クラウディア・アルマは聖女である。では最初から聖女だったのか、と問われれば答えは否である。だって、彼女に求められたのは勇者としての役割だったのだから。
彼女を聖女たらしめたのは、慈悲深い言動だけではない。戦乙女が如き武勇と、容姿。
そして大きな要因の一つに、彼女が操る「魔法」があった。
「魔法」。世界に循環する「魔力」と呼ばれる粒子を元に発動する人智を超えた技である。
「魔法」には属性が存在し、火、水、風、土、光、闇に分類され、その名称が示す通り火を操るなら火属性、水を操るなら水属性、と区分される。
しかし誰しもが炎を放出し、水を湧き出させ、風を巻き起こせるわけではない。
火のみ適性があったり、あるいは、すべての属性を使えるかもしれない。そうした資格を、「魔法適正」と呼称する。
果たしてクラウディアの魔法適性は、「光」であった。
その名の通り「光」――ではなく、どちらかといえば、「聖」を司る属性だ。
人に向ければ傷を癒やし。
魔に向ければ魂を焼く。
生物、環境、世界。あらゆる全てに対し有害な魔物は、この光属性に著しく弱かった。
加えて、彼女の魔法の才能は召喚で呼び出されただけあり逸脱しており、一撃でドラゴンを屠るほど。ちなみに、ドラゴン一匹を討伐するのに兵士が百名必要とされていた。
槍を作れば純白の聖槍が。弓を引けば極光の矢が。手を翳せば、雪のような粒子が怪我を癒した。
詳しい道程は省くが、光魔法を操るクラウディアはそんなわけで、神の祝福を一身に受けた戦姿や可憐な容姿から、「聖女」になったのであった。
けして意味なく祭り上げられた偶像ではない。兵の士気を上げるための置物ではない。
常に戦場に立ち、先陣を切り、敵を屠った、白くありながら鮮血を帯びた勲章である。
だから端的に言えば――
破茶滅茶に強い。
「不意打ち狙いのミノタウロスがいますね」
「え?ど、どこです?見えませんけど……」
光魔法が一つ――というにはオリジナリティの強い魔法、「星景銀糸」。卓越した魔力操作技術で、魔力を糸のように加工し周囲に張り巡らせる高等技術だ。
とても目視できないほど微細な糸は、周囲に広がって触れた存在の情報を緻密かつ正確に報告する。簡単に言えば、魔力による探知である。
先程、ミノタウロスの数や驚異を把握していた理由が、この「星景銀糸」だ。
ゆえに、ダンジョンの出口へ急ぐ二人の人間が角を曲がったところで、角で一息に殺してしまおうと息巻くミノタウロスもまた、感知できている。
異世界において、この力さえあれば斥候であったユフィの必要がないようにも思える。しかし、異世界――特に魔王の本拠地近くだと魔力を逆探知されることも多く、多用はできなかったのだ。
今は斥候がどうこう言っている暇もないし、悪質な罠もない様子なので展開している、というわけだ。
(しかしまあ、この技使わなくても丸わかりなくらいおざなりだなあ)
「そこの角ですよ。突進して私たちを殺すつもりです」
「え、ええっ!?道変えましょうよ!」
「必要ありません。ここを迂回すると入り組んだ道を進む羽目になってしまう」
「た、倒すつもりですか?」
小さく頷く。少女は50mほど先にある曲がり角を見やる。二人が歩いていた直線コースは一本道だ。つまり、逃げ場はない。
のこのこと直接曲がり角まで出向けば、即座にミンチだろう。
誘き寄せる?
いや、ミノタウロスは賢い。安易な誘いには乗らないだろう。
倒す?
可能なのだろうか。先ほどはまぐれか何かで偶々急所に当たっただけかもしれない。
(……信頼されてないなあ)
「……まだ私の実力を疑っていますね?」
「え。……そ、そんなことは……」
「いいでしょう。ならば、我が力を今一度お見せしましょう」
半目のクラウディアは、「ここにいてください」と言うと少女を置いてひとり歩く。その先はもちろん、例の曲がり角だ。
止める間もなくクラウディアは家の中のようにリラックスして脚を動かす。
こつ、こつ、こつ。靴音だけが響く。
息を殺していたミノタウロスだったが、獲物が近づいてきたことによる高揚から鼻息が漏れ出ていた。
あと一歩でミノタウロスの視界にクラウディアが入らんというタイミングにおいては少女の耳に入るほど、その鼻息は大きく荒々しく転じていた。
そしてミノタウロスの前には、旨そうな雌の柔肉が転がり込んで――
「だから、おざなりというのです」
いざ参らん、と。その意思に反して、鋼のような筋肉を携えた豪脚は――動かなかった。
代わりにぎょろりと瞳が動き、その焦点は少女が突き出した掌――その前に現れた半透明の壁に宿る。
本能的な恐怖が、小さな脳髄にアラートを喧しく鳴らした。
「気配も殺せていない、興奮も抑えられない。そもそもミノタウロスという種そのものにおいて、機を狙う狩人の如き真似は適性がない」
「ブモオオオオオッ!!」
――もっとも、お前が俺の知るミノタウロスと同種であれば、だが。
クラウディアは心中で付け加えた。
魔力の障壁。光魔法におけるその障壁は、人間にとっては物理的な壁にしかならない。
他の火魔法の「ファイアーウォール」や水魔法の「ウォーターウォール」に比べて、属性の恩恵は小さい。
しかしそれは、こと、人間相手であれば、の話だ。
光魔法とは、闇の力と相剋の関係にある。
そして闇の力とは、魔物の力でもある。
ゆえに――罠に突っ込んだのはクラウディアではなく、ミノタウロスという形になった。
光の障壁は自慢の角を溶かし、同時に弱点となる光の魔力は魔物にとって絶え難い苦痛を与える。
「しかし、その考えに行き着いたことは見事。称賛の意を込め、一撃にて屠りましょう」
「ブモオオ!?」
「星景銀糸――武装形態」。呟いたクラウディアの掌に糸が集う。やがてそれらは絡み合い繋がって。角を焼かれ、苦痛に悶えている人牛のため紡がれる処刑の剣と化した。
「さようなら」
○
灰になったミノタウロスから落ちた角と魔石を回収し、二人はまた道を歩む。
ミノタウロスと何度も遭遇を重ねるが、いずれも一手打たせることなくクラウディアの手により屠られた。
「あ、あの……さっきから使っているあれらは一体?」
「?魔法で作った剣ですが」
「――ま、魔法!?」
「…………何をそんなに驚いているのですか?まるで魔法を知らぬような反応ですが」
飛び跳ねた少女に、クラウディアの翡翠の瞳が揺らめく。また、妙な齟齬を感じたからだ。
魔力があれば、魔法が使える。それは自明の理だ。だから、クラウディアの魔法練度を見て驚くならまだしも、「魔法が使える」ことに驚くのは不自然だ。
「知ってはいますよ。ただ、とても珍しい『スキル』をお持ちなんだなあ、って」
「……その『スキル』がそもそもわかりません。ゲームのような言い回しをしますね」
「あ、あれ?魔法って『スキル』ですよね?」
やはり噛み合わない。少女の口から飛び出した『スキル』という名称も存在も、クラウディアは知り得ない。
だって異世界では魔法は普通に存在するものであり、どこまで自由に扱えるのか、という点においては個人差があるにしろ、誰しもが使えた技術であった。
だが、「ダンジョン」と「迷宮」とは異なり、『スキル』と「技術」には、呼称の相違に収まらぬニュアンスが感じられる。
「『スキル』とは一体――?」
「え、えーと……簡単に言えば、ダンジョンに入ると使えるようになる超能力?みたいなもの、ですかね」
「は、はあ。その一つに魔法がある、と?」
その通りです。少女は頷く。
他に『スキル』に該当するような超能力はあるのか、と問うと、様々なケースが確認されていると饒舌に説明が始まった。
「剣がすごく上手くなったり、体がとても硬くなったり……念力とか、本当のエスパーになっちゃう人もいるんですよ!その中でもあなたの魔法型はとくべつ汎用性が高くて、全探索者あこがれの『スキル』なんです!」
お、おう。
クラウディアは引き攣った笑顔で「ありがとうございます。参考になりました」と口にした。そして、安易にスキル関連のことは聞かないようにしようと心に誓った。少なくとも、安全地帯に辿り着くまでは。
(……あいつ、元気かな。いや、まあ元気か。究極魔法を生み出すまでは死ねないとか言ってたし)
異世界で出会った魔法狂いのエルフを思い出し、早くもノスタルジーに浸る自分への苦笑も、あとから込み上げてきた。
地球に帰ったはずが爪弾きにされた気分で、まだふわついた心地がどこか抜けない。
「なにかおかしなことでもありましたか?」
「……なんでもありません。出口はすぐそこ、ですか?」
「はい。たしか、そろそろ……あ、あった」
少女とクラウディアが目標を発見して歩みを止める。二人の視線の先には、ダンジョンの壁に埋め込まれるように上層への階段が連なっていた。
(本当、あっちの迷宮そっくりだ)
「あそこを出れば出口ですよ。さ、行きましょう」
「………………はい」
もはや、この場所に用はない。
けれどクラウディアは、後ろ髪を引かれるような気持ちを抱いてしまう。
いや、後ろ髪どころの話じゃない。足そのものが地面に磔にされて、いくら動こうとしても虚しく脳内で命令を繰り返すだけ。
金縛りにあった時のような、粘ついたナニカで無理矢理動きを阻害されているような、そんな感覚。
こうなった理由は、考えずとも明白だ。
渇望し、ついに手に入れた異世界からの帰還。
でも、この地球はクラウディアが消えて三年も経っている。しかも一つの、あまりに大きな変革が歴史に刻み込まれている。そんな――
(変わってしまった世界が、怖い)
ダンジョンが現れた地球。少女から得た情報を元にしても、どう考えたって元にいた世界か、近しい世界だ。
どっちに転んでも、クラウディアが白川 祐也だった世界とは違う。
そんな世界に自分の居場所があるのか。家族は無事なのか。そもそも、この世界には別の白川 祐也がいるのではないか。
ぐるぐると、答えの見つからない恐怖が脳内を巡る。
「……あの?」
「…………私は、この先に行ってもいいのでしょうか」
「……どういうことですか?」
漠然とした、掴みどころのない問い。
少女が目を丸くするのを見て、言葉の意味が伝わらない、無意味な発言だと知りながらも、口は勝手に動く。
「わからないのです。ここから出て、どこへ行けばいいのか。私は、何者なのでしょう」
(あーあ、何言ってんだって感じだよな……こんなに弱かったのかな、俺)
自嘲する。
それは白き聖女であれば、決して吐き出さない弱音だった。
環境がそれを許さなかったし、誰を信頼して良いのかわからない異世界では、その言葉を口に出せば立ち直れないくらいぽっきりと、心が折れるだろうとわかっていたから。
今はダンジョンの中にいて、異世界の空気が漂っている。だから聖女然として、気丈に、いつも通り振る舞えていた。
けれど、この階段を登れば、それはクラウディア・アルマではなく白川 祐也になってしまうのだろうか。
しかし白川 祐也の居場所は――もう、どこにもないのだろう。仮に残されていても、この容姿では白川 祐也として振る舞うことは、きっとできない。
どんどん沈み込んで、翡翠の瞳から光が抜け落ちる。
聖女ではない、けれど白川 祐也でもない。
なら、俺は――――
「い、行きましょうっ」
「……え?」
柔らかいなにかに、手を包まれた。だらんと垂れ下がった掌が、気がつけば誰かの両手に強く握られている。
腕の主人を探して顔を上げれば、近くに少女の顔。見捨てられない、助けになりたい。そんな必死な思いが、彼女の黒曜の瞳に揺れる。その決意の中に映る自分の姿は、やっぱりクラウディア・アルマだ。きょとんとした顔をしている。
そして真っ直ぐ、初めて少女を――見た。
丸っこい黒い瞳に、二重の瞼。ちょっと困り眉で、自信のなさが感じられる女の子だ。整った顔立ちだが、それ以上に懐かしい、日本人の顔。
恥ずかしいのか、少し頬を赤くしているし、唇も震えている。
「私、あなたの名前もまだわからないけど。助けてくれたんだから、今度は私が助けなきゃって、思うんですっ」
「……そんな恩、感じなくても」
「いいえ、感じます。というか――見捨てられません!」
少女はクラウディアの手を、より力強くぎゅっと掴む。彼女の言葉は辿々しくて、どうにも頼りない。本当にどうにかできるの?という疑問がよぎってしまう。
でも、どこか不思議と安心する響きがあった。
「で、でも私、戸籍もなくて。気がつけばあそこにいただけの……」
「余計まずいじゃないですか!ダンジョンで迷子……き、聞いたことないけど、なおさら出なくちゃ!」
「っ、なんで私にそこまでするんですか……」
これは、そう――
「なんでここから出たくない言い訳を探してるのか、わからないけど」
少女の手が、もっと強く、クラウディアの手を包む。
「こんなに冷たい手をしていて、大丈夫って言われても……置いていくことはできません」
はっ、と息を呑む。
――いつしか忘れていた、誰かに人間として心配される、という温かさ。
勇者として、聖女として。「この人になら任せられる」「きっと大丈夫」「なぜなら勇者/聖女だから」といった、無責任な期待――しかし、それを背負わなければならなかった。心配されるような言動は律しなければいけなかった。
(ああ、そっか。俺、もう……聖女じゃ、ないんだな)
でも、ここにいるのは、聖女クラウディア・アルマではない。
ただの、一人の少女――クラウディア・アルマなのだ。
白川 祐也の居場所は、まだあるのかもしれないし、ないのかもしれない。
でも、クラウディア・アルマとして――ただの少女として人生を送ってみるのもいいのかもしれないと思えた。
考え方一つで、見える景色というのは変わるもので。
聖女としてではなく、そして白川祐也としてでもなく。我ながら単純だな、と自嘲しかけた口元を「いや、違うな」と律して。
ただのクラウディアとして、花の綻ぶような、かわいらしい笑みを浮かべた。
「――じゃあ、連れて行ってくれますか。外へ」
「は、はいっ。行きましょう!」
二人分の足音が、階段の奥に消えていく。
少女に手を引かれるまま、クラウディアは歩く。一歩一歩、元の世界に帰還するために。
ーーまだ孤独と恐怖を叫ぶ少年を仮面の中に押し込めて。
「…………私、クラウディア・アルマと申します。あなたは?」
「あっ、そうか!自己紹介まだでした。私は黒木 桜、っていいます。よろしくお願いします、クラウディアさん」
「――ええ。よろしくお願いいたします」
次回、ついに外へ出ます。
2026/1/8 一節だけ文を追加いたしました。