「フレア団以外のみなさん、残念ですが、こんにちは」生き残っちゃったみたいなので、全力で美の追求をしたらこうなった。(どうしてこうなった? 繰り返す。どうしてこうなった!!)美しくなぁぁぁぁぁいい!!! 作:をよよ
【あらすじ】
クエーサー社のジェット社長が、お忍びで生き別れの孫(ガイ)に会いに来る。
Fは「ジャンクフードなど出せるか!」とガイのクロワッサンカレーを却下し、「故郷ガラルの伝統的で格式高いコース料理」を作るよう厳命する。 ……それが、全ての終わりの始まりだった。
▼本日のフルコース(地獄)
・前菜:ウナギのゼリー寄せ(テムズ川の泥の輝き)
・メイン:スターゲイジー・パイ(死んだ魚とのアイコンタクト)
・デザート:揚げマーズバー(砂糖と油の暴力装置)
▼地獄の品評会
F 「 (卒倒寸前) 」
ジェット社長 「素晴らしいわ。この泥のような喉越し……前衛的ね!」
F 「 (正気か!?) 」
ジェット社長 「是非、グランドメニュー化を!そうでないと…」
F 「 (ぐぬぬ)イエス、マム 」
お客(大流行り) 「 映えるー! 」
ローズ委員長 「ガラルのメシマズを広めてくれてありがとう!」
F 「 (おまいう) 」
マードック「あんたには失望した。ミシュラン星没収」
F 「 」
星(ミシュラン)を失い、代わりに『スターゲイジー(星を見上げるパイ)』と『ローズ委員長の重すぎる愛』を手に入れてしまった男の、優雅ならざる記録。
夜霧の立ち込める路地裏。湿った石畳を叩く革靴の音がコツ、コツと響き、影の中からFが現れた。
「……待っていたよ、マチエール君。もこお君も壮健そうで何よりだ」
Fが重々しく告げると、待ち合わせ相手であるマチエールは、開口一番に深い溜息をついた。
「……Fさん、わざわざこんな怪しい場所を指定しなくたって、普通にカフェ・ソレイユとかで良かったんじゃない?」
「何を言う。情報は鮮度が命であり、秘匿こそが美徳だ。……例の件、どうなった?」
「はいはい。その前に、約束のモノ。……まさか忘れてないよね? あの『潜入調査が劇的に楽になるアイテム』ってやつ」
「ふふ、忘れるものか。これこそ我が科学力の結晶……受け取りたまえ」
Fは自信たっぷりに微笑むと、懐から無骨な機械の塊を取り出した。配線がむき出しになったそれは、およそエレガントとは言い難い。
「名付けて『全自動ハードボイルド・スモーク発生機付きネクタイ(Art-de-Vie-Rude:ァハー・ドゥ・ヴォィ・リュード)』だ! これを装着すれば、どんな場面でも自分の周囲だけ『哀愁漂う霧』を発生させ、相手を心理的に圧迫して自白を誘導できる!」
Fがスイッチを入れた瞬間、シュゥゥゥ……と機械から生温かい蒸気が漏れ出し、マチエールの顔面を直撃した。
「……けほっ! うわ、何これ湿気すごい! 前髪うねるんだけど!」
「ニャプ……」
「もう! 相変わらず役に立たないガラクタばっかり! ハンサムさんに見つかったらまた怒られるんだからね!」
もこおまでが迷惑そうに鳴く中、マチエールは機械を突き返した。 心外だ、とFは眉をひそめる。
「ガラクタとは心外な。美しきミステリーには演出が必要だと……」
「いいから! もう本題いくよ!」
マチエールは表情を引き締めると、一枚の封筒とタブレットを取り出した。
「……クエーサー社のジェット社長が探していた『亡き娘の忘れ形見』の件。結論から言うと、ビンゴだよ」
「ほう……」
「あんたのホテルで働いてるガイ君。彼が着ていたジャンパーに付着していた毛髪と、ジェット社長から預かったDNAデータを照合したわ」
突きつけられたタブレットの画面には、『MATCH 99.9%』の文字が赤く点滅している。
「親子鑑定における肯定確率は九九・九九パーセント。間違いないわ。ガイは、ジェット社長の正真正銘の『お孫さん』よ」
「……やはり、そうか。あの独特の色彩感覚と、常軌を逸したバイタリティ……血は争えないというわけか」
Fは納得したように頷いた。あの若きシェフの、時に暴走するエネルギーの源流が、カロス経済界の女帝にあると知れば合点がいく。
「で、ここからが重要。この報告を受けたジェット社長、居ても立っても居られないみたい」
「……と言うと?」
「来るわよ、ホテルZに。それも、明日のお昼に『お忍び』で」
「明日だと!?」
「公式な訪問だとマスコミがうるさいし、何より『孫がどんな環境で働いているか、ありのままを見たい』んですって。だから変装して一般客としてランチに来るわ。……Fさん、くれぐれもボロ出さないでよ?」
マチエールの忠告を聞き流し、Fの口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
「……ふ、ふふふ。面白い。カロス経済界の女帝が、我がホテルにお忍びで……」
バサァッ、とFは無駄にコートを翻した。
「ならば迎え撃つのみ! 孫との感動の対面に相応しい、最高のエレガンスと伝統を用意して待つとしよう!」
「……ねえ、なんか嫌な予感がするんだけど。変なサプライズとか考えてない? ガイ君に普通に会わせてあげるだけでいいのよ?」
「安心してくれたまえ。私は美の体現者だ。粗相などあるものか。……礼を言うよ、マチエール君。この蒸気ネクタイは君へのチップだ、取っておきたまえ」
そう言い残すと、Fは足早に闇へと消えていった。その背中は、これから起こる悲劇など微塵も予期していない、希望に満ちたものだった。
「あ、ちょっと! これ置いてかないでよ! ……ったく、もう。……ガイ君、なんか可哀想なことにならなきゃいいけど」
残されたマチエールの足元では、ネクタイ型機械がシュゥゥゥと虚しく蒸気を吹き上げ、路地裏を無駄に湿らせていた。
* * *
次の日。
活気に満ちたランチタイム前の厨房で、ガイは鼻歌交じりに巨大な寸胴鍋をかき混ぜていた。甘ったるい匂いが充満している。
「ふふ~ん♪ よーし、今日のルーは最高っすよ! 隠し味に『(賞味期限ギリギリの)モーモーミルクの生クリーム』と『(賞味期限ギリギリの)ミエンのチョコレート』を倍量投入! 名付けて『デラックス・ハイパーカロリー・クロワッサンカレー』っす!」
そしてガイは、揚げたての巨大なクロワッサンを、ドロドロのカレーの海へ沈めようとした――その時だ。
「待てぇぇぇぇいッ!!」
バンッ! と厨房の扉が開き、Fが飛び込んできた。あまりの剣幕にスタッフたちがビクリと肩を震わせる。
「うおっ!? びっくりした! ……なんすかFさん、味見っすか? まだ煮込みが甘いっすけど……」
「……ならん。絶対に許さんぞ」
Fはガイの手首をガシッと掴み、眼光鋭く睨みつけた。
「今日このランチタイムに、その『炭水化物の暴力』と『脂質のテロリズム』を客に出すことは!」
「ええー? でもこれ、今やウチの看板メニューっすよ? お客さんも楽しみにしてるし……」
「一般客なら構わん!(本当は嫌だが) だが今日は事情が違う!」
Fは周囲を警戒し、声を潜めてガイに耳打ちした。
「……いいか、ガイ。今日のランチには、超VIPがお忍びで来店されるのだ」
「VIP? 誰っすか? チャンピオン?」
「……カロス経済界の重鎮であり、世界的な審美眼を持つ貴婦人だ。彼女は君の……いや、『当ホテルのシェフの腕前』を個人的に確かめに来るのだ」
「へぇ~、俺の腕を? じゃあ尚更、この自信作のカレーを食ってもらわないと!」
「愚か者ッ!!」
Fは寸胴鍋を背中で隠すように立ちふさがった。
「セレブリティの舌を甘く見るな! 彼女たちが求めているのは、洗練された伝統、格式高いマナー、そして食材への敬意だ! パンを汁物に浸してふやかすような下品な料理など、言語道断!」
「下品って……酷い言い草っすねぇ。美味いのに」 「美味い不味いの問題ではない、『美学』の問題だ! ……そこでだ、ガイ。君にオーダーする」
Fはビシッとガイに指を突きつけた。
「今日のVIPには、君の故郷……『ガラル地方の伝統的なフルコース』を提供するんだ」 「……は?」
ガイの手が止まった。きょとんとした顔でFを見返す。
「……ガラル料理? フルコースで? ……Fさん、本気っすか?」
「そうだ。君はガラル出身だろう? 彼女は君のルーツに興味を持っている。ならば、小手先のジャンクフードではなく、君の血肉を作った『本場の伝統料理』で誠意を見せるのが最高のおもてなしというものだ!」
「いや……まあ、作れって言われれば作れますけど……」
ガイは困ったように頭を掻いた。
「ガラルの伝統料理っすよ? カロスの人たちの口に合うか、正直ビミョーっていうか……結構、その……パンチ効いてるっすよ?」
「ふん、パンチだと? 野性味上等! 昨今の軟弱なカロスにはない、質実剛健な『ガラルの誇り』を見せてやりたまえ! ローストビーフのような重厚さを期待しているぞ!」
「……ローストビーフなんて上等なもん、俺の地元の食卓には並ばなかったっすけどね……」
「何か言ったか?」
「……いや、なんでもないっす。わかりました。そこまで言うなら、俺の地元の『ガチ』なやつ、出すっすよ?」
「ああ、頼んだぞ! 妥協は許さん、『ありのままのガラル』を皿の上に再現するんだ!」
ガイの口元がニヤリと歪んだのを、Fは見逃していた。
「……了解っす。『ありのまま』っすね。……後で文句言われても知らないっすよ?」
ガイは冷蔵庫の奥から、普段は使わない怪しげな食材――新聞紙に包まれた魚や、ラベルの剥がれた謎の缶詰――を取り出し始めた。
「ふふふ……これで勝った。エレガントな午後の始まりだ……」
Fは勝利を確信し、そのまま厨房を後にした。 その背後で、ガイが魚の頭を包丁で切らずに『並べ』始めていることに、彼はまだ気づいていなかった。
「よーし、久しぶりに腕が鳴るなぁ! 母さん直伝の『アレ』と『コレ』、全部ぶっ込むぞー!」
* * *
正午。
静謐な空気が流れるVIPルーム。この部屋の窓からは、ホテルZで唯一、ミアレシティの絶景が一望できる。 Fは懐中時計を確認し、扉の前で姿勢を正した。
(……時間だ。ネクタイの曲がりなし、靴の光沢よし。……完璧だ。私の美学に一点の曇りもあってはならない)
ノックの音と共に重厚な扉がゆっくりと開かれ、一人の老婦人が入室した。 地味なグレーのコートに身を包んでいるが、その背筋は鋼のように伸び、サングラス越しの視線は鋭い。カツ、カツ、と硬質なヒールの音が室内に響く。
「……ようこそお越しくださいました、マダム。Fと申します。本日は当ホテルをお選びいただき、光栄の極みに存じます」
Fは深々と優雅に一礼した。 ジェットはサングラスを少しずらし、Fを値踏みするように見上げた。
「……ふふ。挨拶は結構よ、Fさん。今日はただの『一人の老婆』としてランチに来ただけなのだから」
「心得ております。ここは完全な個室。他のお客様の視線も、煩わしいパパラッチも届きません。どうぞ、ごゆっくりとお寛ぎください」
ジェットはコートを脱ぎ、給仕のピュールに渡すと、窓際の席に座った。その動作一つ一つに無駄がなく、洗練されている。
「……悪くない眺めね。プリズムタワーがよく見える。……それに、この内装。華美すぎず、それでいて計算された機能美を感じるわ。貴方の趣味かしら?」
「お褒めにあずかり恐縮です。『美』とは、無駄を削ぎ落とした先に宿るもの……それが私の哲学ですので」
「哲学、ね。……嫌いじゃないわ、そういう拘りの強い男は」
ジェットはテーブルに置かれたカトラリーを指先でなぞった。
「さて、食事の方も期待していいのかしら? 噂では、ここのシェフは……かなり『独創的』なカレーを作ると聞いているけれど」
「……お耳汚しを。確かに、当ホテルのシェフは若く、時に情熱が暴走してジャンクな……いえ、大衆的な実験料理を作ることもあります」
Fはピクリと眉を動かしたが、すぐに自信たっぷりに胸を張った。
「しかし! 本日はマダムのために、そのような軽薄な料理は一切排除いたしました!」
「あら?」
「貴女様のような本物を知る方には、小手先の創作料理など失礼にあたる。ゆえに、シェフには厳命しております。彼のルーツであり、貴女様にも馴染み深いであろう……『ガラル地方の正統なる伝統料理』のフルコースをご用意せよ、と」
「……ガラル料理、ですって?」
ジェットのサングラスの奥で、目が大きく見開かれた。
「はい。流行に流されない、質実剛健なガラルの魂。素材の味を極限まで活かした、歴史ある品々でございます」
「……!」
ジェットの口元が、微かに震えた。それは期待か、あるいは別の感情か。
「……驚いたわ。最近のカロスはどこへ行っても、見た目ばかり綺麗な料理か、軟弱なスイーツばかり。……骨のある料理にはとんと出会えていなかった」
「お任せください。当ホテルのシェフが、魂を込めて『ありのままのガラル』を再現いたします」
「……そう。『ありのまま』ね。……ふふ、面白くなってきたわ。そのシェフの『魂』、とくと味わわせてもらいましょう」
ウィ、マダム。そう答えて、Fは優雅に指を鳴らした。 これから運ばれてくるのが『悪夢』だとは知らずに。
「では、アペリティフの余韻も冷めやらぬうちに、前菜をお持ちしましょう。……ピュール、頼む」
「は、はい……失礼いたします……」
給仕のピュールが、銀のクロッシュ(ドーム型の蓋)を被せた皿を恭しくテーブルに置く。その顔色が悪いことにFは気づかない。
「シェフが選び抜いた、ガラル伝統の『冷製』オードブルでございます」
「冷製……テリーヌか何かかしら?」
「さあ、ご覧ください」
「『ウナギのゼリー寄せ』で……ございます……」
ピュールが震える手で蓋を持ち上げた。
「さあ、美しき……ごふっ!?」
Fの喉から奇妙な音が漏れた。 彼の視界に飛び込んできたのは、予想していた美しいテリーヌではなかった。 皿の上にある物体――それは、灰色に濁った半透明の寒天質の塊。その中には、ぶつ切りにされたウナギが、皮も骨もそのままで乱雑に埋め込まれている。ゼリーは不気味にプルプルと震え、どす黒い煮汁が皿の縁に滲み出していた。
(な……なんだこれはァァァッ!? 生ゴミか!? 排水溝の詰まりをそのまま皿に乗せたのか!? ガイ、貴様正気か!?)
「……あら」
ジェットがサングラスを外し、まじまじと皿を覗き込んだ。Fは背筋が凍る思いだ。
「あ、あの、マダム、これはその……見た目は少々……前衛的といいますか……もしお気に召さなければすぐに下げさせ……」
「……匂うわ」
「ひっ!?」
ジェットは鼻を近づけ、クンクンと嗅いだ。
「……この、洗練を拒絶した土の匂い。ハーブで誤魔化そうともしていない、生々しい川の底の香り……」
(終わった……。『臭い』と言われた……。私のホテルZが、悪臭騒ぎで営業停止に……)
だが、ジェットはスプーンを手に取り、躊躇なく灰色のゼリーを掬い上げた。プルン、とウナギの死体が揺れる。
(やめろ! 口に入れるな! それは可食部ではない!!)
パクッ。
ジェットは、一口で食べた。 クチャ、クチャ……という、ゼラチンと骨が混じり合うリアルな音が室内に響く。Fは顔面蒼白で直立不動のまま、処刑の宣告を待った。
長い沈黙の後、ジェットがほう、と息を吐いた。
「…………素晴らしいわ」
「……は?」
「この味……忘れていたわ。泥臭さという名の『生命力(バイタリティ)』! 口の中で暴れ回る小骨の不快感が、逆に『私は今、命を奪って生きている』という実感を呼び覚ます……!」
(……はい?)
ジェットは恍惚とした表情でスプーンを進めた。
「最近の料理は、骨を取り除き、臭みを消し、食べやすく加工されすぎているわ。それは『去勢された食事』よ。……でもこれは違う。シュートシティを流れる川の濁流をそのまま飲み込むような、この暴力的なまでの野生!」
「(きょ、去勢された食事……? 川の濁流……?)」
「ああ、美味しい。喉越しがまるでヘドロのように滑らかで、なのに後味は鉄錆のように鋭い……。シェフは天才ね。ここまで『不親切』な料理を出せるなんて」
(褒め言葉……なのか? 『ヘドロ』とか『鉄錆』とか言っているが、笑顔だぞ? 味覚が破壊されているのか、それともこれが『ガラル淑女の嗜み』なのか!?)
「ミスター、これこそがガラルよ。貴方、よく分かっているじゃない」
「……は、はは……恐縮です。素材の……ええ、泥……いえ、大地の恵みを最大限に……」
Fの後ろ手に組んだ手が震えている。前菜でこれだ。次は何が出てくるんだという恐怖が、彼の胃を締め上げる。
「……さて、気を取り直して。メインディッシュでございます。ガラル地方南部の誇り高き伝統料理……」
ピュールが、先ほどよりも一回り大きな銀のクロッシュを運んでくる。足取りが重い。まるで爆発物を運んでいるかのようだ。
「海の幸をふんだんに使い、香ばしいパイ生地で包み込んだ逸品……。さあ、ピュール」
「……はい。……『スターゲイジー・パイ』でございます……」
パカッ。蓋が開かれた。
「さあ、芳醇なる……ひぃっ!?」
Fは、思わず半歩下がった。椅子に足をぶつけてよろめく。 皿の上にあるのは、こんがりと焼けたパイ。しかし、そのパイ生地のあちこちから、焼かれたニシンの頭部が、垂直に突き出している。1つではない。7つ、いや8つ。白濁した虚ろな瞳が、天井を、そしてFを、怨めしそうに凝視していた。
(目が合ったァァァッ!! 全員と目が合った!! なんだこれは!? 料理じゃない、これは魚類の集団墓地だ! 呪いのトーテムポールだ!!)
「……まあ」
ジェットは、サングラス越しに魚たちと見つめ合った。
(ガ、ガイの奴、なぜ頭を落とさない!? なぜ埋葬してやらないんだ!? こっちを見ている……『お前が俺たちをこうしたのか』と訴えている……!!)
「……壮観ね」
「……は、はい?(壮観……? 惨劇の間違いでは?)」
「見て、ミスター。この魚たちの姿勢。焼かれ、命を奪われてなお、その瞳は天(そら)を見上げている……」
「え、ええ……まあ、物理的に突き刺さっているので……」
「『Stargazy(星を見上げる者)』……。素晴らしいネーミングだわ。泥の中から這い上がり、たとえ身が焼かれようとも、高みにある星を目指す。……これぞ我がクエーサー社の社訓、『逆境からの飛躍』そのものよ!」
(……こじつけだ!! 完全なる過大解釈だ!!)
ジェットはナイフを入れる。バリバリ、という音と共に、魚の首元が無惨に崩れていく。Fはヒッ、と小さく悲鳴を上げた。 ジェットはパイと身を口に運び、咀嚼する。
「……んんッ! 強烈な塩気! そして溢れ出る脂! 繊細さの欠片もない、この暴力的なまでの旨味の奔流!」
(頼むから『美味しい』と言ってくれ。『暴力的』とか『強烈』とか、食レポの語彙としてギリギリだぞ!)
「美味しいわ……。カロス料理が『調和の芸術』なら、これは『生存の叫び』ね。荒波に揉まれた漁師たちの、生への執着を感じる……。ああ、ワインが進むわ」
ジェットは赤ワインをぐいっと煽った。その飲み方もまた、どこか豪快になっている。 ダメだ、会話が成立しない。彼女はこの悪夢のようなパイの中に、宇宙(コスモ)を見出している。
「ミスター、貴方のところのシェフ、只者ではないわね。この『死』を突きつけるような盛り付け、現代アートに通じる狂気を感じるわ」
(狂気……ええ、それだけは同意します。彼は狂っています)
「さあ、ミスターも一口いかが? この一番大きな魚、貴方をじっと見つめているわよ?」
「い、いえ!! 私は……私は調理過程での『味見』で十分に……その……彼らの魂を受け取りましたので……ご遠慮いたします……」
Fは額の脂汗をハンカチで拭った。魚の死んだ目が、Fの嘘を見透かすように白く濁っていた。
「……さて。……いよいよ、宴の締めくくりでございます」
Fはもう、優雅なポーズを取る気力も残っていない。
「本場のカロス・パティスリーのような繊細な飴細工も、季節のフルーツのムースもございません。ここにあるのは、ただひたすらに……『力(パワー)』です」
「力、ですって?」
ピュールが最後の皿を置く。 皿の上には、天ぷらのような、あるいは巨大なコロッケのような、歪な茶色の揚げ物が鎮座している。その周囲には、行き場を失った油がテラテラと光を反射していた。
「……ガラル北部発祥の現代甘味、『揚げマーズバー(ディープ・フライド・チョコバー)』でございます……」
Fは目を逸らしながら蓋を開けた。
「……どうぞ。……どうか、ご無事で」
「……これがデザート? どう見ても、安酒場のフライに見えるけれど」
ジェットがナイフを入れる。ザクッ、という重たい衣の音。その瞬間、中からドロドロに溶けた熱々のチョコレートとキャラメルが、マグマのように溢れ出した。
(ヒイィッ! 決壊した! 糖分と脂質の濁流が! 誰かインスリンを持ってこい! 救急車を待機させろ!!)
「……凄い熱気。甘い香りが湯気となって立ち上ってくるわ」
ジェットはドロリと溶けたその塊をフォークに絡め取り、躊躇なく口に放り込んだ。 カリッ、ジュワッ。 咀嚼音と共に、ジェットの目がカッと見開かれた。
「…………ッ!!」
(倒れるか!?)
「……ギルティ(有罪)……!」
(えっ? 有罪? つまり不味い?)
「なんて……なんて背徳的な味なの……! 脳天を直接殴りつけるような砂糖の甘み! それをさらに加速させる揚げ油のコク! 舌が痺れるほど甘いのに、フォークが止まらない……!」
ジェットは猛然と食べ進めていく。先ほどの優雅さはどこへやら、まるでエネルギーを渇望するエンジンのようだ。
(……嘘だろう? あの年齢で、このカロリー爆弾を完食するペースだぞ? 彼女の内臓はどうなっているんだ? クエーサー社のサイボーグ技術か何かか?)
「ハァ……ッ、最高よ。最近の健康志向だの、糖質制限だの、そんな『臆病な世論』への痛烈なアンチテーゼだわ!」
「(アンチテーゼ……? いえ、ただの暴飲暴食では……)」
「『生きるとは、燃やすこと』。この圧倒的なカロリー(熱量)こそが、明日を生きるための燃料(ガソリン)! 見て、ミスター! 私の指先まで血が巡っていくのが分かるわ!」
「(血圧が上がっているだけです、マダム! 死にますよ!?)」
ジェットは最後の一口を飲み込み、ナプキンで口元を拭った。皿の上には、油の海だけが残っている。
「……ふぅ。満足したわ。久しぶりに『戦った』気分よ。ありがとう、Fさん。前菜からデザートまで、全てが衝撃(ショック)の連続だったわ。……さあ、焦らさないで。この『狂気のフルコース』を指揮したマエストロに、会わせてちょうだい」
「……かしこまりました。……ただ、彼を見て驚かないでください。彼もまた……ある意味で『衝撃』そのものですので……」
Fはよろめく足取りで厨房の方へ向かった。その背中は、老人のように小さくなっていた。
* * *
扉が開き、Fがまるでドナドナされる子牛のように、ガイを連れて入ってくる。
「……お待たせいたしました、マダム。……こちらが、本日の……狂乱の宴を指揮したシェフ、ガイです」
「ウィッス。呼び出された時は、てっきり怒られるかと思ったっすけど……。あ、マダム、初めまして! 俺の料理、どうでした?」
ガイは悪びれもせずニカッと笑った。その笑顔は、かつてのジェットの娘の面影を宿していた。 ジェットは立ち上がり、ゆっくりとガイに歩み寄った。
「……近くへ。もっと顔を見せてちょうだい」
「へ? あ、はい」
ジェットはガイの目の前で立ち止まり、鼻をピクリと動かした。
「……匂うわ」
(す、すみません! 揚げ油と魚の生臭さが染み付いているんです! すぐに消臭スプレーを!)
「……古い油と、焦げた砂糖の匂い。……そして、何よりも強い『恐れを知らぬ魂』の香り」
「はあ……魂っすか?」
「貴方ね。あの『ウナギのゼリー寄せ』で私の美意識を挑発し、『スターゲイジー・パイ』で死生観を問いかけ、『揚げチョコバー』で私の血管に火を点けたのは」
「あー、あれっすか! いやあ、Fさんがどうしても『ガラル伝統のガチなやつ』を出せって言うから、母さんのレシピノート引っ張り出して作ったんすよ! 完食してくれたなんて、マダム、相当な『通』っすね!」
ガイのあっけらかんとした言葉に、ジェットの肩が震え出した。
(終わった……。『母さんのレシピ』とか余計なことを……。今すぐ土下座して謝罪を……)
バシッ!
ジェットが、ガイの両肩を強く掴んだ。
「うおっ!?」
「……間違いないわ」
「……え?」
ジェットはサングラスを外し、潤んだ瞳でガイを見つめた。
「この、常識を嘲笑うかのような破壊的な味付け。食べた人間の胃袋ごとねじ伏せるような、暴力的なまでのエネルギー……! こんな『イカれた料理』を作れるのは、世界でただ一人……私の娘の血を引く者だけよ!」
「(……はい??)」
「……娘の血?」
「会いたかったわ……! ずっと探していたのよ、私の孫(ガイ)……!」
「……ぐ、苦しいっすマダム! ……え、ってゆーか、まご? 俺が?」
「ええ、そうよ。DNA鑑定の結果も出ているわ。でも、そんな科学的な証明なんて、今の私には必要ない。貴方の作ったあの『スターゲイジー・パイ』が、何よりの証拠よ!」
(……パイが証拠? あの呪いのトーテムポールが?)
「あの子(亡き娘)もそうだった。いつだって私の予想を裏切り、誰も思いつかないような突飛なことで私を困らせ、そして笑わせてくれた……。貴方の料理には、あの子と同じ『愛すべき狂気』が宿っているわ!」
「へぇ……そっか。俺の母さんも、こういうの好きだったんすね」
ガイは状況を瞬時に受け入れ(あまり深く考えていない)、ジェットの背中に手を回した。
「よく分かんないっすけど……ばあちゃん、ってことっすか? へへ、なんか嬉しいっすね。俺、ずっと一人だと思ってたから」
「ええ……ええ……! 今日からは私がいるわ。貴方のその素晴らしい才能(クレイジーさ)、クエーサー社が全力でバックアップするわよ!」
抱き合う祖母と孫。背景には、ミアレシティの美しい夕日が差し込み、感動的なBGMが脳内に流れる。……はずだった。
「……………………」
Fは壁に手をつき、プルプルと震えていた。 解せぬ、と心が絶叫していた。
(……私は……私は、感動の再会を演出するために、最高のフレンチや、洗練されたマナーを用意しようとした……。だが、それが全て否定され……) (……あろうことか、私が最も軽蔑した『ゲテモノ料理』こそが、彼らの血の絆を証明する鍵だったというのか!?)
「あ、そうだFさん! ばあちゃんが気に入ったなら、これからのランチメニュー、全部『ガラル伝統コース』に変えましょうよ! 絶対流行るっすよ!」
「名案ね! クエーサー社の社員食堂にも導入しましょう! 社員の闘争本能を目覚めさせるために!」
Fは白目を剥き、崩れ落ちそうになるのを必死で耐えた。
(……お断りだ……。このホテルを……この聖域を、魚の死体と油まみれの戦場にするのは……断じてお断りだァァァッ!!)
Fの絶叫は声にならず、ただ虚しく喉の奥で消えていった。感動の再会の傍らで、一人の男の美学が静かに死を迎えた瞬間であった。
* * *
VIPルームの重厚な扉が閉まる。
その扉の横で、Fは壁に背中を預け、ズルズルと崩れ落ちるように座り込んでいた。
「あ、いた! Fさん!」
マチエールが小走りでやってくる。足元のもこおもトコトコとついてくる。
「どうなったか気になって見に来たんだけど……。今の笑い声、ジェット社長だよね? 中、覗いていい?」
「……見るな……。今はまだ……『カロリーの残骸』が片付いていない……」
「? 何言ってるの?」
マチエールは少しだけ扉を開けて隙間から中を覗いた。
「わあ……! すごい! 社長、泣きながら笑ってる! ガイ君と肩組んで、すっごく嬉しそう!」
「…………」
「やっぱり、Fさんの作戦勝ちだね! 『孫の好きな料理でもてなす』なんて、粋なことするじゃん!」 「……作戦……?」 「うん! DNA鑑定の結果だけ突きつけるより、こうやって思い出の味で迎えた方が、絶対感動するもんね! さすがFさん、伊達にキザなセリフ吐いてないねー!」
「……違う……」
「え?」
「私は……私はあんな『死んだ魚が天を仰ぐパイ』や『砂糖と油の爆弾』を出したくなかった……! 私はただ、最高の美で迎えたかっただけなのに……ッ!」
「でも、結果オーライじゃん? 二人が幸せそうなら、料理がちょっとくらい変でも、それが『正解』だったってことでしょ? よかったね、Fさん! これで一件落着だね!」
マチエールの純粋無垢な言葉が、Fのプライドに最後の一撃を加えた。 Fはワナワナと震え出し、ガバッと顔を上げた。
「よくないッ!! 断じてよくないぞおおおおッ!!」
「うわっ、びっくりした!」
「一件落着だと!? これからが地獄だ! あの親子は意気投合してしまったんだぞ!? 明日からこのホテルのランチに『ウナギのゼリー寄せ』が並ぶかもしれないんだ! 分かるかマチエール君! ホテルZが、『ガラル式怪奇料理の館』になってしまうんだぞおおおッ!!」
「……あー。……ドンマイ?」
「ドンマイで済むかァァァァッ!! 私の……私の美を返せェェェェッ!!」
Fの悲痛な絶叫が、廊下にいつまでも木霊した。 その横で、もこおが「やれやれ」といった様子で、あくびを一つした。
* * *
数日後の午後。
Fはバックヤードの片隅で、湯気の立つアールグレイの香りを嗅いでいた。
「……ふぅ。あの『悪夢のランチ(ガラルフルコース)』から数日……。ようやく私の胃袋と精神にも平穏が戻ってきたようだ。……やはり、世界に必要なのは調和と秩序(エレガンス)だよ」
その時、デスク上の通信モニターがけたたましいコール音を鳴らした。 画面には『INCOMING CALL: QUASAR CORP. CEO JET』の文字。 Fはビクッとして紅茶をこぼしかけた。
「……ッ! じ、ジェット社長からだと? ……嫌な予感がする。極めて嫌な予感がするが……無視するわけにもいかん」
Fは深呼吸をして襟を正し、通話ボタンをタップした。
「……ごきげんよう、ジェット社長。先日の感動的な再会、改めてお慶び申し上げます。本日はどのようなご用件で?」
『……ええ、ごきげんよう、Fさん。単刀直入に言うわ。ビジネスの話よ』
モニター越しのジェットは、背景にミアレの街並みを背負っていた。
『先日のランチのことよ。あの「ガラル伝統料理」。……あれを、ホテルZの「グランドメニュー」に加えなさい』
「……はい?」
『あの子(ガイ)の才能は素晴らしいわ。ウナギのゼリー寄せのあの泥臭さ、スターゲイジー・パイの死生観……あれを一部のVIPだけの裏メニューにしておくのは、カロス経済、いや人類にとっての損失よ』
「……お言葉ですが、マダム。あれは『呪物』です。あのような……視覚的暴力を伴う料理をメインメニューにするなど……ブランドイメージの崩壊を招きます」
『あら、そう? 結構売れると思うけれど』
「断固お断りします! このホテルが『魚の墓場』になることだけは……!」
『……そう。交渉決裂ね。……残念だわ』
ジェットがふっと冷ややかな笑みを浮かべ、手元のタブレットを操作した。 Fのモニターに、ある設計図が表示される。
「……これは?」
『貴方が中庭に建てた「バベルの塔」の内部構造図よ。……貴方、ガイが私の孫だと判明した経緯、覚えているかしら?』
「ええ、それはマチエール君が……」
『マチエールさんが持ち込んだのは「結果」だけよ。……問題は「採取方法」。この塔の第4アーム……通称「衣服剥離アーム」の先端に、無許可の「生体サンプル採取ユニット」が組み込まれているわよね?』
ギクッ、とFの心臓が跳ねた。
「……な、何のことでしょう。あれはただの……潤滑油の汚れを拭き取るセンサーで……しかも、ガイ君のDNA取得は、実際には未稼働で……」
『しらばっくれても無駄よ。搭乗者の毛髪や皮膚片を、本人の同意なく採取し、瞬時にDNA解析を行うシステム。……これはカロス地方のプライバシー保護法、および生体情報取扱法に抵触する重大なコンプライアンス違反よ』
「…………」
『もし、これが国際警察のハンサム刑事や、カロス警察の耳に入ったらどうなるかしら? 「F、従業員のDNAを違法収集する変態マッドサイエンティストとして逮捕」……明日の新聞の一面は決まりね』
Fは顔面蒼白になり、脂汗が噴き出した。
「……ま、待ってください! オーナーのムッシュAZの許可を頂きませんと……!」
『あら、そうなの? ……ああ、かわいそうなガイ。やっと祖母と会えたのに、勤め先が営業停止になって路頭に迷うなんて』
(ぐぬぬぬ……!! 汚い! さすが大企業のトップ、やり口が汚いぞ!!)
『……で? どうするの、Fさん? 来週からカロス全土に向けたキャンペーン……「大ガラル物産展(ガラル・フェア)」を、ホテルZで開催する? しない?』
ギリギリと歯ぎしりをする音が室内に響く。
『返事は?』
「……イエス……マム……」
『よく聞こえないわ』
「……仰せのままに!! 開催させていただきます!! 喜んで!!」
『ふふ、交渉成立ね。期待しているわよ、パートナー。……オール・ハイル・ガラル(ガラルに栄光あれ)』
プツンと通信が切れた。
Fはガックリと机に突っ伏した。
「……終わった……。私の美が……。来週から、ウナギと豆のペーストまみれになる……」
Fの嗚咽が、静かな執務室に虚しく響くのであった。
* * *
翌週。
ドンドコドコドコ……プォォォォォン!!
バグパイプの勇壮かつ耳をつんざくような音がホテル内に響き渡っていた。
「ヘイらっしゃい! いらっしゃいませーッ! ホテルZ名物、『大ガラル物産展』へようこそー!」
巨大なフライヤーの前で、ガイは揚げたてのフィッシュ・アンド・チップスを油切り網に豪快に放り投げた。
「今日の魚はホエルコ級にデカイっすよー! 揚げたて熱々に、この『特製モルトビネガー』をドバドバかけて召し上がれ!」
「うおー! すっげえ酢の匂い! 鼻が曲がりそう!」
「でもこれが本場の食べ方なんだろ? 映えるわー!」
客たちがビネガーを滝のようにかけ、新聞紙風の包装紙で包まれた揚げ物を頬張る。 Fは柱の陰で耳を塞ぎながら震えていた。
「……やめろ……。私の……私の厳選したヴィンテージ・バルサミコ酢ではなく、なぜそんな……鼻を刺すような工業用酢酸(モルトビネガー)を……!」
「さあさあ、こっちも揚がったっすよー! 本日の目玉商品! 『スターゲイジー・パイ ~フィナーレ・バージョン~』っす!」
「きゃー! 見て! 魚の頭が8個も突き出てる!」
「こっち見てる! 超ウケるんだけど!」
「へへっ、今日は特別に『魚の死んだ目』が増量中っす! SMS映え間違いなし! 勇気あるチャレンジャーには、魚の頭をしゃぶる権利をプレゼントっすよー!」
客たちの歓声が上がるたび、Fの寿命が縮んでいく。
「……違う……。ここは……いつから『魚類の処刑場』になったんだ……」
そこへ、テイクアウトコーナーに行列ができた。
「店員さん、例の『ウナギのゼリー寄せ』、テイクアウトで5つ!」
「あら、私も3つ頂戴! 冷蔵庫に入れておくと、魔除けになるって評判なのよ!」
「まいどありっすー! 『泥の宝石箱(マッディ・ジュエリー)』、5つと3つ入りまーす!」
ドロドロのゼリーが詰まったプラスチック容器が、次々と客に手渡されていく。
「……泥の……宝石箱……だと? 言語矛盾だ……。美学への反逆だ……」
Fはふらふらとキッチンの方へ歩み寄り、耐えきれずにガイに声をかけた。
「……ガ、ガイ君……」
「あ、Fさん! 見てますかこの行列! 大ヒットっすよ! ジェット社長の言う通り、みんな『刺激』に飢えてたんすね!」
「……頼む。せめて……せめてBGMだけでも変えられないか? この脳みそを揺さぶるようなバグパイプの音色は、私の精神衛生上……」
「えー? これがいいんじゃないっすか! 食欲を増進させる『戦いの音』っすよ! さあFさんも、ビネガーを一気飲みして気合入れましょう!」
「……の、飲むものかッ!!」
その時、ホールから一層大きな歓声が上がった。 揚げマーズバーの中身が飛び出し、客たちが狂喜乱舞している。
「……油の匂い。酢の刺激臭。魚の死臭。そして砂糖の焦げた匂い……。ここは地獄だ。……私はここに火を放って、全てを浄化したくなってきた……」
「あ、オーナー! 朗報っす! さっきローズ委員長から連絡があって、あとで視察に来るそうっすよ!」
「……なんだと?」
「『我が故郷の味が、カロスでどう進化したか見せてもらう』って! 張り切って『マッシー・ピー(豆ペースト)』を練らないと!」
「……とどめだ……。私のライフはもうゼロだ……」
Fが膝から崩れ落ちる横を、ガイが「ウナギ追加一丁!」と叫びながら駆け抜けていった。
* * *
やがて、ドカドカと騒がしい一団が入って来た。 ローズ委員長だ。後ろに秘書のオリーヴが静かに続き、ジェット社長と秘書のマスカットも続いて入ってくる。台風のような勢いだ。
「素晴らしい!! いやあ、実に素晴らしいよF君!!」
「……は、はい。ローズ委員長……ようこそお越しくださいました……」
ローズはFの手を両手でガシッと握り、激しくシェイクした。
「ジェットから話は聞いていたが、まさかここまでとは! 感動した! 私は猛烈に感動しているよ!」
「オリーヴ! 例のものを!」
「はい、委員長」
オリーヴが、ベルベットのクッションに乗った、直径三〇センチはあろうかという巨大な黄金のメダルを恭しく差し出した。
「F君! カロスにおけるガラルのプレゼンスを劇的に向上させた君の功績を称え、我がマクロコスモス社独自の勲章……『ガラル文化再生貢献メダル(別名:奇跡の介護士賞)』を授与しよう!」
「(介護士……? 再生……?)……は、はあ。光栄……です……」
ズシッ!
ローズがFの首にメダルをかけた。あまりの重さにFの姿勢が前のめりになる。 ローズはテーブルに並んだ緑色のドロドロした『マッシー・ピー』を指差した。
「さて、F君。正直に言おう! 我がガラル地方の伝統料理は……ハッキリ言って『マズい』!!」
「……え?」
Fは思わず顔を上げた。後ろのジェット社長がクスクスと笑っている。
「素材は煮崩れるまで茹でる! 味付けは二の次! 見た目は気にしない! 食べるだけでHPが減り、状態異常『こんらん』を付与するような代物だ! 私も子供の頃は、これを食べるくらいなら鉱山で働いた方がマシだと泣いたものさ!」
「だが、君はッ!!」
ローズはFの顔を至近距離で指差した。
「君のホテルのシェフ、ガイ君は! あの『産業廃棄物一歩手前』の料理を、見事に『エンターテインメント』に昇華させた!」
(……褒めているのか? それは本当に褒めているのか!? 今、産業廃棄物と言い切ったぞ? )
「食べてみたまえ、この『マッシー・ピー』を! 本来なら乾いたセメントのような味だが、君のところのは……なんと『食べられるセメント』になっている!」
(……食べられるセメント……? それは料理に対する賛辞として成立しているのですか? )
「これは革命だ! 『我慢して食べるもの』だったガラルの食事が、君のおかげで初めて『ネタとして楽しめる料理』になったんだよ!」
オリーヴがタブレットを見ながら淡々と補足する。
「データによりますと、SNSでの拡散率は前日比三〇〇%増。『怖いもの見たさ』『罰ゲーム需要』としてのインバウンド効果は計り知れません。素晴らしいマーケティング戦略です」
(罰ゲーム需要……。私のホテルZが……罰ゲームの聖地に……)
「おめでとうF君! 君は『ガラル人の味覚を介護し、世界レベルにまで無理やり引き上げた救世主』だ! これからもその調子で、我が国の『愛すべき怪料理』を広めてくれたまえ!」
(……もう帰っていいですか?)
「さあ、記念撮影だ! オリーヴ、カメラを! ジェットも一緒に! みんなで『スターゲイジー・パイ』のポーズ(手で魚の頭を真似て空を見上げる)をしよう!」
Fは死んだ魚のような目で、力なく手を挙げた。
「……はい……スターぁ……ゲイジーぃ……」
パシャッ!
フラッシュが焚かれ、Fの魂が抜けた顔が永遠に記録された。
* * *
ローズ委員長たちが去った後。
Fは重いメダルを首から下げたまま、ロビーのソファにぐったりと沈み込んでいた。 そこに、自動ドアが開き、エプロン姿の男が入ってきた。その表情は険しい。
「……あ、貴方は……」
Fは相手が誰か認識した瞬間、ガバッと立ち上がった。
「マードックさん!!」
かつて、あの「クロワッサンカレー」をSDGsの観点から高く評価してくれた恩人。Fにとって、彼はこの狂った状況における唯一の「正気」であり「良心」だった。
「おお、来てくださったのですね! 待っていましたよ! 貴方のような『本物の料理人』を!」
「…………」
「見てください、この惨状を! 私の美学の結晶であるホテルZが、今や『油と酢のテーマパーク』に成り下がってしまいました! どうか貴方の権威ある言葉で、このふざけた状況を一喝して……!」
「……Fさん」
マードックは、Fの手をそっと、しかし拒絶するように払いのけた。 そして、店内を見回した。柱に巻きついたガラル旗。壁に貼られた『映えろ!死魚のパイ』のポスター。
「……噂には聞いていたけど、ここまでとはな。店に入った瞬間、目が痛くなるようなビネガーの刺激臭だ」
「そ、そうでしょう!? 酷いものです! 私も被害者でして……」
「……被害者? ……にしては、随分と立派なものをぶら下げているじゃないか」
「い、いや! これは! これは彼らが勝手に押し付けていったもので、断りきれず……!」
「Fさん。俺が以前、あんたのホテルを評価したのは、あんたらに『食への誠実さ』を感じたからだ」
マードックの口調が、静かだが重くなった。
「売れ残りとクロワッサンを活かしたカレー。あれには『食材を無駄にしない』という哲学と、不格好でも美味いものを食わせたいという『愛』があった」
「ええ、ええ! その通りです!」
「だが、これは何だ?」
マードックが指差したのは、ガイが得意げに運んでいる『スターゲイジー・パイ』だ。魚の頭が突き刺さり、客がキャーキャーと写真を撮っている。
「『魚の頭が突き出ている方がバズる』? 『不味い豆ペーストを罰ゲームとして売る』? ……そこにあるのは、食材への敬意でも、客への愛でもない。ただの『ウケ狙い』と『話題作り』だ」
「ち、違うんです! それは私の本意ではなく、不可抗力で……!」
「そしてあんたは、その結果として、その胸にある『ガラルからの勲章』を手に入れた。……魂を売った対価としてな」
「……ッ!!」
図星ではない。しかし、外から見れば「そうとしか見えない」状況証拠が揃いすぎていた。
「残念だ。……俺は、あんたを見損なったよ」
マードックが懐から手帳を取り出し、何かを書き消す動作をした。
「今回の件、ミシュラン本部に報告させてもらう。……『ホテルZは、美食の都カロスの誇りを捨て、流行と権威に迎合した』とな。あんな『死んだ魚と目が合うパイ』を出す店に、星はやれねえよ」
「……(絶望で膝が震える)……!」
「……エレガンスを守る気概もない男が、ガラルに魂を売るとは見損なったぜ」
マードックは踵を返し、一度も振り返らずに自動ドアを出て行った。残されたのは、店内の喧騒と、Fの壊れた心だけ。
「オーダー! ウナギのゼリー寄せ、追加10人前入りまーす!!」
「……………………」
Fの手から力が抜け、重いメダルがジャラリと音を立ててぶつかり合う。それはFのキャリアへの弔鐘のように聞こえた。
Fの瞳からハイライトが消える。彼の脳内で、ここ数日間の出来事が走馬灯のように駆け巡った。
『無許可のDNA採取装置……バラされたくないわよね?』 『おめでとう! 君は「世界一マズい飯」を救った奇跡の介護士だ!』 『星は没収だ』
「……は、はは……」
乾いた笑いが漏れる。
「……私は……私はただ、美しくありたかっただけだ……。ガイの服をエレガントに脱がせ、最高の料理で客をもてなし、カロスの一等星として輝きたかっただけなのに……」
気付けば私は、『変態』の烙印を隠蔽するために、『ゲテモノ料理の王』となり、『美食界の裏切り者』になってしまった。
「エフさぁぁぁぁんッ!!」
ドタドタドタッ! と、ガイが厨房から飛び出してくる。その手には伝票の束が握られている。
「大変っす! Fさん! 生きてるっすか!?」
「朗報っすよ! さっき帰ったローズ委員長から、マクロコスモス本社への直通電話があったっす! 『この感動を全社員に共有したい!』って!」
「(……共有……?)」
「来週の社食イベント用に、『ウナギのゼリー寄せ』と『スターゲイジー・パイ』、あと『クロワッサンカレー』を各1000人前、デリバリー注文入りましたァッ!!」
ブチッ。
Fの脳内で、理性を繋ぎ止めていた最後の糸が切れる音がした。
「1000人前っすよ!? こりゃ厨房総出で徹夜っすね! 食材が足りないから、俺、今からシュートシティ……じゃなくてミアレの川でウナギ捕ってくるっす! Fさんもパイ生地練ってください!」
Fはゆらりとガイの方を向いた。その顔は、能面のように無表情だった。
「Fさん?」
「……ガイ君」
「はい?」
「……私はね……ウナギになりたいんだ」
「は?」
Fは虚ろな目で天井を仰いだ。
「……泥の中に潜り、光も音も遮断された世界で、誰とも目を合わせず……ただ静かに、冷たいゼリーの中で固まっていたい……激しい『喜び』もいらない…そのかわり深い『絶望』もない……『植物の心』のように……」
「えっと……Fさん? 疲れてるんすか?」
ドサァッ!
Fは優雅さを微塵も残さず、ロビーの絨毯の上に突っ伏した。首元のメダルが重すぎて、起き上がることすらできない。
「……ああ……。ここは……油まみれになってしまった……。私の美が……死んだ……」
「わああっ! Fさんが倒れたっす! 誰かー! 救急車ー! ……あ、ついでにウナギの追加発注も頼むっすー!」
意識が遠のくFの耳に、店内BGMの『威風堂々』が、ファンファーレのように高らかに鳴り響いた。