ヒロインからは にげられない ▼ 作:涼暮皐
幸いにも、リズノの魔道具《ストーくん》によって案内された場所は隠し工房からそう離れていない距離だった。
森を出て街道まで戻り、それを横断して平野部のほうへと少し進んだ先。想像した十倍くらい高速で半ば飛ぶように進んだ《ストーくん》は、やがて俺たちを何もない開けた空間へと誘った。
特徴らしい特徴のない平野の真ん中。目立つものといえば、三本並んで生えている何かの樹木くらいのもの。
魔道具はその場所に、転移魔法陣を設置した術者が向かったと示していた。
「……な、何もないですけど。どういうことでしょう……?」
きょとん、と首を傾げる背中のベル。
正直、俺も似たような感想でしかなかったが、ここはリズノが頼りだ。
「どう見る、リズノ?」
「どうもこうも見ての通り結界っすね。師匠もわかってるでしょ?」
「ああ、スタンダードな隠蔽結界だ。この距離まで近づかないとわからないんだから質が高いな。この結界を張ったのと転移魔法陣を張ったのは同じ術者か?」
「どうでしょうね。こっちの結界はさっきの魔法陣より古いんで、もう
魔力は持ち主によって微弱な差異――つまり個性があるが、ひとたび体から離れたものは徐々にそれが薄れて無色化、透明化、――没個性化が進んでいく。
リズノの魔眼は魔力から人間の感情まで見抜けるが、それは逆を言えば感情次第で同じ人物の魔力でも別の色に見えるという意味だ。魔力の痕跡だけで、使い手までも見抜くことはさすがにできない。無論、魔法で解析を行えば話は別となるが。
「……ちょっとわからんな。感覚的にはだいぶスタンダートな結界って感じで個性がない。教科書的というかお手本的というか、質が高くて遊びのない感じがする。あの男のイメージには合わないんだが……つか冷静に考えると、あの分身の男が転移用の魔法陣を用意した本人なのか、実のところ定かじゃないんだよな……」
「毎度思うっすけど。……ボクの魔眼より師匠のその魔力感覚のが大概、謎っすよ」
「実際に魔力を目で視る奴と、ただの肌感覚を比べられてもな。それより中のほうはどうだ?」
「魔法陣があるっすね。たぶん転移魔法陣っす。三本並んでる木の、真ん中の一本の根元辺りっす」
周囲に張られた結界越しに、中の魔法陣を見抜くのだから大した魔眼だ。
魔力越しに魔力を視るような暴挙は、魔眼でもなければ絶対に不可能と言える。
「おそらくそこからどこかに転移したっぽいんで、片道用のマーキングじゃなく往復できる転移ポイントじゃないっすか。敵さんの本拠地とかに通じてるかもっす」
「だろうな。完成を待ってる間に行き来してたんだろう。隠し工房のある森の辺りのほうが人目を避けられそうだが、そうしなかった辺り警戒はしてたみたいだ」
「実際、立ち去るにあたって転移陣と見張りを遺したわけっすしね。ん? というか魔道具が完成したのに全員去らずに見張りを置いてたのはなんでなんすかね?」
「それは、……たぶん師匠を信用してないからだと思います」
疑問していたリズノに、ベルがふと答えを言った。
その呟きに関して俺からも訊ねてみる。
「信用してなかった?」
「ええ。結局のところ脅されて作らされてるわけですし、素人が見たってわからないような細工、師匠ならいくらでも残せますからね。何かあったら戻ってまた作らせるために、戻れる準備をしておいたんだと思いますよ」
「……まあ、そんなとこだろうな。完成品といっしょにお前の師匠まで連れていった理由もそれだろうし。きちんと機能の検証はするつもりだろう」
その場で使って消費しきることが前提の魔法使いと、物体に込めた魔法を長い時間もたせることを前提とする魔道具技師。
このふたつは似ているようで、実のところ求められる技能が正反対だったりする。
だから魔法が苦手な魔道具技師や、魔道具のシステムが何もわからない魔法使いは普通に多い。というか両方に精通している人間のほうが圧倒的に希少だ。
俺やリズノは趣味で魔道具を集めているから多少は詳しいけれど、それでも自力で魔道具を作ることは、まあ、ほぼできないと言い切っていい。
せいぜい魔法陣を刻んだ護符や護石を作るくらいで、こういった魔法の媒介として使うものは《魔道具》とは呼ばないものだ。
「さて。この先はおそらく敵側の隠れ家だろう。警戒して進むぞ」
言いながら俺は結界に足を踏み入れる。
あくまで隠蔽用結界だ。人払いと視線を逸らすためのもので、出入りは自由だし、入ったことがどこかに伝わるような機能もない。
別になんの解析もしていないが、もしそういう機能があればリズノがとっくに言い出している。結界の機能解析程度であれば呼吸と同時に済ませているだろう。
「こっちのことはバレてるんですよね? 待ち構えられてたりしません?」
続けてついて来たリズノの問いに、俺は首を横へ振った。
「だとすりゃラッキーだな。魔法陣のほうを消しときゃそもそも行くことすら不可能だったってのに」
「……確かにボクなら、この魔法陣をそもそも消してるっすね。そもそも」
「組織めいてるとはいえ奴は堕魔だ。堕魔化した時点でヒトだった頃の精神は残ってない。奴らは人間なんて欠片も信用しない。必要なことは自分でやる。おそらくこの魔法陣の存在を、奴は見張りだった部下にも教えてねえ。ここが気づかれるってのは想定外のはずだ。少し位置を離してることが、本命だって証明してる」
「……なるほど」
「この先にいるのは高確率で、さっき俺らを襲った男ひとりだ。たぶんな。奴がすることは一刻も早く完成した魔道具――結界中和機の実証実験を終わらせること。それだけだ。その予定を奴は、堕魔は崩さない。人間に予定を変えさせたりしない」
「精神が魔族に寄りますからね……むしろ堕魔のほうが魔族より人間を見下すとすら言えますし。だから嫌いなんすよね、ボク。あいつらが」
「…………」
――もっとも。
何ごとにも例外は存在する。
組織立って動いているという時点ですでにイレギュラーなのだ。俺の想像を超えるような何かが存在する可能性は頭の隅にあったが、あえて言葉にはしなかった。
「んじゃ行きますが、その前に、師匠」
こくりと頷き、それからリズノが俺を見上げて言った。
「どうした。何か心配ごとか?」
「いえ。クーの神器はなぜだか反応しなくなったっすけど」
「お前のせいやんけ」
「なぜだか! 反応しなくなったっすけど!」
「お前な……」
「それはそれとして。イアとカエラだったら普通に呼べるじゃないっすか。手伝いは頼まないんですか? 間違いなくすぐ来ますよ、ふたりなら」
当然の問い。もっと早く訊かれていてもおかしくなかったことに、俺は答える。
「無理」
「無理……とは……」
「本当はお前にも手伝わせたくなんてなかったんだ。こうなった以上、お前にだけは手伝ってもらうが、ほかの連中には頼れない。クーと連絡つくなら話は別なんだが」
「……逆になんでクーはいいんすか、それ?」
「本当はクーも避けてえよ。でもまあ、あいつは魔法が使えるからな。譲りに譲ってかろうじてオーケー……ということにさせられた」
「させられたなんすね……」
「そう。だから悪いがこの件は譲れないし、理由も話せない。もし納得できないならお前も帰れ。俺ひとりでなんとかする」
「…………」
リズノは、俺の言っていることに納得などできないだろう。
戦力が理由じゃないのは明らかだ。なんなら遠距離での撃ち合いならばリズノには手数で敵わないし、彼女からすれば俺の頑固は意味がわからないはず。
だが、それでもやはり《防御力》という一点だけは、パーティの中でも魔法使いの俺が群を抜いて強固だった。同じく魔法使いのクーですら俺には劣るし、クー以外の三人に至っては防御魔法そのものが使えない。その点が呪いに対し致命的だ。
できる限り、リズノには俺から離れた場所にいてほしい。
「はあ。わかったっすよ。どうせ帰れませんし、今は納得しとくっす」
やがてリズノは、盛大な溜息をつきつつも俺のわがままに折れてくれた。
いや、もう本当に悪い。せめて呪いの解析がもう少し進められれば安定化の方法も見えてくるかもしれないんだが、このところそんな暇がない。
俺の予定では、さっさと義手を作ったところで落ち着いて神器の解析を進めつつ、呪いを解くために神話研究や歴史調査の専門家に当たる予定だったんだ。
それが今これ。
魔王を倒して平和になった世界かよ、これが。
魔族なんていなくても――人間なんて、内輪揉めでいくらでも滅べる生物らしい。
ま、だからって人間に愛想が尽きたなんて言い出すつもりはない。
そういう思想の行き着く先が、堕魔化という最悪の着地点なのは知っている。
「まずは俺が入る。速攻で安全を確保するから、リズノとベルは十秒の間隔を開けて続いてくれ。もしダメそうなら十秒以内に戻ってくる」
「了解っす」
「神器の同期をオンにしておく。それで場所も安否もわかる。もし最初の十秒で俺が死んだら、すぐに入ったりしないで応援を呼べ。イアやカエラをな」
神器は奪えない。死ぬまで保有者が《魂》で所有する。
だがこれは逆を言えば、死ねば主を失って《聖地》に戻るという意味だ。
よって神器の保有者同士は、神器がいきなり聖地に飛ぶ――という現象で、仲間の死だけは把握できる。
「大丈夫っすよ、師匠は死にません」
あっさりとした信頼の言葉をリズノは返した。
よく聞くと従っていないような気もするのだが――まあいい。
俺の予想では危険はない。
「そうか。入ったら二手に別れる。俺は単独でさっきの男を追うから、お前はベルを連れてベルの師匠を探せ。人質に取られるのが最悪だからな」
「どうせいっしょにいるんじゃないっすか?」
「だとしたらむしろ楽だな。ベルはともかくリズノの存在はさすがに向こうに割れてないし、気配殺しもある。たぶん向こうは伏兵を考えねえよ。俺が時間を稼いでいる隙に救出の手立てを考えてくれ」
「まあ、わかったっすけど、なんで伏兵を警戒されないと? 神器の召喚機能って、知ってる人は知ってるくらいのモンじゃないっすか?」
「神器に召喚機能があることを知っている可能性は高い。でもな、呼べるなら普通は全員呼んでまっすぐ来るだろ。ひとりでいる時点で警戒は薄くなると見てる」
「それは確かに」
神器保有者五名が一堂に現れるなら、無駄に姿を隠す真似などしないのだから。
そんなことは相手もわかっている。ひとりだけ呼んで隠れている――というのは、普通の発想なら盲点だろう。そこに賭けることにした。
第一、向こうにそこまで対応する余力があるとも正直思えない。
なんだかんだ言って、俺たちより強い戦力などこの国には存在しないのだから。
「よし。んじゃ行ってくるぞ」
かくして俺は設置された転移魔法陣の上に立つ。
そこに魔力を通した瞬間、――目の前の景色がぐにゃりと歪んだ。