ヒロインからは にげられない ▼ 作:涼暮皐
広い平野に、その男はいた。
城塞から少し離れた先で待ち構えるかのように、ただ立って。
あの隠し工房に現れた――灰髪蒼眼の堕魔の男だ。
俺は手前にある林の木陰から、姿を隠しつつ相手の様子を確認して考える。
「――待ち構えてやがんのか?」
だとすれば大層な自信家だ。
無論、こちらが人類最強域の英雄なら、相手は人外域の魔――人間以上の存在だ。一対一なら勝ち目があるという計算は必ずしも間違いではない。
ただし、それは奴が神器の任意召喚機能を知らない場合に限った話だ。
旅の間、俺たちは人前で何度も使っているし、先代以前の神器保有者の頃から利用されてきた機能でもある。それを知らないとは到底思えない。
つまり最悪の場合、奴は五対一まで考慮しなければならなかったはずだ。
いくらなんでも、それで勝ちは計算できまい。魔王を倒したパーティを相手にその見積もりなら、もはや過信を通り越して狂信の範疇だ。
だが、そこにいるのはあくまでも灰髪の堕魔ひとりだけ。
「…………」
伏兵の気配はない。何か罠がある様子もない。
もちろん、俺では見破れないレベルの偽装が施されている可能性はあるが、それを言い出したらキリがないだろう。
とはいえ相手が無策と思うのはこちらの過信だ。
打倒か、逃走か。どちらかを成功させる仕込みは何かしら持っていると見ていい。
「どうするか……」
堕魔の男は、ひとりでただ棒立ちしている。
何をしている様子もなく、自然体でその場にいるだけだ。
――誘っているとしか思えない。
果たして、安易に乗っていいものだろうか?
今の俺は弱っている。少なくとも片腕を失くしている事実は明確なハンデだ。
呪いへの対策で魔力も十全じゃない。仕込みに持っている護石などの類いも魔王戦以降は補充ができておらず、だいぶ心許ない数だ。
「――くそ」
結局、俺は奴の正面に姿を晒すことにした。
結局のところ、問題なのは奴の周囲に《結界殺し》らしき道具がないこと。
その所在を聞き出すために、接触することは必須だった。
――飛行魔法を起動し、空から堕魔の下へ。
声は届く距離に降り立って、俺を待ち構えていた堕魔に姿を晒した。
「やあ。来てくれると思っていたよ」
「……あの転移魔法陣を残してたのは意図的か」
「いいや、それは違う。勘違いしているようだから教えてあげるけど、転移魔法陣はぼくの手管じゃない。同志にそれが得意なのがいてね、作ってもらったんだよ。ただ非常に面倒な性格をしててね、転移陣を壊すと気分を損ねるのさ。それが面倒だから取っておいただけだよ。――実際、君がぼくに追いついてくる可能性は低く見ていたし、それで構わないとも思っていたから」
「そうか。そりゃ本当に低く見られたもんだな。どうだ、追いつかれた気分は?」
「――嬉しいよ。本当にね」
「…………」
「できれば追いついてほしい、と思っていた。だからこうして待っていたんだ。君がここまで辿り着く可能性は、低いが決してゼロじゃないと思っていたから。これでもぼくは君を高く評価している。この世で最も君を評価しているのはぼくだと言っても過言じゃないほどにね。どうも君は、過小評価されているようだから」
「……かもな。なにせ指名手配されるくらいだ。英雄とは思えないよな、ホント」
「そういう話じゃないよ。
「そうかよ」
「そうだとも。――だって本来なら、君たちが
「――――!」
その言葉に、俺は大きく目を見開いてしまった。
そういう反応を隠せないくらいには確信を突いた言葉だった。
もちろんそれ以上は反応しない。今のは単に、魔王に負けると思っていた、という程度の意味かもしれないのだ。余計なことを悟らせてやる必要はない。
だが。
だがもし今の言葉の意味が――頭によぎった通りならば。
「参ったよ。実際、本当に参った。君たちに生き残られるのは非常に困る。本当なら魔王を倒してもすぐに後を追うはずだったのに、なぜか五人全員とも生還している。この事態はさすがのぼくらも想定外だ。――やったのは君だろ、クライバック」
「――お前、か……?」
零れ出る言葉を、今度はもう止めることができない。
目の前が真っ赤に染まっていく。よくないと理解しながら堪えきれない。
「お前が……お前が、神器に細工をしやがったのか……!?」
「……そうか。やっぱり君で正解か。神器の呪いに気づく奴が出るとはね」
「お前、が――ッ!」
「ぼくじゃないさ。ぼくじゃない」
頭に血が上った俺を、言葉で抑え込むように灰髪の堕魔は言った。
こちらの意識の隙間を縫うような発声。口調を荒くする、語気を強くする、大声を上げる――そういったことをせずとも、タイミングだけで言葉を染み込ませてくる。
「ぼくが神器の実物を見たのは、君が持っていたものが初めてだよ。そもそもぼくが生まれる前から神器にはその機能があっただろ。少しは考えて喋れよ、英雄」
「テ、メェ……!」
「おっと失敬、君はそもそもぼくの年齢なんて知らないんだから、今のは無理のある話だったね。いや、これでもぼくは新参でね。実年齢でも君と大差ないんだよ。その意味でもぼくは君の才能を評価しているし、同時に誰より畏怖している。その若さで神器の呪いを、程度はともかく無効化するとは驚きだ。同じ魔法使いとして、尊敬の念を禁じ得ないとはこのことだよ。うん。ぼくは、たぶん君と似ているからさ」
なんだか頭がズキズキとしてきた。
怒りのせいか困惑のせいか、それすらもはやわからない。
ただとにかく、とにかくコイツの言葉はどこまでも俺の神経を逆撫でする。
――臓腑の底から膨れ上がる怒りがあまりに煮え滾るものだから、一周回って逆に冷静になってきたほどだ。
いや嘘だ。本当は今すぐにでも目の前の男を殴りたい。
ただ俺はそれでも魔法使いだから、こんなときでも冷静であろうと脳が働く。
灰髪の堕魔は饒舌だ。
聞いているのが嫌になるようなことしか言わないが、せめてその饒舌さをこちらのプラスに変えなければ割に合わなすぎる。
「お前じゃないなら、誰だ。誰がこんなクソ術式を構築したんだ」
「訊くなよ、英雄。ぼくが『どうやって呪いを回避したんだ』と訊いたら答えるのか君は? その情報と引き換えなら教えてあげても構わないけどね」
「……言うわけないだろ」
「気が合うね? そうとも、乞食の豚に恵むものなんて何もないのが正解だ。けれどぼくは喋るのが好きだからね。君がこうして会話の機会をくれたことには感謝をしているとも。その礼にひとつだけ教えてあげようか? ああ、その通り。君がそうだと推測しているだろう通り、それは造られた当初の神器には存在しなかった呪いだよ。後づけで汚染されたがゆえの機能だ。それくらいは予想してたはずだけど」
「……だとして、なんで急にそれを教える気になった」
「言ったろ、ただのお礼さ。それにこの程度は教えたところでどうでもいい。だって君は、ぼくの言ったことなんかどうせ簡単に信じられないだろ?」
「――――」
「そうとも、よくぞ見抜いた! 今のは嘘で、神器には本当は造られた当初から持ち主を殺す機能が備わっていたんだ! ――とか、前言を翻すかもしれないしね?」
一から十まで、発言の全てがあまりにも不快で堪らない。
認めたくはなかったが、それは奇しくも奴の言う通り――俺とこいつが、どこかで似ているからだろう。
言葉を、詐称のための武器として認識している。
同時に情報収集のための道具として信頼してもいる。
態度こそ違うが、俺もコイツも今は同じ目的で会話を続けている。
相手の言葉から情報を抜き出すため。言っていることの内容だけではない、態度や周辺情報、そこに重ねる推測でもって情報をひとつでも持ち帰ろうとしている。
なにせ言葉とは、たとえ嘘ですら一個の情報だ。
嘘なら嘘で、なぜそれを口にしたのかは考える意味がある。嘘をつかれたからこそわかることもある。――そういうものを。お互いに拾い上げようとしている。
そして、おそらく――だからこそ。
俺もコイツも、よほど必要でなければ嘘をつかない人種だ。
嘘は、場合によっては見抜かれてしまう。そういうときに嘘は脆い。
嘘かもしれないと疑われるようなことを言うよりも、本当かもしれないと相手には思わせておくべきなのだ。――きっと奴も、同じように考えているのだろう。
「まあでも、礼だと言ったからね。だから保証しておくよ。さっきのは嘘じゃない。英雄を殺す呪いは、製造時の神器には備わっていなかった機能さ。信じるかい?」
「ああ、信じるよ。教えてくれてありがとな」
「へえ? それは意外だったよ、どうせ信じてもらえないと思っていた。でもそれを認めるのは悔しいから、ここは負け惜しみを言っておこうかな。君ならきっと信じてくれると思っていたよ! ってね」
「だって別にどっちでもいいからな。だからなんだって話でしかないし」
「はは、それもそうだね! その通りだ。神器の起源も、なぜこんなものがあるのかという起因も君たちは知らない。与えられたものをそのまま使っているだけの豚には過ぎた情報だよ。――とでも言ったら、今度は君から負け惜しみを聞けるかな?」
「別に? 知らなきゃ調べりゃ済むことだろ。それが魔法使いの正しい態度ってものじゃねえの? ――と、負け惜しみは今のでいいか?」
「ありがとう。実に気分がいいよ。次はもっと顔を歪めて言ってほしいね」
「努力しな」
「そうさせてもらうよ」
思考を、言葉の裏で働かせる。
こいつは俺からなんの情報を得ようとしている?
おそらく、俺が神器の呪いを無効化した方法を奴らは知らない。俺たちが死ぬと、そう予想していたこと自体は嘘じゃないだろう。この事態は想定外なのだ。
だって本当は《無効化》なんてレベルではまったくない。
呪いは実際は有効で、それを力技で防いでいるだけに過ぎないのだ。こいつがその事実を知らない、とわかっただけでもプラスではある。
――だが俺が情報を得たということは、同時に奴も同じなのだ。
「いや、いい話が聞けたよ。なるほどどうやら、君の呪いの回避は完璧じゃない」
「よくわかったな。その通りだよ」
俺は一切狼狽えずに、態度ではわからないように肯定してみせた。
だがその程度の腹芸は通用しないらしい。奴もまた笑ったまま言葉を続けた。
「君がここにひとりでいるのがその証明だろう。神器の機能を強引に制限しているのか、あるいは――そう。呪いを君ひとりに集約しているのか、だ。だから同じ場所に神器保有者が集まってこない。違うかな? できないか、しづらいか。二択だね」
「みんな長旅で疲れてるんだよ。休ませてあげてるだけかもしれないぜ?」
「同じだろ。そうだとしても今ここにいないだけでぼくにとっては充分だし。最悪は五人揃って来ることで、それがなかった時点でぼくは賭けには勝っている。いいね、本当は話すだけ話してさっさと逃げるつもりだったけど――敵が君ひとりなら、少し遊んだって構わないくらいだ」
「――ちなみに。いいことを教えてもらった代わりに俺も事実を教えるけど、普通に俺の仲間は来てるぜ、ここに。ひとりで来るわけねえだろ、そりゃ」
「驚いたな。ぼくがそんなことにも気づいてないと本気で思ってたの? この結界に出入りした人間の数くらい当たり前に把握してると、普通は気づくと思ってたけど」
「で? そいつが今どこにいるのかまで、本当にお前が把握してるって? すぐ傍に隠れてるかもしれないけど、試しに後ろを見てみなくて大丈夫か?」
「……なるほど、それは無理だね。でも振り向くのはやめておくよ。そのほうが怖いからね。ただ逆に訊くけど、いいのかな? 君たちがすべきは、ぼくが攫った魔道具技師を真っ先に助けることじゃないのかな。どんな目に遭ってるかわからないけど」
空虚なやり取りだった。互いに互いの発言の裏を読み合っている。
こんなものはもはや会話ではない。俺たちは実質的に、相手の言っていることなど話半分にも聞いていないのだから。常に言っていない情報を探り合っているだけ。
リズノはこの近くには潜んでいないし、
奴が本当に来た人数を把握しているかもわからない。
ただひとつ明白なのは――。
「……何をするつもりだ? 今このタイミングで動いてるのは偶然じゃないんだろ」
「もちろん。当然だろ? 人類の厄介な戦力を
そう。こいつらは初めから、魔王が倒されるのを待っていたのだ。
魔王が死ねば、それと引き換えに人類側の最大戦力もいっしょに消えてくれる。
厄介すぎる強力な武器の封印といっしょに、だ。
何かコトを起こすなら、それまで待っていればいいだけ。
灰髪の堕魔はあっさりとそう答えたが、肝心の質問――何をするつもりなのかには答えていない。もちろん答えるはずないのだが、話を逸らしたこと自体が答えだ。
人類に、この世界に、何かをするつもりがあるからこうなっている。
――ならば結局、ここでやるべきは決まっていた。
俺は虚空から神器を取り出し、男に向かって構えて告げる。
「まあ、別に関係ないか。お前をここで止めれば話は終わりだ。そうだろ?」
「いいや? ぼくらは組織だ。ぼくが消えてもぼく以外は止まらない」
「だとしてもお前だけは止められる。組織の仲間とやらも今はいないようだしな?」
「君ひとりならぼくに勝てると? それはちょっと舐めてるんじゃないのかなぁ」
「舐めてるのはお前だろ。俺を誰だと思ってるんだ」
「……君が」
ふと。ふと小さく呟くように、男は言った。
「君がここに現れさえしなければ、こんな風に予定を変更せずに済んだのに」
「…………」
「と、最初はそう嘆いたものだけどね。こうなってみれば、今ここで君に会えたのはむしろ僥倖だった。君たちへの対処は必須だ。それが知れてよかったよ」
灰髪の男は小さく呟いたが、俺としては複雑な気分だ。
そう。奴にとってもこの事態は想定外だ。もちろんそんなことはわかっている。
俺は
だが、そんな偶然はもはや信じられない。
もう俺は確信していた。
あの神器に込められていた呪いが、ただ命を狙う程度のものではないことを。
そういう意味では、目の前のこの男ですら呪いに巻き込まれた存在だ。
――俺を殺すような偶然に頼れないのなら、
俺が
つまり呪われているのは俺だけじゃない。
俺の周囲さえ巻き込んで世界そのものの在り方を歪める。
そういう呪いにかけられたのだと――。
「――ふざけんじゃねえ」
つまり俺がいる限り、俺はひとりで行動することにすら意味がない。
俺が助けに行かなければ危険な目に遭うように周りの人間すら引きずり込む。
そうまでして呪詛対象を潰すのが――この呪いの正体だ。
「ふざけんじゃねえよ、どいつもこいつも」
「おや。急にお怒りかい? 驚いたな、その反応は本当にわからないや」
「うるせえ、黙ってろ。お前なんかに俺は理解できねえよ」
「――――――――」
「そんな感性はお前にないし――それ以上に、そんな時間は与えねえ。お前はここで負けていけ。お前みたいなのがいるだけで、世界にとって邪魔なんだよ」
「……それはこちらの台詞だ、英雄。君こそ世界に必要ない」
幕を引く。そのための狼煙をここに上げる。
向けた杖に魔力を込めて、――殺意を向けて俺は言った。
「――死ぬ前に名乗れよ、堕魔。それくらいは聞いてやる」
「名乗る気はない。渡すものなど何もない。――ぼくは君が嫌いなんだ」
直後。
同時に撃ち出した魔弾の幕が、彼我の中心でぶつかり合って爆発を起こした。