「フレア団以外のみなさん、残念ですが、こんにちは」生き残っちゃったみたいなので、全力で美の追求をしたらこうなった。(どうしてこうなった? 繰り返す。どうしてこうなった!!)美しくなぁぁぁぁぁいい!!! 作:をよよ
記憶を失った男Fが、かつての「悪の組織のボス」のような高笑いで企てた計画。 それは、世界征服ではなく、「 『バゲットタワーカレー』のSMS投稿を削除させること」だった。
【あらすじ】
ホテルZで残飯をアレンジして作り出した怪物「バゲットタワーカレー」。 あろうことかマダム・ユカリがそれを絶賛し、SMSで拡散(5万いいね)してしまった。 カロス食文化への冒涜(デジタルタトゥー)を消し去るため、Fは「朝のお悩み」に悩むユカリに特製「根セロリのペースト」を献上し、その恩義と引き換えに投稿削除を迫るという、悪魔的(?)な取引を画策する。
しかし、招かれた感謝のディナーで待っていたのは、Fの想像を絶する地獄だった。 目の前の「茶色い高級フレンチ」とリンクする、ユカリの詳細すぎる「朝のレポート」。 そして、Fが正体を隠して演技指導をしているタラゴン爺(カナリィの中の人)への、「朝のお悩みのメタファー」を用いた辛辣なダメ出し。
「投稿を消してくれ」その一言が言えないまま、Fの尊厳と胃壁が削り取られていく――。
【注意】
※Pokémon Legends: Z-Aの捏造設定・幻覚が多大に含まれます
※F(フラダリ)が大変な苦労人であり、弄られキャラです
※食事中の方には推奨できない比喩(トイレネタ)が含まれますが、表現はマダム語調でエレガントです
※Fがタラゴン爺(カナリィの中の人)の演技指導をしている設定です
※何でも許せる方向け
ホテル・Zの厨房には、ある種の殺気が充満していた。 ステンレスの調理台に向かうFの背中は、世界を救う英雄のそれではなく、あるいは世界を滅ぼす魔王のそれのように強張っている。
その横で、空気を読まない男――ガイが、スマートフォンの画面をFの鼻先に突き出し、無邪気な声を上げた。
「見てくださいよFさん! あの『プータン・エ・メルド ~祈りと嘆き~(バゲットタワーカレー)』、SMSでバズり散らかしてるッス! ついに五万『いいね』突破ッスよ!!」
Fが握る包丁が小刻みに震えた。 彼は努めて冷静な、しかし地獄の底から響くような声で言った。
「……ガイ。画面を退けろ。その……『ふやけた炭水化物の墓標』のような画像を見るだけで、私の視神経が腐りそうだ」
「墓標って酷いなぁ! これはアバンギャルドなんスよ! ユカリお嬢様だって『F様の破壊と再生の精神を感じる味』ってコメント付きで拡散してくれたんスから!」
ギリギリ、と奥歯が鳴る音が厨房に響く。
「そこだ……。マダムの影響力は絶大だ。あのような『バゲットを垂直に立ててカレーを掛けた、カロス食文化への宣戦布告のような物体』が、『Fの教え』として広まることだけは……私の尊厳に懸けて阻止せねばならん」
「えー? でも今更『消して』なんて言えないッスよ? お嬢様、気に入ってるみたいだし」
「だからこそ、これを使うのだ」
Fが指差したのは、すり鉢の中に鎮座する、鮮烈な深緑色のペーストだった。
「……なんスかこれ? 雑草?」
「言葉を慎め。『根セロリの葉のペースト(Pesto de feuilles de céleri-rave)』だ。根セロリの葉は、強力な繊維質とデトックス効果を持つ。……マダムは深刻な『滞り』に、未だ苦しんでいると聞いた」
Fはあえて直接的な表現を避けたが、要するに便秘である。
「ああ~、確かにお嬢様、最近顔色が土気色っていうか、ゾンビみたいッスもんね。最近ポケモンバトルも連敗しているっていうし」
「このペーストを献上し、彼女の悩みを解決する。そして、彼女が苦しみから解放され、脳内麻薬が溢れ出し、私への感謝と安堵で心が満たされた――その、心理的防壁が最も薄くなった瞬間に切り出すのだ」
Fの瞳の奥で、冷徹な計算の光が鋭く閃いた。
「『マダム。お礼と言ってはなんですが……あのバゲットタワーの投稿、私の美学のために削除して頂けませんか?』……とな」
「うわぁ……。Fさん、やってることが完全に悪党(ヴィラン)の取引(ディール)ッスね……」
「黙れ。これは『美』を守るための聖戦だ。さあ、瓶詰めにするぞ」
「あ、ちょっと待って! Fさん、それじゃ色味が地味すぎるッスよ! ここで俺の秘策、『追い抹茶パウダー』を……!」
ガイが得意げに業務用の抹茶缶に手を伸ばした瞬間、Fの手が動いた。反射的にガイの手首を掴み、問答無用で捻り上げる。
「NONッ!!!!」
「いでででで!! 手首! 手首イッちゃうッス!!」
「貴様はなぜ、完成された調和に混沌(カオス)を振りかけようとするんだ! セロリの『苦味』と抹茶の『苦味』は種類が違う! それは味の深みではない、味蕾(みらい)へのテロルだ!!」
「だってぇ! 緑と言えば抹茶じゃないッスかぁ!」
「その缶をしまえ。二度と私の前で開けるな。……いいか、この計画に失敗は許されないのだ」
◇
グランホテル・シュールリッシュのロビー。 その片隅にある豪奢なソファに、マダム・ユカリが深く沈み込んでいた。かつてカロスを魅了した美貌には陰りが差し、彼女は腹部を庇うように背を丸めている。
「……うぅ。……動きませんわ。……物流が……完全にストライキを起こして……」
そこへ、Fが忍び寄る。その表情は「聖なる救済者」のように穏やかで、慈愛に満ちていた。
「……ごきげんよう、マダム・ユカリ。顔色が優れないようですが」
「あら……F様。……お見苦しいところを。少々、体内の循環が、その……重篤な渋滞を起こしておりまして……」
力なく顔を上げる彼女に、Fは芝居がかった仕草で頷いた。
「お察しします。……実は、そんな貴女のために、特別なものを用意しました」
Fはユカリの前に跪くと、まるで愛の告白に指輪を差し出すかのように、深緑色のペーストが入った小瓶と、美しくスライスされたバゲットを捧げ持った。
「これは……?」
「私の故郷のレシピです。自然のハーブと繊維が、貴女の身体に優しく語りかけ、本来あるべき秩序を取り戻してくれるでしょう」
「……まぁ。なんて爽やかで、力強い土の香り……。これなら、今のわたくしでも……」
ユカリは縋るように小瓶を受け取った。 食いついた。これで勝った。Fは内心でガッツポーズを取る。
「さあ、お部屋でゆっくりと召し上がってください。そして明日……吉報をお待ちしております」
「ありがとうございます、F様! わたくし、すぐに試してみますわ! ……このご恩は、必ず!」
希望の光を瞳に宿し、ユカリは小瓶を抱きしめて自室へと急ぎ消えて行った。 その後ろ姿を見送りながら、Fの肩が震え出す。最初は低く、やがて抑えきれない狂気じみた高笑いへと変貌した。
「フフフ……クックックッ……ハーッハッハッハッハッハッハ!!」
バサァッ! とコートの裾をマントのように翻し、Fはホテルの天井――彼にはそこにあるはずの宇宙(コスモ)が見えていた――を仰いだ。
「聞くがいい、愚かなる『バゲットタワー』よ!! 貴様がSMSという銀河で輝けるのも、今宵限りだ!! マダムの腸内(コスモ)に秩序が戻る時……その対価として、貴様はデジタルの闇の彼方へと葬り去られるのだ!! 美しき世界のために!! これぞ愛! これぞ正義!! ワーッハッハッハッハッハッハッハッハ!!!!」
付き添いで来ていたガイは、ドン引きしながら呟いた。
「うわぁ……Fさん、完全に『世界征服する側』のスイッチ入っちゃってるッス……。目的、ただのツイ消しなのに……」
Fは勝利を確信していた。 優雅に髪をかき上げ、優雅な足取りでホテルを立ち去る。 だが彼は知らない。その「恩返し」が、あまりにも詳細すぎる「朝のレポート」という形で行われることを。
◇
次の晩。 マダム・ユカリの私邸、ダイニングルーム。 Fの思惑通り、彼はマダム・ユカリのディナーに招待されていた。 磨き上げられた銀食器、シミの一つない白亜のテーブルクロス。静かに流れるクラシック音楽。 Fは、ガイの作る「実験料理」や「レンチン冷凍飯」ではない、久々の「正統な食事」に心を震わせていた。
(ああ……これだ。私が求めていたのは、この静寂と調和。緑色の粉末も、パンの死骸もない。ただ洗練された『美』だけがここにある……)
ナプキンを膝に広げ、Fは恍惚の表情を浮かべる。 対面のユカリはワイングラスを揺らしながら、上機嫌に口を開いた。
「F様。改めまして、昨日は本当にありがとうございました。あのペースト……まさに奇跡でしたわ」
「お役に立てて何よりです、マダム。……さて、和やかなお食事の前に、少しだけビジネスの話を……」
ここぞとばかりにFは身を乗り出した。美しき晩餐の前に、汚点(バゲットタワー)を消し去るのだ。
「実は昨日の件で、一つお願いがございます。……例のSMSの投稿についてなのですが……」
「お願いですか? ええ、命の恩人であるF様のためなら、何でも聞いて差し上げますわ!」
「おお、寛大なお心に感謝します! 実はあの写真は……」
「失礼いたします。前菜でございます」
メイドのハルジオが、絶妙なタイミングで皿を置いた。
「『仔ウサギとフォアグラのテリーヌ 〜トリュフの泡と金箔を添えて〜』でございます。」
美しくプレスされた、濃厚な茶色(ブラウン)の断面。その上には、ふわふわとした茶色い泡と、煌めく金箔が乗っている。
「まあ! お待ちになって! その話の前に、どうしてもご報告させていただきたいのです!」
(くっ……遮られた! だが、この前菜を食べ終わる頃に再び切り出せば……)
「……は、はい。何でしょう?」
「今朝の『成果物』についてです!」
「……はい?(食事中に?)」
Fの怪訝な顔などお構いなしに、ユカリは熱っぽく語りだした。
「言葉では言い表せませんわ。……見てください、F様。その目の前のテリーヌを」
「……」
嫌な予感が背筋を走る。Fはナイフとフォークを構えたまま固まった。 ユカリは遠くを見つめるような、詩的な瞳で言った。
「まず、その『テクスチャ(質感)』ですわ。……今朝の私は、まさにこれでしたの」
(や め ろ)
「以前のような、乾燥してひび割れた硬度ではありません。驚くほど滑らか(スムース)で……そう、まるで最高級のムースのような柔らかさを持ちつつ、中心には確かな芯(コア)が存在している……」
(……マダム? その形容は、今私がナイフを入れた感触と非常に……)
「特筆すべきは、その『粘性(ヴィスコシティ)』ですわね。途切れることのない、完璧な一本のライン。……まさに今、F様が召し上がろうとしているそのテリーヌのような、しっとりとした重厚感……」
フォークの上のテリーヌが、重力に従ってプルリと震える。
(……想像するな! イメージをリンクさせるな! これはウサギだ、ウサギとフォアグラだ!)
「そして、何より美しかったのが……その『色(カラー)』!」
(色!? 見たのか!? まじまじと見たのか!?)
「ただの茶色ではありません。深みのあるマホガニー・ブラウン。健康的で、均一で……そして表面には、まるでニスを塗ったかのような艶やかな『光沢(テリ)』が……」
Fの視線が、目の前のテリーヌに吸い寄せられる。たっぷりと含まれたフォアグラの脂が、シャンデリアの照明を反射して、艶やかに、あまりにも艶やかに光っている。
(……う、うぷ。……似ている。いや、同じだ)
「極めつけは『香り(アロマ)』ですわ!」
(香りまで!? 勘弁してくれ!!)
「不快な腐敗臭など微塵もない。……ただ、雨上がりの森の奥深くにある腐葉土のような、力強く、どこか懐かしい『アーシー(土っぽい)』な香りが、静かに立ち上り……」
瞬間、Fの鼻腔に、皿の上のトリュフの芳醇な「土の香り」が強烈に飛び込んだ。
ガチャン。
Fは手からナイフを取り落とした。
「……あ、ああ……」
「あら? どうなさいました、F様? ……ああ、分かりますわ。そのテリーヌの芳醇な香りに、感動して言葉も出ないのですね?」
感動ではない、絶望だ。 Fは蒼白な顔で、引きつった笑みを浮かべた。
「……は、はい。……あまりにも……今のマダムのお話と……香りが……一致(マリアージュ)しすぎていて……」
Fは、せめて嗅覚だけでも救済を求めようとした。皿から顔を背け、テーブルの上の空気を深く吸い込む。 すると、ふわりと優雅な花の香りが鼻孔をくすぐった。
(……ん? この香りは……花か? ……ああ、なんて清らかな……。これぞ救いだ……)
Fの反応を見て、ユカリは嬉しそうに微笑んだ。
「あら、お気づきになって? 今日のわたくし、特別に『オーガニック・ラベンダー』のフレグランスを纏(まと)っておりますの」
「ラベンダー……ですか。……ええ、心安らぐ香りだ……」
「ふふ。商品名は『浄化の紫風』。……ほら、わたくし、今朝やっと身体の中の『悪いもの』を出し切ったでしょう? ですから、仕上げにこの清浄な香りで、身も心もリフレッシュさせたかったのですわ」
その瞬間。
Fの脳内で、無慈悲なシナプスが結合(リンク)した。
『今朝の悪いもの(猛烈な土の香り)』+『仕上げのラベンダー』=???
(……っ!? 待て。……その組み合わせは……!!)
Fの脳裏に、公衆トイレの個室が鮮明にフラッシュバックする。 強烈な「使用直後の気配」を、必死に誤魔化そうとして撒き散らされた、安っぽいトイレの芳香剤の匂い。
(……トイレの芳香剤だ!! その運用(プロセス)は、まんまトイレの消臭ビーズの役割じゃないか!!)
目前の「茶色いテリーヌ(ブツ)」と、マダムから漂う「ラベンダーの香り(消臭)」。 視覚と嗅覚が最悪の形で揃ってしまった今、ここはもはや高級ホテルのダイニングではない。「事後」の個室だ。
(う、ぐ……っぷ!! お、おのれ……オーガニックだろうが何だろうが、今の状況(シチュエーション)では……『サンポール』の幻影しか見えん……!!)
Fは口元を押さえ、テーブルに肘をついて悶絶した。 美の追求者である彼にとって、「美女から漂うトイレの芳香剤臭(メタファー)」は、致死量(リーサル)の毒に等しかった。
(……早く、早くこの話題を変えなければ。私の尊厳と食欲が死ぬ)
「あ、あの、マダム。それでSMSの件ですが……」
「ウフフ。さあ、冷めないうちに召し上がれ。この後も、茶色いソースの煮込みが続きますわよ? SMSのお話は、メインディッシュの時にゆっくり伺いますわ!」
(……神よ。これが私の犯した罪への罰なのですか……?)
Fは震える手で、もはや「アレ」にしか見えない高級料理を、口へと運ぶ。その味は、屈辱と絶望の味がした。
◇
地獄のような前菜の時間が終わり、メインディッシュが運ばれてくる。
「こちらが本日のメインでございます。『鹿肉のシヴェ(Civet de Chevreuil) 〜濃厚な血の赤ワインソース煮込み〜』です」
メインディッシュの皿の上には、漆黒に近いドロリとした茶褐色のソースが、肉を覆い尽くしている。 Fの精神力(HP)は限界に近いが、まだ本題である「投稿削除」を切り出せていない。
(頼む……早く話題を変えてくれ……。このドロドロのソースが『アレ』に見える前に……交渉を成立させねば……)
その時、壁面の大型ホロキャストが自動起動した。
『キラリン☆』 『みんなー! ミアレのアイドル、カナリィだよー! こんばんは、ですわ♪』
画面に映し出されたのは、カナリィ。中身はFの同僚である老人・タラゴン。声はボイスチェンジャーだが、語尾の「ですわ」に不自然な力が籠もっている。
(……ゲッ。タラゴン……! なぜこのタイミングで……!)
ユカリは露骨に眉をひそめ、冷ややかな視線を画面に向けた。
「……ごめんあそばせ。また、この方ですの」
Fの背中を冷や汗が流れる。
「……ご、ご存知で?」
「ええ。若いトレーナーたちの話題に付いていくのも、上に立つ者の務め。……ですが……」
ユカリは、目の前の『茶色いシヴェ』をナイフで切り分けながら、吐き捨てるように言った。
「……見ていられませんわ。この所作(ムーブ)……一体、どこの三流アマチュアが演技指導をしているのかしら?」
ドスッ! 見えない流れ弾がFの心臓を直撃した。
(……それは……わ、私です……)
「さ、さあ……。随分と……個性的な動きですが……」
「個性的? いえ、これは欠陥ですわ。ご覧になって、あの指先の強張り」
『紅茶を飲む時は、小指を立ててエレガントに〜、ですわ♪』
「あれは『立てている』のではありません。『強張って』いるのです。……滑らかな流れがない。出口を見失って、ただ圧力だけで形を保とうとしている……」
(それは……タラゴンの関節が固いから、あえて固定させた私の苦肉の策……!)
「そう。まるで、『出口で石のように固まり、悲鳴を上げていた私の腸壁』そのものですわ! 指導者のセンスを疑いますわね!」
(ぐはぁっ!! やめてくれ……私の指導を便秘に例えないでくれ……!!)
Fは冷や汗を拭いながら必死に話題を逸らそうとした。
「あ、あの、マダム! それよりもSMSの件でご相談が……」
「SMS? ええ、わたくしの『プータン・エ・メルド ~祈りと嘆き~(バゲットタワーカレー)』の投稿ですわね! おかげさまで、もう『五万いいね』を超えましたわよ! さすがF様の教えを受けたガイ料理長ですわ! あれこそ真の芸術!」
(ちがう! 逆だ! あっち(バゲットタワーカレー)が汚物で、こっち(演技指導)が芸術のはずなんだ!)
「い、いえ、そうではなく、あの写真は私の美学に反す……」 「美学!? ええ、分かりますわ! このカナリィの所作には、F様のような美学が微塵もありませんものね!」
ユカリはFの言葉を遮り、再び画面の批判へ戻る。
「ご覧になって、あの空虚な発声……。上辺だけで、中身が伴っていない。……まるで、『お腹が張って苦しいのに、結局ガスしか出なかった時の、あの虚無感』のようですわ!!」
(ガ、ガス……虚無……私の渾身のボイストレーニングが……)
吐血しそうなダメージを受けるFをよそに、ユカリは目の前の皿の『茶色いソース』をたっぷりと肉に絡めた。
「それに引き換え、このシヴェはどうでしょう!」
(……見たくない……!)
「この鹿の血を使ったソースの、『生々しい鉄の香り』……。これが、戦いの後の『達成感』を思い出させますわね。……そう、今朝の私が感じた、あの『全てを出し切った後の、心地よい疲労感と勝利の香り』と……」
Fの瞳から、光が消えた。
「……ええ。……とても……Putain(最悪)に……芳しいです……」
目の前には、脳裏に焼き付いた「バゲットタワーの写真」。 皿の上には、「アレ」のメタファーと化した「茶色いドロドロの料理」。 耳には、「ガス」や「詰まり」に例えられ、無能呼ばわりされた自分の仕事への罵倒。
逃げ場はない。Fの視界が歪み始める。
「マダム……。……頼むから……あの……投稿……を……け、消し……て……」
「あら何ですの? よく聞こえませんでしたわ」
「……Putain……こん畜生……」
ガクッ。
Fは、糸が切れた操り人形のようにテーブルに突っ伏した。 その顔は、演技指導の秘密を守り通した安堵と、尊厳を失った絶望に満ちていた。
「F様!? まぁ! このシヴェのあまりの美味しさに、感動して気絶なさいましたのね!? ……ふふっ、罪な私!」
ユカリはスマホを取り出し、気絶したFと料理をフレームに収めた。
「これも投稿しなくては! 『F様も失神する美味しさ! ガイ料理長の師匠も認める味!』……送信、と♪」
Fは昏倒した。 当然、SMSの「バゲットタワーカレー」の投稿は削除されず、さらに「F様失神」という新たな伝説が追加され拡散された。 後日、Fが意識を取り戻した時。彼に残されたのは、マダムによる「アレに例えられた料理の数々」のトラウマの記憶(※もうアレにしか見えません)と、消せないデジタルタトゥー、そして「カナリィの演技指導者は無能」というユカリの中での定評(※誤解だが核心を突いていた)だけであった。