リセット・ホロウ 〜死に損ないの観測者〜   作:くりぢゅん

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澱みを呑む器

 

 

 

空は晴れているが、現場を覆っていた「紫と黒のドーム」が去った後の空気は、鉛のように重い。

復旧作業が進む中、最大の問題は瓦礫の撤去ではなく、残留した「高濃度のエーテル」だった。

 

「チッ、この区画、まだ汚染数値が下がってねぇ……。防護服越しでも肌がチリチリしやがるぜ」

 

クレタが舌打ちしながら、モニタを睨みつける。

昨日ホロウが消失した際、一部の重機や地盤にエーテルが「澱み」のように癒着してしまい、特殊な中和剤が届くまでは作業がストップしているのだ。このままでは作業員の侵食が進み、後遺症が出るのは時間の問題だった。

 

「……俺がやってみようか」

 

俺は、クレタの隣に歩み寄った。

 

「あん? レン、お前は戦闘要員だろ。中和なんて専門の道具がなきゃ無理だ。それに、ここはまだ――」

「大丈夫だ。少し『コツ』があるんだよ」

 

俺はクレタの制止を聞かず、紫色の霧が最も濃く渦巻く「澱み」の塊へ、素手のまま手を伸ばした。

 

「おい、馬鹿! 何やってんだ、離れろ!」

 

クレタの叫びが響く。だが、次の瞬間、現場にいた全員が息を呑んだ。

 

俺が触れた瞬間、周囲の空気を侵食していた紫色の光が、まるで吸い寄せられるように俺の指先へと集まっていったのだ。

吸い込んでいるんじゃない。

俺の身体が、周囲の毒を強制的に「引き受けている」んだ。

 

(……ああ、入ってくる)

 

あのときの脳のリミッターが外れた感覚。以前より鋭敏になった神経が、毒であるはずのエーテルを、親和性の高いエネルギーとして認識し、自分の血肉の中へと蓄積していく。

 

血管を焼くような熱い痛みが走り、視界の端が紫色のノイズで明滅するが、俺はそれを「いつものこと」として無視した。

 

 

 

数分も経たぬうちに、周囲の不気味な霧は消え、汚染数値は安全圏まで急降下した。

 

「……よし。これで作業ができるはずだ」

 

俺は振り返り、何事もなかったかのように微笑んだ。

だが、その顔は異常なほど蒼白で、首筋には紫色の「侵食紋」が浮き出て、波打つように消えていった。

 

「お前……今、何をしたんだよ……?」

 

クレタが、震える手で俺の肩を掴む。

 

「今の、全部……お前の中に吸い込まれたよな? なんで平気な顔してんだよ。そんなの、人間ができることじゃねえぞ……!」

 

クレタの瞳には、感謝よりも先に、理解不能な存在に対する本能的な恐怖が浮かんでいた。

 

「少しエーテルを散らしただけだよ。気にしないでくれ」

「気にするなって……お前、自分が今、どれだけヤバい顔してるか分かってんのか!? それ、毒なんだぞ! 体がボロボロになっちまうだろ!」

 

クレタの悲鳴に近い怒声を遮るように、俺の耳元で通信が弾けた。

 

『レン、今すぐ止めて……!!』

 

リンの声だった。

ビデオ屋から、イアスのカメラを通じてすべてを見ていたのだろう。その声は、これまで聞いたこともないほど激しく、そして泣き出しそうに震えていた。

 

『何をしてるか分かってるの!? 自分の身体にそんな不純物を溜め込んで……昨日、あれだけ死んで、やっと残ったあなたの「命」を、これ以上汚さないでよ!』

『……レン。君の細胞内のエーテル濃度が、昨日よりさらに上昇した。……このままじゃ、君の意識そのものがホロウに喰われるぞ』

 

 

アキラの冷静な声の裏にも、隠しきれない焦燥と怒りが混じっていた。

彼らの絶望。クレタの戦慄。

 

俺が彼らを助けるために振る舞った「力」は、彼らにとっては、俺が「人間」から「化け物」へと成れ果てていく過程を見せつけられる、残酷な救済でしかなかった。

 

 

「……みんな、大げさだよ。俺はまだ、こうして立ってる」

 

俺は笑った。

だが、その指先はかすかに震え、自分でも気づかないうちに、黒い数字の刻まれた左目を、無意識に押さえていた。

 

「……驚いた。物理的な中和剤も、電磁的な干渉も介さずに、これほど高濃度のエーテルを『個人』が引き受けるなんて。既存の工学理論では説明がつかない、極めて興味深い事象だ」

 

背後から、熱を帯びた、しかし計算機のように冷徹な観察者の声が響いた。

白祇重工のグレース・ハワードだ。彼女は手にした情報端末にログを叩き込みながら、俺に一歩、また一歩と詰め寄ってくる。

 

『レン! 今すぐそこから離れて。グレースさんに解析(さわ)らせちゃダメ!』

 

インカムから響いたのは、悲鳴に近いリンの制止だった。

 

だが、グレースはその声など演算の外だと言わんばかりに、俺の首筋に浮き出た、消えかかっている紫の侵食紋をじっと見つめ、自問自答するように呟く。

 

「……不可解だ。この紋様、スペクトル分析によれば侵食が末期に至った際に出る特徴と一致している。本来なら、細胞組織が炭化して崩壊し始めるはず。……でも、君の構造(なか)は違うのね」

 

 

彼女の瞳は、複雑な機械の配線図を読み解く時のように、鋭く爛々と輝いている。

 

「拒絶反応が観測されない。君の細胞、エーテルを外部からの汚染(ノイズ)として排斥せず、まるで自分を構成するパーツの一部として、その『定義』を書き換えて取り込んでいる。……ねえ、レン。今の君の心拍数、一分間に二百四十を超えている。オーバーヒート寸前のはずよ。なのに、どうして平気な顔をして立っていられるのかな?」

 

グレースは強引に俺の手首を掴み、その拍動を確かめた。

彼女の指先を通じて、俺の内側で渦巻く不純な熱が、科学という名のメスで解剖されていくような感覚に陥る。

 

 

「……バイタルデータは嘘をつかない。君の脳は、生存に必要な『痛み』という警告信号を意図的に遮断しているけれど、身体そのものは悲鳴を上げている。……今の君は、自分という『人間』のシステムを燃料にして、周囲の環境を浄化するフィルターに成り果てているんだ」

「グレース、もういい。俺は平気だ。みんなが助かるなら、これくらい……」

「『これくらい』? 笑えないジョークだね。出力とリターンの計算が合わない」

 

グレースの声が、一瞬だけ鋭くなった。

 

「この蓄積レートが続けば、いずれ君の意識というOSはエーテルに溶けて消失する。君は今、自分の『存在』という唯一無二のパーツを削って、瓦礫の片付けを手伝っている。……あまりにも非合理的で、救いようのない欠陥品(バグ)よ」

 

「ちょっと、騒がしいわね。……って、グレース。あんた何やってんのよ。うちの大事な『稼ぎ頭』を解剖でもするつもり?」

 

そこへ、ニコとアンビーが歩み寄ってきた。アンビーは無機質な瞳で俺をスキャンするように見つめる。

 

「……レン。あなたの呼吸の周期が、昨日より四二パーセント速い。それに、右足の重心がわずかに外側に逃げている。……怪我をしているの?」

「アンビーの言う通りよ。あんた、昨日から変だわ。……報酬の取り分を計算する時の私より、ずっと必死な顔をしてる。何、隠してるわけ?」

 

 

ニコの瞳は笑っていない。彼女に見えているのは、死を恐れず、自分の消耗を顧みないレンの不自然すぎる献身だった。

 

『お兄ちゃん……! 今すぐレンを止めて! 白祇重工のシステムに割り込んででも、無理やりにでもレンをこっちに帰らせてよ! これ以上、あんな場所にいさせちゃダメ……レンが、レンじゃなくなっちゃう……っ!』

 

リンの悲鳴に、アキラが上ずった声で応える。

 

『……分かっている、リン。レン、聞こえるか。今すぐ作業を中断しろ。これ以上現場に留まるなら、ナビゲートを打ち切ってでも君を連れ戻す。……いいから、大人しく僕たちのところへ戻ってくるんだ』

 

一連のやり取りを黙って見ていたクレタが、俺の胸ぐらを掴んだ。

 

「お前のその顔……笑ってるつもりだろうけど、全然笑えてねえ。……お前、昨日からずっと、自分を使い捨ての工具みたいに扱ってないか?」

 

死を繰り返しすぎて、俺が手に入れてしまった「効率」。

それが、慕ってくれている者たちとの間に、決して埋まらない深い溝を作っていることに、俺はようやく気づき始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

白祇重工の現場を離れ、ニコたちの「強引な護衛」を伴ってビデオ屋『Random Play』に戻った頃には、陽は沈みかけていた。

 

店のシャッターを下ろした後の静まり返った店内で、俺を待っていたのは、怒りでも拒絶でもなく、ただただ痛々しいほどの静寂だった。

 

 

カウンターの奥で、アキラが黙ってモニターのログを閉じ、リンは俺の顔を見ようともせずに、温め直しただけのスープをテーブルに置いた。

 

「……食べて。まずはそれから」

 

リンの声は低く、どこか遠い。

俺は促されるまま椅子に座り、スープを口に運んだ。グレースに指摘された通り、身体の内側は熱く、心臓の鼓動はまだ通常より速い。だが、それを悟られないよう、俺は「普通」を装って飲み込んだ。

 

「レン。君はさっき、みんなが助かるなら『これくらい』と言ったね」

 

アキラが目元を押さえながら切り出した。

 

「僕たちにとって、その『これくらい』がどれほど恐ろしい言葉か、君は理解しているかい? グレースさんから送られてきたデータを見たよ。君の体内エーテル濃度は、昨日から異常な数値を維持したままだ。本来なら、もう立っていることすら奇跡に近い」

「お兄ちゃんの言う通りだよ。ねえ、レン……」

 

リンがようやく顔を上げ、俺の手を握った。その手は、冷たく震えている。

 

「私たちは、あなたがいてくれるだけでいいの。ホロウの浄化も、誰かを救うことも、あなたが壊れてまでやることじゃない。……昨日、あなたが死にそうな顔をして戻ってきた時、私、本当に生きた心地がしなかったんだから」

 

リンの瞳には、かつてのような無邪気な信頼ではなく、失うことを極端に恐れる者の悲痛な色が宿っている。

俺は、309回の死を経て「結果」さえ良ければいいと割り切るようになっていた。だが、その結果を手に入れるために俺が削っているものが、彼女たちにとっては耐え難い犠牲なのだ。

 

「……心配かけて、悪かった。でも、俺は大丈夫だ。この体質も、少しずつ慣れていけば制御できるはずだから」

「『慣れる』なんて言わないで!」

 

リンが声を荒らげ、俺の手をさらに強く握りしめた。

 

「グレースさんは言ってた。あなたは自分をフィルターにしてるって。そんなの、いつか中身が詰まって壊れる機械と同じじゃない。私たちは、あなたに機械になってほしいわけじゃないの。……普通の、ただのレンでいてほしいんだよ」

 

彼女の言葉は、正論だった。

だが、俺には「死に戻り」の記憶がある。俺が普通でいようとすれば、誰かが死ぬ。俺が「効率」を捨てれば、昨日救った命さえも消えてしまう。

 

その秘密を抱えたまま、彼女たちの真っ直ぐな愛情を受け止めるのは、どんな毒を飲み込むよりも胸が苦しかった。

 

「レン、当面の間、高濃度汚染区域への出入りは禁止させてもらう。これはプロキシとしての判断だ。白祇重工や他のクライアントにも、僕からそう伝えておく」

 

アキラの言葉は静かだが、拒絶を許さない重みがあった。

それは監禁でも束縛でもない。彼らなりに俺という人間を守るための、精一杯の防衛策なのだ。

 

「……わかった。二人がそう言うなら、しばらくは休むよ」

 

俺がそう答えると、リンは安心したように俺の肩に頭を預けた。

だが、その安堵の裏で、彼女の指先が俺の服を強く掴んだままであることを、俺は知っている。

 

彼らの対応は、重い。

そして、その重みを作ったのは、他ならぬ俺自身の「救済」の積み重ねだった。

俺が彼らを救えば救うほど、彼らは俺を失う恐怖に縛られていく。

この歪な循環の先に、本当の救いがあるのかどうか、今の俺にはまだ分からなかった。

 

 

 

 

 




全部リメイクすることにしました,,,。なのでこの小説の投稿はここまでとします。ちゃんと別で投稿するのでぜひチェックしてほしいです。一応、今週末、1/11までには投稿し始めようかな。初心者な私を暖かく受け入れてくださって嬉しい限りです
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