雨宮 昭博。そう名乗った壮年の男性に、クラウディアは綺麗に一礼する。支部長という、この場ではトップの登場に桜はガチガチ。しかし、隣を見ればクラウディアは平常運転。太すぎる肝に戦慄を覚える。
「初めまして。ご存知のようですが、クラウディア・アルマと申します。本日はお時間いただき、ありがとうございます」
「あ、く、黒木 桜ですっ」
「うむ。話は山室くんから聞いている。時間が惜しい、そこにかけたまえ」
二人の挨拶に、にこりと微笑んだ昭博は顎をしゃくって着席を促す。
「失礼します」と小さく礼したクラウディアに倣って、桜もロボットのようにお辞儀をしてからソファに腰掛けた。
莉子は昭博の隣に、立っている形だ。ガラス製のテーブルを挟んで、クラウディアと昭博は穏やかに顔を合わせる。
「コーヒーと紅茶だったら、どっちがお好きかな」
「うふふ、そうですね……でしたら、紅茶をお願いいたします」
「黒木くんは?」
「あ、わ、私は……同じものを」
「わかった。君、頼めるかな」
「はい。少々お待ちを」
この一連の流れで、クラウディアは昭博の立ち回りに感心する。飲み物の好みだけを聞くことで、スムーズに話を進行させたのだ。これが「飲み物はいかが?」と聞けば、「お構いなく」という無駄な時間が発生してしまう。
そして彼は時間を無駄に割くことが嫌いなのだと、相手に教えることにもなる。
「……お上手ですね」
「ん?なんのことかな。わからないが、ありがとう、とだけ言っておこう」
「な、なに?なんの話?」
「こちらの話です」
頼むから、そのまま純粋でいてくれ……
と、話についていけず挙動不審な桜に、クラウディアは生暖かい目を向けた。なにせ、このような面倒なスキルは立場ある人間と接する上で勝手に身についたものだからだ。会食、会食、会議、会食。その度に嫌というほど相手の腹を探ったし、探られた思い出にやや死んだ目になる。
「ところで、この部屋はどうかな。少し質素が過ぎると思わないか?」
「いえいえ。お話を聞くだけの部屋に、それほど豪奢な飾りつけが必要とは思いませんね」
「そうか。私としては、相手の気分を損なわないことがホストの役割だと思うのだが。ーー君はどう思う、黒木くん?」
「へっ、わ、私ですかっ!?う、うーん、えーっと……だ、大満足でひゅ!」
純粋な桜を置いて、クラウディアと昭博は雑談に交えた自己紹介を繰り広げた。昭博は桜にも興味があるようで、時折話を振ってはぎこちなく桜が対応する時間が続く。
「お待たせいたしました」
そんな時間も終わりを告げて、秘書らしき女性がクラウディアと桜の前にはティーカップを。昭博の前にはマグカップを置き、話はひと段落する。
「少し遅れたが、本題に入ろう」
「はい。お願いいたします」
「山室くん、概要を今一度説明してくれるかな」
はい、とずっと控えていた莉子が手元のタブレットに視線を落として説明を始める。
「Dランクダンジョン内で探索者、黒木 桜のスキル暴発が発生。クラウディア・アルマが彼女に『隷属』し、解除できない状況です。しかし、件のクラウディア・アルマの名前は探索者リストに存在せず、ナナシの疑いアリ。その審査も兼ねて、協会支部にお呼びしました」
「うむ、ありがとう。しかしナナシは俗語だ、名称に気をつけたまえ」
「は、はい……以後気をつけます」
柔らかな叱咤に少し肩を落とした莉子を横目に、昭博がテーブルに肘をつく。鳶色の瞳には、ありありと警戒と疑惑の色が揺蕩っている。穏やかな談話の空気は一瞬で張り詰め、桜は体を跳ねさせた。
「――と、言うわけなのだ。その点、どうかな」
「どう、と申されましても。私はナナシではありませんし、ダンジョンにいた理由も、気がついたらそこにいた、としか」
「…………なるほど。では、黒木くん」
「は、はいっ!」
素っ頓狂に上擦った声で、桜が答える。一際大きく体が震え、膝がテーブルを殴打。テーブルのティーカップから紅茶が溢れそうになる。そこにすかさず、目視できぬほど細い銀糸が絡みついた。
(危なっ………………ん、なんだ今の)
こっそり「星景銀糸」でそれを押さえつけたクラウディアだったが、ティーカップに触れた瞬間、妙な感覚を覚える。まるで霞を掴んだような、そんな違和感であった。
しかし、確かに紅茶はそこにあるし、細工されたような形跡もない。仮に妙な仕掛けを施されていたとしても毒以外ならば問題ないし、毒であっても最悪ーー
クラウディアはこの場を取り仕切るホストである昭博に視線を送るが、彼は優雅にコーヒーに口をつけたところであった。
疑わしいことこの上ないが、彼を脅して口を割らせるわけにもいくまい。クラウディアはそれでも構わないけれど、同行している桜が危険に晒される。それに、触れるまで感知できなかった隠蔽ーー
それはあまりに、巧妙が過ぎる。けれどその巧妙な隠蔽には、それに足る、なくてはならない重要なものが宿っていなかった。
だからクラウディアは、あえて疑惑と共に黙り込んだ。そんな彼女を置いて、話は前に進んでいく。
「まず、絶対命令を試して欲しい。今から聞かれること、全てに正直に答えること、とね」
「で、でも、なぜか私の命令は効果が無いようでして……」
「なに、私の目で確認しておきたいのだ。頼めるかな」
「は、はい……」
桜は一つ頷くと、隣のクラウディアに向き直る。一度冷静になったからか、顔を合わせると彼女が忘れかけていた『隷属』の罪悪感が心の内から蘇る。
暴発に巻き込んだばかりか、ナナシでないことの証明のために、逆らえない命令まで行おうとしている。
彼女はとてもわかりやすく顔に出る。今回も、唇をぎゅっと噤んで、前髪に瞳を隠す。
だから、クラウディアはそっと、桜と掌を重ねた。
「大丈夫。一度深呼吸してから、やってしまいましょう」
「クラウディアさん……わかりました」
すー、はー。目を瞑って、肺に大きく空気を取り込んで吐き出す。視界が何も映さぬため、重なった掌から彼女の低めの体温が感じられる。
それが一人ではない、という自覚と、彼女への罪悪感ではなく、贖罪の心を目覚めさせる。
――どの道やらねばならぬことだ。それに、この話が終わった時にはきっと『隷属』だって解除される。自分に言い聞かせて、桜は目を見開いた。
「それでは、絶対命令しますね……」
「はい、お願いします」
「【今から聞かれたことには全て、正直に答えること】」
桜の命令が耳に届くと、肉体の内部……内臓よりももっと深いどこかに、自らへの命令が刻み付けられた感覚。
そして同時に、クラウディアの首に漆黒の……スパイラルタトゥーのような紋様が走る。さながらそれは首輪のように、白く細い首元に巻き付いていた。
「な、なにこれ?タトゥー?」
ぎょっとした桜の指が、純白に黒を克明に焼き付けた紋様をなぞる。それが少しくすぐったくて、彼女の指をその上から優しく押さえつけた。
「…………受諾したようです。どうやら、これが命令が有効である、という証のようですね」
「そ、そんなっ、なんでこの命令だけ……というか、女の子の肌になんてことを!も、戻すにはどうすればいいのかな!?」
「?戻す必要はないでしょう?」
クラウディアは、桜の悲鳴じみた言葉にイマイチぴんと来ない。魔王討伐のために日々を費やしていたがゆえの弊害であった。男子高校生の時から、自分の美意識に関する価値観のアップデートが進んでいない。
もしくは、なんらケアをしなくとも完璧な状態を維持できる肉体にも責任はあるのかもしれないが。
(絶対命令の証だ、これ以上わかりやすく命令に従ってます、ってポーズに最適なものはない)
卵肌すら超越したクラウディアの柔肌。完成された彫刻のような美、その喉元に焼き付いた黒い刻印は、存在自体が重罪だ。少なくとも、クラウディア除く女性陣は皆そう思った。
「あるよ、ありまくりだよ!なくちゃ困るよ!だ、だって玉のお肌のこんな目立つ場所に――」
「そうですよ!いくら『スキル』といえど、この所業は万死に値します!」
「あー、失礼。肌がどうこうというのは後にしてもらえ」
「「「男の人は口を出さないで!」」」
黙って行く末を見守っていた秘書までもが、昭博を鬼の形相で睨みつけた。
「…………すまない」
それは昭博へ絶対命令を発動し、しゅんと項垂れて椅子の上で小さくなってしまった。いかなる立場の人間でも、怒った美人には勝てないらしい。
クラウディアは色々可哀想な目に遭っている彼に、憐憫の眼差しを向けることしかできなかった。
「……こほん、では私から質問を行う。正直に答えるように……ああいや、正直にならざるを得ないのか」
暫し時間を置いて。
女性陣の大騒ぎにより、すっかり肩身が狭くなっていた昭博。気のせいか、本当に肩の面積が減ったように見える彼だが、咳払いすると共に、元の支部長としての態度を取り戻した。
「まず、ダンジョンには気がついたらいた。間違いないかな?」
質問。【聞かれたことには正直に答える】命令が発動し、クラウディアの口は勝手に言葉を紡いでいた。
「はい」
まるで操られているような、しかし自分の意思は確かにある……そんな未知の感覚。
異世界で倒した魔王も、そういえば操られていたか。より正確に言えば、魔王と呼ばれる存在は、彼を操っていた魔法という結果だったが。
「……わかった。では次に。君は日本人には見えない。名前も、容姿もね。その割に流暢な日本語だが……以前はどこにいた?」
来た、と。
クラウディアは内心で冷や汗をかく。ここで白川祐也としての解が口から飛び出るならば、住所を番地までハッキリ口に出すことができる。だが、この体で白川祐也として押し通すのは無理がある。
かと言って、異世界、と口に出してもアブナイ人確定だ。
だが、クラウディアの計画通りならば――
「……覚えていません」
よし、と内心でガッツポーズ。クラウディアの口は、正直に答えようとした。だが、実際は命令に背いた嘘を口にした。
そのタネは、無理矢理に「星景銀糸」で口を動かし「覚えていません」と発した、というもの。
異世界での最強の相棒は、この世界でも健在らしい。さすが「星景銀糸」。
「……ふむ?記憶喪失、ということかな?」
「はい」
昭博は怪訝そうに眉を寄せる。いかにも面倒ごとにぶち当たった、と言いたげな仕草だ。
その後も幾つか質問を重ねられ、「本名」や「魔法」に関する後ろめたい質問には同じく微細な糸を用いることで乗り切った。
途中、何度もカマをかけられヒヤヒヤしたが、腹の探り合いに関しては多少覚えがあるため回避できたのは僥倖だろう。
「しかし、名前や戦闘能力に関しては記憶があり、理解している……か。いやはや、参ったな」
さて、そうなれば「急にダンジョンに現れた戸籍も記憶もない謎の少女」の誕生である。コーヒーに口をつけ、昭博はソファに背を預けて天を仰ぎ見た。
「これが他の人間から出る言葉なら、一笑に付すのだが」
『隷属』による絶対命令。その発動を目視しているために、クラウディアの言葉は事実と言わざるを得なかった。なにせ、「いかなる抵抗も、言葉を濁すことも」絶対命令の前には無力になるのだから。
「全く、ミノタウロスの複数出現だけで頭が痛いのに……加えて記憶喪失の女性が迷い込んでいたとあれば、立派なダンジョン災害だ」
「支部長、その言葉はどうかと」
「……ああ、すまない。適切ではない表現を謝罪する」
秘書に咎められ、昭博は姿勢を正して静かに頭を下げた。だが、少し天を仰いでいた間に若干老け込んだようにも見受けられる。
立場があると心労も随分なものなのだろう。異世界で出会う有能、と呼べる人間は大抵頭が寂しいことになっていたことを思い出す。……昭博に限っては、まだ無事なようだが。
どうか、その頭が焼け野原にならぬことを願う。
それはそれとして、クラウディアはダンジョン災害について追求する。
「ダンジョン災害とは、スタンピードといった事柄を指すのでしょうか?」
「その通り。あとは、『スキル』の悪用などもこれにあたる。探索者が排斥されれば、困るのは自分たちだというのに」
愚かなものだよ、と昭博は肩をすくめた。
「探索者が減れば、スタンピードが起こりやすくなるどころか、日本が立ち行かなくなる」
「…………日本が?」
「ああ、魔石の供給がなくなるからね。電気も殆ど置き換わった今、未曾有の大混乱が起こるに違いない」
その言葉が引き金となって、ここに来るまでの車内での雑談が鮮明に頭の中を走った。
『あの、この車は電気自動車、というものでしょうか?』
『ん?今どき電気自動車に乗る人なんていませんよ?』
思えば、電気、と言う言葉を莉子が口にする時も、どこか懐かしむような響きがあった。あえて言い訳をするのであれば、魔石をエネルギー転用していても、試験的な運用に過ぎないと思っていた。だから深く追求しなかったのだ。
だが、昭博の言葉ではーー
「待ってください。それではまるで――」
(魔石に人類が頼り切っている、ということじゃないか?)
それは、当たっていてほしくない予想であった。
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