「フレア団以外のみなさん、残念ですが、こんにちは」生き残っちゃったみたいなので、全力で美の追求をしたらこうなった。(どうしてこうなった? 繰り返す。どうしてこうなった!!)美しくなぁぁぁぁぁいい!!!   作:をよよ

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記憶を失ったF(フラダリ)と、強くなりたい主人公、そしてツンデレなプニちゃん(ジガルデわんこ)が、ミアレシティのホテルで繰り広げるドタバタコメディ。

壊れた電子レンジ。 懸賞のために飲み干した大量のオランジーナ(炭酸)。 そして、タイミング悪く持ちかけられる「3面同時指し」の特訓……。

「漏らすな! 情報を!」

限界を迎えた王の膀胱は、美しき世界(ペルシャ絨毯)を守り抜くことができるのか!? Fさんの威厳が音を立てて崩壊する、ノンストップ・トイレ我慢ギャグです。

【ATTENTION】
※キャラ崩壊注意(特にF)
※Fさんがひたすらトイレを我慢しています
※ジガルデわんこが粗相をします
※何でも許せる方向け


第12話:残念ですが、それは特訓ではなくジガルデわんことのトイレ我慢大会です

 ミアレシティの片隅に佇む、ホテルZ。  その一室にある給湯スペースは、冷蔵庫の中かと見紛うほどの冷気に包まれていた。本来ならば優雅な朝食の時間が流れているはずの早朝。安ホテル特有の頼りない蛍光灯の下、二人の男――元フレア団ボスのF(フラダリ)と、その部下(?)のガイが立ち尽くしている。

 

 シーン……と静まり返る空間に、虚しい電子音が響いた。

 

 ペチッ、ペチッ。

 

「……ダメです、Fさん。完全に沈黙してるッス。うんともすんとも言いません」

 

 ガイが、備え付けの電子レンジを叩く。見るからに年季の入ったその箱は、ただの鉄屑へと成り果てていた。  その背後で、Fは亡霊のように立ち尽くしていた。その大きな手には、愛用のカフェオレボウルが強く握りしめられている。

 

「……嘆かわしい。実に嘆かわしいことだ」

 

「寿命ッスね。この型、たぶん二十年前のですし」

 

「私が言っているのは機械の寿命の話ではない! 『冷たいカフェオレ』の話だ!」

 

 ダンッ!  Fがボウルをテーブルに叩きつけた。中身の牛乳は、冷蔵庫から出した直後のように冷え切っており、湯気ひとつ立っていない。

 

「いいかガイ。カロスにおける朝食とは、単なる栄養補給ではない。儀式だ。たっぷりのカフェオレをボウルに注ぎ、適温に温め、そこへクロワッサンを浸して食す……。この温かさと小麦の融和こそが、一日の始まりを美しく彩るのだ。だのに……なんだこの白い液体は! 氷河か!?」

 

「(めんどくせぇ……)いや、そこにある鍋で温めればいいじゃないですか」

 

「愚か者!」

 

 Fの怒声が狭い給湯室に響く。彼は部屋の隅にある『業務用ガステーブル』を指さした。

 

「あれを見ろ! あれに火をつけるには、元栓を開け、吸気口を調整し、チャッカマンで種火を狙い……あまつさえ、立ち消え安全装置が解除されるまで『十秒間つまみを押し続ける』という無意味な苦行が必要なのだぞ! カフェオレ一杯のために、あのような前時代的な儀式を行えと言うのか!? 私は科学者だぞ? ボタン一つで分子を振動させる『スマートさ』こそが美しいのだ! 朝から煤と脂にまみれて生火と格闘するなど……断じて、美しくない!!」

 

「じゃあ、Fさんが直してくださいよ。ピュールの時も、変な巨大な機械を一瞬で作ったっていうじゃないですか」

 

「……断る」

 

 Fはフン、と鼻を鳴らし、そっぽを向いた。

 

「私の科学力は、世界をより美しく変えるためにある。穢れなき未来を掴むためにあるのだ。昨晩の残りの『特盛グラタン(冷凍)』を解凍するためにあるのではない!!」

 

「(さっきはカフェオレの話だったのに、本音は冷凍飯かよ……)」

 

 ガイは呆れたように溜息をついた。

 

「プライド高いっすねぇ。じゃあどうするんです? 新しいの買います? 安いのなら一万くらいでありますけど」

 

「金などない。それに、安物を買うなど私の美学に反する。……くっ、しかしこのままでは、私は毎朝冷たい牛乳を啜り、毎晩カチカチのマカロニを齧る羽目になってしまう……」

 

 Fが絶望的な顔で頭を抱えた、その時だった。

 

 ピロリン♪

 

 ガイのポケットで、間の抜けた通知音が鳴った。

 

「ん? なんだこのSMS……迷惑メールか?」

 

 ガイがスマホの画面を覗き込む。

 

「えーっと……『緊急告知! オラジンーナご愛飲感謝キャンペーン』? ……ははっ、すごい偶然だ。『キャップ十個で一口! 抽選で五十名様に、最新式・完全熱風オーブンレンジ《ヒート・ロトム》モデルが当たる!』だって」

 

 Fの動きがピタリと止まった。

 

「……なんだと?」

 

「いやー、すごいっすよこれ。瞬間解凍機能付きで、カフェオレモードもあるみたいです。……ま、五十名じゃ当たりっこないか。無視しますね」

 

 ガイが画面を消そうとした瞬間、Fの大きな手がガシッとガイの手首を掴んだ。その瞳孔は見開かれ、瞳の奥底には怪しい光が宿っている。

 

「……ガイ。そのレンジのデザインは?」

 

「え? ああ、画像ありますけど……これです。赤と黒のシックなやつ」

 

「美しい……!!」

 

 Fが叫んだ。

 

「赤! まさに私の情熱の色! そして黒! 冷徹な意志の色! これだ! これこそが私の厨房に鎮座するに相応しい王の器だ!」

 

「いや、だから抽選だって。当たるわけないでしょ」

 

「笑止! いいかガイ。金で解決するのは『消費』だ。誰にでもできる。だが、懸賞で引き当てること……それは『選別』だ! 天が私に『温かいカフェオレを飲む資格がある』と認めた証なのだ!」

 

「(うわぁ、都合のいい解釈始まった……)」

 

「それに、オラジンーナなら私もよく飲む。無駄がない」

 

「よく飲むってレベルじゃないでしょ。糖尿病になりますよ」

 

「問答無用! ガイ、今すぐアウトレットへ行け! 箱買いだ! 店にある在庫を全て買い占めろ! これは修理でも購入でもない……『聖戦(キャンペーン)』だ!!」

 

「へいへい……。(はぁ。結局、俺が重い荷物運んで、Fさんが炭酸飲むだけじゃねぇか……)」

 

 ガイは壊れたレンジの上にスマホを放り投げ、渋々と部屋を出ていく。  一人残されたFは、冷え切ったカフェオレボウルを高く掲げ、壊れたレンジに向かって高らかに宣言した。

 

「待っていろ、電子の箱よ! 貴様など、金輪際触れてやるものか! 私は自らの運命の力で、新たな『熱源』を勝ち取ってみせる!! ――我が選択に一片の悔い無し!!」

 

 足元で寝ていたプニちゃん――ジガルデ(10%フォルム)が、Fの大声に迷惑そうに寝返りを打ち、再びスピスピとイビキをかき始めた。

 

          ◇

 

 その日の午後。ホテルの薄暗い遊戯室。  チェックアウト後の清掃時間を借りて居座る二人の男の前には、異様な光景が広がっていた。マホガニー調の(しかし合板の)安っぽいテーブルの上には、オラジンーナの空き瓶が林立している。その数、すでに十八本。  部屋には、炭酸が抜けるシュワシュワという音と、二人の男の荒い息遣いだけが響いている。

 

「……うっぷ。……え、Fさん……」

 

 ガイが青白い顔で、目の前のグラスを見つめた。

 

「もう無理ッス……。胃袋が……風船みたいになってます。さっきからゲップをすると、ミカンの香りと一緒に魂が出そうになるんです」

 

「軟弱な! 姿勢を正せガイ!」

 

 対面のFは、背筋をピンと伸ばして座っていた。しかし、その腹部は明らかに異常な膨張を見せており、ベストのボタンが悲鳴を上げている。いわゆる熱血モードだ。

 

「いいか。これは単なる乱飲ではない。『テイスティング(飲み比べ)』だ。アウトレットで買ってきたこの『ロット番号A-03(賞味期限ギリギリ)』と、通常版の『ロット番号B-12』……。この微細な果実の熟成度の違いを見極めてこそ、真のカロス紳士と言えるのだ」

 

「(絶対味一緒だよ……安かったから買っただけじゃん……)」

 

「さあ、グラスを持て! あと一本ずつだ! この一本を空ければ、我々の手元には二十個のキャップ……つまり二口分の応募権利が集まる! それは即ち、電子レンジへのパスポートだ!」

 

 ガイは震える手で、なみなみと注がれたオランジーナのグラスを持ち上げる。Fもまた、優雅な手つき――小指は立っている――でグラスを持った。

 

「行くぞガイ! カロスの流儀を見せてみろ!」

 

「「サンテ(乾杯)!!」」

 

 カチンッ! とグラスがぶつかる。

 

「C'est parti(行くぞ)! Cul-Sec(飲み干せ)! Cul-Sec(底を見せろ)!」

 

「キュ・セック! キュ・セック!」

 

「日本語で! イッキ! イッキ!」

 

「イッキ! イッキ! うぷっ! イッキ!」

 

 ゴキュ、ゴキュ、ゴキュ、ゴキュ……!  二人の喉仏が上下し、大量のオレンジ色の液体が食道へと流れ込んでいく。それは優雅なティータイムではない。自らの体をタンクに見立てた給油作業だ。

 

「ンンンッ、プハァッ!!」

 

 Fがグラスをテーブルに叩きつける。空になったグラスが、勝利の証のように輝いた。

 

「……美(トレビアン)……! 喉を焼き尽くすような炭酸の刺激……そして鼻に抜けるシトラスの香り……。やはり、このロットは酸味が鋭いな」

 

「……ゲェェップ……」

 

 Fは口元をナプキンで押さえ、優雅に、しかし重低音は隠しきれずに排気した。

 

「……はぁ、はぁ、死ぬ……。Fさん、お腹……大丈夫ですか? なんか『チャポン』って音が聞こえますけど」

 

「愚問だ。私の肉体は完璧にコントロールされている。胃袋の拡張など、精神力でどうにでも……」

 

 Fが立ち上がろうとした、その瞬間。  タプン、タプン……。  まるで水枕を揺らしたような音が体内から響いた。

 

「……おや?」

 

 Fが自分のお腹を見下ろす。そこには、かつてのスマートな悪のカリスマの面影はなく、たっぷりと水分を蓄えたウォーターベッドが存在していた。

 

「Fさん……それ、動くとヤバいやつじゃ……」

 

「ふん、問題ない。むしろ、この重みこそが『勝利の重量感』だ。さあガイ、キャップを回収しろ! 直ちにハガキに貼るのだ!」

 

 テーブルの上はオランジーナの空き瓶だらけ。ガイはすでにソファで「うぷっ……」と死んでいる。Fは勝ち誇った顔で座っているが、その腹部は限界まで膨張していた。  そこへ、ガチャッ、とドアが開く音がした。

 

「Fさん! 相談があるんだ!」

 

 元気よく飛び込んできたのは、一人の少年だった。

 Fは内心で(ウップ……)と呻きながらも、努めて冷静に応じる。

 

「なんだ少年。見ての通り、私は今、懸賞という名の『未来』を掴み取り、極上の休息(と消化)に入ろうとしていたところだが」

 

 Fがナプキンで口元を拭う。動くたびに、お腹からチャポン、タプンと音がする。

 

「ポケモンバトルだよ! 全然勝てないんだ! 前にFさんが『自分のポケモンを信じろ』って言ったから、一番仲良しのポケモンたちだけでチームを組んだのに……やっぱり負けちゃうんだよ」

 

 少年はしわくちゃになった手持ちポケモンのリストをFに見せる。Fはそのリストを一瞥した。

 

「……ほう」

 

 Fの目がすっと細くなる。 (炎タイプが三体、補助技なし、耐久型なし……。これはチームではない。ただの『お気に入り動物園』だ。役割を持たぬ者は、戦場ではただの肉壁に過ぎない。美しくないな)

 

「(……だが、今のコイツに戦術論を説いても馬の耳に念仏か。ならば、実戦形式で『痛み』を持って理解させるのが早道……)」

 

 Fは腕時計を見る。現在時刻は十四時。炭酸摂取から十分経過。 (私の計算では、尿意のピークが訪れるのは約四十分後。……余裕だ。この程度の小僧、軽く捻って、その後で優雅にトイレに行けばいい)

 

「いいでしょう。言葉で言っても君には伝わらない。ゲームで勝負です。君が私に勝てたら、勝つための極意を教えてあげましょう」

 

「本当!? ありがとう! やるやる!」

 

 Fは、重たい体をよっこらせと起こし、テーブルのボトルをなぎ払ってスペースを作る。そこへ、埃をかぶった三つのボードゲームを広げた。  チェス(ポーンのみ八個)。  オセロ(黒石四隅配置済み)。  ミッド・ギャモン(コマ七個)。

 

「三面同時打ちだ。私が相手をしてやろう。君にとって有利なハンデ戦だ。……そうだな、制限時間は五分やろう」

 

「五分も? Fさん太っ腹だね!」

 

「慈悲ではない。余裕の表れだ。さあ、始め!」

 

 チッ、チッ、チッ……。  無機質な時計の音が刻まれ始めた。

 

 ゲーム開始から二分経過。  眼の前の少年は長考している。Fは腕を組み、不敵な笑みを浮かべて待っている……はずだった。

 

「(……ん?)」

 

 Fの眉間がピクリと動く。  下腹部の奥底で、何かが小さく、しかし確実に主張を始めたのだ。

 

「(なんだ、この不穏な圧力は。……計算違いだ。大量の炭酸ガスが胃の中で膨張し、腸を圧迫……その物理的圧力が、ダイレクトに膀胱を刺激しているというのか!?)」

 

 ギュルルル……ポコッ。  胃の中のガスが動いた。

 

「(うっ! ガスが動いた拍子に、水位が上がった! ま、まずい。この『波』は……予想より遥かに足が速いぞ!)」

 

「うーん、チェスはこっちかなぁ……。いや、待てよ……」

 

「(……遅い。おい少年、何を悩んでいる。早く指せ。五分? バカな。あと三分も座ったまま耐えられるわけがない!)」

 

 Fの額に、冷や汗が一筋流れる。組んでいた足を解こうとするが、動かすと衝撃が走りそうで動かせない。

 

「……少年よ」

 

「え? なに?」

 

「戦況は、水物だ。刻一刻と変化する。悠長に構えている暇などないのだ!」

 

「へ?」

 

「ルール変更だ! 制限時間は三分とする!」

 

「ええっ!? 急に二分も減った!?」

 

「文句を言うな! カロスでは常識だ! さあ早く指せ!」

 

 チッ、チッ、チッ……。時計の音が加速して聞こえる。  さらに四十五秒経過。  Fの貧乏ゆすりが止まらない。カタカタカタカタとテーブルが微振動し、ボード上の駒が震えている。

 

「(ダメだ……! さっきの『波』は前哨戦だった。今、本隊が来ている! 第9波(ナインス・ウェーブ)だ! このまま座っている姿勢は……括約筋への負担が大きすぎる!!)」

 

「えーっと、オセロは角を取られてるから……ここに置けば……」

 

「(貴様……! 私が必死にダムを決壊させまいと戦っている時に、なぜそんなにのんびりしているんだ! 殺す気か! 私の社会的な死を望んでいるのか!!)」

 

 Fの顔色が、赤から青、そして土気色へと変わっていく。もはや「指導」どころではない。これは生存競争だ。

 

「ぬるいッ!!」

 

「うわっ!?」

 

 Fがダンッ! とテーブルを叩く。その衝撃でF自身も「ひぅっ」と声を漏らす。

 

「一分だ! いや、三十秒で指せ!! 直感だ! 本能で動け!!」

 

「理不尽すぎるよFさん! 顔色真っ青だし、すごく震えてるよ!?」

 

「黙れ!! これは……怯えではない……! 来るべき勝利への……『武者震い』だぁぁぁ!!」

 

「(絶対違うと思う……)」

 

 足元で寝ていたジガルデ(10%)が、Fのあまりの剣幕と振動に目を覚まし、「ワン?(散歩か?)」と顔を上げた。

 

 三十秒の超早指し対決のラスト。Fは顔面蒼白、冷や汗ダラダラ、内股で椅子に座っている。 「……そ、そこだァッ!!」  バチン!! と駒を叩きつける音が響いた。

 

「チェックメイト! ステイル勝ち! ギャモン・フィニッシュ!! ……ハァ、ハァ……! 私の勝ちだ! 文句あるまい! 以上!!」

 

 Fは勝利確定と同時に、バネ仕掛けのように椅子から飛び上がった。もはや一秒も座っていられないのだ。

 

「では! 私は急用(トイレ)を思い出したので失礼する! 教えは……そう、『気合い』だ! さらば!!」

 

 Fが競歩のような内股走りでドアへ向かおうとする。  しかし、納得のいかない少年がその背中に飛びついた。

 

「待ってよFさん! 逃げるなよ!」  ガシッ!  少年の手が、Fのロングコートの裾を力強く掴んだ。

 

「ヒィィッ!?」

 

 Fが裏返った悲鳴を上げる。  タックルの衝撃が、満水のダム(膀胱)にダイレクトに伝わったのだ。

 

「さ、触るな! 揺らすな! 振動を与えるな! 今、私という世界の均衡は、表面張力だけで保たれているのだぞ!!」

 

「何言ってるか分かんないよ! 勝っただけじゃん! 何も教えてくれてない! 大人はいつもそうやって、勝つだけ勝って逃げるんだ! 卑怯だぞ!」

 

「ええい、離せと言っているのが聞こえんのか愚か者ぉぉぉ!!」

 

 Fが必死に少年を振りほどこうと暴れる。その衝撃で、狭い部屋に置かれていた三つのテーブルが「ガガガッ!」と動き、偶然にもFを取り囲むような「三角形(トライアングル)」の配置になってしまった。  Fは三角形の中心で、少年にコートを掴まれたまま立ち尽くす。  逃げ場はない。そして、立ち止まっていると……出る。

 

「(……ダメだ。これ以上押し問答をしていたら、ここで漏らす。私の尊厳が、黄色い液体と共に地に落ちる……! ……動かねば。動いて、筋肉を収縮させ、気を紛らわせるのだ!)」

 

 Fの目つきが、決死の覚悟でギラリと光った。

 

「……わ、わかった! ならば第2ラウンドだ! 次は『走りながら』やるぞ!」 「えっ? 走る?」

 

「そうだ! 『F式・サーキット・トレーニング』だ! この三つのテーブルの周りを走り続けろ! 止まるな! 考え続けるな! 走りながら直感で指せ!」

 

「走りながら……? なんで?」

 

「『リズム』だ! 戦場にはリズムが必要なのだ! 私か? 私は……そう、私は中心で君を迎え撃つ! そのために……私もリズムを取る!!」

 

 言うが早いか、Fはその場で奇妙なポーズを取り始めた。  両膝を極限まで内側に絞り、腰をあり得ない角度でクネらせ、手の甲を額に当てる。  それはどう見ても「トイレを極限まで我慢している人」だが、Fの長い手足と鬼気迫る表情が合わさり、奇跡的な芸術性を生み出していた。

 

「す、すごい……! その人間離れした腰の捻り……重力を無視した重心移動……! Fさん、それ『J〇J〇立ち』だろ!? めちゃくちゃスタイリッシュで格好いいよ!!」

 

「違うッ!! これは『黄金の精神』ではない! 『黄金の液体』をせき止めるための物理的なロックだ!! それにそのネタはやめろ! 掲載誌も会社も違う!! 大人の事情に触れる前にさっさと走れ!! 愚か者ォォォ!!」

 

「うわあ、怒った顔も迫力満点だ! 『ゴゴゴゴ』って文字が見えるよ!」

 

「幻覚だ! 見えるべきは盤面だァァッ!! さあスタートだ! 走れぇぇぇ!!」

 

「うわあああ!」

 

 ドタドタドタ!  少年が三角形の周りを走り出し、チェス、オセロ、バックギャモンの盤面に次々と手を伸ばしていく。  その騒ぎに、ソファの下で寝ていたジガルデ(10%)がむくりと起き上がった。

 

『(……フン。人間どもが、また騒がしい。グルグル回って……なんと無様な踊りじゃ。見ているこちらが恥ずかしくなるわ)』

 

 ジガルデは呆れたようにあくびをする。  しかし、フロアを必死に走り回り、Fがクネクネしながら高速で駒を捌く様子を見ているうちに、ジガルデの尻尾がパタパタと動き出した。犬の本能――動くものを追いたい欲求――がうずき始めたのだ。

 

『(……しかし、貴様らだけではリズムが悪すぎるな。見ておれん。これでは秩序が乱れる一方じゃ。……おい小僧!)』

 

「えっ? わっ、プニちゃん!?」

 

 ジガルデは尊大に胸を張り、走る少年と、踊るFの間に割って入った。

 

『(致し方あるまい! カロス地方の秩序の監視者たるこの余が、特別に『ペースメーカー』を務めてやろう!)』

 

 ジガルデがFを見上げる。Fは内股で震えながら、目で「邪魔だどけ!」と訴えている。

 

『(……フン。Fよ、そう恐縮するな。余の背中を貸してやる。……おい、余も使っていいぞ? 感謝するがよい!)』

 

「えっ、一緒に走ってくれるの!? ありがとうプニちゃん!」

 

『(勘違いするな! 余は遊びでやるのではない! あくまで貴様らの無様なフォームを矯正してやるため……ヒャッハー!!)』

 

 言うが早いか、ジガルデは猛スピードで駆け出した。結局一番楽しそうである。

 

「(犬まで来た!? ちょ、私の足元をすり抜けるな!)」

 

「ポーン進める! 次!」  

 

  ダッダッダッ!

 

「ワンワンッ!」(遅いぞ小僧! コーナーワークが甘い!)

 

 タッタッタッ!

 

「(くっ……目が回る! 少年が右から、犬が左から! 括約筋に意識を集中させろ! 緩めるな! 鉄の意志で閉ざせ!)」

 

 Fは例のダンスの回転力を利用して、オセロの石をバチンとひっくり返す。遊戯室は、地獄のメリーゴーランドと化していた。  限界を超えた回転遊戯の果て。Fは顔面蒼白で仁王立ちしていた。

 

「ウオオオオオ! そこだぁぁぁッ!!」

 

「うわあ、Fさんの手の動きが見えない! 速すぎて残像が見えるよ! それってまさか、スタンドのラッシュ攻撃!?」

 

「問答無用! 今の私に、思考(ためら)う時間など一秒たりとも残されていない! 貴様の浅はかな読みなど、この極限の集中力の前では……」

 

Fの両手が、千手観音のように3つの盤面の上を乱舞する。

 

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄……ッ!!」

 

バチバチバチバチバチバチィン!!

 

 盤が割れんばかりの高速着手音が室内に響いた。

 

「貧弱貧弱ゥ!! チェックメイト! 全石返し! ギャモン・フィニッシュ!! ……ハァ、ハァ、ハァ……! わ、私の……完全勝利だ……WRYYYY……!!」

 

「すっげえええ! 3面同時決着!? しかも最後、吸血鬼みたいなポーズで固まった!」

 

 キラキラした目で近づこうとする。

 

「 来るなッ!! 」

 

 Fが震える手で制止した。

 

「(動けないだけだ……!  今、空気の振動だけで決壊しかねない……!)……しょ、勝負は私の勝ちだ。約束通り教えよう……『漏らすな』……!!」

 

「え?」

 

「『情報を』だ!! ポーカーフェイスこそが王の条件なり!! ……以上だ! 帰れぇぇぇ!!」

 

「『情報を漏らすな』……深い言葉だね! ありがとうFさん!」

 

 少年が退室していくのを見届けると、Fは即座に鍵をかけた。

 

「緊急事態(コード・レッド)解除ォォォ!! 目標、バスルーム!!」

 

 Fは獣のようなスピードでバスルームへと突進した。

 

「美しき世界よ、私は帰ってきたぁぁぁぁ!!」

 

 バァァン!! ……ジャァァァァァァ…………

 

 数分後。

 

 ウィィィン……と換気扇の音が虚しく回る中、Fがバスルームから出てきた。その表情は、憑き物が落ちたように穏やかな聖人のそれだった。

 

「……ふぅ。危ないところだった。だが、私は人間としての尊厳を守り抜いたぞ」

 

 Fはハンカチで額の汗を拭いながら、部屋の隅に目をやった。  そこには、ジガルデが座っている。  そして、その足元の『最高級ペルシャ絨毯』の上には……直径三十センチほどの、黄金色に輝く水溜りが広がっていた。

 

「…………あ」

 

「…………」

 

 ジガルデは、Fと目を合わせようとしない。  明後日の方向を見つめ、後ろ足で耳の後ろをポリポリと掻いている。「何も知りませんよ」という態度だ。

 

「……おい。プニちゃん」

 

「ビクッ!」

 

 掻いていた足が止まる。

 

「それはなんだ。その、私の高級絨毯に染み込んでいく液体は」

 

 ジガルデは観念したように、ゆっくりとFの方を向いた。そして、気まずそうに目を泳がせた後……急に態度を豹変させ、逆ギレ気味に吠えた。

 

「ワフッ! ワン! ワンワンッ!」 (な、なんじゃその目は! 勘違いするでないぞ!)

 

 ジガルデは前足をバタバタさせ、身振り手振りで必死に訴える。

 

「クゥ〜ン、ワン! ワフッ! バウッ! ハッハッハッ……ワン!!」 (よもや貴様、余がさっき貴様らと一緒に走り回って興奮し、「Fがあれだけ我慢しているのだから余も負けてたまるか」と対抗意識を燃やした結果、今の安堵感と共にうっかりリリースしてしまった……などと考えているのではあるまいな!?)

 

 Fは冷ややかな目でそのジェスチャーを見つめる。

 

「……全部言ったな。つまり、私の我慢顔を見て興奮した挙句の、お漏らしだね?」

 

「ガウッ! バウバウッ!!」(バカを言うな無礼者ォ!!)

 

 ジガルデは毛を逆立てて抗議すると、スッと背筋を伸ばし、胸を張った。  そして、水溜りの横で、あえて高貴なポーズ――片足を優雅に上げるポーズ――を取ってみせる。

 

「ワォーン……。フンッ」(これは……そう! 『マーキング』じゃ! この部屋の秩序を守るための儀式じゃ! あえて! そう、あえてここにしたのじゃ!)

 

 鼻高々に遠吠えをするジガルデ。

 

「……マーキングにしては、量が致死量だが」

 

「ワンッ!」(ええい、細かいことを気にするな!)

 

 ジガルデはFの靴(水没中)を前足で指し、誇らしげに尻尾を振った。

 

「ワン! ワフゥ〜……♪」(これは……『聖水』じゃ! カロスの生態系を司る余の高貴なる聖水じゃぞ! シトロンのメカオイルより価値がある! むしろ、貴様の靴が浄化されたことを感謝するがよい!)

 

 その瞳は潤んでおり、足はプルプルと震えている。  Fは、水没していくアルトマーレ製革靴と、ドヤ顔の犬を交互に見つめ……そして、ゆっくりと天を仰いだ。

 

「………………」

 

「ジガルデェェェェェ!! 貴様、私の部屋に『最終兵器』を撃ち込んだなぁぁぁぁ!!」

 

 ジガルデは「やれやれ」といった顔で、濡れた前足をFのズボンの裾で拭った。

 

          ◇

 

 翌日。

 ホテルの遊戯室では、昨日と同じ光景が広がっていた。  テーブルの上には、昨日より増えたオランジーナの空き瓶が林立している。電子レンジは、まだ当たっていないらしい。

 

「Fさん! 今日こそ当てましょう! キャンペーン終了まであと三日! ノルマはあと五本です! さあ、グラスを持って! キュ・セック(飲み干せ)!」

 

「……う、うむ。全ては……温かいカフェオレのため……カロス文化の復興のため……私に後退はない!! あるのは前進勝利のみ!!」

 

 Fの顔色は土気色で、手が微かに震えている。昨日の「決壊寸前」の恐怖がトラウマになっているのだ。しかし、目の前のレンジ――懸賞への執着が勝っている。

 

「行きますよ! イッキ! イッキ!」

 

「ヌォォォォ……! イッキ……!」

 

 ゴキュ、ゴキュ、ゴキュ……。  Fの喉が動き、再び膀胱へのチャージが完了していく。胃袋から「タプン」という、聞き覚えのある不吉な水音が響く。

 

「……プハァッ」

 

 ゲェェップ。

 

 Fがグラスを置いた、その時だった。

 

 バァァン!  元気よくドアが開く。

 

「Fさん! こんにちは!」

 

「……な、なんだ少年。また来たのか」

 

 Fはビクリと肩を震わせた。その少年の姿を見て、Fは絶句する。  動きやすいジャージ上下に身を包み、首にはタオルを巻き、足元にはランニングシューズ。完全に「走る気満々」の装備だった。

 

「昨日のあれ、すごかったよ! あの後、ポケモンバトルしたら連勝できたんだ! 『走りながら考える』って、すごく実戦向きだね!」

 

「そ、そうか。それはよかったな……(嫌な予感しかしない)」

 

「だからさ! 今日もお願い! 特訓つけて!」

 

 少年は慣れた手つきでテーブルを動かし、Fを囲む「トライアングル陣形」を作り始める。

 

「俺、今日はもっと速く走れる気がするんだ! Fさんも準備してよ! ほら、あの『J〇J〇ダンス』!」

 

「断るッ!! 私は今、炭酸でお腹がいっぱいなのだ! 昨日と同じ轍は踏まん! 絶対に動かんぞ!」

 

 Fがソファの背もたれにしがみつく。  しかし、その騒ぎを聞きつけた「彼」が、ソファの下から這い出してきた。

 

「ワフッ! ワンワンッ!」(お、始まったか! 待っておったぞ!)

 

 ジガルデは尻尾をブンブン振り回し、Fの足元で準備運動――前足を伸ばすポーズ――を始めた。その瞳はキラキラと輝き、舌を出してハァハァと息を弾ませている。

 

「(……い、犬……! 貴様、またやる気か……!?)」

 

 ジガルデは、Fの膨れたお腹をチラリと見上げ、ニヤリと笑った(ようにFには見えた)。  そして、前足でチョイチョイと、Fの革靴(昨日とは別の新品)を叩く。

 

「クゥ〜ン、ワンッ! (チラッ、ジョバァ〜)」 (さあFよ、早く踊らぬか。余のタンクも満タンじゃぞ? 貴様が走らぬなら……ここでフライングしてリリースしてもよいのだぞ?)

 

「(脅迫だ……! この犬、自分の生理現象を人質に取りやがった……!)」

 

「さあFさん! 行くよ! よーい……」

 

「ワオオオオオン!!」(セット!!)

 

 Fは、自分のタプタプのお腹を見下ろし、次に少年の純粋な殺意(やる気)を見て、最後に、新品の革靴と「漏らす気満々」の犬を見た。  そして、ゆっくりと天上のシャンデリアを見上げた。

 

「……………………イヤァァァァァァァァァァァァ!!!!」

 

 ホテルZに、Fの絶望の叫びがこだました。  彼が電子レンジを手に入れ、安らかな朝食を迎えられる日は、当分来そうにない――。

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