莉子に先導されるがまま、ダンジョンの入り口から外へ出る。時間的には昼頃だったらしい。薄暗いダンジョンとは違い、目を焼くような日の光が瞳を突き刺す。
暫しあって、目が慣れてくる。そしてクラウディアの前には……
「ああ、これが……ダンジョンの外、なのですね」
ごくごく一般的な住宅街。そうとしか形容できない景色があった。
コンクリート製の塀に、二階、あるいは三階建ての現代的デザインの家々が並ぶ。道はアスファルトで整備され、正しく日本の一般的な風景。
しかし、その光景も、匂いも、青空ですら――クラウディアには感動的であった。
「全く、変わりない……」
ここにダンジョンがなければ、完璧ではあるが。
しかし、異世界のダンジョン、つまり迷宮は魔力が淀んだ場所に自然発生する。寂れた街に形成される例もあったし、直接誕生の瞬間を目にしたこともある。
故に、住宅街にあることはノイズではあれど、それほど衝撃的ではなかった。
「何してるんですかー。時間が押してるので早く乗り込んでくださーい!」
莉子のやや間延びした声で顔を上げると、社用車なのだろうか、黒いセダンの前方座席から顔を覗かせる彼女が見えた。
……数瞬前にはその窓に黄色い紙が貼られていたが、莉子の手により毟り取られていた。なお、ダンジョンの近くには必ず探索者専用の駐車場があるため、これは冷静さを欠如していた莉子のミスである。
「それでは、待たせても申し訳ないですし行きましょうか」
「はいっ」
桜とクラウディアは後部座席に乗り込む。しっかりとシートベルトをした上で、莉子は車を発進させた。
やや覚束ない運転に一抹の不安を覚えるが、慣れない小道ゆえのことだったらしく、大通りに出てからは安定した運転を行ってくれている。
「わあ……」
目を輝かせ、クラウディアは車窓に張り付き外の光景を凝視する。異世界の移動手段は専ら馬か竜で、車は存在しなかった。一度鍛治が得意なドワーフに協力を募り作成したものの、結局小回りが利き、ガス欠もない竜たちには勝てなかったのだ。
そんな鉄の塊が、幾つも道を駆けている。
道路から目を離せば、大通りに面した飲食チェーン店や、コンビニといった、現代人には見慣れた――しかしクラウディアには数年ぶりの懐かしき光景。
「ふふ、まるで初めて外に出たみたいですね」
「素晴らしい光景だ……」
身を乗り出さんばかりのクラウディアを見守る二人に微笑が浮かぶ。はしゃぐ子供を微笑ましく見守るような、優しい笑みだった。少なくとも莉子は。
しかし一人の世界に没入したクラウディアはその視線に気がつかず、夢中で周囲の観察を続ける。
(ん……しかし音が静かだな。電気自動車ってやつだろうか)
なんとなく気になったので、ハンドルを握る莉子に目を移す。あちらもクラウディアの視線を受け、「なんですか?」と促す。
「あの、この車は電気自動車、というものでしょうか?」
「ん?今どき電気自動車に乗る人なんていませんよ?」
莉子の回答は、予想とは異なるものであった。しかし、であれば何を動力源としているのだろうか、
クラウディアは車に詳しいわけではないが、エンジンで動く車がこれほど大人しい排気音を出さないことくらいはわかる。
「な、ならば一体これは何を動力としているのですか?」
「んーと――これはちょっとお高めの車なので、Cクラスの魔石ですね」
「ああ、魔石をエネルギーに転用しているという……」
「はい。……あの、本当にあなたは……」
バックミラー越しに視線が合う。
これもまた、どうせ協会で尋問されるのなら隠す必要はないだろう。クラウディアは、気がついたらダンジョンにいたことや、多少「記憶に問題がある」ことを端的に述べた。
「そ、そんなことあり得るのでしょうか?」
「ほ、本当ですよ!脱出の途中だって信じられないくらい常識知らずだったんですから!」
「…………嘘なら、尋問の時に確認できるのではありませんか?」
桜の無意識なる攻撃を受けながらも切り返すと、莉子も「まあ、確かに……」と納得し、桜色の唇を閉じた。
そして、また窓に張り付いて外の光景を見るだけの時間が続き十分ほど。
「さ、着きましたよー」
懐かしい思い出に浸るクラウディアと、そんなクラウディアを生暖かい目で見守る桜にとってはあっという間であった。
窓から目を離すと、そこに広がっていたのは――
「デッッ……けふんけふん。お、大きいですね…………」
「それ、いつ見ても思います……丸ごと探索者協会の所有物らしいですよ、これ」
正しく、聳え立っている。まるで天を穿つ槍が如き、白亜の摩天楼であった。
車から降りて見上げれば、昼時ゆえ、てっぺんに近い太陽がぴかぴかとビルの端に見え隠れしている。
「さて、いろいろ問題はありますが、慣例なのでまず一言」
圧倒されている二人に、莉子が胸を張る。
「探索者の世界にようこそ。歓迎いたします」
○
ガラス張りの自動ドアにすら感嘆しながら、クラウディア一行はビル内部に入る。その瞬間、扉の左右から、職員と思しきスーツ姿の男性二人の視線が突き刺さった。
外見上は武器などは見当たらない。
しかし、何も剣や銃だけが武器ではない。拳で大地を割る化物を知るクラウディアは、少しだけ男性たちに意識を飛ばす。
(警戒心丸出し……もう少し感情の視線の隠蔽に力を入れるべきだな)
尤も、桜などは呑気に「相変わらず大きいですねー」と、お上りさんみたくきょろきょろ周囲を見回している。
その点ではクラウディアの方が神経質になりすぎているまである。そのため、「それなりにやり手だろう」二人の警戒に微笑で答えた。
「……ふふ」
「「ッ!?」」
視線を交わす。それだけで男性たちは、半ば飛び上がりながら姿勢を正した。拳術のような構えを取ろうとしていたが、それを放棄した「気をつけ」の構えである。
それは純粋に、クラウディアに降伏を表現したサインであるが……その顔がやや紅潮していた理由は問うまい。
(笑顔は元々は威嚇の表現だったとか……まあ威嚇というか、これは魅了なのやもしれないが)
「どうしたの、クラウディアさん?」
「いえ、なんでも。さあ行きましょう」
「……?う、うん?」
「おーい、早く来てくださいよー!」
桜が首を傾げている間に、莉子は既に先に進んでいた。
彼女の場所に行くには、ダンジョンで見たような、背の高いアクリル板が道を塞いでいる。
桜がアクリル板の横にある機器にカードを触れさせると、音も立てずに扉は道を開けた。
それに付き添うようにクラウディアも扉を通るが、改札口のように強制閉鎖するようなことはない。
そうして莉子の元に辿り着けば、彼女は神妙な顔をして二人を出迎えた。
「…………なるほど。こうして見れば、確かに『隷属』の下にあると実感しますね」
「先ほどは聞き忘れましたが、『隷属』している存在には、あのカードは必要ないのですか?」
「はい。『隷属』しているモンスターはどういうわけか、カードの審査を受け付けないで入場できるのです」
「どういうわけか……って、それ、管理として大丈夫なのかな?」
桜のもっともな疑問に、莉子は困ったように形の良い眉を寄せた。
「プログラマーの方々も頑張っているようなのですが……まだまだ『スキル』には謎が多いので、手をこまねいているらしいですよ」
「……なるほど」
「なぜ動いているのかわからないが、とりあえず動いているならオッケー」……いつか誰かに聞いた言葉を思い出したクラウディアは、静かにその杜撰を受け入れた。
その杜撰さをカバーするために入り口――ひいては、改札を通った後の突き刺す視線の持ち主たちが配置されているわけだ。
四方向からの剣のような視線を感じながらも、心中で納得した。
「……さ、このエレベーターで登りましょう」
職員ゆえ、内部の勝手知ったる莉子は澱みなく壁際のエレベーターまで二人を案内する。
ぽちりと上昇のボタンを細い指が押せば、到着音と共に扉が開くのに時間は掛からなかった。
エレベーターに乗り込んだクラウディアが、ちらりと階層選択のボタンを見やる。そこには、多くのボタンがびっしりと横並びに設置してあった。
最高数はなんと八十五。六十階へのボタンが最低値であることから、恐らく別のエレベーターが二〜五十九階に行けるよう、分担されているのだろう。
「あ、そうだ。もし高所恐怖症なら、後ろを見ないことをオススメします」
ぽん、と思い出したように手を叩いた莉子。真意を聞く前に、ふわり、と独特の感覚。
エレベーターが始動したようだ。穏やかなメロディを奏でながら、上昇によるGが慣れない違和感を体に齎す。
(そういえば、後ろを見ないでってどういうことなんだろう?)
ふいに彼女の忠告を思い出して、クラウディアは背後を見る。すると目に入るは、青き天蓋に見守られる、数々の建造物であった。
ほぼ全面がガラス張りになっているエレベーターは、そうした現代の営みを神の視点からありありと映し出す額縁のよう。
「な、なんと……綺麗な景色ですねっ」
キラキラと瞳を輝かせるクラウディア。
「う、うひいぃっ!高い、高すぎないっ!?」
対して、興味本位で背後を見てしまった桜が、膝を小鹿のように震わせている。言うまでもなく彼女は高所恐怖症であった。
「わああっ……あそこ、あそこの高いタワーはなんなのですか!?」
子供のようにはしゃぐクラウディアが意気揚々と桜に問いかける。頬は紅潮し、その指先は街中にあって一際目立つ塔を指差していた。
「あ、かわいい」
顔を真っ青にして怖がっていた桜が一度昇天。
「ふぅ。――あれは去年できたクリスタルタワーだね」
そして帰還し、桜は落ち着いた様子でクラウディアの指先にある幾何学的造形のタワーの解説を行った。
(く、クリスタルタワー。一度行ってみたいなあ……中はどうなってるんだ?)
「ちなみに、あれも探索者協会の建造した建物ですよー」
「そ、それは凄い財力ですね……このビルを見た時点でわかっていたことですが……」
「えへへ……」
「なんで山室さんが自慢げなんです?」
「……愛社精神ってやつでしょうか?」
絶景を前にした他愛もない会話も、目的地への到着を知らせる軽快な音で幕を閉じる。
ゆっくりと開いたエレベーターの先には、小綺麗な廊下が広がっていた。
莉子を先頭に、一行は廊下をゆっくり進む。他の人間とはすれ違うこともなく、ただ靴音だけが暫く響く。
「この部屋です」
莉子が立ち止まると、眼前の扉を二度、ノックした。
『入りたまえ』
ややくぐもった、男性の声。その声が入室を許可すれば、莉子が首元から垂れ下げた社員証を認証機に翳した。
カチャリ、とロックの外れる音がして、「失礼します」と断ってから莉子は扉をゆっくり開いた。
「初めまして。黒木 桜くんに……クラウディア・アルマくん」
黒を基調とした、見るからに柔らかいクッションのソファ。それに挟まれるようにして設置された、ガラス製のローテーブル。
奥側のソファに腰掛けている壮年の男性は、にこりとクラウディアたちに微笑んだ。その隣には、いかにも「秘書です」と言わんばかりの細身の女性。
白髪混じりの黒髪をオールバックにまとめた男性は、座っていてもわかるほどの長身を正し、一礼する。
「私は探索者協会横浜支部の支部長を務めている、雨宮 昭博だ。以後、お見知りおきを」
影の落ちた顔から僅かに覗く鳶色の瞳が、クラウディアを捉えた。
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