ヒロインからは にげられない ▼ 作:涼暮皐
「え。ちょ……ちょっと待って。ど、ど、どういうこと!?」
さすがの俺も愕然として、思わずそう呟いてしまった。
魔法使いとして、理解を超えられたことを認めるのは敗北宣言でしかないのだが。
それでも、咄嗟に訊ねてしまうくらいには予想できない事態だった。
だがクーは普段通りのあっさりした態度で。
「勘」
「さすがにそれは通らねえよ!」
クーの勘が鋭いことは知っているが、これはその範疇を超えている。
そもそも勘とは経験則だ。言語化できない感覚を《勘》と呼称しているだけで、決して理屈がないわけじゃない。
つまりクーには、俺の居場所を把握できる何かがある。
「森のトラップは……」
「そもそもあのあと森には入ってない」
「だろうな。まあ、その可能性は俺だって考えてた」
俺はあの森にしかトラップを張っていない。
人通りのある街道沿いにはさすがに罠など設置できない。あくまで森を迂回させるための時間稼ぎだし、すでに遠隔で解除してある。
クーが愚かにもまっすぐまた森に入ってきたときだけ機能するトラップであり、そんなものにクーが引っかからないことくらいは俺だって想定していた。
逃げ出すまでに、速攻で距離を詰められることを阻止する以外の意味はないのだ。
「でもそのあと俺は、
「甘いね、リヒト」
「…………」
いや落ち着け。考えろ。絶対に何かタネがある。
確かにクーは追跡や探知に長けた魔法使いだ――その分野では俺をも凌ぐ。
だがそんなことはわかった上で、俺のほうだって対策を講じたのだ。
俺を探すには俺の魔力の痕跡を辿る以外にない。
だから魔力で作った
というかそういう次元じゃない。
俺が逃げた先に追いついて来るならまだわかる。
だが俺が行った先に待ち構えているのはさすがに意味がわからない。
「……ここで待ってたのは、俺とシャーリーのやり取りを聞いてたからだ。さすがにそれ以外の可能性はない」
「ん。まあ、それはそう」
こくり。小さく首を動かして、俺の推測をクーは認める。
「あれ? 待てよ……てことはお前、俺がアレに轢かれるの黙って見てたわけか」
「まさかリヒトが、あんなのに轢き飛ばされるとは思わなかった」
「厳しっ」
こいつは、いわば魔法使い同士の答え合わせだ。
俺が正解さえすれば嘘はつかない。いつもは俺が出題側だったが、まるで意趣返しされている気分になる。
「まあ、お前がどこかで見てたのはいい。もともと
「んふふ」
俺が悩んでいる姿を見て、クーは少しだけ楽しそうに笑みを浮かべた。
褒められたと認識しているのかもしれない。師匠として褒めるべきところなのかもしれないが、今後の追跡を躱すためには今すぐトリックを見抜く必要がある。
……クーが使える魔法は全て知っている。なにせ教えたのは俺だ。
しかし、やっぱりどう考えても、クーの魔法であそこまで偽装を重ねた俺の魔力を追えるとは思えないんだが……。
「――ああ。つまり逆か」
「ちっ」
ようやく思いついて呟いた俺に、クーがあからさまな舌打ちを見せた。
その姿を見て、俺は自分が正解したのだと確信して苦笑する。
「ははっ。当てられたのわかりやすいな、お前」
「もうちょっとくらい悩ませられると思ったのに……気づくの早すぎ」
「ま、ちょっとな」
「……?」
「いや。つってもお前、これ魔法とか関係ねえじゃん。なるほどな……俺を見つけたわけじゃなかったのか……」
静かにかぶりを振って、俺は自分が正解したことを確信した。
どう探したのかを考えることが間違いで。
クーは、そもそも最初から
胸に手を当て、俺は自分の内側を魔力を探った。
「あった。……ったく、勝手に人の体に魔力を込めるなよ……」
「逃げるのが悪い」
「やめて、その無敵の理屈。悪くねえよ逃げるのは」
――要するにクーは、俺の
魔力によるマーキングと言えばいいだろう。
タイミング的には、おそらく俺に出会ったあと、抱き着いてきたときに違いない。魔力を飛ばす形ならさすがに気づくから、触れている間にこっそり染色した。
ほんのわずかでいい。俺自身に
自分の魔力であればいくらでも追える。
初めから仕込みをしておけば、そもそも俺を見失わない。
クーが自分の魔法で、俺を探したと考えていたことが初めから間違いだったのだ。
「最初に俺を見つけたときは普通に魔法で探したんだろ」
「あの王子の態度で、リヒトが王都に来てるのはなんとなくわかったから」
「なるほどね。そこから俺の魔力を辿って、追いついた段階で次は見失わないように魔力でマーキングしたってわけだ。気づいてみりゃ単純だったな」
居場所を完全に掴まれているのだから、先回りだって簡単だろう。
触れられた段階で仕込みをされる可能性を考えていなかった俺の負けである。
……いや仕込むなよ。負けじゃないだろ。普通にダメです、そんなのは。
って、俺に言えた義理はないけれど。
「どうあっても俺をひとりで行かせるつもりはないってわけか、クー」
息をつき、それから目を細めて俺は訊ねた。
このままいたちごっこを続けるのは俺だって避けたい。
今回の手は単純ゆえに、一度わかってしまえば対策は簡単だ。魔力のマーキングを洗い流すだけなら一瞬で済むのだから。
だがそうなったところで、クーはまた違う手を使ってくるだけだろう。
俺を追うことそのものをやめるわけじゃない。
現にクーは断言した。
「ない」
「……なんでなんだ。別に俺だって一生帰らないってわけじゃ――」
「
次の瞬間。
ふたつの神器が交錯した。
「おまっ、ば――正気かクー!?」
「一から十までこっちの台詞」
咄嗟に取り出した《杖》が、クーの《短剣》をかろうじて弾いていた。
ひと息で距離を詰めてきた彼女が、俺に向かっていきなり刃を振るってきたのだ。
「ぐ……!?」
ギリギリで防御できたのは、呪いのお陰で常に警戒を怠っていなかった反射と、何よりクーが本気じゃなかったから。
所詮は魔法使い――戦闘において後衛でしかない俺は、ほかの四人に近接戦闘では決して敵わない。クーがその気なら今頃は首筋に刃が走っていただろう。
突如として襲いかかってきたクーは、いつも通りの感情の読めない目で俺を見上げる。
「ほら。これが理由」
「何を言って――」
「いつものリヒトならもっとちゃんと防御でき、」
「――どわっ!?」
突如として身を屈めたクー。
俺の目には、まるで再び目の前から掻き消えたように映ったが――無論、違う。
ふっと全身を脱力させるようにして、ただ身を屈めてみせただけだ。
そのまま足払いを喰らった俺は、なすすべなく体勢を崩されて仰向けに転ぶ。
「た」
「……っ」
背中から床に倒れた俺に、馬乗りになったクーが首筋に短剣を添える。
――わずか一瞬で詰まされてしまった。
どんな魔法も、ここからでは逆転劇を生み出せない。
見上げる先には透き通るようなクーの瞳。
それが俺をまっすぐ見つめて、ただ現実を突きつけてくる。
「
「……今さら、言われるまでもねえな、それは」
「リヒトの魔法は――
そう。リヒト=クライバックには戦う魔法使いとして致命的な弱点がある。
それは――
魔法の発動には、呪文の詠唱や儀式動作、あるいは魔法陣の構築などが必要だ。
ただ習熟した魔法使いであれば、それらを省略して発動ができる。念じるだけで、ゼロから魔法を発動することは、魔法の戦闘利用における基礎中の基礎だろう。
慣れた魔法なら、念じるだけで使えるようになるのが魔法使いなのだ。
だがこの《省略発動》という技術に、俺は適性が完全になかった。
魔法を、ゼロから即時発動することができない。
呪文を詠う、動作をつける、魔法陣を描く――そのいずれかの行動が、魔法の発動に必ず必要になる。どんな簡単な魔法だろうと、絶対に。
だから森の結界やトラップは一から魔法陣を描いて構築したし、馬に向けて放った簡単な催眠魔法ですら
あの程度の魔法であれば、本来なら弟子級の魔法使いでも身動きひとつせず行使ができるだろう。
「だが、それがどうした? そんなことわかった上で魔王とも戦ったんだ」
首筋に宛がわれた刃の冷たさを感じながらも俺は言う。
そうだ。だからって、俺はコイツらの足手纏いになった覚えはない。省略できないなら、できないなりの戦い方が俺にはある。
魔法用の魔法陣なら衣服の中にいくつも隠し持っているし、簡単な指の動きだけで使える魔法が俺より多い人間はそうそういないだろう。
もし何の前準備もなしで戦ったら、おそらく俺は神器保有者で最も弱い。
だが戦う前に準備をしてから競うのなら、四対一でも勝てる自信が俺にはあった。
それこそが、戦士ではない魔法使いの強みというものだろう。
念じるだけでは使えないというだけで。
準備をしていいのなら、俺が使える魔法の総数は数千を下らないのだから。
「ん。そうだね」
と――俺の発言をクーも認めた。
よかった。そこを否定されたら割と泣けてくるところだった。
だが安堵する俺に、彼女は続けてこう告げる。
「
「な、何……?」
「普段のリヒトならこんな簡単に押し倒されたりしなかった。明らかに調子が悪い」
「え……」
「魔法の即時発動ができなくても、準備を仕込んで罠を張って――結果、誰より強く戦えるのがリヒト。なのに今はそうじゃない。おかしい」
単に油断しただけではない、とクーは言っている。
そうなのだろうか? 眉根を寄せる俺に、彼女はただ淡々と。
「でもそんなの当たり前。わかってないの?」
「だから、何を……」
「腕を切られてそのまま逃げて。リヒトはあんまり回復が得意じゃないのに、そんな状態で一か月も無理して。さっきもあんなに魔力使って。こんなの持つわけない」
「…………」
「普通だったらとっくに倒れてる。このままだと本当に取り返しがつかない」
思わず押し黙った俺の額に、クーがそっと手を触れた。
ひんやりと。なんだかクーの手のひらが、気持ちいい冷たさに感じられた。
「やっぱり。すごい熱。こんなに体調を崩してるのにひとりで無理して」
「……えっと……」
「こんな状態で放っとけるわけない。わからないの?」
至近距離から、こちらを覗き込むクーの蒼い瞳。
それを真正面から見上げながら、ふう、と息をついて俺は言った。
「そうか……」
「ん。リヒト、ようやくわかった?」
「ああ……俺は、いつの間にか体調を崩してたんだな」
「ん、そう。……、……ん?」
納得して呟いた俺に、なぜかクーはきょとんと目を丸くして首を傾げた。
「うん? クー?」
「え。……何それ?」
「何それって?」
「だって、今、気づいてなかったみたいに――」
「え、ああ、うん。――
「――――…………、は?」
クーが。
何か理解できないものを見る目で俺を見た。
「は?」
「二回言った……」
「は?」
「さらに増えた……」
「え。いや……何言ってるの?」
「いや、だって最近ずっと魔力を体に通して強化してたから……麻酔になってた、というか……なんというか……まさか熱があるとは。はは……道理で頭が回らないと」
「…………」
「…………」
「…………」
「……あの、クーさん」
「リヒト」
「な、なんでしょうか?」
「――そんなに死にたいなら私がリヒトを殺すけど」
「…………」
「それが嫌なら、今すぐ、寝て」
「ハイ、ワカリマシタ」
もはや氷点下の温度感で注がれるクーの双眸が『こんなクソボケは未だかつて見たことがない』と語っていた。
ああ、さっきまでのクーはまだぜんぜん怒ってなかったんだなあ……。
という事実を俺は今さら理解する。
本当にキレた人間の目というモノは、つまり、今のクーの目のことなのでしょう。
さすがに、今回ばかりは従うしかなかった。