ヒロインからは にげられない ▼ 作:涼暮皐
「――どういうことですか、殿下」
世界を救った英雄から、本気の殺気を向けられるとはこういうことか――。
これはこれで得難い経験だと、王国第一王子――エアハルト=アイブリンガーは、せめて不敵に笑っておくことにした。
この状況で冷や汗を隠せるだけでも褒められていい胆力だろう。
無論、彼は実際に自分が攻撃を受ける可能性を低く見積もっているが、そんな常識など軽く吹き飛ばす程度には、目の前の少女から受ける威圧感は大きなものだった。
「落ち着け。――どうもこうもない。必要だと考えたことを行っただけだ」
王城の一室。面会用ではない小さな部屋――と言っても充分な広さはあるが――に今はいた。
あくまでこの王城の中では簡素な椅子に腰を下ろすエアハルトは、目の前に立っている四名の少女を、細めた瞳で睥睨する。
夜の密室に四人もの少女を連れ込んでいる――王子という立場にとっては、余計な醜聞になりかねない事態であるが、誰もそんなことは心配していない。
言うことがあるとすれば、そもそも一国の王子が護衛も連れずにこんな面会をしていることそのものだろう。
ついでに言えば、連れ込んだのではなく、単に乗り込まれただけである。
こんなイレギュラーがまかり通っている理由はひとつ。
この四名の少女が、一国の王子ですら無下にできない《英雄》であるからだ。
「必要なコト、ですか? ――これが?」
ダン! と大きな音を立てて、いちばん前に立つひとりの少女が、目の前の小さなデスクの上に一枚の紙片を力強く叩きつける。
グレーのミディアムボブが勢いで揺れ、前髪が隠していた緋色の瞳が覗く。
――イア=テーラドット。
神器のカタチは人物によって異なることがあるが、中でも《剣の神器》を持つ者は歴代でも保有者の中心となる者が多い。
英雄の中の英雄。まさに《勇者》が持つ武装であると言えるだろう。
「先輩を指名手配って……これのどこが必要なことなんですか!?」
激昂するイア。普段は物腰柔らかで大人しく、優しさに満ちた少女なのだが、一度でも敵と見做した相手には容赦のない苛烈な一面がある。
そういえば、その点についてリヒトが憂慮していたな――と、去っていった友人のことを思い出しながらエアハルトは思案した。
――さて、どうしたもんかなあ……。
強権を振りかざして意見を封殺すること自体は容易い。いくら世界を救った英雄であろうと、別に政治的な権限があるわけじゃない。
だがそれでも相手は英雄だ。
はっきり言って、この四人全員を敵に回したとき――それを迎え撃てるほどの戦力はこの王国にはないだろう。
数の暴力は強力で、鎮圧こそ最終的にはできるだろうが、それまでに生じるだろう被害は想像すらしたくないものだ。ほぼ国が亡ぶと言ってもいい。
神器保有者とは、そのレベルの脅威なのだから。
「だから言っただろう。――落ち着け。同じことを三度目は言わせるなよ」
「……っ」
それでも強気に出られるのは、一国の王子としての胆力だろうか。それとも単純に性格だろうか。
少なくとも今回の場合は、――余裕ぶっていないと耐えられなかっただけかもしれない。
「お前たちの話では、魔王を倒した直後、突如としてリヒトが失踪した、だったな」
「……はい、そうです」
こくり、と頷くイア。背後にいるほかの少女たちは、話すのをイアに任せているのか、単に相手が
――本当は今すぐにでも探しに行きたい。
イアの表情には、ありありとその感情が浮かび上がっている。
それを止めているのがエアハルト――というよりはこの国であった。魔王を倒して生還した英雄たちを、国を挙げて称えることは、もはや義務とすら言っていい。
「つまり自分の意志なわけだ」
「それは……そうですけど。でも何か事情があったに決まってます」
「そんなことは俺にだってわかっている」
というか全ての事情を知っている。
なぜなら、本人がここまでやって来て伝えていったのだから。
――いやこれ、本当にどうしたもんかな……。
エアハルトは黙々と思案する。何が最も適切な答えであろうかと。
一国の王子として、優先するべきは国益だ。そのためには時に冷徹な判断も必要になるとはいえ、今回の場合は単純に友人として、恩人として遇して構うまい。
国としても個人としても、リヒトまで含めた英雄たちには幸せになってほしい。
問題はどこまで事実を語るか、だ。
エアハルトがリヒトを指名手配にしたのは、本人に頼まれたからでしかない。
だが果たして『本人に頼まれたんだよ』と言っていいものか。
その場合に、説明できないところまで気づかれる、責任を彼には負えなかった。
「…………」
――要するに。
エアハルトはさきほどから、かなり慎重に言葉を探して、時間を使いつつ遠回しに話しているのだった。
何を言って、何を言わないべきかを決めるために。
「リヒトの指名手配の罪状は見ただろう」
かくして、必死に頭を回しながらエアハルトは口火を切る。
傍目にはとてもそう見えないふてぶてしさは、彼の武器のひとつだろう。
「……はい。神器を持ち逃げしたって」
「そう。つまり存在しない罪だ。持ち逃げも何も、神器は選ばれた者にしかそもそも扱えないし、他人が保管することもできない。それはお前らもわかってるだろう」
「それは……、そうです」
神器とは保有者の《魂》が持つ武器とされる。
今、小さく頷いたイアは見た目には武装していない。だが彼女はいつだって神器をその手に呼び出すことができた。出し入れ自由ということだ。
王国から選ばれた者に神器が下賜される――と表向き語られるのは権威づけのためのある種の方便であり、完全な間違いではないが正確でもない。
少なくとも、返却する、という概念は存在しないのだ。
ひとたび神器の保有者になった以上、その保有者は死ぬまで保有者であり続ける。王国が預かるということは原理的にできない。勝手に持ち主の元まで戻るわけだ。
「つまり見る者が見ればリヒトの罪状が嘘であることは一目瞭然というわけだ。少なくともこの場内に、手配書を本気で信じている者などいない」
「あ……、そ、そうだったんですか……」
そこでようやくイアも、恥じ入るように俯いて語気を弱めた。
反応を見るに、イアはともかく後ろにいた三名はそのことに気づいていたようだ。
実際、ここまでは事実である。
神器を盗難する、などという罪はない。正当な保有者しか所持できない以上、そんなことは他人には不可能だし、リヒトが持っていることになんの問題もない。
だが。
「で、ではなぜ先輩を指名手配なんて……?」
それがわからないと首を傾げるイア。
正直、エアハルトもまったくもって同感だった。
――なんでこんなことをしてるんだろうな。いや本当に……。
などと言えるわけもなく。
それらしい理屈を、エアハルトは即興ででっち上げていく。
「さきほども確認しただろう。リヒトは、自分から行方を晦ませたと」
「は、はい。それが……?」
「ひとつ訊くが、――本気で逃げに徹したリヒトを捕まえらえる自信はあるか?」
「え、ありますけど」
「そうか。ならこの話は終わりだから少しは空気を読んで答えろ」
「えぇ……?」
真顔で答えられてしまっては話が思った方向に進まないのだが。
「まあ自信があることにまで意見はしないが。アレでリヒトは現状、王国最高の魔法使いだ。そんな奴が本気で逃げに徹して捕らえられる者はな、普通はいないんだよ」
「それは……まあ、確かに。普通は無理かもですね」
「だからだよ。指名手配をすれば、王国中に手配書が回る。魔法で描かれる似顔絵は実物と遜色ないからな。リヒトの顔は王国中に知れ渡るというわけだ」
「……つまり、目撃情報を集めようというわけですか?」
「無闇に探し回るよりは、我が国の善良な国民たちに協力してもらうべきだろう」
これは口から出任せであったが、リヒトであれば多少は顔を晒して、通報という形で王都まで情報が届くよう仕向けるくらいは実際に考えていたかもしれない。
現在位置を、手間なく王都のエアハルトまで伝えられる方法ではある。
「それには指名手配という形式が最も効率的だっただけだ。まさか神器を持っているとわかっている奴に、わざわざ手出しするような馬鹿もいないだろうしな。騎士団に捜索させるよりこちらのほうが早い」
「なるほど……!」
口を三角形にして、納得したように頷くイア。
素直な性格をしていて助かった。根本的には善良で、他人を疑うことをしない人の好さは、どうやら一年の旅を通じても変わらなかったようだ。
「魔王が死んだ今、各地の魔族残党勢力も動きを見せるだろうからな。騎士団戦力は可能であればそちらの対処に回したいという事情もある。帰ってきたばかりで悪いと思うが、場合によってはお前たちに協力要請が出ることもあるだろう」
「それは……はい、もちろん。わかっています」
「助かる。できれば無論、リヒトの手も借りたいところだったが――」
そこで一度、エアハルトは言葉を切った。
深く考えられた場合、ボロが出てしまう程度の誤魔化しだ。
究極、それはエアハルトにとっては構わない。今すぐにさえバレなければ、ここで何かを伏せたという事実が、それだけで盾になるからだ。
なにせエアハルトは王子であり、根本的にはイアたちは臣民に過ぎない。言えないということが伝わりさえすれば、彼女たちも追及できないだろう。
その後のことは――エアハルトには、どうしようもない。
「まあ、あいつのことだ。何か考えがあって身を潜めていることは間違いない。もし奴が助力を必要としたときに、即応できる可能性はこれで上がるだろう」
「……そう、ですね。わかりました、殿下。失礼な態度を取ってすみませんでした」
「構わん。その程度は許される功績がお前らにはある。……それより、本当になんの心当たりもないのか? リヒトがいなくなった理由については」
「……はい、ありません」
その問いで、リヒトがいなくなった悲しみを思い出したかのようにイアは俯く。
代わりにエアハルトは背後にいる別の少女たちへ視線を向けて。
「お前たちもか?」
「そう、ですね。ぼくも、どうして師匠がいなくなったのか……」
「魔王を倒すまでは、そんな素振りはなかったはずなんだけどね~。まったく、リヒトくんには困ったものだよ~」
とぼとぼとした回答と、ふわふわとした回答。
いずれにせよ、あいつも愛されているものだとエアハルトは目を細めた。
悲しい話ではある。奴が切羽詰まっていたのはわかるが、それにしても――ようやく訪れた平和を、ほかでもない旅の仲間と共有できないのは悲劇だ。
いや。リヒトにだけは、未だに平和が訪れていないと言うべきだろう。
「……うん。決めました」
と。そこで一同を代表するかのように、力強く頷いてイアが言った。
少女はエアハルトをまっすぐ見て、止められても聞かないであろう力強さで。
「私たちは、先輩を探しに行こうと思います」
「…………そうか」
悪いが、リヒト。――これを引き留めるのは無理だ。
苦々しい顔をしつつも、エアハルトはすでに説得を諦めている。
リヒトの考えに沿うなら止めなければならないが、これを止める理屈を繕える気はしなかった。無理に阻止した場合、それを振り切っていくことも考えられる。
せめて事情さえ話せれば理屈で強引に言い聞かせる手もあったのだが。
彼女たちだけには真実を話せない以上、こうなることは自明の理だと言えよう。
――というか、あいつもさすがにわかってるよな?
こいつらが絶対に探しに出ることくらい、予想できてるはずだよな。
なら当然、対処法だってあるんだよな……?
「…………」
普通に考えればそのはずだが、なぜか言い知れない不安をエアハルトは感じる。
あの馬鹿でも、さすがに追ってくることくらいは予想しているはず。
いくらなんでも、平和になったんだからそれぞれ自由に過ごすんじゃない? とかアホなことを考えているわけ……ないよな?
あの自分にだけは優しくないクソボケが、信用できたものが非常に不安になりつつも。
ふとそこで、そういえば――と気づいたことをエアハルトは言った。
「ところで。――もうひとりはどこに行った?」
「え? あ、……あれ? クーがいない?」
最初は確かにいたはずのクーリティア=フィルの姿が、いつの間にか消えている。
まさかふたり目の失踪か?
と、そんなことを考えて、第一王子は口の端を引き攣らせることとなった。
※
一方その頃。
「さーて、しばらく気ままなひとり旅かあ。今までいたみんながいないってのは少し寂しいところだが、ま、あいつらも平和な世の中でやりたいことがあるだろうし! ここは前向きに、久々の自由ってヤツを楽しんでみるかな……!」
まさか追われることになるとはまったく考えていない馬鹿野郎のクソボケ発言は、幸いなことに誰の耳にも届いていなかった。