ヒロインからは にげられない ▼   作:涼暮皐

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1-28『英雄、少女を二度救う』

 クロロックは、その体の周囲に弾丸を浮かべる。

 リズノひとりくらいは貫くどころか圧し潰すであろう巨大な氷の槍。それが何本も宙に展開され――かなり広い城塞の廊下さえ埋め尽くさんと整列を組んだ。

 

 そして、氷槍は一斉に射出される。

 一発目を避け二発目を潜り、三四五発目が当たらない位置取りへ。六発目は、もう弾の出ない銃身で弾き、七から十一までを躱す空間を作った。十二発目を再び銃身で防ぎ、十三発目が目の前で炸裂して、細かい氷の粒にあちこち傷を負って吹き飛ぶ。

 以降はもう数を数えることすら不可能になった。床を壁を天井を――薄紙のように貫く氷槍を、ギリギリのところでなんとか躱す。躱しきれないものだけ銃身で弾き、そんな方法には無理がありすぎたことを、幾度目かで理解させられた。

 

「あぐぅ――っ!」

 

 いや。本当はわかっていた。

 だがほかにできることもなかったから、弾き損ねた氷槍の勢いで床を転がり、その時点で見上げた視界が――勝負の《詰み》を受け入れた。

 稼ぎ出した時間は、いったいどれほどだったか。

 冷気が徐々に体力を奪った。神器を持っているからこその自動防御で、温度変化にギリギリ耐えていただけ。それには当たり前の限度があった。

 

 もう躱せない。躱しきれる弾数を超えている。

 それ以前に動けない。体を動かすための熱が冷え切った。

 せっかく魔王を倒したというのに。意外とすぐさま終わりが来るのだと、リズノはどこかで死を受け入れて――。

 

「――ごめん、なさい。せんぱい――」

 

 己を囲う氷槍の嵐を見ながら、役に立たなかったことを、最愛の人に詫びた。

 

 次の瞬間。

 

「うるっせえいいから顔上げろバ――カッ!」

「――え……!?」

 

 瞬間。直前までこちらを捉えていた氷槍の照準対象が一斉に変わる。

 壁際に追い詰められたリズノにではなく、今までその背後にあった通路のほうに。

 だがそちらには、ベルが師匠を追っていた通路しかなかったはずなのに――。

 

 直後、全ての氷槍がリズノを無視して声のほうへ飛んだ。

 

「っ、待っ――!?」

 

 思わずリズノは叫ぶ。

 それはダメだ。それだけは許せない。――それだけは認められない。

 だがリズノの願いなど聞き届けず、氷の刃が通路を埋めた。

 

 けれど。

 

「だから範囲攻撃って意味ねえよなホント。魔法使い殺すなら数じゃなくて質だって説が近年じゃ主流だぜロートル。こんな何本も槍を作ったって、当たるのそのうちの一、二本だろ。ならその魔力で一本を強化しとけ。――以上、近代魔法学だ」

 

 連なるような氷槍の嵐を、その魔法使いは散歩のように突破した。

 その体の正面には、炎の属性が付加された円形の防御魔法陣が展開されている。

 

「しかし、こういうときは使える呪いだ。叫んだだけで全部が俺を向くんだもんな」

 

 などとよくわからないことを言い、こちらに男が歩いてくる。

 ――その姿を見た瞬間、なんだか泣きたくなってしまった理由はわからないけど。

 魔法使いにして英雄――リヒト=クライバックは、常と変わらない姿で。

 

「でもお前もお前だ、リズノ。何を諦めてんだ、このバカ。甲斐がねえだろうが」

「し、ししょ……」

「落ち着け。深呼吸しろ。そしたら体に魔力を巡らせろ。――()()()()()

「え……っ」

「旅じゃ堕魔はほぼ見てないから頭から抜けてたろ。高位の堕魔はそこに存在してるだけで見てる奴の心を侵す。堕魔自身が自分で喰らってる精神汚染が外にまで漏れてきてるからな。でも問題ねえよ。魔力を通せば押し流せる」

「あ……」

「神器持ちは大抵の汚染なら自動で弾いちまうし、ほか三人と違ってお前は体に魔力通すこと少ないからな。しかも魔眼まで悪影響したっぽいから、割と仕方ないけど」

「あ、――う……」

 

 言われてみればその通り。堕魔にそういう能力があることは知られている。

 今まではぜんぜん効かなかった上、なまじ魔眼があるせいで、感情をダイレクトに受け取ってしまったのがまずかったのだ。

 ――つまり、単純に忘れていた自分のミス。

 一度でも精神を揺らがされると、そこから立て直すのは難しくなるとはいえ。もし気を抜いていなければ、初めから汚染されることもなかっただろう。

 

「――落ち着いたか?」

 

 目の前までやって来たリヒトが、屈んでリズノの頭に触れた。

 そこから流れ込む柔らかくて優しい魔力が、少女の心を綺麗に洗っていった。

 もちろん、その前に自力で立て直すことはできていたけど。

 ――それでも今は、ちょっとでいいから彼の魔力を感じていたかった。

 

「す、すみません、先輩……わたしのせいで」

「いや別にお前のせいも何もないけど。むしろ悪かった。まさかお前のほうのが化物相手取るとは思わんかったわ」

「で、でも――」

「うるさい謝るな」

「あうっ」

 

 ピン、とおデコを指で弾かれ、リズノは目をぱちくりとした。

 思い出すのは、――そう、初めてリヒトと出逢った日の、大切な想い出だ。

 

 なにせその男は、ある日いきなり、なんの前触れも遠慮もなしに、いきなり部屋に押し入ってきたのだ。いくら両親の許可とはいえ、乙女に対してそれはない。

 いや。それより何より許せないのが――、

 

『これどう使うんだ?』

『は……、は?』

『え。すご……こんな魔道具は見たことねえ。やっぱコネか? 大貴族のコネか? いや正直あんまノリ気じゃなかったけど、これが見られただけでもすげえ……!』

『……魔道具、好きなんだ』

『ん? もちろん。あ、もしかして魔眼か? いいもん持ってるわ』

『……ッ! こんなの……別に、いいものなんかじゃ……!』

『わかってるよ制御できねえんだろ。その方法はできる限り俺が教えてやる』

『……え……』

『だから、まずは話そうぜ。――大丈夫だ。この部屋はどう見ても楽しいし、ここに住んでる奴とはきっと馬が合う。お前と話すのは楽しそうだ』

『……たの、しい? わたしと……はなすの、が?』

『意外そうな顔をするな』

『あうっ!?』

『楽しい。楽しいよ。そっちがどうかは知らんけど――でもひとつ約束してやるよ。ここにいる間、俺はお前が見たくない感情(いろ)は、絶対に見せないって』

『……あ、えと……、う、うん』

『そうか。――俺はリヒト=ラインバック。そっちの名前は、まあ知ってんだけど。なかよくなるにはここからだし――お前の名前も教えてくれよ』

『……リズノ。リズノ=アーシャン』

『ん、ありがとう。これからよろしくな、――リズノ』

 

 とんでもない、とリズノは思う。

 自身の世界が色づいたのは、だって紛れもなく、あの日を境にしてのこと。

 ――魔眼の制御ができるようになったことに救われたんじゃない。

 たとえできなくても――世界は何も、見たくない感情ばかりでないと教えてくれたから救われたのだ。

 それがどれほど嬉しかったか、きっと、リヒトにはまったくわかっていなくて。

 

「――さて、待たせたな、名高き《霧界》。ティズム=クロロック」

「さきほどの防御陣……魔力の手描きか? 器用な真似をする」

 

 リヒトの言葉に、普通に返事があったことにリズノは大きく目を見開いた。

 今まで一度もリズノを認識しなかった彼が、リヒトのことは認識している――いや違う。そういう話じゃない。

 

「別に手で描いてるわけじゃねえけど。まあ、ニュアンスで答えるならそうか」

「凄まじい洗練だ。ついぞ見たことがない。机上の空論も長ければ実現する、か……ただ」

「ま、これでも人類最強の魔法使いなんでな。――とはいえ、さすがにお前からそう言われても素直には受け取れねよ。だろ、かつての人類最強」

「強さ、などと。そんな些末に拘泥したことは一度もない。時代が違えば、在り方も違うか――いや、それがお前の性質か。そこの女は、お前の妻か?」

「まだ結婚するような歳じゃねーよ。ギリ。たぶん」

 

 今のクロロックは、すでにリズノのことも人間として認識していた。

 会話も明らかに成立している。そのことが、逆に不可解にすら思えるほど。

 彼が思わず正気に戻るほど、リヒトの魔法の腕が優れていたということか――?

 

「なるほど、魔法使いが強さを求める時代になったか。嘆かわしいと思うのは驕りとしても、相容れるとも思えんが……その割に、お前の腕は見事だ。年齢に見合わん」

「生まれが特殊なんだよ、俺は」

「……そうか。そうか、なるほどな。それはこちらの眼が節穴だったな。技に見惚れお前を見ていなかったか。――弄られたか、その器を。その魂を」

「――――」

 

 リヒトは押し黙り、リズノはその彼の背を見つめる。

 そう。リヒトは生まれが特殊だ。

 幼い頃から過剰な魔力に晒され続けた改造人間。人為的に天才を創り出そうとする実験の犠牲者にして、唯一の生き残り。神ではなく人から才能を与えられた者。

 類稀な実力を持ちながらそれを誇らない理由がこれだった。

 

 リヒト=クライバックは生まれついての天才ではない。

 ただ生き残っただけ。

 

 どんな魔法使いも幼少期からの英才教育によって育ちが早くなる。早くなれば至る場所も高くなる。当然の理屈だ。魔法に限らず、なんであれ幼少から始めるほうが、有利であることに違いはない。

 リヒトの場合は、それが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 魔法を扱うために必要なあらゆる教育を、強靭な覚悟がなければできない不可逆の肉体改造を、人道を重んじるなら絶対にしてはならない苦痛を伴う実験を。

 堕魔化を除いた、ほぼ全ての魔法的実験が、リヒトの肉体と魂を侵している。

 

 彼は、なにせ()()()()()()()()()魔法を使っている。

 ごく簡単な魔法を、無意識に発動してしまう幼子は稀にいるだろう。だがそもそも魔法の省略発動ができないリヒトにそれはないし、コトはもっと重大だった。

 ほかの魔法使いの手で、魔法の発動を補助されながら感覚を叩き込まれたのだ。

 幼い子どもには理解できない情報を生まれた瞬間から脳に叩き込まれた。その魂が魔法を使うための機構となるよう育てられた。0歳から毎日休みもなく魔法の使用を強制され、魔力がなくなれば空いた体に別の魔力を注ぎ込まれ、溺れるほどの他人の魔力に吐瀉物を撒き散らしながら容量を鍛えられた。精密な魔力の操作が可能になるようあらゆる意思疎通を魔力を介して行い、魔法学の英才教育は二歳から始まった。

 

 自力での努力には限度がある。誰だってサボりたいし誰だって休みたい。

 誰だって、何かに一生を捧げるという行為を――そう簡単には完遂できない。

 ならば努力を強制されればいいという、それは合理と狂気を併せ持った、あまりに唾棄すべき外道の手法。だが確かに、論理的には限りなく正解だった。

 

 大切に、珠のように育てられた。

 歪んでこそいたが、確かに愛をもって教育を受けた。

 実験対象になる――という一点でもって、あらゆることを許された。望めば全てを与えられたし、施設の魔法使いは優しかった。頼めば娯楽にも付き合っただろう。

 単に、リヒトが何も望まなかったというだけで。

 

 そうして彼は、およそ魔法使いとしては最高峰の数値的能力を獲得した。

 約九歳の頃に王国によって救い出された彼は、その歳にしてすでに王国でも有数の魔法的能力を獲得していた。

 ただひとつ――魔法の発動を短縮できない、という致命的な欠陥と引き換えに。

 

「だが問題はそこではないな。――なんだ、貴様は」

 

 そんなリヒトの、生物としてあり得ない歪さを、クロロックはひと目で見抜いた。

 見抜いた上で――要点はそこではない、として話を変える。

 

「なんだ、その体は……なんだその魂は? それで、なんで生きている……?」

「なんだそりゃ」

「決まっている、お前にかけられた魔法だ。――呪われている」

「……チッ」

 

 小さく舌打ちするリヒトを、リズノは思わず見上げる。

 あの堕魔は今、――なんと言った?

 呪われている? 彼が? いったいいつ、誰に、――どうして。

 

「それも見ただけでわかんのかよ。お前のほうがあり得ねえ」

「……信じがたい。世界そのものに嫌われているようなものだ。いったい何をすればそこまでの状態になるんだ、人間が。お前は……それでなぜ生きていられる?」

「やっかましい。死ぬのが怖くて堕魔になったような奴にゃわかんねえよ。死の呪いくらい人間のままでも防げるわボケ」

 

 震える声音で零すクロロック。その言葉をリヒトは簡単に斬り払う。

 

「なに……?」

「生きるってのはそういうことだろ。これでも施設暮らしが長かったんでな、それを踏まえて俺としちゃあ――自由ってのはそういうことだと思うけどね」

「――――」

「反面、テメェは不幸だよ。何百年もこんなところで、ひとりで過ごして。いったいそれで何が得られた? 失うばかりだろ、それじゃあよ」

「――――」

「もういいだろ、ティズム=クロロック。全てを終わらせて眠るときだ」

 

 軽く告げ、リヒトは杖を構えた。

 応じるように――古から生きる堕魔が腕を開く。

 

「――名は?」

「リヒト=クライバック。杖の神器の、英雄だ」

「いいだろう。怪物を殺すには相応しい肩書きと言える」

「お前……」

「――終わらせてみるがいい。届くのなら!」

 

 その瞬間。

 ――周囲全てが、一面の霧に包まれた冬の野原に変わった。

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