ヒロインからは にげられない ▼   作:涼暮皐

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1-30『同志、決意する』

 結界が砕け散り、辺りの様子が再び変わる。

 訪れたのは元いた結界遺跡。だが城塞の様子は一気に様変わりし、壁は崩れ天井は穴が空き、まるで一瞬にして百年以上の時が流れたかのように景色が劣化している。

 

「……とても結界とは思えねえな」

 

 その光景を見て思わず呟く。

 結界が壊れるなら、空間そのものが一度に壊れる。こんなふうに景色が劣化するということは普通起こらない。

 だがその答えは、目の前にいる男が述べた。

 

「すでに世界に在ることが前提となった異界だ。だから内側の構造(かたち)ごと崩れる。外の法則と交じり合っているからな、自然に従うようになる」

「……解説どうも」

 

 腰から上、胸にかけての肉体の大半がなくなり、左腕まで失って。

 人間なら即死以外あり得ない損傷を受け、なお《霧界》のティズム=クロロックは命を保ち続けている。

 堕魔の死ににくさには、まったくほとほと呆れるものだ。

 俺も同じく左腕を失ったが、こっちはそれだけで死にそうだったというのに。

 

「……先輩」

 

 リズノがこちらに駆け寄ってきて、俺の後ろに回りきゅっと裾を引いた。

 

「おう、お疲れ」

 

 残った左腕を軽く上げ、リズノに拳を向ける。

 彼女はそこでようやく薄く笑って、こつりと自分の拳を打ちつけた。

 

「――ふ」

 

 そんな様子を見て、クロロックは薄く笑った。

 まだ杖を向けたままの俺は、そんな彼の様子に少し目を細める。

 

 ――クロロックは堕魔だ。

 それも本来、精神汚染が進行しきって正気さえ失った人ならざる魔である。

 連中は生き汚い。ただでさえ生命力が強い上、どれほど劣勢になっても生を諦めることはない。見下す人間に殺されることを、奴らは決して認めない。

 

 にもかかわらずクロロックは今、静かだった。

 諦めている――いや、敗北を受け入れているかのように、穏やかに動かない。

 

 コイツは初めからそうだった。

 魔法に執着し、その結果として戦いを愉しむのは堕魔の習性だ。

 だがそれは己が研鑽を誇るためであり、相手の実力に興味深く目を輝かせるようなことはない。そんな堕魔を見るのは、――この男が生まれて初めてだった。

 

「……お前はいいのか、これで」

 

 だからだろう。気づけば俺はそんなことを訊ねていた。

 堕魔相手に何を――と思う理性を、たぶん好奇心が上回ったから。

 

 目の前の堕魔が、新しい時代の魔法に目を輝かせたように。

 

 

     ※

 

 

 ティズム=クロロックは英雄だった。

 神器に選ばれたわけではない。

 ただ時代で最も優れた魔法使いとして多くの人を救って英雄となった。

 強い己が、大衆のために魔法を扱うことは当然だった。

 

 ――そして堕魔となった。

 堕魔になった彼は、それまで守ってきた人々をことごとく殺し尽くした。

 いつか彼に助けられたはずの無辜の人々を。

 男を慕って傍らに寄り添った女を、彼を信じて隣に立って戦った男を、魔法使いに憧れ目を輝かせて慕う子どもを、彼が守った者の帰りを待っていた老人を――。

 老若男女の区別なく。

 街ひとつを、そこで生きる人間ごと滅ぼした。

 

 それが《氷界》のティズムと呼ばれた魔法使いの最期だった。

 

 そう。彼は望んで堕魔になったの()()()()

 陥れられたのだ。

 

 真相は未だわかっていない。ただ英雄として愛されていたその男は、ある日なんの前触れもなく、目覚めたときには堕魔になっていた。

 そして暴走を起こし、住んでいた都市ひとつを滅ぼし尽くした。

 その後、堕魔化による暴走状態が落ち着き理性を取り戻したところで、その絶望を自覚した上で世間から姿を消した。

 

 あとには霧の残り香が漂う廃墟だけが遺され。

 英雄は《霧界》と二つ名を改められ、世界の敵として歴史に記録された。

 

 英雄は、堕魔化してなお遺された強靭な理性で己を保った。

 誰も訪れない結界遺跡を探し出し、その領域と己が誇った最強の結界を融合させて自らを封印した。

 隔絶異界。極めた魔法を《結界》の形で世界に反映させる旧い魔法の究極技法。

 現代ではほぼ使う者のない――魔法使いとしての、ひとつの頂点。

 

 やがて理性が削られ、かつて誇った最強の魔法が暴走して自らを凍てつかせても。

 現象となり果て、暴走した寒さに暖を探すだけの亡者となっても。

 

 彼はひとりの人間も喰わず、

 悠久の年月を、この城塞の中で縛り続けた。

 

 ――その錆びついた理性さえ溶かす、新しい魔法使いを目にするまでの間。

 

 だから、これは救いだ。

 細心の英雄は、確かに古き英雄を救ったのだ――。

 

 

     ※

 

 

「――ああ、これでいい。満足したとも」

 

 果たして堕魔は、俺の問いにそう答えた。

 そこにどんな意図が込められていたのかなど俺にはわからない。

 奴は何を語ることもなかった。堕魔とは思えないほど理性的な態度で。

 

 だがそれでも堕魔だ。

 堕魔は例外なく人類の敵だ。

 その前提が、――揺らぐことは決してない。

 

「……ふ。お前も難儀だな、遥かな未来の後進よ」

 

 ふとクロロックはそんなことを言い出す。

 俺は軽く首を振った。

 

「そうでもない。……時代は少しずつマシになってる。そう信じて、今を生きてる」

「ならばいいが……お前自身はどうだ。それほどの技量を持ちながら呪われた運命をどう捉える」

「別に。元から生きるってそういうもんだろ。昔から運はよくないしな」

「運……か。だがその呪いは、自ら引き受けたものだろう? 逆に訊くが、隣に立つお前はどうなんだ、女」

「お――おい」

 

 余計なことを言い始めようとするクロロックを、思わず止めようと声を出す。

 だが間に合わなかった。リズノは顔を上げてクロロックに問う。

 

「そ、そうだ……呪いって。呪いって、なんなんだよ……」

「――その男は呪われている。魂が。おそらくは、そう――神器によるものか」

「え……っ!?」

 

 驚き、目を見開き、リズノは俺を泣きそうな顔で見上げた。

 俺は思わず歯を食い縛って、向ける杖を持つ手に力を込めて叫んだ。

 

「おい、お前――!」

「隠してどうなる。いずれ誰でも辿り着く事実だ」

「……っ」

「ゆえに想うならば肝に銘じておけ、女。この男は呪われている。いや、呪いを己が身に集めている、と言ったほうが正しいだろう。おそらくは、お前を庇ってだ」

「……せん、ぱい? 本当なんですか……これ?」

 

 どうしてそこまで見抜くのか。

 言わなくていいことを最後に言ったクロロックに、俺は奥歯を噛んでしまう。

 

「神器の呪い、か。私のときにいた英雄たちも、皆が早逝した。はは……そのお陰で()()に役割が降りてきたん、だったか……なあ、英雄よ」

「……、なんだ」

「呪いを解きたければ神を探せ。それは神からの祝福だ。オレたちが住むこの世界は()()()()()()()()()()()()()――」

「なんだ……それは。おい、何を知ってる!? 答えろ!」

「――聖地へ向かえ」

 

 小さく、クロロックは言った。

 まるでそれを告げるまでが役割であったと言わんばかりに。

 

「そして歴史を調べろ。呪いを解く方法があるとすればそこだろう」

「……、それは本当か?」

「信じる信じないは自由だ。オレはただ、勝者に報酬を支払っただけだ――ごふっ」

 

 血が撒き散る。

 もはや再生しない肉体に、留まっていた魂が離れていく。

 

「……ああ。そういえば、オレも……英雄に、憧れて……魔法使いに、」

 

 言葉は、けれどそこで途切れた。

 光を失って倒れた男は、もうひと言も喋らない。

 

 遥かな過去から残り続けていた伝説の堕魔は――こうして歴史から消え去った。

 

「せん、ぱい……」

 

 こちらを向くリズノにかぶりを振り、笑って誤魔化して俺は言う。

 リズノにまでバレてしまった。でもまあ、こうなった以上は言っておくか。

 

「ま、そういうわけだ。俺たちの神器にはふざけた呪いがかかってたんだよ」

「のろ……、い?」

「魔王を倒したら持ち主を殺す。そういう呪いだ。事故死なんかに見せかける形で、運命的に殺しにくる。まあ俺は防げるからな、回収して纏めておいた」

「――――」

「安心しろ。お前らが呪われて死ぬようなことはないよ。あとは俺のほうでどうにかするから、好きに過ごしててくれ。ほら、せっかく平和になったんだから」

 

 努めて明るく伝えたが、俺を見上げるリズノの表情は凍りついていた。

 クロロックの奴め、こんなものまで遺していくとは最後まで厄介な堕魔だった。

 とはいえ何かフォローはしなきゃ、と俺は口を開こうとして――。

 

「まあ、なんだ。そう気にするな」

「――――ッ!!」

「ベルたちは任せてあるし、俺たちも帰――、あれっ」

 

 膝から力が抜けたのはその瞬間。

 口の端から血が零れ、震える肉体は言うことを聞かずに地面に倒れる。

 

「――っ、あー……」

「し、師匠っ! 師匠――ッ!!」

 

 泣いて縋ってくるリズノに大丈夫と告げたいが、歯の根が合わず上手く話せない。

 ああ、そういえば、あの霧に至近距離まで突っ込んだんだ。魔力切れの今、神器の保護機能を突破して低温の霧が肉体を蝕んでいてもおかしくなかった。

 むしろそうなっていないほうがおかしい。

 

「師匠……ししょうっ。いや、いやだ……死んじゃ、嫌っす……!」

「……勝手に、殺すな……この程度で死なねえよ。いつものことだろ別に」

「うっ、うううっ、うううぅぅ……!」

「別に傷は負ってねえ……寒すぎたのと魔力切れの反動が重なっただけだ。ちょっと大袈裟だぞ、リズノ……」

 

 かろうじて残された魔力で自己回復を行う。

 回復はそこまで得意じゃない。結局、腕も治せなかった。

 こういうのは、パーティを組んでいた頃はカエラが担当してくれていたのだが……いなくなってわかる仲間の大事さよ。……いや別にいなくなる前から大事だわ。

 

「……まあ、そう気にするな。俺のことなら何も問題はない」

「――――――――」

「それより出ようぜ……遺跡が崩れ終わるより前に転移陣まで戻らないと、帰れなくなるかもしれない」

 

 リズノは何も返事をせず、そのまま俺を担ぎ上げて走り出す。

 崩落する城塞の床を飛び降り下へ。

 小さな体に背負われて戻るのがなんだか気恥ずかしく、少し迷って俺は言った。

 

「……悪いな。約束してた魔道具巡り、行けなくなって」

「う……ううぅ、うぅうううぅぅぅぅぅ……っ」

 

 リズノはこちらに顔を見せず、ただ嗚咽を漏らすように声をあげて走り続ける。

 いやはや。どうもあんまり、上手い話題ではなかったらしい――。

 

 

     ※

 

 

 ――師匠が呪われている。

 

 その言葉に、少女は脳裏を埋め尽くされていた。

 心がまったく動かない。ただ自分は、どうしようもないくらい弱く、未だに彼から救われるだけの、役立たずで足を引っ張る無能のクズでしかないことはわかった。

 ゴミめ。何をしている。何を遊び惚けている。

 まだ何も終わっていないのに、油を売っている暇など自分にはないだろう。

 

 ――ししょうが のろわれて いる。

 

 自分のせいで。

 自分の呪いまで請け負ったせいで。

 相談もなくそうしなければならないと思わせるほど弱かったせいで。

 腕まで、失くした。

 今だってこんなにもぼろぼろになっている。

 あの強くて優しくて頼りになる――この世で最も信頼する人間の未来を、魔王さえいなくなった世界でなお奪ったのが自分だった。

 

 ――ししょ う が のれわ れて い る。

 

 ボクのせいだ。

 ボクが弱いせいだ。

 ボクが役に立たないせいだ。

 ボクなんかが生きていること自体が間違っている。

 

 ――ボクの、せいだ――。

 

 少女は、ずっと昔から彼のことが好きだった。

 なんだったらたぶん、初めて会ったときにひと目惚れしたのかもしれない。

 

 だって今の自分は、その全部が彼によって形作られたものだ。

 

 広い世界を見せてくれた。人の温もりを教えてくれた。こんな自分にも役割があると伝えてくれた。魔眼の制御も、戦う術も、生きる手段も、全部が彼のくれたもの。

 ――誰かを好きになることが、こんなにも幸せだと知ることができた――。

 そのことにどれほどの感謝があるのか彼はわかっていない。

 少女は決めている。

 遺された人生なんて全てを彼に捧げても構わないと決意している。

 貰ってくれるならこの上なく嬉しいと思う。

 

「……何が……」

 

 何が嬉しいだ、と今は思う。

 この世でただひとりの愛する男を、背中に乗せて走りながら。

 

 自分のことなんてどうでもいい。

 全て彼のために消費(つか)う。全部を彼のために捧げる。

 いるかいらないかなんてもうどうでもいい。

 それはもはや、少女にとって権利や願いではなく義務に等しくなっていた。

 

 ――この人を守ろう。

 この人のために生きよう。

 この人に尽くしてこの人に捧げてこの人に祈ってこの人のために死のう。

 

 だって、彼はがんばったのだ。

 誰よりもがんばって、世界を救ったのだ。

 がんばったひとが報われないなんて嘘じゃなきゃいけない。

 世界を救ったひとが、世界に殺されるなんてあっちゃならない。

 

 もしも世界がそれを許さないのなら――ボクが、この世界を否定してやる。

 

 ――自分の内側にわだかまる、黒い感情を少女は飲み干す。

 否定はしない。けれどそれで折れることはない。むしろ力に変えてやる。

 ボクは弱くてボクは愚かでボクは無能でボクはどうしようもない存在で――。

 そんなボクだからこそ、全部でなくっちゃ釣り合わないから。

 

「――大丈夫ですからね、師匠」

「…………」

 

 魔力切れで意識を落とした恩人に、聞こえないとわかって宣言する。

 

「師匠はボクが助けます。――それ以外の何を犠牲にしても」

 

 黒い焔を瞳に灯す。

 そうして少女は決意したのだ。

 前向きに。気合いを入れて、元気よく。旅に出た頃の純粋な勇気に似た想いで。

 

「ほかのぜんぶは、もういりません」

 

 愛のために、それ以外の全てを捨てると決めた。

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