ヒロインからは にげられない ▼ 作:涼暮皐
「――師匠っ!」
と。ベル=クライアーは、師が捕らえられているであろう部屋に飛び込む。
正確には《気配殺し》を使って何度か覗いていたが、とはいえ話をするのは本当に久し振りな気がした。
何があったのかよくわからないが、友人であり英雄でもあるリズノ=アーシャンが身を挺して先に送り出してくれたのだ。
感動的な再会など期待しない。ただ師をこの場所から連れ出すことが自らの役目だと任じて、駆け込むと同時に《気配殺し》を解いて――、
「――何しに来やがったァこの馬鹿弟子がッ!」
「ぎゃふんっ!?」
普段あまり叫ぶことのない師匠から、何か固いものをブン投げられるベル。
それは華麗につるりと回り、まるで氷の上で滑ったかのように尻を床に強打した。
「い、痛ったぁ……っ。額から割けてふたりになるぅ……!」
「お前がそんな生態とは知らなかった。弟子を辞めてスライムにでもなったのか」
「スライムが割けたら分裂するってのはただの都市伝説ですよぉ……ああ、お尻まで割けたかもです……」
「割けてなかったのか、これまで」
混乱しながらも起き上がるベル。何か小石のようなものを投げつけられて、それが額を強打したらしい。
赤くなるおでこをさすさす擦りながらも、なんとか立ち上がってベルは叫んだ。
「そ、それより師匠――」
「黙れ。何が師匠だ。お前は破門だと伝えたはずだ」
「……っ」
「それがのこのこと、こんな結界遺跡まで……。そんなことをさせるために、お前にその《結界殺し》を預けたわけじゃない」
師匠――カタハ=トゥカールは、すでに声を荒げていない。
彼女は元より言葉数少ない寡黙な性格だ。別に口を開かないわけではないし、よくベルの妄言にツッコミを入れるやり取りをしていたが、必要がなければ黙っている。
だがそれは決して、彼女が大人しい性格だということを意味しない。
元来、彼女はむしろ苛烈な激情家だ。冷めやすい代わりに熱しやすく、ベルに向け何かを放り投げたように、どこかで一瞬だけ爆発することは、まあよくあった。
だが、そういうのは大抵の場合において一瞬だ。
一度キレれば一秒で静かになる。そういう性格のカタハにおいて、こんな風に長く続く怒りは非常に珍しい。――不自然だと言っていいほどに、だ。
「わたしは、師匠を助けに来たんです」
「黙れ、そして帰れ。お前にいられても迷惑だし――何度でも言うが、もう師匠じゃない」
取りつく島もないカタハ。静かに、ベルは下唇を噛んだ。
なんだかんだで、今まで師匠たちにロクに逆らったことはなかったのだ。ダメだと言われると、それだけで身が竦んでしまう。生き方にせよ魔道具の製作にせよ、ベルという少女の人生は、師に言われたことをできるようになるという繰り返しによって構築されていたからだ。
そのことをベルは感謝している。言葉足らずで不器用な師匠たちは、正直に言うと誰かに何かを教えるということがとても下手くそだったけど。
それでも、何かができなくて失望されるようなことはなかったし、何かができればしっかり喜んでくれた。
ベルが初めて自分の力だけで魔道具を完成させた日の夜。大師匠は機嫌よく晩酌の量を増やして、普段は飲みすぎを注意する師匠も珍しく付き合っていた。そんな姿をこっそり覗けたことが、たぶん、魔道具を完成させたこと自体よりも嬉しかった。
――トゥカールの工房で最初に口を開くのは、いつもベルの役割だ。
自分からは滅多に口を開かないが、声をかければ師匠たちは必ず答えてくれる。
まずは自分から声をかけよう。――ベルが自ら決めたことなんて、それくらいしかないのかもしれない。それがわかりづらい師匠たちとの、交流の仕方だった。
「……なら。師匠じゃないなら、もう従う必要はありません」
「な、……何……!?」
だからこそ。だからこそベルは生まれて初めて、己の師匠に逆らった。
本当はずっと怖かった。破門だと、そう言われたのがベルを無関係にして守るためだとわかっていても、見捨てられたら生きていけないと、想像だけで身が竦んだ。
師匠が悪い奴らに捕まったことではなく、師匠に助けられた自分がそのまま生きていくかもしれないという想像が――きっと何よりも怖かった。
でも関係ない。
少女は自分の意志でここまで来た。
それも、世界を救った英雄たちに助けられて、だ。
魔王との戦いに比べれば、あまりにも些細に過ぎない自分なんかのために、時間を使ってくれた人たちは裏切れない。だからこそ、なけなしの勇気を、ここで使う。
「いいから行きますよ。早く来てください、ぼさっとしてる時間はないです!」
「ベ、ベル……」
「大丈夫です。心強い味方がいっしょに来てくれてるんです。見たら驚きますよ? なんと魔王を倒した英雄なんですから!」
「……、連れがいるなら先に言え。そこまでしてくれた奴に迷惑はかけられん」
弟子と同じような考えで、首を振って師匠は立ち上がる。
その手を掴み、ベルは《気配殺し》をカタハにも繋げて小さく言った。
「師匠……いやえっと、もう師匠じゃないんでしたっけ?」
「い、いや……それは」
困ったように視線を泳がせる師匠の姿が、なんだか少しおかしくて。
助けられただけだとわかっていながら、それでもどこかで、本当に捨てられたらと迷っていた思いが、師匠を見ただけで溶けていくことはもっとおかしくて。
薄く微笑みながらベルは言った。
「じゃあ、……お母さんって呼ぶべきですかね?」
「……そこは、せめて、お姉さんくらいにするべきじゃないのか……?」
ベルは答えず、行き止まりの部屋から踵を返す。
早いほうがいいのは当然だし――これくらいの意趣返しなら、かわいいものだ。
なんて考えながら部屋を出ようとした、その瞬間だ。
「え……?」
がん、と窓の揺れる音がした。
カタハが捕らえられていた部屋の窓ガラスが、何かによって叩かれている――。
※
五英雄は、当たり前だが人類最強の五人である。
神器という武装が、そもそもその可能性ある者に適合するものなのだから、これは純然たる事実と言っていい。まあ、それはそれで妙な盲点があるような気もするが。
ただ人類最強が世界最強かというと――これはまったくそんなことがない。
たとえば魔王がそうだ。奴は五英雄に対し、たったひとりで抵抗した怪物である。つまり雑な計算で人類最強の五倍か、それ以上に強いと言えてしまうだろう。
世には魔族に魔物、――そして堕魔といった脅威が今も残っている。
奴らは総じて人間じゃない。中でも堕魔は、人類などという弱小生物であることが我慢ならず、その軛から外れる方法を選んだ異端者たちだ。
よって互角。
と、そう考えるのも
こちらにとってではなく、相手にとって――だ。
なにせ五人の英雄には《神器》がある。
五英雄が最強の人間なら、
ただでさえ最強の人間が世界最強クラスの武器を持っているという事実は、たかが堕魔如きが人類の枠を外れた程度で埋められるような格差じゃない。
なりたての凡百の堕魔程度、英雄でなくても勝てる人間はいるだろう。
どちらかと言えば、魔王などという存在のほうが英雄以上の例外だっただけだ。
だが。だが代わりに、堕魔には長大な寿命がある。
他者の命を吸うことで、決して劣化しない強靭な肉体がある。
一種の不老不死。生物の枠を超えて得た、あまりにも膨大な《時間》という財産。それが堕魔の最大の武器であり、研鑽によって向上する魔法こそ堕魔の誇りだ。
その意味で言えば。
今、リズノの目の前にいる《霧界》のクロロックこそ、まさにその頂点だ。
彼が初めて人類史に登場したのは数百年も前。リズノどころか両親も祖父母の代もそのさらに先代さえ、まったく誕生すらしていない遥かな過去。
ほとんどお伽噺。ここ二百年以上も出現の報が知らされていない、とうに死んだとされていた――かつての大魔法使いのなれの果てである。
「……っ、くそ」
そこまでは前提。そんなことは理解している。
そしてそんな事実などでは、リズノの心は揺らがないはずだった。
対等だろうが、それ以上の強敵だろうが――たとえ死を覚悟せねばならないほどの相手だろうが、そんなことで今さら怖気づくはずはない。
それこそ死を招くというものだ。
負けて死ぬことは、嫌なことであっても怖いことではないと思う。
「《ラーくん》、行って」
リズノは神器の拡張空間から、頼みにする戦闘用魔道具のひとつを取り出す。出す気になれば、即座に手の中に呼び出せるのがこの機能のいいところだ。
逆を言えば、基本的に《手元に取り出す》ことしかできないが。その辺り、師匠はなんでか神器を弄って出入口を作ったりしていたが、あんなイカレ技は五人の中でもリヒトにしか使えないし、使えたところで意味がある気もしない。
『拡張空間に発動済みの魔法を仕舞っておければ不意打ちに使えね?』
なんて言っている人間のことは欠片も理解できない。同じ魔法使いであるクーが、なにせいちばん『???』という顔をしていた。どうせアレもイカレ技術だ。
リズノにそこまではできないし、する意味もおそらくない。使いこなせない。
ただ、おそらくリヒトの次に拡張空間を活用しているのは自分だろう。
「囲んで。あまり近づきすぎずに」
このときリズノが取り出した魔道具は、彼女が《ラーくん》と名づけた六枚一組の宙に浮く小さな鏡である。それらが小さな虫のように飛行し、それぞれ目の前に立つ堕魔――《霧界》を取り囲むように散った。
元は単に同期した鏡だった。一枚に映る光景を共有し、ほかの鏡からも見ることができる――ただそれだけの機能しかない、高度で高価だがそこまでの道具だ。
まかり間違っても
それがリズノの持つ異常性。
魔道具を愛する彼女は魔道具からも愛され、その代わりに魔道具技師からはむしろ嫌われそうな特性として――
最もお気に入りのそれらを、リズノは愛称をつけて《五ツ道具》と区別する。
いや、今では《ストーくん》を合わせて《六ツ道具》だが。
戦法としては単純に
六ツ道具の四番、ラーくん。
正式名称で《
単に映した光景を共有するだけだったその鏡の一枚を――。
「――――ッ!」
瞬間、リズノは手に握る銃で撃ち抜いた。
弾丸が鏡に直撃し、その鏡面はけれど砕けることなく
そして吸われた弾丸は鏡の中を通り抜け――別の鑑から吐き出される。
同時に、まっすぐ《霧界》へ向けてさらに一発、弾丸を放つ。
二枚の鏡を経由して後方。
小細工なく直射で真正面。
魔弾による挟み撃ちに狙われた《霧界》は――しかし。
「――――、寒い」
どちらも、男の体まで届かなかった。
「ふ、ふざけてる……!」
凍る、なんてことがあるわけのない魔弾が凍るついたことに、リズノの口許も引き攣っていた。
いや、どころか、凍りついた魔弾は明らかに異常な理屈で運動エネルギーを急速に失い、その場で床に墜落、砕け散っていた。
考えるまでもない。あの男が纏う異常な冷気の籠もった氷の霧のせいだ。
あれはもはや一種の結界になっている。おそらくは近づくものを、物理的な性質の全てを無視して概念的に凍らせ、停止させる氷結界。魔力の塊に過ぎない魔弾ですら凍りつき、急速に熱量を失って地に落ち、砕ける。そういう概念の守護だろう。
馬鹿げている。どんな魔法だ。
こんなもの喪われた古代魔法のレベルに手を届かせているとしか思えない。そんなものを――よりにもよって、ただ棒立ちでも纏っていることがいちばんあり得ない。
「寒い……寒いな、……寒い。寒い」
にもかかわらず《霧界》はただ、そんなことをブツブツ呟くのみ。
やはりリズノのことが意識に入っているかも怪しい。攻撃らしい攻撃はさきほどの烈風めいた凍てつく霧の風だけで、そこからはまた何をすることもなくなった。
それに助けられているな、とリズノは思う。
――もう、正気じゃないのだ、彼は。
寿命を延ばし、肉体を保つ堕魔の死とは――すなわち精神の摩耗である。
この男は、長い生の中で心を使いきってしまったのだ。
長く生きるだけでも精神は削れる。まして堕魔になることで受ける精神汚染はその人物の価値観すら変えるものだ。人間性を削り落とし、概念へと近づいていく。
おそらく彼は、この結界遺跡にずっと封印されてきたのだろう。
ただ同じところで、ただそのまま在り続けた。その無限に耐えきれなかった心は、摩耗して擦り減りカタチを保てず、ついには潰れた。もはや抜け殻に過ぎない。
今の彼は、もはや生物というより現象だ。
身を凍らせる寒さに苛立ち、ありもしない温もりを求めて徘徊する怪物。
問題は、――その状態でなお尋常ではない強さがあることと。
そしてもうひとつ。
彼は、それでも明確に《不快》を排除しようという意思は遺していることだ。
「――
「ッ……!?」
瞬間、向けられた視線に怖気が走る。
クロロックが、明確にリズノの存在を認識に捉えた。
「ああ、見えなかった。なんだこの脆弱な羽虫は。不快な。羽虫なら羽虫らしくもう少し羽音を立てろ。わかりづらい。下らない。――ああ寒いな、お前が寒い」
「う、……っあ……!?」
なんとか振り絞っていた勇気が、冷気に当てられ再び急速に凍っていく。
これが、魔族のような挑発の言葉ならよかった。人間を見下しているだけの余裕に過ぎないなら、なにくそと逆らうことはいくらでもできた。
だがまったく違う。彼は、目の前に立つリズノと羽虫の違いが、心の底から本気でわかっていない。見えているようで見えていない。
彼にとっては脆弱な魔力の持ち主に過ぎないリズノは、羽虫と何も変わらない。
だとすればそんなものが寒さの原因であるはずもないのに。
その矛盾を理解すらせず、冬空に開け放たれた換気窓を閉めるように――リズノという少女の命を摘みにかかった。
「――ああ」
バギリ、と。なんの前触れもなく寒波が吹雪いた。
散っていた鏡たちが、これ以上は耐えられないと自ら逃げ出していく。
「う――つ、あぁ……ッ!!」
リズノは心の恐慌を押し殺すように引鉄を引く。
だが――弾が、出ない。
トリガーは凍りついて動かない。それとも装填する
リズノ=アーシャンは、その瞬間に全ての勝ち目を失ったのだ。