っていた。
「ベルか。どう見る、ベル?」
「つまんないこと言わないでください」
「失敬」
「そうですね……込められた術式を読むに、魔力を込めて揺らすことで同じ型の鈴が共鳴して遠隔で鳴る。そんな感じの魔道具かと」
「だろうな。つまりもともと言葉までは伝えられなかったってわけだ。何か予想外があったら鈴を鳴らすことで仲間に非常事態だけは伝わる――って程度だろ」
「とすると……鈴の受け手側には連絡用の魔法が使えるのかもしれませんね」
「ああ。さすがに、向こうから連絡があったら防げねえな。反応がないって時点で、何かあったことは伝わる。――急ぐか」
つつ、と軽く指を振って、拘束用の魔法を発動する。
気絶したふたりを光の縄で縛り上げ、ひとまず放置して視線を洞窟に。
森の中に唐突に現れる、それは小高い崖のような場所だ。
その一部に洞窟としての入口があり、それは地下へとなだらかに坂になっている。
「この中が師匠の隠し工房です。中に人はいないはずかと」
「オーケイ。何かヒントがないか探してみよう」
「はい。……下ろして大丈夫です」
ひょこっ、と背中から飛び降りるベル。
先を行く彼女に従って、そのまま俺たちは洞窟へと入っていった。